明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

酒のツマミ話(10)第1回目ワクチン接種体験記!

2021-07-05 16:10:01 | 今日の話題

1、第1回目ワクチン接種
北柏の病院の外来受付入り口には予約時間より10分前に着いたが、早くもワクチン希望者の長い列が出来ていた(何だかなぁ〜)。私はとにかく列に並ぶのが死ぬほど嫌いなのだ。どうして日本人は(日本人に限らないが)列に並ぶのが平気なのだろう?。私は整理の担当者(多分医療関係者だろうけど)に一言文句を言ってから列の最後尾に並んだ。こういう風に「列に並べ」と強制された時は、何か言わないと気持ちが収まらないのである(迷惑老人の典型かも・・・)。とにかく列に並ぶのなんか「真っ平だぜ」とか何とか、そんなことをブツクサつぶやきながら、10分程してやっと中に入れた。中はABCDと4つのブースに分かれていて、女性の指示でテキパキと人が入っていく。私は5分程待って「A」のブースに呼ばれて入った。別にBでもCでもいいのだが、Aの先生は軽いノリの口調で冗談混じりに問診していた。こういう先生は、普段病院に行く時にはいてほしくないタイプなのだが、副反応が気になっている私には「気休め」代わりで丁度良かった。何しろ昨日の晩から急にワクチンを打った後が気になり、副反応の心配やら、もし突然死したらどうしようかとかナーバスになっていて、朝ごはんも殆ど食べずに来ていたのである。しかし打った後の待機時間も何事もなく予定通り過ぎて、病院を出てから家に帰る頃には「すっかり元気」になっていた。「なんだよ、心配してたけどなんて事なかったな」と勇気凛々、俺は日本人の「平均的体質」ってことみたい、と一安心した。まあ、身体も脳も才能に関しても、どこも特殊な物はなくて「ごく普通」ってことである。普通だということが「これほど嬉しい」っていうのも珍しいけど・・・。

さて2回目は7月25日だ。東京都ではコロナの新規感染者が第4ステージに入っているとか何とか。まあ、2回目を打っちゃえば「こっちのもん」だけどね。それまでは「今まで以上に」気をつけて我慢しないと。何しろ終わりが7月25日と見えているから、今は我慢我慢である。

2、アニサキスよ、死ね!
カツオやサバなどの生魚に多くいるという害虫アニサキス。私はまだ出会ったことはないが、うっかり食べるとメチャ凄い腹痛で、救急車を呼ばないと耐えられないそうだからマジに危ない。スーパーなどで売られているものは冷凍しているし、養殖魚は基本安全だからまず大丈夫で心配無いが、それでも魚を食べるのは余り気が進まない。ところが最近水産センターかなんかで開発した「強力電気ショック」がアニサキスなどの寄生虫を殺してくれるらしい。人間も色々考えるねぇ。これなら冷凍と違って味に影響がないらしいから、天然物の鮮度の良い魚がスーパーに並ぶのも時間の問題となりそうである。何れコストも下がって一般的な値段で店頭に並ぶようになれば、家庭でも「豪華な刺し身」がおいしく食べられるというもの。そうすればDHA・EPAだって取れるし、良いことづくめである。出来たら早いほうがいいんだが。何しろ私はもう70過ぎてるので・・・。

3、見ると激しい嫌悪感に襲われるCM
テレビで今一番ムカつくコマーシャルは「暮らしのマーケット」のCMに出てくる女装男である。以前「くっきー」の時も耐えられないくらい不愉快になったが、今回のは更に不快度が増して「怒りすら」覚えるから、劣悪度 MAX の出来だ。メーカーはどこが面白くてこんなコマーシャル流してるんだろうか?、いっぺん担当者の顔を見てみたいが、それにしても制作センスは過去に例を見ない酷いレベルなのは間違いない。とにかくムカつくから、今度苦情相談室にでも電話してやろうかと思っている(本気)。でも、その前に打ち切りになるかもね、多分・・・。

4、ニッスイの研究
年取って筋力が衰えた人は、何と「スケトウダラのタンパク質」がいいらしい。何でも、肉や他の魚と比べると格段に「瞬発力」のUPに効くって話である。要するに、年寄りはスケトウダラを喰え、ってこと。タンパク質を沢山取らないと年寄りはどんどん体力が落ちるって言うけど、特に速筋と呼ばれる「瞬発力に必要な筋肉」が減少するので、スケトウダラで補うのが大事だという。そう言えば、ゴルフなんかでヘッドスピードが年々落ちていくのは「速筋」が弱ってるから、という話があるそうだ。であればスケトウダラを積極的に食べれば飛距離UPだって夢じゃない?。嬉しいねぇ。カマボコや竹輪や魚肉ソーセージなどに入っているそうだから、歯の悪い年寄りにもうってつけである。

これからの酒のつまみは「スケトウダラの蒲鉾」で決まりだぁ〜!

5、ディープラーニング
テレビで少し前、「ディーコン」というAIを使った発明コンテストを見てて「ハタ」と気がついた。それはAIとは何か?、である。

私は大昔、コンピュータのプログラミングをちょっと齧って本屋で参考書を買い、自分で勝手に在庫管理システムを開発していた。時代は私が30代に入ったばかりの頃で、出始めのNECのPC8801を給料の1ヶ月分以上をつぎ込み、何も分らないまま買い込んで「データベース」をやり始めたのである(何と恐ろしい!)。私は「電気関係」の勉強など全く経験がなかったから、まさに狂気の沙汰、「無謀」そのものと言ってもそれほど間違いはない。

ところが最初は参考書に載っていた「お小遣い帳」プログラムをそのまんま1行1行入力して覚えるところから始めて、あれよあれよという間に1年後にはデータベースを使いこなせるようになってしまった(お主もやるねぇ!)。自分ではそれが普通と思っていたので何の不思議もなかったが、今にして思えば奇跡である。OSは最初は「88ーBASIC」を使っていて、そのうち「パラドックス」というデータベースを使い始め、とうとう会社の「売掛・請求管理」を作って実際に業務で使用してしまった。・・・いいのかなぁ、素人なのに。

会社で業務システム変更の承認を取ったとかの記憶は無いので、私が勝手にやってしまったのである。まあ小さい会社だったので、何でも自由に出来たのが良かったのかも知れない。それから会社が大きな会社に吸収され、仕事にはコンシューマー用の Windows を使うようになり、だんだんプロの作る業務プログラムみたいに細かいところにも気配りするようになってきた。プログラムを動かしているロジックは「人間と同じ」で、AだったらこうBだったらこうという条件分岐である。つまり原因と結果は「最初から決定された答えに分岐」されるのだ。

ところが世間でAIが注目されるようになり、何となくコンピュータが勝手に答えを出すイメージで受け取っていた。だが本当のところは今まで通りのロジックで、「ああしたらこうなる」式の原因=結果のやり方なんだろうなぁ、とぼんやり考えていたのである。なんて無知なんだろうか、と自分でも情けない。今回ディーコンを見ていてハタと気がついたことは、それとは全く違うロジックの集積である。原因=結果という流れは変わらないのだが、正確には「原因?結果」なのだ。途中のロジックが「目に見えない」内部に隠れている。いうならば、ある条件を入れたらある結果になった、というだけである。また違う条件だと、今度は違う結果になった。つまり何故そうなるかは分からないが、なんとなく「相関関係があるように見える」という状態のプログラムを、AIと呼んでいるようなのである。当然、一つの条件から違う答えが出る場合もある。天気予報と同じ理屈だ。天気予報も「何故そうなるのか」という科学的理由は正確には分かっていないけど、「経験的に」雨が降る確率が「高い」とコンピュータが示しているのである。だから「予測」である。自然界には一定の法則があると思われているが、何故そうなるかは「完全には解明されていない」ことが多い。理由はないが、そうなる確率が高いという事実は、実際に世の中には沢山あるのだ。

例えば、風が吹けば桶屋が儲かる、という諺がある。もし風が吹いた時と桶屋が儲かった時とで何かしら相関関係があるとすれば、きっとAIは膨大なデータからそのような事実を導き出して、「風が吹いたので、桶屋が儲かります」という答えを出してくるだろう。これはすなわち「人間の記憶量ではとても追いつかないデータ」に基づいた「結果の集積」である。例えば将棋で何十万何百万という過去の棋譜を読み込んで、最終的にどちらが勝ったかのデータを集めたとする。そうなるとある場面でどういう手を選択すると「結果的に勝ったのか負けたのか」の予測を、データが示してくれるのである。

これは単なるデータだ。何故負けたかの説明は一切無い。ただ負けたという事実だけが厳然として残っているだけである。これは我々人間が日常的に経験している「自然界の法則」だし、理由ははっきりとは分からないにしても別に「生活には困らない」。要は、ある場面に遭遇して自分がどう対処するべきか「無意識に教えてくれる勘」みたいなものである。これがAIである(と私は考えた。間違っているかも知れないが、多分そうじゃないかな、と思っている)。

つまり「何だか分かんないけどこうなる」といういうのが「AIの特徴」である。勿論答えが当たっているかどうかの精度には、蓄積されているデータの「質と量」が大きく関わってくるのは当然である。何れにしても、理由など知らなくても我々は困るわけじゃないのだ。危険な場所を避けて通ったり、変な食べ物を食べないようにしたり、そのほか我々生きてゆく上では「常に勘を働かせて」いる必要があると言える。そして人生の転機になるような重要なアイディアは、「突然ふと思いつく」場合が非常に多い、という。私は、人間の脳の中でデータつまり情報が「坩堝のように混ざり合った結果」、ある内部ロジックを介在して「結果だけポンっと」頭に浮かんでくるのだろうと思っている。ニュートンがリンゴを見て万有引力を思いついたように。結局AIは、人間の脳の構造に近づいた「謎の思考する機械」だと言う意味が、やっと分かったわけである(おおーっ、遅すぎるぜぃ)。我々ももう一度「原始の動物の頃」に戻って、「動物的カン」を研ぎ澄ましてもいいかも。

例えばゴルフのスイングをあれこれ雑誌で勉強するのもいいが、一度目の前のボールを「打つ!」と気合を入れ、真剣に念じて練習してみるとか・・・。まあ、「結果」は大概予測がつくけどね、AIだけに(がびーん!)。


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