明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

ショートショート(49)青葉被告の死刑に4年もかかったなんて、

2024-01-26 14:23:39 | 今日の話題

ようやく京アニ事件の判決が出た。もうとっくに死刑になっているものと思っていたがまだだったんだ!って驚きである。何を4年も考えていたんだろうと考えてしまったのは私だけではないだろうう。私の意見は既に書いているので詳しくは述べないが、とにかく「青葉被告の有罪」は1週間ぐらいで確定させなきゃ時間と経費のムダだと思う。被告が犯人であるのは色々な証拠で疑問の余地は無く、当然殺人罪で有罪はすんなり出る筈なのだ。つまり青葉被告の「刑」は死刑で確定である。その上で「罰」の審議をする、というのが私の考えだ。要は「刑と罰を2段階で裁く」という方法に変更することである。これで裁判が簡単になる。

まあ罰のほうも「心神耗弱で判断能力が無かった」というのはちょっと無理筋かなぁと思った。犯行時に「わけが分からなくなって犯行に及んでしまった」としても、現在は普通に戻っている訳だから十分「世間一般の犯罪の認識」はある訳で、「大変な事をしてしまった」と悔悟の念に苦しんでいる筈である。それが「一時的な心神耗弱」の心理だ。であるならば犯行時には無我夢中でも「我に返ったら事の重大さ」に恐ろしくなって、神妙に死刑判決を受けようと言う気になっても不思議ではない。だから、心神耗弱だったというのは確かにそうかもしれないが「罰の軽減理由」にするのはお門違いだと言えよう。

また、犯行に及んだ時「捕まったら死刑という認識」があったかどうか?という点は、被告が誰かと冷静に議論して考えついたわけではないので、あってもなくても論理的思考・判断の結果ではないので刑罰とは関係ない。例えて言えば「考えてなかった」という状態であろう。これが犯行時に「犯罪では無いとはっきり認識・誤認していた」という場合は問題になるが、さすがに日本で何十年も生活して来て「殺人が犯罪じゃないと思った」というのは論理破綻だと思う。

三十何人も殺したことについては本人も「多すぎた」と言ってるようだから最初から意図したものでは無いと思うが、銃器で一人ずつ殺害する場合と違ってこういう「火災による殺人」というのは、おうおうにして「予想外の結果」になることが多い(江戸時代の振袖火事がそのいい例である)。これは何も青葉被告に限ったことではなくて、ごく普通に報復行為でガソリンを撒いたりすれば「意図せず重大事件となりかねない」から普段から気を付けたい(普通の人はやらないと思うけど)。まあアメリカあたりじゃ銃乱射で大量無差別殺人なんてことがままあるようだが、犯人は大概「自殺」してる。これなんかは「分かった上でやってる」から問題ははっきりしている。

それに比べて日本じゃ凶悪無差別殺人を起こしても犯人はつかまって、裁判にかけられて「異常人格者で無罪」ということが多いように思う(刑期は色々)。これなどは「日本人と西洋人との宗教観の違い」ではないかとの意見もあるようだが、良く分からない。とにかく青葉被告が死に掛けていたのを、医療の進歩によって何度も大変な手術をしてようやくここまで回復したのに「結局死刑」というのは、手術をした医者の皆さんには「ご苦労様でしたね、無駄に」としか言いようは無い。多分、手術しながら「まったく、やってらんねーよ」と愚痴の一つも出たであろう。それだけの努力をするのであれば「救いたい人の命を助ける」とかなんとか、もっと違う事に使いたかったんではないかと私なんかは思う。もし青葉被告が、現場で火傷かなんかで死んでいれば「もう少し遺族も気が済んだのに」と思う。

青葉被告が死なずに生き残ったということを素直に考えれば、彼を現代における「とんでもない馬鹿者」の見本として、マスコミ等で大々的に責め、教科書に載せるぐらいにして記憶に残すことが被害者へのせめてもの供養になるんじゃないだろうか。

遠慮はいらない。精一杯とことん罵倒して青葉被告が涙を流して後悔するまで、つまり「地獄の業火に燃やし尽くされるまで」責め続けるべきである。そうしてやっと被害者も浮かばれると私は思う。皆さんは如何ですか?、罰を受けるとはそういう事でしょう。



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