明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

With コロナって、どういう生き方なの?

2020-07-01 19:06:01 | ニュース
当然驚いて、まず「本当ですか?」と聞き返すだろう。実は世のコロナ問題の全ては「ここにある」のだ。「俺ってコロナだったんだ・・・」と気が動転しても、しばらくすると気分も落ち着いて、その次に「でも気が付かないまま治ってたてこと?」と思考が循環する。そうなのだ!、コロナだったってことは「俺の体内には抗体があるってことじゃん!」ってことにハタと気がつく。これ、ワクチン打ったのと同じ効果があるってこと?。つまり、・・・

御目出度う御座います!。

これで貴方も立派なコロナ抗体保持者である。そしてもう、コロナを恐れる必要は「一切無い」のだ。いつどこで罹ったかはわからないが、そんなこと「どうでもいい」じゃないか。とにかく俺は「無敵の防護服」を手に入れたわけだから。これから俺は誰はばかること無く大手を振って、3密だろうが身体的接触を伴う接客業だろうが、はたまたカラオケ店だろうがスポーツジムだろうがライブハウスだろうが、どこだって思う存分「自由気まま」に楽しんで構わないってわけだ。

ここまでは貴方本人の問題である。コロナに罹る心配は無くなった。では人に伝染すことはあるのか?。これも政府や専門家は「伝染さない」と明言するのは避けているが、どうも人に伝染す危険性は無いようだ。つまり、あの面倒くさいマスクからも開放されて、「伝染らないし、人にも伝染さない」完全コロナウィルスフリー人間の誕生である。未だに発表は無いけれど、こういう人は「相当数」存在するんじゃないだろうか。相当数というのは「数万人」の規模だと推定される。

政府はこういう人達を「どう考えている」のだろうか。コロナ蔓延防止の要請など政府の要求する行動基準は、これらの人達には「無関係」である。以前集団感染の理論で話題になった「コロナ抗体証明書」を政府が発行すれば問題はないが、そうすると「俺は抗体を持っている」とウソをつくものが出てくるから困る。どこにでも「目立ちたがり」というバカのはいるのだ。しかもマスクをしないで人混みに入っていくと、周り中から非難されたり人殺し呼ばわりされるので、首から「抗体保有証明書」をぶら下げて歩かないといけなくなる。これも難儀だ。

ということは、自分はコロナに罹らないと分かってはいるが、人前ではおとなしく「ごく当たり前の感染対策をしてみせる」しかないだろう。貴方の身の回りにも「こういう隠れ感染者」が大勢いる可能性は否定できない。それが今の日本である。

この前、ラジオで「京都大学の宮沢孝幸准教授」が出演してウィルスについて面白い話をしていたが、彼の言う「コロナに感染しない方法」は至ってシンプルである。大体人間はウィルスという存在と何万年も付き合っていて、無毒なウィルスや必要なウィルスというのも一杯あるというのである。たまたまコロナウィルスは身体に害を及ぼすが、それも「次第に弱毒化していく」筈だと仰る。そりゃそうだ。恐ろしいウィルスにバッタバッタと感染・死亡していけば、当然その人の周囲は「危険地帯」となって封鎖され、その結果「ウィルスはターゲットを見つけられず」に、最後には死滅するしかない。

幸いコロナウィルスは空気感染せず、モノからの感染も「ウィルス量が少ない」ので大丈夫らしい。飛沫を大量に吸い込まなければ(目からも入るというらしいが、これは怪しい)、コロナに伝染る心配は殆ど無いというのが宮沢孝幸先生の考えのようである。世間じゃウィルスが「1個」体内に入っただけで、「即座に感染して死亡する」みたいなイメージがあるが、健康な人間がウィルスに感染するには少なくとも「何万個」という量が必要なのだそうだ(大量という意味で書いているが、正確に何百個か何千万個かは分からない)。政府はこの点を「伝えていない」から、コロナパニックで社会生活が崩壊してしまったわけだ。

つまり、安全なコロナ対策は(私が理解したところでは)実にシンプルで、休業要請などは全く必要なかったと言う訳だ。

a. コロナ陰性者同士または抗体保有者同士は、何も対策をとらなくていい。
つまり無症状感染者は「英雄」である。ここが政府の発表の「誤魔化した部分」なのだ。感染しても無症状なら「何も心配することはない」ではないか。毎日何人が感染しましたとか東京は50人超えが5日連続ですとか、そんな「意味のない数字」ばかりを発表して恐怖を無闇に煽っているが、実際に「重症化した人の数」が何人なのかが大事である。それが本当の「病人だから」だ。最近は死亡数も殆ど増えていないから、この点を見ても「コロナは沈静化して」いると言える。

b. 外出時には必ずマスクをし、特に人と会話する時は絶対マスクを外さない
ちゃんとマスクをしていれば、ほぼ感染を恐れる必要はないと言う。ここ5ヶ月のコロナ感染状況を見ていれば、日本または東アジア人に限っての現象だが、コロナはインフルエンザよりも「弱いウィルス」だと分かってきた。何でもかんでも自粛する政府のやり方が、コロナに関して言えば「過剰防衛策」だったことは明白ではないか。もう「私達は間違っていました」と過ちを認めてもいい時期である。特に北海道大学の西浦教授などは、キチッと会見を開いて、自分の間違いを認めるべきだろう。

c. 食事の時は下を向いて会話しない
コロナに感染するのは「コロナ陽性者と会話した」時だけである(ここが肝心だ。コロナ陰性者同士であれば、何をやっても感染しない)。会話さえしなければ、その他は一切心配する必要はない。だからクラシックコンサートや、美術館や映画館などは「喋らなければ大丈夫」なのだ。イベントやサッカー・野球・ゴルフといったスポーツ観戦だって、どしどし観客を入れて開催すればいい。但し最初のうちは「マスクをしたまま、出来るだけ小声で」応援するなどしたら良いのではないか。まあ、そのうちに「スポーツ観戦してもコロナには伝染らなかった」という成功体験が増えてきて、1ヶ月も経てば「元に戻る」のは目に見えている。要は、「2割の重症化」患者なのだ。しかもその殆どが「70歳以上の高齢者」と分かっているのだから、若い人だけが観戦すれば「問題はほとんど無い」のじゃなかろうか。

d. こまめに手を洗う
習慣化している人も多いと思うが、手で目や口を触らなければ大丈夫なのである。外出先でも多くの店舗入口にはアルコール消毒液が置いてあるからこまめに利用して、家に帰ってきたら「手を洗い、もしくはシャワーを浴びる」のを習慣にすれば完璧である。コロナなんか「それほど怖がる必要はない」のだ。感染者と話をさえしなければ、まず伝染る心配はない。これは私自身の行動を振り返って感じた「経験上の真実」である(何しろ私は人としゃべる機会が殆どない)。コロナが流行ってからは私も手を洗うようにはなったが、それも帰宅時の一回だけで、そのほかは何もしていない。それでも今までコロナとは無縁である。

結論:政府は毎日の「重症患者数と死亡数」を発表し、正確な実態を明らかにすべきである

勿論感染者は増え続けている。だが重症化患者に限定すれば、「その発生数は、驚くほど少ない」のじゃないだろうか。都が最近のコロナ対策に関して「ベッド数に余裕がある」と発表しているのは「そういう意味」だと私は解釈した。であれば「いつまでも指定感染病として全員隔離」する必要は全く無い。大事なのは無闇に恐怖を煽るのではなく、「コロナの実態を正確に発表すること」なのだ。もし70歳以下の新規感染者で「重症化した例」がどのくらいの率で発生しているか分かれば、コロナも大したことなくなって、いまや普通の風邪と同じだなって認識が当たり前になってくるだろう。風邪だって重症化して死亡することもある。要は免疫力・抵抗力があるかないかだ。コロナ以前の問題である。それならばインフルエンザでロックダウンなどしないのと同様で、社会活動も「普通にやればいい」ことになる。大事なのは「実態を正確に判断して、間違いを認めること」ではないだろうか。もう自粛など「必要ない」ことは、政府自身の対応が「静観」なのをみれば一目瞭然なのだ。マスコミだって、もうコロナでは視聴率は稼げないと分かっている。いい加減にもうコロナで騒ぎ立てるのはやめようではないか。

というわけで、政府のコロナ終息宣言も近いと見た。次に掲げるのは、以前に私が書いたブログ記事だが、参考になるだろうからコピーしておく。学校閉鎖に関しては誤った考え方なので訂正したいところだが、前の記事をそのままコピーした。最初っから「この作戦」で行っとけば、社会のダメージなんて「殆ど無かった」だけに、残念である。

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○ 2月25日の記事、「コロナ対策に奇策あり」のコピー

コロナウィルスは、今や中国への渡航歴云々というレベルではなくなった。もはや、あなたがコロナウィルスに感染しない方法というのは「無い」というのである。「手洗い・うがい」は当然としても、他に何か適切な方法があるのだろうか。そこで私が提案する方法は、感染は避けられないが、せめて「重症化を避ける」という作戦である。
今回のコロナウィルスの特徴は、年齢が高い人ほど重症化・死亡率が多くなる。そこで対策として、「70才以上の人は3月中は全員自宅待機させる」というもの。これが現在、重症患者を出さなくて、なおかつ経済活動にも影響が少ない「有効無二の対策」である。
今までの重症者・死亡者のほとんどは高齢者であるから、この人たちは「ウィルスに狙われている」と考えても良い。狙われているのだから、家に閉じこもって外に出ないのが一番だ。そこで1ヶ月、自宅待機である。
ちなみに、私は70才で健康だが、この一週間外に出たのはスーパーとコンビニとゴルフ練習場の三ヶ所だけである。それで格別不満はない。これを1ヶ月引きこもりしたからと言って、何も問題は無い筈だ。不要不急の外出は控えるなどという曖昧な文言がやめて、「自宅待機」と明言すること。該当者は色々言いたいことは山ほどあるだろうが、この1ヶ月何とか我慢すれば、日本全体が助かるのである。政府が条例で70才以上は自宅待機と明記すれば、医療関係者も「患者への対応が全然楽になる」はずだ。
ニュースなどで説明する場合も「コロナウィルスに罹った!」と大騒ぎするのではなく、感染者を分けて「1無症状」「2軽症」「3入院するが回復」というように、レベルを小分けして表現すべきである。そして一番問題なのは「4重症・死亡」になることでは無いだろうか。レベル1・2・3は対応をゆるくしても良いが、「4だけは厳重に対応」する、というのが「現実的」である。「癌」も最初は罹っただけで「死んじゃう!」と大騒ぎだったが、今では「ステージいくつ」という形で、割と平静に受け止める習慣・理解が進んでいる。
コロナウィルスには現在では特効薬が無い訳だから、もし罹ってしまったら「自然治癒」しか方法が無い。免疫力を上げるのが急務だが、高齢者になると「そもそも免疫力が衰えている」のだ。つまり、免疫力のない人は自宅待機、でも良い。でも、それでは個人個人で判断がつかないから、「年齢が70才以上は自宅待機」である。なお、中学生以下も自宅待機させるというのも、有効であろう。これは経済には影響しないからだ。
では、70才以上でも仕事をしている人はどうするか。1ヶ月分の給料を国が補填することで解決できる。この対策を早急に発表して、「とにかく重症者を出さない」ことに的を絞るべきである。

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