上京して多摩に住むようになり、まずは奥多摩から慣らしていきました。
そして、丹沢の蛭ヶ岳から、日本百名山が始まったのです。
大菩薩嶺、雲取山、八ヶ岳、富士山、谷川岳、羅臼岳、大雪山、利尻山、
鳥海山、白馬岳、宮之浦岳、木曽駒ケ岳、磐梯山、苗場山、両神山、
甲武信岳、金峰山、妙高山、立山、剣岳、岩木山、美ヶ原、乗鞍岳、大台ケ原、
伊吹山、天城山、荒船山、剣山、石鎚山、蓼科山、岩木山、御嶽山、白山、
甲斐駒ケ岳、仙丈岳、八甲田山、月山、大山、巻機山、塩見岳、後方羊蹄山、
会津駒ケ岳、筑波山の順で登って来ました。44座です。
なんとか30歳までに完全踏破したかったのですが、全国文化財廻りに変えました。
今はもう、神社、寺、史跡、旧跡、名勝、天然記念物の樹木などの全国行脚です。
一番に驚き魅了された天然記念物の巨木は、屋久島の縄文杉です。
山登りをやっていた25歳の春、東京から7連休で行って来ました。
鹿児島からフェリーで島の東側に着き、バス、タクシーで登山口に向かう。
山小屋で一泊した後、トロッコ軌道を歩いてからは本格的な登り道。
この屋久島は雨が半端ではない、東南アジア並みのスコール級らしい。
私はだぶん晴れ男に入るかもしれない、全行程いい天気に恵まれる。
鬱蒼たる樹木は幽玄の世界をかもす。手付かずの地もありやに思える程である。
あえぎあえぎ急坂を登る、この宮之浦岳は原始の匂いありや。
そのうち、視界の隅に白い岩の様なのが入り込む。もしや、縄文杉か。
私は正視するのをおしんだ、もっと近づいてからにしようと歩を進める。
さあ、目前まで来た、一度に見るのはもったいないと思って根本まで来た。
では、敬いつつ仰ぎ見ようではないか。おっ、これは、なんだこれは……
まるで大地の男〇である。白い巨大な岩かとも思える。
存在感あり過ぎ、人格もありや。威風堂々、唯我独尊か。
名の通り、縄文時代の生き残りではないか。恐れ入るほどの神々しさである。
樹齢数千年とすると、人で言うところの数百代てところやも。
日本本土では神話の時代か、ここ屋久島では縄文の民の時代か。
いや待てよ、もしや無人島の時代からやもである。屋久島猿のころからか。
私は不動のまま、微動だにしなかった。やおら我に返り、木肌をなでなでする。
当時は柵がなくて、おさわりが出来ました。この好々爺、ツルツルであります。
思いは飛ぶ、かつて中国の始皇帝が不老不死の霊薬を探させに徐福を日本に送ったという。
もしも、徐福がこの島に来て縄文杉に感歎し、これを削り持ち帰ったとすると。
皇帝の齢は伸びるばかりなり、後宮数千人、子孫はねずみ算式にいたやもしれん。
なんか、だんだんと話が変わって来ましたのでこの位にしますが、凄いの一言。
この縄文杉、老いてなお、ますます盛ん成り。あやかりたし。
さあ、私は全国文化財廻りにいそしもう。全世界文化財廻りもやってます。
この縄文爺様の爪の垢を煎じて飲みたい。もっともっと時間がほしい。