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柿の木の、思い出

2024-01-20 23:40:23 | 随筆

新潟の農家で育ち、裏庭には柿の木が数本あった。
子供の頃は長い竹竿で取っては、みんなで食べていたものです。
それが、年々と食べなくなって来ました。ほかの果物を買ってと。
高校生になる頃には、実るにまかせていました。もう、手を掛けません。

その先祖が植えた柿の木を、伐採して売る事となりました。
少しでも金に換えようとしたのです。私は事情を聞いていませんでした。
もし、前もってわかっていれば反対したかもです。先祖に悪いのではと。

美味しい柿でした。もっと昔はみんなで食べていた事でしょう。
甘いのはご馳走です。いろんな果物が出て来る前は、そうでした。
贅沢になって行くと言うことは、何かを忘れて行くのでしょうか。

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好きな花

2023-07-09 09:32:23 | 随筆

新潟の山間部の農家育ちなので、花はいつも身近に咲いていました。
では、もの心ついてから最初の花は何だったのでしょうか。

庭のすみれ、タンポポ、アサガオかもです。綺麗な世界と出会った始めです。
それから道端のいろんな草花を知っていった。美を感じていった。
裏山に行くようになってからは、山ユリ、キキョウ、ツツジ、サザンカと。
池に近付ける頃になると、水草、アヤメ、ショウブ、カキツバタですかね。
世界が広がって来ると、花との出会いが増えていきました。

私は、これらの様に、庭、道端、裏山、池の順で出会って行ったのでしょう。
自分の中での、一番に綺麗と思っている花と、一番好きな花とは違います。
蘭、蘭が高貴だと思うのですが、幼い頃に出会った花々が好きです。

すみれ、山ユリ、アヤメ、ショウブ、カキツバタ、キキョウが好きです。
花言葉は後で知ったのですが、合っていると思います。共通するのですね。

昔読んだ、太宰治のエッセイ「かすかな声」にこう言う下りがあります・・・・
「芸術家とは何ですか」
ーー「豚の鼻です」
「それは、ひどい」
ーー「鼻は、すみれの匂いを知っています」

私は、すみれの匂いをもっともっと知りたいと思います。耳を、そっと。

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ひな祭りの思い出、と

2023-02-19 08:33:04 | 随筆

私の新潟の実家では、ひな祭りが近づいて来るとタケ婆が活躍した。
離れの蔵に私を連れて行き、2階から恒例のひな人形を運び出した。
代々の米作り農家なので、昔からのが数多くあった。

それらを私と一緒に運び出して、座敷にひな壇を設けて飾った。
タケ婆はニコニコしながら、順に置き並べていき喜んでいた。
その中には自分の花嫁道具として、生家からの物もあったかもである。
家内安寧、五穀豊穣、子孫繁栄、先祖供養となり、いい行事である。

それが私が小学校2年の時は、急に飾り付けが派手になった。
父の後妻の子が生まれたからである。私は幼な心に神妙だった。
そして、小学生6年の時は妹が生まれていたので、より彩った。

タケ婆の最後のひな祭りは、祝うどころではなかった。悲惨だった。
老衰で、汚れ布団中で寒さにかじかんでいた。助けを求めていた。
誰も親身になって傍にいなかった。私は、実家から逃げ出していた。
本当は私が寄り添えばいいのにである。取り返しのつかない大失態を。
たった3回しか様子を見に行かなかった。人でなしになった。
生涯最後のひな祭りは、何もなし。その3日後、綺麗な花は散った。

タケ婆は言った・・・・
「体がべとべとして、大変だいや・・・・」
「手が冷たくて、大変だいや・・・・」
「行くないや・・・・行くないや・・・・」

私は恩をあだで返した、万死に値する。もう言葉がない。

無償の愛のタケ婆は極楽にいる。私が地獄に落ちてく刹那、一瞬見たい。
きっと笑顔を見せてくれると、そう信じたい・・・・

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農家育ち

2022-10-06 23:11:19 | 随筆

新潟の実家は、江戸時代から続く代々の稲作農家である。
田んぼが15反位で、後は錦鯉養殖の池が数ヶ所あり副業にしていた。
私が3歳の時までは、養豚もやっていて数匹飼っていた。
国の減反政策もあるなか、鯉に見切りを付けて、むしろ田んぼを増やす事に。
鯉の養殖は博打みたいなもの、売れる鯉が出れば数千万もいく。隣家で出た。
普通の鯉では知れている、選別が繰り返されて、ほとんどが淘汰される。
真鯉を家庭の食用として飼っていたが、これは美味しかった。
祖父の、おはこ料理の鯉こくは絶品だった。良き思い出である。

米作と言えども、コシヒカリは売り物、家庭では食べなかった。
その系統の米が主食で、古米や古々米を混ぜたりするので、実は美味しくはない。
コシヒカリは品種改良の賜物、成功したから良かった。新潟を救った。
それ以前は、今とは真逆で新潟の米作りは大変だった。沼田で倒れた。
越後平野は信濃川の氾濫が繰り返しあり、泥に浸かって駄目になることも。
泥田では過酷だった。腰どころか、胸まで浸かって農作業をしていた。
これではいけないとの県民の声で、農業試験場で改良に改良を重ねた結果だった。

実家では、家庭用に野菜も作っていた。ジョロでの水撒きをやっていた。
当時は肥料に、アレを撒いていたので、今から思うと、いやはや何とも。
その効果ではないと思うが、良い野菜が出来ていた。もろに有機栽培か。
白菜、キャベツ、トマト、枝豆、玉ネギ、スイカ、トウモロコシなどを作っていた。
私は上京してからというもの、実家の野菜を改めて美味しかったと思う。
40年前に食べたトマト、枝豆、スイカを越えるを知らずである。

私は農家の長男であり、跡を継ぐつもりで途中まで育った。父の再婚で変わった。
様々な事があり、実家を出て今がある。本来であれば、ここにはいなかった。
まあ、それも良し悪し。年を重ねて来ると、ふるさとが恋しくなる。

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川の上流を見るのが好き

2017-08-04 15:31:08 | 随筆

私は旅に出てもそうだが、近所の多摩川を見ても思う。
川の上流を見るのが好きである。

なぜだかと、思いをめぐらしてみることにしよう。
故郷の新潟では、信濃川でよく魚釣りをしていた。一番の趣味だった。
毛バリの流し釣りで、ポイントをかえながらやっていた。
上流の浅瀬のほうが釣れるので、もっと上流へとの思いがあった。
あの当時、上流の越後山脈の山容は見ごたえがあった。
そのまた先へとの、憧れもあった。先は関東平野へと続いて行く。
やはり、私の原風景として永遠のものである。

ほかの理由を、考えてみる事にしよう。
私の指向として、下流を未来とすると、過去とも言える上流に思いが。
メランコリックな思いを抱いてるのではないか。
つまり、未来よりも過去に興味があるとも言える。
歴史好きなのはともかく、自分の生い立ちにもこだわりがある。

それでは、これからの未来をどう思ってるのか。
惰性に任せて、流れるままにしてるのか。
それはそれで、自然でいいともいえる。

こんな筈ではなかった、との思いがいつもある。
いたであろう所にいなくて、違う空を見ているとの思い。
鏡に映る自分が、別人のようだと。

あの頃に戻りたい、過去のある地点から生き直したい。
せんないことだが、心をかきむしる。
本当ではない自分と、向きあっている日々。昔に戻りたい。

だからなのか、川の上流に憧れを持っている。
上京してからも、川のある町に住んでいる。
何か落ち着くし、懐かしい故郷を思う。

今日も私は、上流を見て微笑んでいる。

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