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温泉場、銭湯、宿泊施設の風呂の脱衣かごに注意

2025-02-28 01:00:00 | エッセイ
これは女性は、小袋に必要な物を入れておくからいいのですが、男性です。
私もそうですが小袋なしで、下着などを手に持ったままで向かいます。
脱衣室では、かごに下着をそのまま入れます。替え用下着もそのままに。
そうすると、前にかごを使ってた人もそうかも、その前の人もそうかもと。

中にはツタで作った大型のかごがある、年期の入った凝ったのもある。
施設の中には、脱衣かごを毎日洗っていないと思われる所もあるような。
私の案じているのは、インキンタムシになる怖れありやと思うのです。
このタムシ治療は長期戦になりますよ、20代の時に苦労した経験がある。
・・・・かゆい、掻く、気持ちいい、かゆい、掻く、気持ちいい、と。

そんな事していると、どんどんと広がりますよ、タムシはアメーバーみたいに。
今思うと、20代のタムシは風呂無しアパートでの銭湯通いでうつったのかも。
汚い脱衣かごに、インキンタムシパンツが堂々を脱ぎ置かれていたのかもと。
どうも、じいちゃん達は小袋に入れずに置く。ほかでもそうしているかも。

タムシ体験者は語る、風呂の脱衣かごに注意。汚いパンツが転がっているかも。
男性一同、インキンタムシになりますよ。掻くと、気持ちいいのは気持ちいい。
そんな事よりも、小袋必要です。そのまま置きはやめた方がいい。なりますよ。
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自分の人生の、主人公になりたい

2025-02-27 00:00:00 | エッセイ

これは逆説的なのですが、長いこと自分を偽って来た人にはわかります。
今なにか、違う人生を送っているんではないかと言う、ある胸のつかえが。
それを自覚している人もいれば、別な歩みをしているのに気付かない人も。
いずれにせよ、本当は違っていただろう人に、つたない思いを届けます。

自分の心を殺してはいけません。魂が泣きながら浮遊してしまいます。
あなたが思っている以上に、それは。心と魂は同じ様で違うのではと思います。
傷ついた心は、後には修復出来るかもです。それは、かさぶたが覆うように。
では、魂はどうでしょうか、どうしても傷ついたままなのかもしれません。

私は、幼少期に被った「くびき」から逃れられません。追って来ます。
その過去を振り切って突っ走れないのです。向こうの方が遥かに早いのです。
新しい自分になれないでいる。本当は違う、こんなではない、ここにはいない。
違う人生を生きている。それだけは、はっきりとわかっている。違う違うと。

人は自分の人生の、主人公にならなければいけません。脇役ではだめなのです。
それは、自分の魂が許しません。この苦を知っている人は、実は少ないのでは。
順調に生きて来た人にはわかりにくい、と思う。あたり前が、あたり前なので。

そうではなかった人へ、この言葉を贈ります。誰もわかってくれなくても、でも。
・・・・「あなたの、その傷ついた魂は微笑んでいます。いつも味方です」

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旅の宿で、頂戴してもいい物

2025-02-26 00:00:00 | エッセイ
これはホテル、旅館、民宿とで違う。昔は良くても今は駄目もある。
まあ、世知辛しくなって来たのもあるが、今風でありますね。
ホテルの備品では、安全カミソリ、ミニ石鹸、綿棒はいいでしょう。
旅館では、上記の他にタオルは記念としてもらいます。ホテルは微妙。
基本ビジネスホテルは駄目、温泉などの観光ホテルはОKでしょうか。
民宿では、使いまわしタオルは駄目、宿のロゴの入っているのはいいかと。

タオルはもらえると、ありがたいです。頂戴していいのか迷う宿もある。
ビニールに入っている、ロゴ付きはいいですよね。宿の宣伝になる。
どうも今時は、堂々と頂戴するのに戸惑う時も出て来ています。

この前、東海道を旅していて、宿場の民俗資料館でこんな記事を見ました。
・・・・「きせるは貸し出すと、十中、八九は返って来ない」
・・・・「中には布団、ついたて、屏風まで消えている」
・・・・「こんな事があるので、宿場の宿は苦しい思いをしている」

何なんだよ、どうやら綺麗にみんな持って宿を後にするらしい。やるなあ。
これじゃ、商売あがったりである。客を泊めると、いろんなのが消える。
それをいちいち奉行所に届けない、もう薄利多売で宿を続けていくのが大事。
つまるところ、大目に見ているのしょうか、奉行所もそうかと、そこは緩い。

しかし、布団、ついたて、屏風まで頂戴するかね、部屋を本当に空にする。
現代では、タオルを頂戴していいか、だんだん迷う様になって来ております。
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耳かき山流、文章読本

2025-02-25 00:00:00 | エッセイ
あだ名が耳かき山なのは、自分で付けたのですが、はい、その通りです。
奥の鼓膜コチョコチョがいい。深層は奥にあり、これが信条でもあります。
さて、私なりの文章読本みたいな感じで進めて行きます。どうなる事かい。

基本、ごちゃまぜワールドです。いけいけどんどんです。行けーと。
テーマ、タイトルが浮かんだらメモ、しばらく発酵、食べるではなく書く。
納豆好きですよ、貧乏育ちだったので納豆で出来ています。あと、ふりかけで。
大人になってからは、生酒好きになりました。これも発酵、文章もそうかと。
納豆は発酵し過ぎはいけない、食べる時に食べる、文章もしかりと思う。

はい、また納豆ですが、ひきわり納豆より、大粒の方が大豆の風味がある。
大手メーカーよりは小売り納豆屋の手作りがいい。それも一人で作ったのがいい。
文章も、まったくの一人の手作りがいい。文学好きの読書もいいが、染まる。
好きな作家の文章に似て来るのです。文体が似て来ませんか、良し悪しがある。
まあ、私はドストエフスキーが大好きですが、そもそも深淵過ぎて好きなだけ。
もうちょっと足すと、彼は「死」に近付き闇を見た、亡霊達の声を聞けた、と。
登場人物はえらい饒舌です、やたら長い手紙も書きます。彼は、湧く声を書いた。

あの、私は無口です。手は饒舌かも、何なんだ一体、お前は似非無口かって。
自分には興味ありません。まわりの世界が面白くて、ぞっこんです。いいねって。
心の探求には、気を付けなければと思っています。下手すると持って行かれる。
自分自分と言うのは、何でしょう、みんな自分なんて知れています。外に目を。

私は異世界に興味大です。別な次元の事です。この世、3次元を見ている世界に。
何かいる。永遠のテーマです。幼少期の神秘体験は、それを教えてくれたかのよう。

長くなってますね。まとめ、文章読本なんて○○喰らえ、我流で行く、行けー。
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詐欺師を一人、知っています

2025-02-24 01:00:00 | エッセイ

あれは私が高校に入った頃か、ある男が家を訪ねて来た。
新潟の山間部の農家で、まわりは稲作農家だらけの土地柄の所へ。
その男は一人で来た、農家の副業となる仕事、機織り反物業者として。
機織りの機械を売って、製品の反物を買い取ると言うセールスだった。

農家の副業として、機織りはなじみはあった。だが、当時は誰もやってない。
父の後妻は飛びついた。虚栄に満ちた性格で、やると意気込んだ。
機織りはガチャガチャと音が響く、「働き者」とのアピールが出来るので。

高価な機械を買って、家を改築して作業場まで作った。織り出した。
始めの頃は、出来上がりの反物を買い取りに、あの男はやって来た。
それからして、今度は製品の出来が良く無くて買い取れない、となった。
こんな事が続いて、注文を出さないようになった。もう、仕舞いにと。
後に残ったのは、高価な機織り機械と、改築にかかった費用のみ。

私は、始めのセールスの時、あの男を見て怪しいと思ったものだ。
特徴を挙げる。能面みたいに表情を変えずに、静かに話し、目を合わさなかった。
ぼそぼそ、としていた。違和感を感じた。私は、苦笑いみたいな笑いをした。

詐欺師は口八丁とは限らない、声だかで撒く訳でもない、表情多岐でもない。
能面の様な詐欺師もいる。本心を隠しての「セールス」である。一例を載せる。

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オシャレには無鉛ガソリン、いや無縁です

2025-02-23 01:00:00 | エッセイ

家が貧乏だった事もあり、幼い頃は何を着ていたのか。おそまつ話です。
恥ずかしながら辿ってみると、穴あきを一応、繕ったのが多かった。
年がら年中、同じのを季節で繰り返していた。成長すると、また同じのを。
農家の兼業で玄関兼ブタ小屋があり、3才の頃まで数匹飼っていた。
家は昭和初期の農家造りなので、天井が高くて土ぼこりが入って来てた。
部屋は汚れやすくなるので、普段着も汚れていい様な茶系統が多かった。
あの環境で、白物、おしゃれ着なんかだったら、すぐに汚れてしまう。

中学、高校の時、家では体操着で過ごしていた。上下のジャージ、緑や赤色。
高校になっても、中学の時の体操着のジャージだった。中学生に間違われた。

会に出てから、何を着ていいのか迷った。服の予備知識がなかったのです。
自分で稼いでいるので、買える範囲で探せばいいのですが、良くわからない。
服に関心を向けて来なかったので、色の好き好きもなかったのだろうか。
関心がなかったので興味もなかった、興味がなければ凝るなんては、ない。

これらは育ちによるのか、違った家庭に育っていれば、オシャレだったかも。
と言う事は、今オシャレの人も、違った育ちだったらオシャレではなかったかも。
私は、残念な事にオシャレが良くわかりません。他の人を羨ましく思っています。

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定年退職を迎えた人が、最後に私に放った「言葉」

2025-02-22 01:00:00 | エッセイ
昨年、職場で長年勤めて来た人が退職しました。勤続38年。
挨拶のあと、みんなに拍手されていました。順調に歩んだ来た職場人生。
温厚な人でした。誰も悪く言う人はいないでしょう。いい人に見える。

その、いい人は、私にだけは負の一面を見せていた。本人は否定。
いくら否定しても、まわりが見ている。そのまわりは、かばってる。
真実を一番知っているのは、私と当の本人自身。私よりも知っている。

夕方、誰もいない地下室で擦れ違った。小さい声で蔑称を放って来た。
その人は最終日の最後に、負の一面を見せて去って行った・・・・

家に帰ったら、その人は定年退職のお祝いをしている事でしょう。
本人も家族も笑みが溢れていて、みんな幸せに包まれているのでしょう。

いろいろと、ありました。それは置き、ソフトタッチな人でした。
その人は、ストレスの怖さを知っている人でした、私も怖さを知っている。
あれを、もう忘れたのでしょうか。いい人は、いい人の筈なのですが。
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私は繊細ではないのですが、そうではないのですが「繊細さん」の気持ちがわかる

2025-02-21 00:00:00 | エッセイ
繊細さんと言うのは、このタイトルの様に細かな事が気になる。
ないのですがを繰り返してみたり、「  」を使い分けてたりとします。
いろんな事柄に、正確さを求めるのではないでしょうか、正しく正しくと。
事柄だけではありません、自分の気持ちにも正確でなくてはならないとする。
生活していく上で、それはネックになります。社会は雑多な人の集まりです。

いい面も多分にあります。大方の人達がわからない世界がわかる。
物事は極端に考えて見ればわかる、との考えもある。先端が示してくれる。
「繊細さん」の最先端は、古今東西の芸術家なのではないでしょうか。
芸術は、この世に必要不可欠です。私は、オフィショナルワーカーと断言。
感じられない世界を感じ、見えない世界が見え、考えられない世界を教える。

文学で今、思い付くのは芥川龍之介です。本当の本当の繊細です。
一言一句が正確です。文章の流れに隙間がない、カミソリの様に切れる。
自身の、そのカミソリでカミソリをかえす所があり、ああとは、なりました。

世間には、繊細さんは少数だろうけど、どこかに必ずいる。会ってみたいです。
たとえば、「お」と「を」の発音の違いに敏感だったり、読点の場所に悩んだり。
人の発する言葉に戸惑い過ぎたり、自分の心を細分化してみたりしています。

もう、長いですね。話し言葉にかえます。その方が伝わります。
(オレ、繊細ではないけど、繊細さんっているよね。いいんじゃない)
(それに困っているんだったら、自分発信でなんかすればいいんだよ)
(芸術家って超繊細の集まりだよ。真似っこしてみたら、おもしろいよ)
(絵だったり、音楽だったり、文学だったりと何でもいい、昇華させよう)
(見えないわからない世界を感じる。繊細さんはイイね。羨ましいね)

ってな具合に、私は繊細ではないですが、繊細さんの味方です。フレーフレーと。
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ピンタされた歴、熱血先生から良い一発

2025-02-20 00:00:00 | エッセイ
高校の時、体育の熱血先生から頂きました。マジなピンタを教えてくれた。
一本気の先生です。当時は体罰とは思っていませんでした。指導の一環と。
私だけではなく、生徒3人が連続ピンタを喰らいました。強烈で目が覚めた。

先生は悪くないです。何回も注意されたのに、それを聞かない方が悪い。
体育館の壇上から足を投げ出して、だらしなく腰掛けていた。これは駄目。
たとえると、教室で先生の教壇に腰掛けて足をブラブラさせている様なもの。
本来ではなく、当然なこと、教室、体育館は学びの神聖の場であります。
体育館は学校行事で、校長先生、PTA会長などの方が登壇する場です。

私達は、たびたびの注意を聞かなかったのです。本当になっていませんでした。
私のその時の気持ちは、痛いではなく驚いた。そして少し笑みが正直出た。
その笑みとは、真剣に扱って教示してくれた、一人前に扱われた、の思いだった。
先生からの、あの良いピンタがなければ目が覚めないでいた。良かったです。
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お金はあってもなくても、人を狂わせる怖れが

2025-02-19 00:00:00 | エッセイ
お金が、そんなにほしいですか? 本来、お金は必要で使うのです。
人それぞれで必要な額は違います。でも、必要以上にお金をほしくなります。
どうして、そんなにも欲しくなるのでしょうか? お金の魅力にハマるからか。
その魅力って何ですか? 人生を豊かにすると言うことですか?

なかには、お金を追い求める事が幸せな人もいます。お金持ちは魅力ですか?
私には、お金持ちは魅力には思えません。大富豪なんて、足元を忘れた人に。
その大富豪の人は、こう思っています。「毎日が、それはもう、幸せだ・・・・」
ありあまる、お金、お金の心配から解き放たれている。何も、怖れるものはない。
先には、幸せしか待っていない。もっともっと幸せになれる、はははっと。

ここで、大事なものを失っています。その人は、お金の人生を生きているかもです。
ややもすると、お金が主人公の人生を。幸せはお金では買えない、買う物ではない。
1円10円のありがたみを知っている人は幸せです。自分自身の足元が見えるから。

お金は必要です。元々は、大昔の物々交換から発達して行きました。
それから対価に見合う、金、銀、銅などを含む硬貨へと。そして信用に基づく紙へ。
今の社会は、お金の信用性で成り立っています。上手くいかなくなると、ただの物。

お金とは、姿を変えるものだと思います。いい姿を見せたり、悪い姿を見せたりと。
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マレーシアで、右手親指2本の青年に会った事が

2025-02-18 00:00:00 | エッセイ
テレビでやっていましたが、両手で12本指の家族が紹介されてました。
これは遺伝で、何世代も、右手6本左手6本との事でした。足は不明。
みなさん、誇らしそうにしていました。これは遺伝の妙なのでしょうか。
何か家族の証みたいでした。掴んだり持ったりなどで、普通の感覚で。

私が昔、マレーシア旅行していて、バスターミナルのベンチでの事です。
横の青年の右手を何気なく見たら、右手親指の上に、小さな親指があった。
彼は読み物を見ていた。隣のおじさんも、彼の手に気付いて共に見た。

思うに、彼は自分の個性にしている。自分の大切な指が、もう一本あると。
愛おしんでいると思う。アイデンティティーが強まるのでは、と感じる。
旅の一コマの思い出ですが、自分ならどうしていたかとも思った。
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毎日の、こまかな良かったを積み重ねよう

2025-02-17 01:00:00 | エッセイ
この世は、基本、良い事が多いように出来ています。生命とは歓び。
生きて来て、今、ここにいる、これからも生き続けていけるだろうと。
来年はこうしよう、10年後はこうなっていたい、私には夢があると。
今現在に立脚しています。過去は、もう過ぎ去っています。戻って来ません。
その今は、何によっているのでしょうか、意識してない無意識で始まっている。

朝、目が覚めた。これは、寝ている時にヤバい事がなかったからです。
立ち上がりトイレに行けた、洗顔が出来た、テレビのスイッチを押せた。
まだまだ、続く・・・・ 朝ご飯が食べれた、テレビを消せた、よし外へと。
こんな感じで、いろんな事の出来た良かったで生活は進んで行きます。
生活とは人生です。こまかなこまかな積み重ねが、積もり積もって人生です。

あれの前にはあれがあり、あれの後にはあれがあるだろうの繰り返し。
小さな事を、おろそかにしてはなりません。無意識の世界もそうです。
これだと思うのですが、もう、潜在意識から人生は始まっているのでしょう。
その潜在意識を大切にしなければです。顕在化しようとしているのかも。

ああ、そう、とても大事なことがあります。朝、水を飲む事が出来た。
もっと前、呼吸をする事が出来た。こんな、当たり前のありがたさを大切に。

人は、いずれ1日よりは1時間、それよりも1分、1秒と人生を辿るのです。
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フィクションの感動と、ノンフィクションの感動

2025-02-16 00:00:00 | エッセイ
文学が好きなのですが、不思議に思っている事があります。
活字と言う、抽象的な物を通してつむがれて行きます。媒体を通して。
人類は素晴らしい物を、いろんな所で、時代の中で編み出していった。
大昔、世界中で発音を表す表音文字、意味を表す表意文字を考え作った。
それによって、文明が栄え人が人ゆえとなり、今日に至っている。

本についてです。私はフィクション、文学の方が遥かに感動します。
同じ様なテーマをノンフィクションで書いたとします、何か違うと感じる。
共に好きなのですが、実で実を突くや、実で虚を突くよりも、こうではと。
虚で実を突く、虚で虚を突く方が感動を私は強く受ける。人それぞれですが。

どうしてなのかと思う。虚には底知れない力があるのではと。
もちろんの事、実話での感動も大きいのですが、実話で表せる世界は一部では。
つまり実話が目に見える光だとすると、フィクションは目に見えない闇かと。
別な言い方だと、光で物を照らすのと、闇は闇だけど物に迫る様な違いが。

虚の世界、フィクションの世界、闇を追えるのは闇ではと。光よりもと。
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江戸時代は相当に賑やかな時代だった、と思う

2025-02-15 00:00:00 | エッセイ
2024−1868=156  156÷30=5、2
はい、江戸時代が終わってから、まだ156年しか経っていません。
一世代が30年とすると、5代ちょっと前になります。たったこれだけです。
私で言うと、婆ちゃんの婆ちゃんは江戸時代は幕末の生まれです。

ここからは懐古調で書きます。明治になって「世が変わった」と言われる。
替わったのではなく、まさに変わったのです。音を立ててガラッと変わった。
大音響です。戊辰戦争は内乱どころか、世界史では内戦にあたるでしょう。
明治維新は新生日本誕生で、世界史で言えば革命でしょうか、世の風が変わる。

その後の西南戦争で、江戸の残滓を一掃したのでしょう。近代日本が歩みゆく。
そして、世の中が徐々に落ち着いて来ました。秩序は落ち着きをもたらした。
こうも言えると思うのです。江戸時代の喧騒の世から、「静かになった」と。

前の時代は、幕末をピークに賑やかな賑やかな、それはもう、うるさい時代。
もう町衆は大声で話しまくり、売った買った、ケンカも売った買ったなんかと。
女郎屋のやり手婆は、声がかすれても客引きするわ、男衆はデカい声で値切る。
犬猫、ワンワンニャーニャーで、サカリ犬サカリ猫が横丁で堂々と暴れる。

私は生まれるのが遅すぎた、幕末の頃を生きたかった。遥かに生き生きと。
そんな思いで、時代小説を書きました。「江戸情話 てる吉の女観音道」を。
ネット公開してますので、一読してもらいたいです。エロいようで真面目な。
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まわりを、面積の大きな市町村に囲まれている市町村の住人は、住人どうし仲が良い

2025-02-14 00:00:00 | エッセイ

長いタイトルですね。自分のブログ史上初です。あまり縮めようがないね。
これは実感としてあるのですが、小さな町の住人は仲が良い。どうしてかな。
いろいろ思い当たる事があるので、書き進めて行きます。長くなりそうな予感。

私は全国自治体ごと文化財廻りの旅を、ちょくちょくとやっています。
日本中のローラー作戦ですから、全市町村が対象です。すべてに行くつもり。
となると大変な事になるのですが、それぞれの町のホームページで情報収集。
なにせ文化財はどこにもある。山奥だったら山奥で、天然記念物が五万とある。

ここでは、長い~~本題にそった話しだけにしましょう。読みやすくね。
タイトル通りの感じがするのです。小さな自治体は良くまとまっています。
住人どうしも、まとまってる感あり。なんかニコニコ顔を多く見る感じもあり。
幼稚園、保育園、小中高も少ない、一つだったりする。顔なじみが続いたり。
商店街も、あの人、また来た、あれ、また買った、まけようかしら、になる。

ここから硬く行きますよ。政府の方針で、明治、昭和、平成の大合併があった。
新設合併と編入合併があり、地域ごとのまとまりを重視しました。効率化です。
各自治体の財政難もありますが、少子高齢化の流れが加速する一方なので。

はい、やわらか路線に戻します。合併を、住民の意思で望まなかった所は良い。
何かあるのです。財政が豊かだったり、歴史だったりの地域感情もありか。
また、隣の町と仲悪かったり、ライバルとか、縄張り意識だったり、とかね。
一旅人としては、県境越えは空気感が変わっておもしろいのですが、町越えも。

長~~いタイトルの様に、面積のやけに狭い所って、何かある、と思うのです。

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