明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

斑らに剥げた金箔の顔に古仏の哀しみを見ろ

2016-02-23 20:00:02 | 歴史・旅行

日本の仏教文化は独特の発展を遂げてきたように見える。ローマのシスティナ礼拝堂に描かれたミケランジェロの天井画は、何年もの丹念な修復を受けて当初の輝きを取り戻した。ロンドン大英博物館のギリシャ神殿破風彫刻はアテナイのパルテノン神殿の柱上を飾っていた時、極彩色で鮮やかに彩られていたという。

人間は色彩を認識することが出来る、 だから彫刻や仏像に彩色を施すのはいわば自然のことである。奈良の法隆寺にある薬師如来坐像も毘沙門天や吉祥天も、美しい彩色を身にまとっていた筈である。彩色と金箔で輝く仏の姿は、神々しいまでの威圧感と尊厳を見る者に与え、仏道に仕える者の心に僅かながらも満ち足りた思いを芽生えさせたこと、疑う事は出来ない。

だが奈良・平安・鎌倉・足利と時代がうつるに従い、寺も年輪を加え御仏も煤けて金箔も剥落するが、誰も修復しようとしない。尊顔身体の傷は直したと思うが、彩色を再度施す事は理由はわからないがなされなかった。鎌倉期以降の仏像は木彫・金銅ともに私の知識では無彩色である。やはり絢爛豪華な彩色鮮やかな仏像は7~9世紀のものに限られている。日本では彩色は仏に似合わないと思われたのであろうか。歴史を見る限り、その様である。

私達現代人の見慣れた仏像のイメージは既に、黒く煤けた身体とシミだらけの剥落した金箔が所々残った顔の、いかにも古色蒼然たる姿で刷り込まれているが、これが奈良の極彩色の御仏を伊勢神宮のように60年ごとに修復・新造して、復活祭でもしていたらもっと華麗な曼荼羅の世界が現出して、仏教の教えも変わっていたかもしれない。

空海の開いた真言密教は、むしろ空間の色彩を仏教の法悦感に加えるような五感で感じる奥義を求めたように見える。それはインドから甘粛を経て大唐に花開いた、衆生を掬い取る仏教の姿でもある。それが末法の世に我が身の行く末を案じ、極楽世界に往生せんと阿弥陀仏の教えにすがるようになり、浄土教がもてはやされて日本式の仏教が誕生した、と私は思う。

朱と緑と瓦の銀が織りなす神社の美しく簡素な中にも若々しい息使いが感じられるのと比較して、寺院堂塔は漆喰の白と古びた墨色の中に佇んで深く沈んでいるように見える。仏教は、遠い遠い西方浄土の阿弥陀世界を思う想像の宗教である。極楽に生まれることを願う私達は、生きて浄土の世界を見る事は出来ない。この世は穢土である。仏は考えも及ばないくらい遠い彼方から救いの手を差し伸べてくれる尊い存在である。

私は考えたのだが、仏はリアルである必要はない、むしろリアルであることが、仏の教えを心に想像する作業の妨げになる、仏師も信者もそう考えたのじゃないのか。仏像は古びた「栄光の過去の痕跡の様な」方が、より神秘でこの世に無い尊い存在の幽かな証のように思える。仏は遠い所にいる、目に見える所にはいる筈が無い、そういう考えに到達したとしても不思議は無い。

アバタだらけの金箔の禿げた顔や手脚の像に最初はえらく汚らしいなと思ったものだが、いまは納得がいくようになった。あれは仏の「現世の姿、つまり穢土にまみれた姿」であると。本当の浄土に居られる仏は想像するも恐れ多い姿であるに違い無いが、それはまだ誰も見たことは無い。大寺院の巨大な釈迦三尊像を仰ぎ見て静かに思惟の中に沈潜すれば、来世の木洩れ日の光ぐらいは薄っすらと感じ取れるのである。その幽かな光を頼りにして、極楽往生を願う。それが末法の世に生を受けた人間に出来る精一杯の祈りでもある。

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