明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

全国迷所紀行 長崎(5)長崎の夜はほろ苦い思い出 2

2022-12-24 11:13:00 | 歴史・旅行
● とんこつラーメン店の強烈なにおい
今日は二度目の休み、長崎の街もだいぶ慣れたので焼き物でも見てこようと遠出する事にした。ホテルを出て駅の方に行く裏道を通って行くと、なんか不思議な匂いというか臭い匂いがワーッと鼻についた。とんでも無い強烈な臭いが道路に充満していて、道いっぱいに白い煙が立ち込めているでは無いか。なんか事故でもあったのかな、と訝しく目を皿にして煙の向こうを見透かすと、地元の人らしき若者が数人話しながら歩いてくる。何事もなかったごとく通り過ぎたのを確認して安心したが、僕が「とんこつラーメン屋」に初めて遭遇しているとは、まだその時は知る由もなかった。

今から40年も前に東京から初めて長崎を訪れた私には、とんこつラーメンなんて食べ物がある事すら初耳であったのだ。ラーメンは醤油か塩、ちょっと新し物好きの食通の人は味噌を自慢げに美味いといって「熊ボッコ」なんかに連れて行ってくれた。ラーメンは元々あまり好きじゃなかったから、自分から食べに行くことは無かったのである。以前取引先の接待旅行でシンガポールに行った時も、地元のマレー料理屋の道路を跨いで香ってくる臭いに辟易し、日本に帰ってから二週間ほどは何を食べてもオエッと来て、体から抜けるのに困難を極めた経験があった。今回は国内だけにそれほどの事態にはならなかったが、道の反対側の歩道を鼻をつまみつつ通って難を逃れたものである。

しかし場所が変われば食べ物の好みも相当変わるものだ。とにかく「とんこつ」は、人間の食べる物では無い。僕は結局、とんこつラーメンをとうとう食べずに終わった。「美味かラーメン、紹介しますよ」と店長は言ってくれるのだが、丁重にお断りしておいた。僕は営業に似合わず控えめな性格ということになっているらしく、「そうですか」で済ましてくれた。とんこつラーメンは博多の名物だが、長崎でも結構ラーメン店が多くある。長崎の中華街はチャンポンが目白押しだが、どうも僕には麺類は向いていないようだ。どうせ食べるなら信州の手打ち蕎麦にしたい。ああ無性に蕎麦が食いたくなったが、無いとなると余計我慢がならなくなる。よし、今夜は蕎麦屋で一杯といくか。

まだ昼前だというのに陽は高く、アスファルトの照り返しがジリジリとして暑くなりそうだった。今日は九州陶磁器博物館に行く予定だが、どれほど暑くなるか心配だ。スマホで天気アプリなんてものがない時代、旅行者には遠くの入道雲を見て凡その見当を付けるしかなかった。まあ、晴れか雨か位は、誰でもわかるけどね。

● 柿右衛門と九州陶磁器博物館
さて電車に乗って、いよいよ九州陶磁器博物館を目指した。今のMAPで2時間ちょっと、当時はもう少しかかった気がする。長崎から大村を通って一路佐賀県を縦断し、有田に着いたのが1時頃だったか。駅前を通ってひたすらまっすぐ伸びた一本道は、左右を切り通しのような地肌を見せた小さな山が盛り上がっていて、果たしてこれが陶器や磁器の元になる土なのか?僅かに太陽の眩しい光を浴びて、白く乾いた色合いをしている。

僕は案内板を見て30分ぐらいなので歩いた。僕の主義だが、旅は歩くに限る。夜遅くなり宿に帰る時間を気にした時はタクシーを使うが、基本は全て歩くことにしている。理由は、歩くのが好きなだけ。車でサーっと行けば簡単だが、心に残る景色は歩かなければ入ってこない。僕は歩きながらあれこれ考えるのが大好きである。たわいもないことを考えるのだが、当然景色も考えに影響するから結局は、そこで考えることはその場所でしか思いつかないこともある。旅の事や恋愛の事、食べ物の事や歴史の事。人生を考えるなんて重たい事は滅多にないが、この時は秀吉がさらってきた李参平の生涯を思って、少しばかり心が痛んだ。

今日は最初に柿右衛門窯を見に行って、その真っ白な「濁し手」と呼ばれる焼き物に発色の綺麗な絵付けを施した作品を並べてる展覧室をぐるっと回り、最後に◯◯代柿右衛門作と名札が出ている大皿を眺めながら「僕の好みじゃないかも」とか思って、柿右衛門には悪いがサッサと表に出た。真っ白で「なんか綺麗すぎる」のは性に合わないのだ。やっぱり焼き物は仁清の色絵が良いなぁ、なんて偉そうなことを考えながら九州陶磁器博物館に向かった。しかし歩いていても本当に人に出会わない。佐賀県も此の辺は、昔も今も荒れ野だらけで、人の住むところではなかったのかもしれない。田畑が青々と広がる風景ならなんとなくホッとするのに、白く露天掘りの跡が続く有田の街は「死の世界」そのものである。時折通り過ぎる車の巻き上げる砂塵に口を塞ぎながら、やっぱりタクシーが良かったかなとちょっぴり後悔した。

九州陶磁器博物館は大きな建物である。李参平から現代の人間国宝と言われる人まで、綿々と続く磁器・陶器の伝統を一堂に揃えた見ごたえのあるコレクションには、ただの焼き物好きである僕にも時間の経つのを忘れるほどの楽しいひと時であった。焼き物は、時代によっては城一つと言われた宝である。僕も盃をコレクションしようかと思ったことがあるが、昔から鑑賞する習慣がそうさせるのか、それとも実際に焼き物に魅力を見つけたのか、盃などの酒器はセンスのみで持っている小さな芸術品で、僕なりの審美眼があって好き嫌いが出る。せいぜい10個くらいで良いから、僕も集めてみたいなと思っているのだが。古九谷の盃なんか、あれば◯◯百万もするだろうから美術館で見るしかないが、5万位なら買っても良いかなと思っちゃう(僕にすれば大散財だ)。どっかで出物が安く手に入らないかな。欲しいと思ったら急に物凄く欲しくなった。こういう時は日本酒をグイッと飲んで誤魔化すに限る。蕎麦屋で一杯だ、出来たら有田焼のお猪口で飲みたいね。

● 長崎は記憶が無い
帰りの電車は途中で日が落ちて、大村あたりの暗い海を眺めながら旅を満喫していた。女子高生が数人降りて、ホームから改札を通り外に帰って行く。駅の明かりが10mもすると途絶えて、女子高生の姿は真っ暗な闇の中に消えてゆく。夢のような世界の暗闇の中を、長崎行きの快速電車は突き進んで行く。これは四次元世界のメビウスの輪を逆行する超引力波自由列車なのか?うーん、わからん!

長崎に着く頃には、外はすっかり夜のネオンがピッカピカだった。早速蕎麦屋に行って一杯、と思って詳細を書こうと必死に思い出すのだが、すっかり忘れてしまってちっとも思い出さない。長崎の街は二週間もいたのに、ほとんど記憶に残るものがなかったというのが結論。結局そのデパートの売場は大した売り上げも作れず、僕の会社自体も他社に吸収されてなくなってしまった。結局、僕は仕事はしなかったようだ、残念!

九州にはもう一度行ってみたい気がするが、今度は博多の方に寄って古墳でも見て歩くことにしたいな。もしかしたら卑弥呼の墓なんかを「知らずに踏んづけたりして」。

明日で長崎出張も終わりという夜、お決まりの雨が降った。長崎は今日も雨だった、ってか?


最新の画像もっと見る

コメントを投稿