その後色々ネットで調べていたら、安倍首相もB型だって書いてあった、嫌ですねぇ。ちなみに麻生経済産業大臣はA型、菅官房長官はO型らしい。私としては二階総務会長B型とか石破地方創生大臣B型とか、なんとなく「ほんわか」してる人が好きなんだけど、これって人間の好き嫌いも血液型の影響が大きいってことだから、気をつけないとナチスの二の舞になりそう。現代の話になるといろいろ差し障りがあるので歴史上の人を選んで見ると、有名どころでは信長B・秀吉O・家康Aとなった。ここでもB型の人気ぶりが突出しているが、牛若丸源義経B・独眼竜伊達政宗B・海援隊坂本龍馬B・犬を連れた西郷隆盛Bと来ると、日本人に人気絶大なランキング上位者は全員B型だということがはっきりしてきた。
中国習近平のB型は想像できるけど、ミケランジェロとラファエロとピカソがB型、ポールマッカートニーとマイケルジャクソンもB型、モーツァルトとブラームスとショパンはB型、シェイクスピアとセルバンテスもB型、シーザーとジンギスカンがB型、タイガーウッズとペレとメッシがB型、ニーチェとモンテスキューがB型、シューマッハとアイルトンセナがB型、世界の黒澤明もB型である。この記事の信憑性は「信長をA型としている」ので疑問符が付くが、作者はB型らしいので血液型性格判断に相当熱中していることは間違いない。なおイエス・キリストの血液型をAB型としているが、最近の研究でトリノの聖骸布の血痕からB型だと分かったというニュースがネットに載っていたので、科学的に実証されてるわけではないとしても興味深い。まぁ話の種に知っておく程度だが面白い。
血液型の特徴ははっきり医学的に証明されている訳ではないが、ほとんどの人が「大差無い」と思われる。要は「血液型の中の突出した人々と落ちこぼれた人の上下10%の人達が」特徴的な性格ないし能力を発揮している、と言うことではないだろうか。目の前にいる平均的なただの日本人を捕まえて「A型だからどうB型だからこう」と決めつけるのは、少し乱暴だと言える。しかし各血液型の思考のパターン(ロジックとも言う)は、案外共通していて、ある程度の色分けが出来そうである。例えば、几帳面な人という人はどの血液型にもいるが、A型の几帳面さの現れるところは「人目につきやすい場所」であることが多く、机の中や押入れの中などは存外乱雑だったりする。逆にB型の場合は目立つところが散らかっていたりするが、Bに取っては「欲しい物をすぐ手の届くところに置いておきたい」という合理性の現れだったりして、散らかってるという「未整理」の状態だという意識は全然無い。A型は見た目にこだわり、B型は実質に重きを置く、とも言えるのではないだろうか。
クラシックの世界で私が最も好きな作曲家がモーツァルト・ショパン・ブラームスのB型トリオというのも今日初めて知って、如何に私の個人的趣味が血液型的気質に由来するかと思い知らされた(と同時に、無上の歓びを噛みしめている)。バッハとシューベルトは確かに幾つか好きな曲があるのは事実だが、全体として前の3人のように「全部好き」と言えるかというと「全然分からない曲の方が多い」のである。当然B型ではない。ちなみにベートーベンはA型だそうだが、どの曲も「キャッチーなメロディのさわり」ぐらいしか思い浮かばないのも仕方ない、何たってA型なんだからB型の心の琴線に触れる事は出来ないのだ。とB型を持ち上げたが、B型がそこそこ存在する日本やアジアで人気があるなら分かるけれど、殆どの人が「AとOしかいない欧米で上記3人が大人気である」というのは、やはり彼等が血液型の垣根を超えて「素晴らしい芸術家である」ことの証拠であると言えよう。敬愛するマウリツォ・ポリーニの血液型は残念ながら分からなかったが、どうもB型ではないようだ。
というのも私の知人のクラシック好きA型がポリーニをえらく褒めていて、しかもモーツァルトを「全然ダメ」と鼻も引っ掛けないのであるから間違いは無さそうとおもう。まあショパンは褒めていたが、最高傑作を「前奏曲集」としている辺りがイマイチB型のショパンを良く理解しているとはどうも思えないのだ。B型が「あなたの最高傑作はどの曲ですか?」と聞かれたら、多分「困ったなぁ、いくつもあるんだけど」といったような返事じゃないかと思う(これは私の個人的な考えだが)。前に介護施設でリハビリに励んでいた時に血液型の話になり、AB型の女性介護士さんが「B型じゃなくて本当に良かった」と告白していたのを思い出した。私はB型だがそれで悩んだことは「ただの一度も無い」。どうも世間は偏見に満ちているようだが、これでB型が人口分布に比べて「偉大な人が結構いる人気者である」ことがお分かりだろうと思う。もちろん大多数の人々の出来不出来とは何の関係もないことは言わずもがなである。でも何となく気分はいいよね。
中国習近平のB型は想像できるけど、ミケランジェロとラファエロとピカソがB型、ポールマッカートニーとマイケルジャクソンもB型、モーツァルトとブラームスとショパンはB型、シェイクスピアとセルバンテスもB型、シーザーとジンギスカンがB型、タイガーウッズとペレとメッシがB型、ニーチェとモンテスキューがB型、シューマッハとアイルトンセナがB型、世界の黒澤明もB型である。この記事の信憑性は「信長をA型としている」ので疑問符が付くが、作者はB型らしいので血液型性格判断に相当熱中していることは間違いない。なおイエス・キリストの血液型をAB型としているが、最近の研究でトリノの聖骸布の血痕からB型だと分かったというニュースがネットに載っていたので、科学的に実証されてるわけではないとしても興味深い。まぁ話の種に知っておく程度だが面白い。
血液型の特徴ははっきり医学的に証明されている訳ではないが、ほとんどの人が「大差無い」と思われる。要は「血液型の中の突出した人々と落ちこぼれた人の上下10%の人達が」特徴的な性格ないし能力を発揮している、と言うことではないだろうか。目の前にいる平均的なただの日本人を捕まえて「A型だからどうB型だからこう」と決めつけるのは、少し乱暴だと言える。しかし各血液型の思考のパターン(ロジックとも言う)は、案外共通していて、ある程度の色分けが出来そうである。例えば、几帳面な人という人はどの血液型にもいるが、A型の几帳面さの現れるところは「人目につきやすい場所」であることが多く、机の中や押入れの中などは存外乱雑だったりする。逆にB型の場合は目立つところが散らかっていたりするが、Bに取っては「欲しい物をすぐ手の届くところに置いておきたい」という合理性の現れだったりして、散らかってるという「未整理」の状態だという意識は全然無い。A型は見た目にこだわり、B型は実質に重きを置く、とも言えるのではないだろうか。
クラシックの世界で私が最も好きな作曲家がモーツァルト・ショパン・ブラームスのB型トリオというのも今日初めて知って、如何に私の個人的趣味が血液型的気質に由来するかと思い知らされた(と同時に、無上の歓びを噛みしめている)。バッハとシューベルトは確かに幾つか好きな曲があるのは事実だが、全体として前の3人のように「全部好き」と言えるかというと「全然分からない曲の方が多い」のである。当然B型ではない。ちなみにベートーベンはA型だそうだが、どの曲も「キャッチーなメロディのさわり」ぐらいしか思い浮かばないのも仕方ない、何たってA型なんだからB型の心の琴線に触れる事は出来ないのだ。とB型を持ち上げたが、B型がそこそこ存在する日本やアジアで人気があるなら分かるけれど、殆どの人が「AとOしかいない欧米で上記3人が大人気である」というのは、やはり彼等が血液型の垣根を超えて「素晴らしい芸術家である」ことの証拠であると言えよう。敬愛するマウリツォ・ポリーニの血液型は残念ながら分からなかったが、どうもB型ではないようだ。
というのも私の知人のクラシック好きA型がポリーニをえらく褒めていて、しかもモーツァルトを「全然ダメ」と鼻も引っ掛けないのであるから間違いは無さそうとおもう。まあショパンは褒めていたが、最高傑作を「前奏曲集」としている辺りがイマイチB型のショパンを良く理解しているとはどうも思えないのだ。B型が「あなたの最高傑作はどの曲ですか?」と聞かれたら、多分「困ったなぁ、いくつもあるんだけど」といったような返事じゃないかと思う(これは私の個人的な考えだが)。前に介護施設でリハビリに励んでいた時に血液型の話になり、AB型の女性介護士さんが「B型じゃなくて本当に良かった」と告白していたのを思い出した。私はB型だがそれで悩んだことは「ただの一度も無い」。どうも世間は偏見に満ちているようだが、これでB型が人口分布に比べて「偉大な人が結構いる人気者である」ことがお分かりだろうと思う。もちろん大多数の人々の出来不出来とは何の関係もないことは言わずもがなである。でも何となく気分はいいよね。
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