私の一番に旅行している国は、中国です。
歴史、文化財、民族、大自然、食などでリピーターしています。
中国は日本にとっての、歴史の上で先生だと言う意識があります。
もっともっと感謝しなければと思いつつ、ある感慨があるのですが。
はっきりと言うと、共産化される前の中国がより好きです。
語幣が多分にあるのですが、今の中国人と、台湾人香港人とでは違う。
もともと同じ民族でも、政治体制が、それも共産化となると、気質までもが。
毛沢東は広大な国土、数多の大衆をまとめるのに歴史から学んだのでは。
絶大な権力、それも皇帝並みの強権、それをもって治めるしかないのではと。
その根底にあるのは、圧倒的多数の貧民。数は桁外れ、数こそ力だと。
富裕層は極一部。大地主、地主から、農奴を解放し……
……(なんか、だんだんと小説ぽくなって来ました)……
……今の中国は矛盾している。
多数の貧民こそが、まとまって国を作るべきではないか。
よし、私がまとめる。革命によって、人民の治める国を作り上げるんだ。
多数が救われなくてどうする、中国は変わる、初めて人民が治めるのだ。
地主の酷い有様は目に余る、小作代を払えなければ娘で払わせる。
乳飲み子を抱えた女を囲い、滋養と言って水代わりに乳を飲み干している。
村を好き勝手にやりたい放題の体たらくだ、面子を知れ……
……中国は、歴代の皇帝の栄枯崇拝の繰り返しではないか。
人民を解放した後は、やはり絶大な権力をもって治めるしかないのでは。
ここで新たな力がいる。共産化と言うイデオロギーがいる。
革命が成功したのちは、私が新治世の権化となろう。
政治で一番大事なことは、人民を餓えさせないことだ、食糧増産だ。
それで、発展には工業だ。嘗てのようでなく、党主導による工業化をする。
党あっての政府、支える人民、すべてを党に集約しよう。
それに向かって、まずは国民党に勝利だ、人民万歳……
さてさて、ここで現実に戻ります。
毛沢東は自著の矛盾論で書くようになる、その矛盾を抱えることに。
圧倒的な貧民の数は、圧倒的ゆえに本来は強い。
それなのに、極少ない金持ちに、この国は牛耳られて来た。
革命によって、多数の力で国をひっくり返すのは出来たが、そこで。
そう、矛盾を抱えてしまった。政府の上に党があると言う矛盾を。
今の中国は、この矛盾に基づいているのではないでしょうか。
残念ながら、大陸の悠久の歴史のくびきかもと、思う次第。
でも、それはそれ、中国旅行にぞっこん。
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