明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

考えるヒント(32)ミニスカートの起こした革命とは

2023-03-23 21:15:00 | 今日の話題

こないだたまたまNHKでツィッギーとミニスカート革命という番組を見た。その昔、私がまだ学生だった頃、イギリスからツィッギーというモデルがやって来て日本中にミニスカートの大旋風を巻き起こした、ということから番組は始まる。それはそれまで女性のスカートなんかに「目もくれなかった」男性には青天の霹靂であり、ミニスカートを颯爽と履いた女性達の「晴れやかな自信溢れる姿」にびっくり仰天して、何よりしばし対応に戸惑ったのである。

女性はこれを期に似合うとか美しいとか全く関係なしに誰も彼もが全員ミニスカートを履くようになり、もうミニを履いてない女性は「生きて行けない」とまでに言われたらしい(森英恵の言葉だったような・・・)。とにかくミニスカートとはファッションではあるがそれ以上に「革命運動」でもあった。つまり女性は自分達が男性社会が作り上げた理想の女性像(=女性はこうあるべき、という姿)に盲目的に従って「合わせて」いたそれまでの生き方に嫌気が差し、自分自身には「自由な生き方を選ぶ権利」がある、ということに初めて目覚めたのである。それは女性の「男性からの解放」を意味した(私の解釈)。

そしてミニの流行の当然の結果として、控えめで一歩下がった慎ましやかな良妻賢母のイメージはこの世からスッパリと消え去り、代わりに女の魅力を撒き散らして町を闊歩する自由な女性像がワンサカ登場した。もう、女性は男性の「都合のいいペット」では無くなったのである。

そこで、余りの変化に引き気味だった男性達も、早速新しい女性像に「対応する戦略」を編み出したのだ。つまり開放された女性に呆然としている代わりに、やれ「脚が綺麗」だとか「色気が半端ない」とかいう新らしい女性の評価基準である。それと同時に女性の側にも、そういう男性の下心に迎合するような「女を武器」にした勢力が現れてきた。曰く、身体を見せつける女性達である(男性はあくまで女性の身体を品定めしたがるようだ)。

私ぐらいの年になるともはや女性達のムンムンする色気丸出しの格好を見ても「体が言う事を聞かない」のだからどうしようもない。まあ、そういうのは元気一杯の若い人に任せるとして、私はここでミニスカートが女性の意識に及ぼした「革命的な変化」について考察してみよう。

・・・・・・・・・・

まず機能面だが、スカートの下に「ショートパンツ」を履くのは理にかなっている、と最近思うようになった。そして、スカートはお尻が殆ど見えているかいないかの状態にまで短くなってむしろ正解なのだ。男がチャックで前開きのズボンを発明したように、女性も「簡単に用を足す」ことが出来るスカートとショートパンツの組み合わせが最強のファッションである、と今では確信している。

ちなみに、スカートは用を足すときに「お尻が隠れる」だけの長さがあれば、良いと思う。もちろんショートパンツの下には「パンティ」を履いているから問題ない。私個人としてはパンティを履かずにショートパンツで一括代用するのも悪くないとは思うが、まあ一応「人に見せるもん」だから、中にはパンティを履くのが礼儀だろう。

そうなるとストッキングなどという「邪魔な飾り物」は、誰からも見向きもされなくて結局は廃れてしまって「過去の遺物」に成り下るだろうことは明白だ。私は将来女性が「老若美醜、区別なく」皆して超ミニでそこら辺を歩き回り、脚を丸出しにしても「男から何とも思われない時代」がやって来ると信じている。

そう、人間にとって最も大事なことは、ファッションも含めて全てを「自分らしく生きること」である。そして女性の身体は「男性の品定めの対象」ではない、という時代がきっと来る筈だ。例えば、脚を見せつけるような短いスカートを履いている女性が目の前を通ったりとか、胸を強調するような過激なファッションで散歩している女性を見かけたとしても、私は次のように考えることにしている。つまり・・・

彼女、胸が大きいな、とか、太腿が色っぽいな、とか考えないようにして、ただ彼女は「こういうファッションが好き」なんだな、と思ってやり過ごすことである。・・・出来るかな〜?



最新の画像もっと見る

コメントを投稿