明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

女の顔は請求書?

2017-08-27 20:00:00 | 生命・健康・医療
最近私自身の中で変わってきた事といえば、女性の顔の美しさは心の美しさとは無関係であるという、言わば大昔から言われてきた事実である。私も以前は顔の美しい女性を見る度にスタンダールの洞窟の小枝効果を実感した文学青年で、若い頃はそのような女性を見かけては恋の妄想に身を焦がしていたものである。社会人になってからはさすがに道端で見かけた女性を一目で好きになってしまうということはなくなったが、女性の外見と中身の人となりとは一致している筈と信じて疑わなかった。もちろん社会で揉まれたせいで少々の化粧に隠された内面の醜さを知る機会も増えてはいたが、私の求める理想の女性は映画の中で見るようなわけには現実にはいかなかったのである。

ちなみに私のお気に入りの女優は「アンリエットの巴里祭」の「ダニー・ロバン」である。フランス女性らしいキュートでお転婆で可愛らしい表情が堪らなかった名女優だったが残念なことに、DVDがほとんど発売されてなくて見ることができない。まあ、今見たらそれほどでもないと思うかもしれないので、止めておいた方が良いかもしれないが。私はイングリッド・バーグマンやマリリン・モンローなどよりも、ちょっと今一売れていない女優の方に目が行っていて、いまでも何かにつけて世間の流行からはちょっとハスに外れた趣味を持つ傾向があるようだ。これは「B型のあまのじゃく」パターンだろうと思っている。

話を元に戻すと、「顔」は皮膚と皮下脂肪と骨と筋肉の偶然の造形美に過ぎない。それはDNAがそうさせるわけで全くの偶然とは謂えないが、同じ両親から生まれても少しずつ顔は違っているわけで、一卵性双生児でも無い限り多少の違いは有るものである。しかしその多少が「美人とそうでもない」のとの決定的な分かれ目になるのだから、安易に考えてはいけないのだ。で、美人をよくよく眺めてみると、次第に顔の表面が人物像から消えてなくなり「中の骨格」が現れてくる。これはレトリックではなくて、現実の映像として目の前の顔の中に「骨」を想像することが出来るようになってきたのだ! まあ、想像するだけで実際には見えないのだが「一呼吸置く」という意味では、いきなり魅力の虜になるのを防ぐ意味もあって、充分役に立つので私は活用している。何もムリヤリに骨格を想像する必要も無いのだが、人はみな同じ生き物だということは紛れもない事実だとわかる瞬間でもある。

考えてみれば車の世界でも、外見のスタイルと中身の性能が市場で評価されて人気が出る。価格や故障しやすいなどの使い勝手はひとまず置くとして、気に入るにはそれなりの基準があるはずである。俊敏で速そうな車は自然とスタイルもそれなりにシェイプアップされてスポーティーに見える。外見は凄くスタイリッシュなのに、中身は鈍重なトラクターのような車はまず作らないであろう。今の車は出来がいいのであまりハズレはないようだが、場末の中古屋に行けばびっくりするような価格で客寄せしている店もあると聞く。焦って外見だけで買うと痛い目を見るというのは、昔も今も変わらないようだ。人間も若いうちは外見が勝って中身の見えない未発達な存在だが、年を取るにつれて徐々に外見より中身の性能が表に出るようになり、外見は経年変化を避けられず劣化していくが、内面は経験を積んでより深くより穏やかになって人当たりも静かになる。

もちろん脳も劣化していくので反応も鈍くなり、言ったことを忘れてぼんやりする時間が増えてくるのは仕方がない。これも人間に魂があるという説に対して、有力な反対材料である。魂は劣化しないというのが常識のようであるから、歳を取っても魂だけはその人本来の姿であり続けるらしい。だが世の中すべて形あるものは、滅び行く運命になっているのだ。それを医学の力で修理し部品を交換して長持ちさせてはいるが所詮、寿命がくれば死ぬように出来ている。では修理可能な外見を纏っている「人間の本体」は、いったい「何か」という問いかけに答えることは簡単ではない。

身体の各部分の機能をつぶさに観察すれば、何かをサポートする器官ではなく自分のために動き続ける器官と考えれば、最後は「腸」に行着くのではないだろうか。生命の根源的な活動エネルギーを「消化することによって生み出している」臓器を、他の部品で代替することは不可能であると言える。であれば、美しい生命の輝きを精一杯に発揮している若い女性の笑顔にも、外見の虚飾を剥ぎとって本来の生物としての姿を透視することができるなら、単なる「腸」が食物を消化する姿を見ることができるという理屈になるのではないだろうか。なんともグロテスクな想像であるが。

さて、私のように年を取って老い先短くなって来ると若いというだけで美しいと勘違いすることが多くなってくる。太っているとかブスだとか好き勝手言って若い男は相手にしない風潮があるようだが、若さは何物にも代えがたい輝きがある。顔の美醜やスタイルの良さだけにとらわれていると、本当のところが見えてこないものである。それが大人ということだろうか、徐々にではあるが私も「大人の魅力」をわかってきたようである。。

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