明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

日曜日には子犬を連れて 3

2024-08-11 06:45:00 | 今日の話題
(12)抗生物質の話 : コリスチンと生物の進化

コリスチンという薬がある。家畜の病気にとても良く効く薬だが、最近これに対し耐性のある菌が発見されたとニュースで言っていた。菌と薬のイタチごっこはよく聞く話であるが、今回はその話ではない。生物の進化についてである。なぜ耐性のある菌が出来てしまうのか、それは生物の進化なのか?

私は生物の進化についてダーウィンの環境適合説は信じていない。ランダムに手当たり次第に遺伝子が変化して、その中から生育環境に適したものだけが生き残る、と言う理論だが恐ろしく長い時間をかけてその中で幾つかの突然変異があり、そのまた一つの変化が見事に環境の中で生きていく力を与えたと言う。そんなに簡単に行くだろうか。

マダガスカルの猿の一種に中指が管状の植物の果肉を「ほじくり出す」とに特化しているものがいる。何千万年か長い時間かけて進化したらしいが、徐々に指が伸びたのではないだろう。何十頭かの群れの中で指の長い突然変異種が(突然に)生まれ、それが餌をとるのに大変好都合で、従来の餌と違う新しい餌を豊富に食べて・・・、しかしこの理論は突然変異種が短期間に多数生まれないと機能しない「進化モデル」である。この猿は、普通の猿から「進化」したのじゃないと思う。

鳥が何から進化したか知らないが、餌が空中にあるわけはないので必ず地上の生き物を狙って種を保っている。あくまで地上の餌をとるのに都合がいいから翼を持っていると考えなければおかしいのだ。だが、鳥に進化した時代は今と同じ世界が広がっていただろうか。多分もっと空も海も未分化の状態で、ドロッとした熱い物質が冷えて固まっていくに従って重いものが中心に近く集まり、外に向かってより比重の軽い物質が薄く広く今の海のように層をなしていたと私は考えている。その中でより速く移動できる生物が羽根状の腕を持つに至ったと思う。それが徐々に冷えて薄く大気となっていくに従い、大きな翼とエラから進化した肺とが出来たのだ。

その昔、両生類から鳥類が分かれたと考えるには、その時代の生物の環境は余りに空気が軽すぎる。空を飛ぶにはある日突然に親に似ていない翼を持った子供が、少なくとも100年くらいの間に多数生まれてこなければならない。でなければ、翼を持っても宝の持ち腐れになってしまうし、そんな「ヨチヨチ歩きの鳥」に食べられる動物もいないだろう。鳥が進化の過程で生まれてくるためには、もっともっと何十億年も前の植物と動物の混合の時代から考える必要があるのだ。まだ子孫が大空を飛ぶ姿なんか想像できないし、もしかしたら空気もまだはっきりとした目に見える形で存在していない昔である。つまりキリンの首が長いのは進化ということではなく、ただ環境に合わせてチョット首が伸びただけであって、その証拠に首の頸椎の数は人間もキリンも同じく7つである。哺乳類は皆、首の頸椎の数が7つなのである(例外は二、三あるようです)。

アメリカのキリスト教徒の一部は未だに人間が猿から進化したという学説を間違いだとしている。その通り、猿から進化したのではなくその前の類人猿からでもなく、またその前の猿全般が分かれた生き物のその前の・・・とにかく、そうとう昔の哺乳類が恐竜から分かれたころにすでに人類は遺伝子の組み合わせが他の生き物と違っていたと考えなければ辻褄が合わないのだ。

進化は目的を持って起こっているように見える。デタラメに突然変異で起きたのではない。コリスチンの耐性は、環境の変化に必死に対応した生物の適応力が素晴らしいものであることを示してはいるが、けっして「進化」したものではない、抗原抗体反応を一歩進めた当然の結果であるのだ。

進化というのは遠い過去の時代で起きた変化であり、すでに我々の見る世界では、進化とみられる事象は起きていない。進化は、その前の生物に想像を絶する形で深く静かに潜行している。来るべき食糧難とCO2の増加による温暖化が人類を滅亡の恐怖に追いやる時、新人類は酸素に代わる燃焼エネルギーを見つけて恐ろしいスピードで増殖しているだろう。その時現代人は残念ながら新人類の「食料」になっているかも知れない。そんな進撃の巨人みたいな時代が案外すぐそこに迫っているかも。それが「進化」というものの現実である。進化はランダムに起きるかも知れないが、そのランダムに起きる数多くの突然変異種のなかから「将来の環境変化」に偶然にもマッチした種が生き延びて繁殖する。その意味では、進化は環境を「予測する」のであり、「今の環境変化」に合わせるのではないと言える。だが、その予測の精度が偶然の確率を超えているとしたらどうだろう?

進化についての想像で頭が疲れたことと思うが、あなたに一つリラックスする話題を提供しよう。右手より左手がはっきり分かるほど大きい子供が生まれたら、それはもしかすると「スマホ進化の超人類」かも知れない。近未来の人類は、左手が右手の倍以上あり iPad mini を軽々と片手で扱い、目は視力が20cmぐらいの至近距離の動画をはっきり見えるように「前田敦子みたいに目が中央に寄ってる」配置になり、顔が「今の半分くらいの大きさ」になって肺は水素を吸うために巨大化しているそうだ。本当かなぁ~?


(13)介護と保育の話 : 人の優しさに触れる教育実習

人間の寿命が80を超えて90に迫ろうかという勢いである。当然と介護老人も増えてくる。求人はいっぱい出ているが応募が少ないと言う、給料が安いのである。しかし闇雲に施設を増やし人を雇えば、内容劣悪な介護虐待が増加することになるのでなかなか問題が解決しない。この問題を一気に解決する秘策を私は考えた。学生のパワーを活用するのである。

例えば、1. 小学生低学年には週に一度位の施設訪問と簡単な世話をカリキュラムに入れて、老人と触れ合いお年寄りをいたわる気持ちを実践する、2. 小学生高学年には週に一度の施設奉仕で日常的な作業をして人の役に立つ仕事があるという事を学ばせる、3. 中学生では介護の実際を車椅子の乗り降りなどの仕事とデイサービスを通じてお年寄りから歳を重ねて得た人生訓を教わる、4. 高校では認知症やより重い障害のある介護の実務を専任担当者の指導でこなして行き、このレベルでは通常の業務を任せられるまで習得する。

このように、介護単位を卒業時に必須とすることで全国の小中高の学生全てに介護のノウハウを身につけることができる。親にしても、子供が年寄りを大事にすることで自分の老後を面倒見てくれるし、老人社会も心の準備が出来ているので十分な対応が可能だ。小さい頃から年寄りと接することで命を大切にすることを覚えるから、幼児虐待や簡単殺人が減って平和な世が大事だと思う人間に成長する。人手不足を解決するとともに仕事と優しさを一緒に覚える三位一体の改革、良いと思うんだけど如何だろうか?親が学業の妨げになると反対しそう。勉強ができて良い会社に就職することより、もっと大事なことがあると思うけどね。


(14)レジの話 : レシートを渡すタイミング

コンビニやスーパーでレシートを渡されるが、先にレシートだけ貰うのと買った品物と一緒の場合とどちらがいいだろうか。私は断然、先が良い。コンビニの店員からしたら面倒くさいので品物の一緒が良いのだろうが、これはレシートとお釣りを財布にしまう側からすると実に困るのだ。後ろに列が出来ている場合は「何もっさりやってんだ」と思われてしまうし、店員も「早くしてよ、次が待ってんだから」と責めるような視線で、こっちの作業が終わってレジが空くのを待っている。だけど申し訳ない思いで財布にしまうのもやめてポケットにレシートごと突っ込み外に出るのは、あなたが悪いんじゃなくてで気にしすぎである。ちゃんと時間をかけて財布にお釣りとレシートを所定の位置にキチンとしまった上で、おもむろに買い物レジ袋を受取り去っていくのに躊躇すべきではない。

私の提案は、レシートとお釣りは先に渡し、品物の残りを袋に詰めてお客が受け取る体制ができたことを確認して、それから荷物を渡すのが正しい順序だと考える。お客の都合を第一に考えるなら、他の選択肢はあり得ない。世の中のコンビニ等の店員がどういう教育を受けているかは不明だが、全部の処理をいっぺんにお客に投げれば、お客の処理能力をオーバーフローするのは目に見えている。そうすれば「あたふたする客」と「ジッと待ってる店員」と言う構図が日常的に頻出する。お客を大事にしない店という風評には繋がらないと思うが、条件が同じであれば僕は他の店に行く。

ああ、細かいことが気になる僕の悪い癖・・・by 杉下右京。


(15)コンピュータの話 : iOSとMacとWindows

スマホを使い始めてパソコンは要らなくなった。会社を辞めて仕事でコンピュータを使わなくなって、ようやくそのことに気がついたのである。元々ヘビーユーザーではなかったので、動画編集やAdobeのソフトを使った画像処理などはしなかったが、Access を使ったデータベースだけは仕事で必要なので結構毎日使っていた。つまりパソコンは Access を使うための道具というわけだ。仕事は販売管理と在庫管理、データベースはなくてはならないものである。だが仕事を辞めてみると、あれほど大事だったパソコンが疎ましく思えてきた。

僕は30歳の頃NECの 8801MK2 だったかを買って必死で売上伝票のプログラムを作ったが、苦労した記憶は全く無い。会社から命令されて勉強したのではなく、自分で興味を持って始めたので趣味の延長だったのだ。何故買ったかは覚えてないが、僕はコンピュータに向いていたのだろう。それ以来、コンピュータと共にキャリアを積んで失敗もしたが、定年退職するまで35年間つつがなく仕事を続けられたのもパソコンのお蔭である。僕がコンピュータを勉強し始めた頃は、周りの人はコンピュータを何か新しい時代の幕開けとは思わずに、今で言うオタクのオモチャみたいな感覚で余り興味はなかったようだった。まだWindowsが日本で発売される前だったと思うが定かでは無い。それがたった10年でワープロが出来ないと就職に不利だという時代がやってきた。あっという間である。

今でも何故コンピュータに興味を持ったのか、思い出そうとしても全く覚えていない。ただ、自分の人生を決定付ける事になるとは全然思わなかったのは確かである。今やコンピュータ業界はインド人が席巻している。グーグル・マイクロソフト・アドビ・サン(マイクロシステムズ)・ソフトバンク、さらにシティグループ・ドイツ銀行・スタンダード&プアーズ・マスターカードなどもインド人だ。当然であるが中国とインドの人口を足すと世界の4割を占めるのだから、ほっといても石を投げればインド人に当たるぐらいに多い。おまけに言葉はインド=ヨーロッパ語族で英語と近いし、そもそも英国植民地時代が長かったので、英語が共通語の世界経済にピッタリ合っているのだ。すでに価格平準化の修正レベルで、GDPはインドが日本を抜いている。もちろん一人一人の幸せはどうかと考えれば、日本とインドは天と地であろう。日本はトップとボトムが余り変わらない。しかし安倍政権が遮二無二推し進めている政治改革で、大金持ちが大量に生産されるかわりに貧困に沈む人々が同じくらい大量に発生する時代に突入した。今からコンピュータを始める子供達は興味の赴くままに進んで行けば、3Dバーチャル=VR のゲーム世界に落ち込んでしまうだろう。現実の中でコンピュータを習った我々の世代は、すでに遠く過去のものになってしまった。

で、コンピュータに別れを告げた私は、iPhone 片手に何をするのか?私はもう一度パソコンに戻ろうと思う。コンピュータの原点はプログラミング言語にある。日本はコンピュータの世界で多くの貢献をしたが、プログラミング言語に限って言えば余り優秀な人材は出していない(知らないのは私の勉強不足だとしたら嬉しいのだが)。コンピュータにおける言語の役割は私のような素人には良く分からないが、少なくともプログラミングから始めた人は使い方から覚えた人に比べると圧倒的な違いがある。私の会社では知ってる限り1人だけである(とても優秀な人で、私より腕前は上)。

つまり本当のところコンピュータって何?を分かるのは、ソフトじゃなくハードとソフトの橋渡しをするプログラミング言語とプログラムである。だから私はもう一度コンピュータを使って、入力系のアプリを開発してみたい。デバイスが iPhone だから、今度は iOS で作る。ということで人生最後の勉強は、Mac で EL Capitan ということになりそうだ。来年の三月頃には新しい Mac Air が出そうなので心待ちにしている。世の中SNSで持ちきりだが、ひっそり静かにアプリ開発ってのも、人生最後の遊びとしては最高に楽しいものじゃないかな。


(16)焼き物の話 : 野々村仁清

焼き物の魅力は人それぞれである。僕は京焼の祖・野々村仁清が大好きだ。仁清は作家物の走りである。本物がもちろんいいに決まってるが国宝であるから偽物で我慢するしかないが、それでも仁清風の安物で充分楽しめる程度のヘタの横好きである。焼き物は見るのは何でも好きだが、買うのは盃と決めている。この「買うのは~」と言うのは重要で、何事にも「1種類に決める」ことが無駄遣いとコレクションのツボだ。日本酒が好きで焼き物が好きとくれば、どうしても酒器を集めたくなるのは当然の成り行き、私は「ぐい呑み」は余り好きじゃ無いので「盃」専門になった。ぐい呑み9に対し盃は1も無いくらい売ってない。町のセトモノ屋には殆ど置いてないので、実は買わなくて済むと言う「メリット」があるのだ。これは、見たら買ってしまいそうになる買い物好きには、つまらない買い物をしないという賢い消費者になれる他力本願の才能である。これでどれだけ救われたか、未だにコレクションは3点だけである。

少し前に浅草で焼き物専門店に行ったことがあって流石に専門店だけあって盃もたくさん並んでいたが、その中で一点、目を引く盃があった。「万歴赤絵」と私は勝手に名付けたが、大振りの盃で大きく広がった口は豪快そのもの、しかも全体に掛かった釉薬が赤い色で盃全体を燃えるような迫力が覆っていたのである。これは掘り出し物に違いないと確信して、なけなしのお金を払い買って帰った。それから一週間、矯めつ眇めつ眺めてはほくそ笑んでいたが、ある日「万歴赤絵」と言うのは「白磁」で陶器ではないということがわかってドヒャーと驚いた(これで私が如何に素人かわかるでしょう)。

万歴赤絵じゃなかったんだ、そりゃそうだよ。本物だったら店の担当者も気付くよ、当然。だが、万歴赤絵じゃ無いとわかってからも、その盃に対する愛着は少しも変わるところがなかった。その後、古唐津の貫入が入った味のある器に陶器の美を再発見するのだが、当時は絵付けの華麗な世界にのめり込んでいた。今でも町で焼き物店があると、ちょっと覗いていく私である。万が一、掘り出し物がもしかして見つかるかも知れないとウキウキワクワクしながら楽しんでいる。


(17)歴史の話 : 赤穂浪士の夢

父が私を初めて映画に連れて行ってくれたのは、その時住んでいた大分の場末の映画館で二本立てだったような気がする。父に手を引かれて見た映画は武士がトラブルに巻き込まれて切腹する映画だった。六歳の子供に見せるにはちょっと重い内容である。その頃はディズニーリゾートもアンパンマンもない時代で、子供の楽しみといえば鞍馬天狗のチャンバラ映画であった。しかし父は何故か、大人が見る精神の葛藤を描いた小作品を選んで見せてくれた。父なりに私を教育するつもりだったのかも知れない。残念ながら今にして思えば私は期待に添えない子だったようだが、父は何も言わずガッカリした素振りも見せなかった。期待外れのその心の中はどうだったか、いつか本人に聞いてみたいと思っていたが既に亡くなって久しい。父と同じ年齢になった今、懐かしい時代の思い出の一つである。

思い出といえば私が子供の頃は冬は火鉢とコタツであり、夜はNHKで笛吹童子の連続ラジオドラマを聞いて寝るのが日課になっていた。遊びは、コマ回し・凧上げ・メンコ・洞窟探検・崖登りなど、今では殆ど誰もやらないものばかり、それにチャンバラも加わっていた。「ああ、そろそろ年末の支度をしなきゃいけないな」と思う年中行事の一つに、忠臣蔵があったのである。クリスマスは、まだ一般的ではなかった。

忠臣蔵は今で言うなら、死刑判決に不服の家族が逆恨みから徒党を組んで被害者を襲った一家凶悪殺害事件である。主君の恨みを晴らしたい一念で忠義の鬼となった46人の志士を連れ、大石内蔵助が雪の吉良邸へ山鹿流陣太鼓を打ち鳴らしてなだれ込む場面は子供心にワクワクしたもので、これはダーティハリーやダイハードやランボーとおなじ系譜の、今も変わらぬヒーローものである。悪の象徴「吉良上野介」は実は領民に慕われた名君だとの指摘もあるように、南京大虐殺と同じく「悪」は一度定着したらちょっとやそっとでは名誉挽回とは行かない。なんで浅野内匠頭がご法度の殿中で吉良に斬りつけたのか分からないが、庶民は斬りつけた理由よりも仇討ちまでの様々な苦労を、やんやの喝采を持って迎えたのである。主君というのは絶対の「善」というテーマにそって語られる勧善懲悪のドラマを盛り上げるのが、首尾よく吉良を打ち取った「47人全員に切腹」という悲劇である。

ここが日本人の悲劇のヒーロー好みが色濃く現れている。日本人に好まれる三大ヒーローとは源義経・楠木正成・西郷隆盛である、よくもまあ見事に悲劇の者ばかり集めたものだ。日本人は負けることを責めずにむしろ潔く散っていくことに美しさを感じる。何という倒錯の美学であろうか。

いつから日本人はこうなったんだろうか、戦国時代の織田信長・豊臣秀吉くらいまでは生き残ったものが勝ったものであった。日本の歴史は普通の感覚で推移し、負けて死んだものを愛惜することはあっても、勝者以上の栄誉を与えることはなかったと言える。其れが徳川の太平の世になるや、四海に名を成す義侠の偉人は皆悲劇の人となってしまう。忠臣蔵が文楽・歌舞伎で「仮名手本忠臣蔵」として大喝采を浴びたのは寛延元年(西暦1748)、事件が起きた元禄14年から数えると47年後のことである。

その後、悲劇の主人公は幕末の志士「新選組」に受け継がれ、西南戦争で敗れた「西郷隆盛」に涙を誘い、太平洋戦争の「山本五十六」へと、姿形は変われども民衆の好みは変わらない。この傾向は戦後しばらく影を潜めていたが、ここへ来てまたぶり返したような気がする。この風潮がある限り(つまり特攻の美学のような倒錯の性向が、日本人には民族の奥底に厳然としてあるのだという事実)、日本人は世界で孤立するだろうということをを忘れないでいたい。これは長い時間をかけて治さなければならない民族の病である、

ちなみに、忠臣蔵の47士は犯罪者集団だと考えたあなたは「現時点で正常な倫理感覚の持主」だと言えますよ。

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