明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

デジタルはコーヒーを飲んでから(1)SNSを年配者が使うのは考えもの

2022-10-07 16:20:46 | 科学・デジタル

こないだゴルフの帰りに柏の町中華で食事した。その時 LINE の設定をしてもらって、これでようやく皆さんとまともにコミュニケーションが取れる、と喜んだのである。

早速使ってみるとショートメールと同じみたいな感じで、左右に送る側と受け取る側のメッセージが表示される。最初は便利だと喜んでいたが、考えてみるとメールを送るのと何も変わらない気がしてきた。勿論、LINE には色々な機能があって、友人は写真を送るのに便利だと言っていた。今流行の PAYPAY などのデジタルマネーも簡単に扱えて、何なら送金も出来ちゃうから「銀行の機能」もあるという優れものである。グループを作れば簡単に全員とコンタクト出来るから、ゴルフなどの誘いには非常に便利というわけだ。

だが、これでもうメールは使わないようになるかというと、ちょっと違うかな?とも思うようになった。

一つはスマホへの依存度合いである。友人にメールを送ると普段スマホを肌見離さず使っている若者と違い、返ってくるまでに時間がかかる。私の場合は内容にもよるが、一日二日は待つ場合が多い。まあ、気長に気にせず「おや、来たか」ってな感じである。で、今度は LINE にしたらバシバシ返ってくるかと思ったら、当然スマホの使用頻度にもよるが、結局メールと殆ど変わらなかったのが実情である。なまじ、お互いのメールが同じ画面に表示されるので何だか会話してるような気分になるのだが、やってることはメールなので、結局変わらず「忘れた頃に」返事がくる。

結論としては、話す内容を考えて LINE は「お互いが会話する必要ができた時」に使って、急がない時または返事がそれ程必要じゃない時には、昔ながらの「手紙」のようにメールで対応する、と使い分けるのが良いと思った。

私は普段からスマホでブログを書いているので、使っている時間も多いし、また「文章を入力する」ことには慣れている方である。だが、そうで無い人にとっては着信してることに気が付かない場合もまま有るのではないだろうか。

色々考えると、要するに「お互いの人間関係」がどれだけ密かにも関わってくる話で、歳をとってくると落ち着いた静かな環境で暮らしたい、という欲求も出てくる。若い人は積極的に社会と関わって、一日中仕事と遊びに「活動的に」なるのが当然だが、我々は平穏で何事もなく時間が流れてゆく日々が理想でもある。

こう考えてくるとメールにしても LINE にしても、便利なツールではあるのだが、それ程「使う機会も無い」とも言える。我々年配者にとっては、人と会話を楽しむ機会「そのもの」が徐々に少なくなって来るのは自然の成り行きなのかも知れないなと思えてきた。

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普段、人付き合いがそんなに多くない寡黙老人が突然 LINE などの便利ツールを手に入れたとしても、それで急に「会話がはずむ」わけではないのである。大事なのは、昔ながらの田舎のご近所さん同士みたいに、日向ぼっこしながら何気ない会話を楽しめる仲間を作ることだと感じた。我々昭和世代の者には、まずは心の通じ合った仲間=実体があって、それで「ツールとしてのSNS」がある。結局私の LINE デビューは、中身はメールと大して変わらなかったみたいである。

つまるところ、我々年配者には「手紙」が一番しっくりくるみたい。今日のニュースに LINE で句読点を打つと冷たい感じがする、と若い人に言われた話が載っていた。LINE は手紙ではなく「おしゃべり」なのだ。日頃からデジタルを無意識に使いこなす若者達と同じに生活するのは、生まれた時代を考えると「ちょっと難しい」かもね。

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そこで残念ながら、「我々は昭和で充分」と開き直ることにした。SNSなんか無くても、いくらでも楽しく生きて行けるさ!・・・これが今の心境である。そんなこんなで、自分のライフスタイルに合わせてデジタルは利用すること、と肝に銘じた次第であった。


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