本当の人間関係を学び続ける学徒のつぶやき

人間関係学を学び続ける学徒の試行錯誤

円頓寺銀座

2022-06-25 11:05:10 | 日記

 今日は、僕がかつて二年間暮らした名古屋でお世話になった円頓寺銀座のある小料理屋のことをお話しします。



 皆さんは「名古屋の二度泣き」という言葉をご存知ですか。名古屋大須にある演芸場の正月寄席である女性の講談師が「他所から名古屋に転勤したサラリーマンは最初に名古屋人の排他的で冷淡な態度に泣き、しばらくして名古屋から他所に移るとき名古屋人の人情味に後ろ髪をひかれて泣く」というような話を聞かせてくれました。名古屋人のプライドの高さやよそ者にたいしての閉鎖的な態度は名古屋人自身も認める一方、一旦心を開く仲になるとその人情味はほかの都会人の比ではないようです。
 
 僕は長いあいだ東京本社勤務で転勤の経験がなかったのですが、2014年の3月中旬、仕事の都合で急に名古屋への転勤が決まり、名古屋というところがどんな所か全く知らずに住む場所を探した。会社が紹介してくれた不動産屋と新栄町や上前津、千種や今池などいろいろと名古屋市内を廻ったが、丸の内の京橋通から堀川の五條橋を望む眺めがとても印象的だった。坂道を下ったところに石造りの五條橋が架かり、さらに下ったところに古びた商店街のアーケードの門がまるで異界の入り口のようだ。僕は得も言われぬ魅力を感じ、名古屋暮らしの居をこの近くのマンションに決めた。
 
 御多分に漏れず、僕も慣れない名古屋での単身生活と会社での勤務は戸惑うことが多く、周りに相談できる友人や家族もなく一人で落ち込んだり、へこたれたりしていた。今振り返っても赴任してから最初の半年間はかなり精神的に不安定で参っていた状況だったと思う。部屋で、一人で飲んでいても仕方がないので、話し相手を求めて錦三丁目や丸の内界隈でいろいろと飲み屋を探したがどうもしっくりこない。
 
 名古屋の暑い暑い夏が過ぎ、11月になって熱燗がおいしい季節になったころ、そんな風に悶々としていた僕はあの異界の中にある小さな飲み屋街「円頓寺銀座」に迷い込んだ。そこには古ぼけた看板のかかった昭和時代を彷彿とさせるスナックや飲み屋が数軒が並んでいた。その中で一軒だけ真新しい佇まいの小料理屋が目を引いた。店の名前はM。ガラッと引き戸を開け店の中に入ると明るく、こぢんまりとした店内のカウンター席に二人ばかりの客が飲んでいた。カウンターやテーブル、椅子は真新しい白木づくりで清潔感が漂う。カウンターの上に並べられている大皿料理も美味そうだ。僕は吸い込まれるようにしてカウンター席に座った。女主人は僕と大体同じくらいの年齢でミネさんという。いわゆる水商売っぽさがなく、とは言っても素人っぽくもない、明るく清潔感のある女性だ。ミネさん手製の料理をつまみに一人で熱燗をやっていると隣の女性客が話しかけてくれた。旅行会社でバス旅行の添乗員をしているアキコさんという女性だ。ミネさんも話に入り会話が弾む。初対面の者同士なのになぜか心が開く。僕はこの不思議な小料理屋のとりこになった。
 
 聞けばこの店は9月に開店したばかりで、ミネさんが以前勤務していた大学(土木学会)の関係者や友人以外は全員新規の客ということだ。僕は焼酎一升瓶をキープして週に一二回通うようになった。通っているうちにたくさんの飲み友達ができた。焼酎お茶割が好きなMoさん、インテリエリートのMiさん、中国勤務が長く三線弾きのHoさん、総務部勤務のHaさんといった単身赴任族や、柳橋市場の昆布老舗のKiさん、昆布菓子のSaさん、メガネ屋さんのWaさんといった地元のシニアの方々、テレビ局で働くNiさん、土木学会のYaさんやNoさん、地元企業で働く独身のSuさん、NHKの映像の世紀のファンのNiさん、長唄名取のChちゃん...本当に個性的で愉快ないろいろな方々と親しく飲むことができた。夜な夜な家族や仕事、酒や料理のこと、人生のこと、趣味のこと、テレビ番組のこと、いろんなことを話した。ミネさんをはじめMの常連客となった飲み仲間たちは皆優しく温かだった。僕の心は急速に癒されていった。
 こうしてMで活力を得た僕は次第に職場にも仕事にも馴染んでいった。ロードバイクを買い休日には岐阜や三重にサイクリングに出かけ、会社では自転車同好会に入り仲間が広がった。仕事の業績も拡大した。宗教や哲学、精神医学や心理学の本もたくさん読めた。一人暮らしの慰みに実家にあった三味線を持ってきて小唄三味線を習うようになった。単身生活は充実し再び青春時代が戻ったかのように、あるいはそれ以上に楽しかった。まだあと一二年は名古屋にいるだろうと思っていた1年前の3月、今度は急に東京に戻ることになった。またしても転勤辞令は突然だった。

 僕は後ろ髪を引かれるのを断ち切ることができず、今でも名古屋の小唄の教室に月に一度通っている。教室の帰りにたまにMに寄り、ミネさんやSaさん、Kiさんといった懐かしい面々と会うこともある。けれども当たり前ではあるが、僕が丸の内に住みMに通っていたあの時間は遥か遠くに過ぎ去った出来事になってしまった。それでも僕は、あの苦しかった名古屋生活を乗り越えさせてくれたミネさんや常連の仲間たちに今でも心から感謝している。僕が名古屋に転勤しミネさんや常連の仲間たちに出会い、夜遅くまで語り合ったことは、僕に、僕自身が抱えていた壁を乗り越える勇気と力を与えてくれたことは疑いようのない事実だから。

 皆さんも名古屋に行く機会があれば是非円頓寺銀座に寄ってみては如何ですか。もしかしたらこのファンタスティックな異界を垣間見れるかもしれません。

 



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