私はハイパー旅行好きで、ほぼ隔週のように出かけています。
全国文化財廻りどころか、正確に言うと全自治体文化財廻りをやっています。
あれ、日中戦争の「麦と兵隊」の世界です。もう、果てしない泥沼状態。
日本中見所が豊富、お宝列島です。歴史好きにはたまりません。
天然記念物の樹木もいいです、山奥の村だと巨木がまるで大地の男〇のようです。
話しを寺に戻します。太平洋戦争の時は軍への金属供出が全国であった。
金属資源が本土にないので、南方からの輸送に頼っていた。それが遮断された。
戦争追行には金属確保が必至、それで一般家庭の生活必需品、寺の鐘まで供出。
農家では鍋、釜、斧、鋤などの金属類を、寺では由緒ある貴重な文化財までも。
旅行で寺を廻っていると、案内板に戦時中、鐘を供出した旨の寺があります。
当時の住職、檀家、まわりの人々の心中は如何なるものだったでしょうか。
……「これは大ごとになった、だめだこりゃ、こから先どうなんだ、おいっ」
このように集めた金属の行方は、飛行機、戦艦、武器のごく一部になりました。
戦時下の事態が事態とはいえ、貴重な文化財が失われた。もう、音色どころか。
渦中で、鐘を救おうと歴史的価値を訴えて動いた人もいた。ぎりぎり助かったりも。
本当に敬意を表する。寺の案内板に、金属供出のただし書きを見ると胸に来る。