明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

考えるヒント(7)岸田政権、持つ?持たない?

2022-10-27 20:20:00 | ニュース

1、衝撃の家!
武井壮の「憧れの地に家を買おう」で出て来た、エジプトのピラミッドが「バルコニーから直に見られる物件」が絶景すぎてひっくり返った。普段、映像で見るだけの世界遺産「ギザの三大ピラミッド」が、自分ちのベランダから、悠然と夕日に照らされて立っている姿を見られるのである!。朝な夕なに悠久の地球の歴史をまざまざと思い起こし、何千年もの昔の古の人々の暮しや信仰を偲ぶというのは、旅行で行くには素晴らしい体験だが生活するとなるとどうなんだろう?

やっぱり、故郷は遠くに在りて想うもの、なのかなぁ・・・。奈良なんかで古墳の隣に暮らしてる一般市民の生活ぶりを見たりすると、2、3日で「何とも思わなくなる」ような気もするけどねぇ。人間の最大の特技は「慣れること」かも・・・

2、テレビのトゲトゲTV
初めて普通に喋ってる姿をじっくりと見たのだが、ラランドのサーヤが「超キレイ」なんである。芸人だからフワちゃんみたいに面白おかしく外見を作ってアピールするのかと思ったら、結構まともで美人なのには驚いた。勿論、女優レベルの美人とは言えないがそれなりに整っていて、明るく人当たりが良く頭も切れるらしいから、無理に芸人などしなくても充分「社会人として」成功しそうな予感がする。問題は何に興味を持ち、どんなことに才能を発揮するのか?、である。

そう考えると人生の進路を選択するのは、普通の人には「大学生の年齢では無理」なんだな、と思う。自分のやりたいことがハッキリしてるって、凄いことなんだな、と改めて思う。

3、旧統一教会問題は「宗教とは何?」ということで解決する!
国会では、信教の自由を侵害しないということを最優先に考えていて、それで動きが取れなくなっているみたいに思える。超自然的なものに信仰を持つのは人間に備わった本能みたいなものだから、何を信じるかは個人の自由として憲法で保証されているのは分かる。しかしそれが他人の権利や自由を侵害する場合は、法の下での制約を受けるのは当然である。では、自分の財産を「自分の意志で」寄付するのは許されるのか?

これが論議の対象になっているようである、しかし世間一般の「宗教の根本理念」に照らせば、「金を集めることに必死な団体」はそもそも「宗教では無い」、ということに思い至らなければならない筈である。聞けば旧統一教会は、二言目には「金、金」と大騒ぎするというではないか。

キリスト教でもイスラム教でも仏教でも神道でも、また他の宗教一般にも言えることだが、「信者から大金を取る」ような団体は、もはや宗教とは「呼べない」のである。宗教はお金には執着はしないものである。これが宗教の真実なのだ。この理屈を分かってないから、なんだかんだと法律論議が続いている。私に言わせれば「旧統一教会は金を取っているから宗教ではない」、これ一発でこの問題は解決である。他の宗教でも拝観料とか戒名料とか法事の礼金とかまたはお布施とか、名目は色々だが多少のお金は取っている。だが、精々高くても何千円何万円である(と思う)。私の父の葬儀では浄土宗だったが、戒名料を150万ほど払った。住職は金額はお気持ちでと言っていたが、私が考えて支払ったのである。全くの自由意志である。しかしここでもポイントは「この金額の多寡で、何か御利益が増減する」と私が考えた訳では無いということだ。お金は純粋に「お寺の諸費用の足し」になるだけだ、と認識して払った。何らかのご利益を金で買えるという教義は、宗教の理念とは真っ向から対立するものである。先祖や家族・親族を地獄の責め苦から解放するためにお金を寄付する、という教義からは、何の宗教性も感じられないではないか?

だから「金集め集団である旧統一教会」は、法人格を取り消すのはもちろんのこと、ただの一般営利団体として「通常の税金」を課す、で良いだろう。勿論、お金で救われるという教義も「禁止」である。金が入らなければ、団体は「自然消滅」するに決まっている。その程度の団体が宗教を振りかざしてどうのこうの言うのは「千年早い」のだ。難しいことは何もない、勇気をもって「サッサと処理」して欲しいものである。

とにかく御利益で金を取ったら、宗教廃業!、許されるのは拝観料と祈祷料と建物修繕維持費のみに限定する。これで一件落着!

4、久しぶりの飲み会で激論
こないだSN氏とSY氏と3人で柏で飲んだ時に、たまたま話が「ゴルフの遅延プレイ問題」になった。女子ブロの申ジエのプレーが遅かったために、一緒に回っていた選手達も走っていて大変だ、との話題である。この時、遅延行為のペナルティは同じパーティの「全員に課される」ものだと二人は思っていた。私が「それはおかしい」とクレームをつけたら、一人ずつ計測するのは難しいとか、連帯責任だからとか、色々反論してお互い口論になった。我々の間では良くあることである。

ところがSY氏と私がいいあっている間にSN氏がスマホでサクッと検索し、「一発で正解を出した」のである!。何という神業!

SN氏はデジタル技術を駆使してあっさり事も無げに答えを出し、これが議論というものの「正しいやり方」だと示したわけだ。デジタル万歳!スマホ万歳!

勿論、扱っている議題は単なるルールブックの解釈というのとはレベルは違うが、しかし国会であったとしても「議論の本質」は変わらない筈だ。AとBがそれぞれの意見を言い、両方で協力して「正解に辿り着く」のが議論の正しい姿である。SN氏の取った行動は私とSY氏とどちらの肩を持つわけでも無く、単純に「正解を出した」ことで議論を終結させたというのに尽きる。これが議論の方法なのだ。どうも議論というと勝ったか負けたかに必死になり過ぎで、「正解に辿り着く」という本来の目標を忘れてしまっているように私は思う。

国会で与野党の議論を見ていると、この点が欠けているのだ。一度で良いから正解を求めて議論する姿を見たいと思うのは私だけではないと思うが・・・。

5、山際元大臣の人物像と選挙
とうとうというか、ついにというか、殆ど認知症疑惑みたいな山際大臣がやっと辞任した。後任は後藤元厚生労働大臣。指名の理由が統一教会と全く関係が無かったからというから、もう経済の事は眼中になかったってことだろうか。それにしても山際大臣を経済産業大臣にした岸田首相は、彼のどこに期待したのかな?

世間では岸田首相の決断力の無さに呆れた声が出ているが、今更ながら岸田首相の「優柔不断な判断ミス」が際立ったと言える。気付くのが遅すぎたよね。土台、聞く力云々などとたわけたことを言っている時点で、リーダー失格は決まっていたようなもの。色んな意見を聞くというのは、広く多様な情報を集めるという意味である。情報が集まったら、次は「結論」を出さなきゃならない。ここでリーダーの質がモノを言う。だが岸田首相は集めるだけ、それを取捨選択しないで「検討する」だけなのだ。決断する時なのに、いったい何を考えてるわけ?

答えは「思考停止」である。

要するに、誰かに後押しされなければボタンを押せないのだ。こんな首相を選んだ自民党は、与党としての自覚も責任感も全然ない「権力亡者の集団」であろう。そう言えば山際大臣は辞める時もスッキリ・サバサバしてて、自分のやったことに全く反省のかけらもなかったのには驚いた。この男には、我々の常識など通用しないみたいである。まるで所属する派閥の領袖の信頼を得ているから、他の連中の事など相手にしなくても平気だ、とでも言うような「ふてぶてしい傍若無人の態度」が見え隠れする。ドラマでヤクザの鉄砲玉が取り調べ室で見せる態度にピッタリなので私は笑うしかなかった。これが国会議員の姿か、と。

こんな男に投票した選挙民の「こんな人とは知らなかった」みたいな、困惑した顔が見えるようだ。山際議員がテレビで醜態を晒せば晒すほど「神奈川の有権者」は恥を晒す羽目になり、さぞや自分の選択を後悔してるだろうと思う。大体「人を見る目」などと言う、他人の人格を見極める能力を持っている人は一般市民の「おっちゃんオバハン達」にはいないのだ。いかに選挙というのが「役に立たないシステムか」よく分かるというものである。山際議員のような男を見極めることは、余っ程注意して見続けないと無理だろう。或いは所詮、我々には見極めは不可能なのかも。

やはり人格よりも政策、これしか無いね。


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