毛沢東は、いよいよ古代中国の性書について教わるときが来たか。
「素女経」、これは紀元前二千五百年ころの、房中術である。
皇帝の黄帝は、不老不死を願い、女仙二人に指南を受けた。
その一人が素女であり、玄女と共に夜な夜な秘術を施したのである。
素女は白を意味し、音楽の巧みな神女であり、四川は成都の出だらしい。
玄女は黒を意味し、戦術にたけた神女であり、南方の出か。
陰陽を司り、二人で一人とも言える。
毛沢東は、養生の為に娘子をはべらせ、この「素女経」を実践させたのである。
さかのぼれば、かの黄帝は、この術がゆえか酒池肉林をこなした。
稀代の英雄、色を好むか。その奥義について、赤い皇帝も欲して止まずなり。
さあ、老子様に、問うてんか……
老子 「毛よ、不老不死を願うは、これ道理なり」
「人の世は陰陽に基づく、男は女から若返りの元をもらう」
「女も然り。この陰と陽とで結び付くのが自然の摂理なり」
「互いに欲する事により、一つになるは必然じゃ」
毛沢東「仰せの通り。私は下界にいた頃は、もっぱら女に頼っていました」
「あの書を精読させ、技を身に付けさせる事ばかりでありました」
「今思うと、まったくもって片手落ちでして、その、奥義が知りたくて」
老子 「でもな、毛よ、この天界にて知ってどうするのだ」
「若返り術は、下界だからの事じゃ。もう、間に合わんぞ」
毛沢東「私は、かの黄帝の様に女仙に会いたくてなりません」
「色の白い、あの素女に極楽に連れてってもらいたかった」
「老子様、天界では誰にでも会えると聞き申した、会えませぬか?」
老子 「つまり、若返りぬきでの戯れの為か?」
毛沢東「はい、私めは、その、欲が深すぎてなりませぬ、下界が恋しくて……」
老子 「喝! 毛よ、はき違えておるぞ。お前は欲に溺れておる」
「いいか、色欲とは下界ゆえの方便ぞ。天は子を作る為に悦を与えたんじゃ」
「本当は子が主で、悦は従なのじゃ。この悦を与えたからこそ、人の世は続く」
「大事な事には、悦が付くのだ。食うのも悦、寝るのも悦、わかるな」
「悦なしでは、人の世は成り立たん。だが、悦は悦なのじゃよ」
「やはり、お前には『素女経』を語るに値しないと見る」
毛沢東「あの、私の待女達では、技不足かと、で、もっと……」
老子 「喝!喝! お前は皇帝の様に後宮に浸かりたかったのだ」
「今は天界におるではないか、未練を絶ち、己が修行をせよ」
「したらば下界での悦なんぞ泡のようぞ、天界の悦こそ本物ぞ」
毛沢東「老子様、素女様には、やはり会えませぬか、話だけでもと……」
老子 「毛よ、では、お前の天界にての修行の出来で、わしが取り持ってもよい」
「相当の修行ぞ、いいか、下界でのあらましを振り返れ」
「数多の民以上の涙を流せ、自身を振り替えるのじゃ、その後でじゃ」
毛沢東「素女様に、よろしくとだけでも、お伝えくだされ」
老子 「まだ早い、まだまだじゃ、毛よ、まだまだじゃ……」
毛沢東「……」
そもそも、老子様に「素女経」の奥義を聞くものではない。
大思想家に礼を失するどころではない。
皇帝に手ほどきをした、あの、素女様にこそ伺う事である。
さて、毛沢東は女仙に会えるのだろうか……
古代中国の陰陽二元論、今も脈々と続いて来ている。
人の世は、この陰と陽から成り立っていると言う教え。
それだけではなく、この世の森羅万象も同じなのかも知れない。
また、中国の智慧の一つに中庸と言うのもある。
これは、陰と陽をわかったが上での、真ん中を進めと言うのだろうか。
真ん中こそが、大道なのだろうか、これも深すぎる。
達観とは何か。雲の上の境地なのだろうか。
老子は説く。己が道を、ただ進めと。これは中庸にも繋がるのではないか。
事と事との間を、ただ一人、黙々と、ただ進めと。
それで道が出来る。道こそが天下の母だと。
我らが毛沢東は、また老子と謁見することが出来た。
数百年に一人の傑物である。老子も、ほってはおかない。
さあ、この世の秘密に迫ってくだされ……
老子 「……そちの後ろに、わしはおるぞ。まだまだ隙があるのう」
毛沢東「おっ、いつの間に。またお会い出来て恐悦の限りであります」
老子 「この前の続きと行こう。陰陽二元論を紐解いてしんぜよう」
「今やお前は、下界を離れ、この天界におるではないか」
「そこで、下界の秘密の話を語ってみる、おいおいとわかるようになるぞよ」
「いいか、陰と陽、これが人の世の仕組みなのじゃよ」
「どこかに良い人がいるという事は、悪い人も、どこかにいる」
「悪い国があるという事は、どこかに良い国があるということじゃ」
「その一人の心の内にも、善と悪とがある。善ばかりではなく悪もな」
「自分の底にある、この善と悪に気付き、無為の境地に達するのじゃ」
「下界は修行の場じゃ。天界あっての下界ぞ、逆ではない」
「お前も、あの世があると言う事が、来てみて、やっとわかったであろう」
毛沢東「仰せの通り、ごく自然とわかり申す。それがわかっておればと……」
老子 「陰と陽、善と悪、光と影、そう男と女もそうじゃ。二つで一つなのじゃよ」
「また、善のような悪もあり、悪に見える善もある」
「つまりのう、善人の中に悪を見、悪人の中にも善を見ることじゃ」
「いくら悪人だって、着て、食べて、住んで、銭を使いおる」
「その銭は廻りまわって、誰かの為になる。これが流れぞよ」
毛沢東「では、私のして来た血を伴った国作りは、どうかと……」
老子 「毛よ、あれが、お前の道であったのであろう」
「ただ信じ進んだのであれば、それも道。どこかに嘘があれば、それも、また道」
「この天界で、もっともっと修行をするのじゃ」
「その暁には、何らか形で、下界に貢献出来ようぞ。繋がっておる」
「下界と天界、これも陰と陽、二つで一つなのじゃからな」
「……ここまでにしよう。その内にわかるであろう」
「お前の心は読めておる、次は『素女経』を語るやもしれん、待っておれ……」
毛沢東「是非にと、願いまする……」
毛沢東は、自身が善か悪か、わからなくなった。
……私は、民の涙の海底から、出直したものか……
……いや、新中国建国では民の狂喜の渦に包まれたではないか……
……もはや、わからない、教えてくれ……
中華思想の源流を辿ると、孔子、老子、孟子、荘子などに行き着く。
当時はもっといた、諸氏百家が乱立していたのである。
それも紀元前のことである。日本は縄文の長いまどろみの中だった。
実は、それらの思想家の遥か前から、伝説の中で脈々とした流れがある。
この大河の最初の滴は何なのか、その一滴を知りたいものである。
老子も、学んだ。有象無象の流れを体系としてまとめようとした。
中華思想とは、人間の原始に迫る底なしの光と影ではないのか。
この物語の主人公、天国の毛沢東は、どう老子と謁見するのやら。
老子の前では、まだまだ書生である。さあ、喝を喰らってんか。
雲か煙か定かにはわからず、五里霧中に包まれて来た……
……もこもこ、むくむく、わやわや、むくむく……
老子 「道、道がある。毛よ、お前の道は何じゃ?」
毛沢東「おっ、これは、これは老子様でございますか、毛沢東であります」
老子 「わかっておる。お前の事は生まれる前から、よう知っておる」
「お前が半分だった頃からな、人は半分と半分とで、なっておる」
「つまり、父様の半分、母様の半分が結合し、生まれて来る」
「わかるな。お前は母様似の面しとる、女の面相がある」
毛沢東「あの、その女の面相とは、どう言う……」
老子 「男は火性、女は水性である。母様の水性が勝るにあり」
「火と水、どちらが強いと思うや、これ明白なり」
「お前は水の気持ちがわかる。女の心がわかる、だから国をまとめられた」
「だがな、毛よ、お前は女を泣かせ過ぎたではないか、涙は雨水の如く」
毛沢東「私は、私は国の動乱期には、やもう得ない事もあるかと……」
老子 「ここで、お前に問う。正直に答えよ、お前は下界で蟻を踏んだ数はいかに?」
毛沢東「はっ、そ、それは農家ゆえ、一日に十匹として年に四千、一生では三十万位かと」
老子 「重ねて聞く、豚を何頭たいらげて来た?」
毛沢東「えっと、そうですな、脂身たっぷりの紅焼肉に目がありませんでして」
「食べ過ぎたせいか、晩年には似て来た様な気が、いやいや、んー」
「一生でまるまる肥えたのが三頭位かと、大好物でして。角煮も好き」
老子 「毛よ、して人を何人殺めた。お前の命令一下でな、如何に答える?」
毛沢東「それは、その、私の半生は戦いの嵐の渦中でありましたので」
「辛亥革命、抗日十五年戦争、国共内戦、めくるめく数多くかと」
老子 「その後の方が、もっと多かろう、自分の過ちが元での事は、どうじゃ?」
毛沢東「しかるに、新国家建設の後には、大躍進運動、文化大革命で……」
老子 「数千万ではきかんだろう。もっともっと多くの血潮が流れた」
「お前のして来た事には、歴代皇帝も驚くぞよ、良くも悪くもな」
「いいか、本心から答えよ。偽りを言えば、そこまでじゃ、心せよ」
「お前は新しい国を動かすには、人が少ない方がいいと思ったのではないか?」
毛沢東「……ん、その事は、御勘弁くだされ。そうとしか……」
老子 「肯定も否定もなし、それが答えじゃな。自身のみわかるか」
「毛よ、蟻の数、豚の数、人の数を、もう一度数え直せ、何かが見えて来るぞい」
「また、会おうぞ。今度は陰陽について教えてやる、では、な」
毛沢東「はっ……」
……もこもこ、むくむく、わやわや、むくむく……
老子様は、毛沢東が返答に窮すると、思いやって消えて行った。
どうやら見込まれたようである、次は陰陽二元論を教わるらしい。
知りたくてうずうずしている、あの「素女経」は、まだまだお預けである。