ソーシャルワーク(社会福祉援助活動)の国際的な合意に基づく定義として「ソーシャルワーク専門職のグローバル定義」というものがある。その中でソーシャルワークの中核をなす原理として、社会正義、人権、集団的責任、および多様性の尊重が挙げられている。
テキストには、社会正義とは社会に正義があること、人権とは人が人として生まれながらに持っている権利、多様性の尊重とは人種・階級・言語・宗教・ジェンダー・障害・文化・性的指向などの多様性が尊重されることとあり、一般常識としておおむね理解できる。しかし、集団的責任は「共同体の責務」とあるが今ひとつピンとこない。共同体の責務っていったい何だろう。連帯責任のことだろうか。
たとえば、かつて筆者がスタッフとして参加したある人間関係学トレイニングでのトレーニンググループでのこと。数日間にわたるグループセッションの最終日前日のセッションでもまだグループで「残って」しまっているメンバー(仮にAさんとしよう。)がいた。彼(彼女)はある背負っている事情があって自分というからの中に閉じこもり、周りのメンバーやスタッフから促されてもどうしても殻から出てくることが出来ず苦しんでいた。周りのメンバーやスタッフは、彼(彼女)をそのままにして他の話題に移ることもできず、かといって彼女への働き掛けも万策尽きた感じで、トレーニンググループは重く暗い沈黙に包まれていた。
この時の気持ちを周りのメンバーの一人(仮にBさんとしよう)に後から聞いてみると、Bさんは「とてもAさんを放っておいて他のメンバーと違う話題なんかできないと感じた。」といい、ほかのメンバーもAさんのことが気になって放っておけない気持ちだったといった。このAさんと一緒にいた周りのメンバーが感じた「放っておけない」という感覚こそが「共同体の責務」であり「集団的責任」ではないだろうか。仲間を放っておけないという感情が自ずから立ちあわわれるからこそ責務や責任の意味がある。他から押し付けられた責務や形だけの責任ではコミットした行動の裏付けにはならず、薄っぺらで表面的なものになってしまうだろう。
人間関係学を築いた早坂泰次郎は、人間関係について、トレーニンググループで起こったこと、確かめられたことしか自分は信用しないと言明していたが、トレーニンググループの場では現実の人間存在のあらゆる現象が顕著に表れるためトレーニンググループの「いま、ここで」を体験することは、マクロ社会の基盤となるミクロな人間関係を正確に捉え理解するために大変重要である。上の集団的責任はその一例だと思う。
先ほどのAさんの例に戻ろう。トレーニンググループのセッションがいよいよ終わりに近づいてきたころ、あるメンバー(仮にCさんとしよう)が、勇気を振り絞ってAさんに「私は何もできないけれど、私の視線を受け取ってください。」といって、Aさんに渾身の力を込めて視線を送った。そして、ようやくAさんはCさんのまなざしを受け止めることが出来、「私はこれから這いつくばってでもこのグループに参加します。よろしくお願いします。」といった。そして、Aさんは周りにいたスタッフやメンバーに自分が背負ってきたことを話し、背負っているままの自分で良いことを納得したようだった。次の日の最終日のセッションでは、しっかりとトレーニンググループの中でメンバーとともにいるAさんの姿があった。
年齢や職業、性別の違うメンバーが参加するこのトレーニンググループでは実にさまざまな事が起こる。その一つひとつがメンバーのみならずスタッフにとって貴重な学習となる。現実社会において、社会福祉の必要性が語られて久しいが、残念ながら社会への訴求はいまだ不十分で、社会の理解不足や無関心のために福祉の実現の限界は依然として存在するが、トレーニンググループにおけるリアルな体験によって得られる知見が、人類の福祉の実現のために貢献する。
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1 コメント
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- マルテンサイト千年 (グローバル・サムライ)
- 2024-07-08 15:36:03
- 最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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