明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

3日々の話題を一撃で解決(6)クリスマスは嫌いだ!

2022-12-23 21:16:24 | 今日の話題

クリスマスになるとそこかしこに華やかなイルミネーションが飾られて、大勢のカップルが楽しそうに群れ集う。そして家々の窓には点々と明かりが灯り、クリスマスケーキを囲んで暖かな一家団欒の花が咲くのだ。これは日本では、クリスマスイブのごく当たり前の風景である。

だが、この誰もが浮き立つような幸せを感じる瞬間に、たった一人ポツンと取り残されて爪を噛んでいるものが、少なくとも一人はいる。そう、世間の喧騒から置いてきぼりにされ、誰からも忘れ去られ疎外された人間、つまり私の事だ。私は二十歳の頃から70を過ぎる今までの間ずっと、この聖なるクリスマスの夜、何をどうすれば人並みに楽しく過ごすことが出来るだろうか?と自問自答してきた人間なのである。

再び言う、クリスマスなんか大っ嫌いだ!

私は昭和25年の茨城生まれで、そもそも子供の頃はクリスマスなどを祝う習慣は、日本(とりわけ田舎)ではなかったように思う。東京に出てきてからも私の家庭では、家族が集まってクリスマスを祝った経験はなかったように思う。兄弟は4人いたが、それぞれ自分勝手に行動してたのだろう。社会に出てからも私の周りはクリスマスより麻雀という連中が大半で、ほぼ30台後半には気が付いたらクリスマスには「独りぼっち」になっていた。

そう言えばある年、クリスマス・イブに社長から社員全員へと、クリスマスのデコレーションが乗ったホールケーキを1個ずつ配った事があった。そして運悪くその日私は仕事が遅くまで終わらなくて終電に間に合わず、仕方なく上野のホテルにポツンと一人で泊まったのだった。

部屋に入って缶ビールを開け、夕食代わりにケーキを食べたが半分ほど食べたところで何故か急に寂しさが込み上げてきて、残り半分をゴミ箱に投げ入れ頭から布団を被って、泣きながら眠った記憶がある。

・・・どうしてこんなことになるんだろうか?

最初私が考えたのは、クリスマスは元々は西洋の宗教行事で、キリストの生誕を祝う祭とその前夜祭であったということ。それは人々の神への愛であり喜びであり、文字通り「諸人こぞりて」神を祝福する行事になった。その後、キリスト教の重要行事としてクリスマスから休暇に入る習慣が定着し、仕事から開放されて気分も高揚したことも合わせて、家族の団欒や友人または恋人同士の友愛を確かめ合うイベントになって行った、というものである。だから西洋では、クリスマスは外見はどうあろうと、あくまで中身は「キリスト生誕祭」だということを忘れて馬鹿騒ぎする人は、まずいないと思う(私の想像)。

日本でも昔のように会社の仲間とドンチャン騒ぎをしてはしゃぎまわることは少なくなって、今は個人個人が愛する家族と、または恋人同士が仲睦まじくしっとりと夜を過ごすという風に「イベントの傾向」も変わってきたようである。しかし日本人は元々がキリスト教徒じゃ無いもんだから、どこまで行っても「個人のイベント」で、言うならばお誕生日会の延長を一歩も出ていないのだ。日本全国全国民が「一斉に」同じ日にお誕生日会をやるようなものである。その伝では、ハロウィーンもバレンタインデイも、何でも横文字のイベントは宗教性を換骨奪胎して単なるイベント化してしまう、日本人の悪い癖と言えるだろう。

そして一人蚊帳の外に置かれた気持ちで拗ねているのが、私というわけだ。

西洋ではキリストという「祝う対象」が天に坐すので、老若男女誰でも人それぞれに自由に参加することができる。普段それ程の付き合いがないもの同士でも、教会に行き賛美歌を歌い牧師の講話を聞いてイベントに参加することは可能だ。だが日本のクリスマスは実態が個人のお誕生日会(またはその延長)だから、どうしたって「一緒に祝う人」は限られてくる。第一に誰も、教会には行こうとしないではないか。ただケーキを食べてゲームに興じ、恋人と食事してプレゼントをあげるだけのイベントに過ぎないのだ。これでは、何時まで経っても人の輪は広がらない。

私がクリスマスを大っ嫌いな理由は、要するにクリスマスを「二人だけで過ごす相手」がいないからである(オーマイガッ!)。ただそれだけ。他に何の理由もヘチマもないのた。多分、イブの夜にイルミネーションの仄かな光を浴びて恋人とそぞろ歩きを楽しむカップルは、世間からも盛大に祝福された気分になるのであろう。これも承認欲求の一つ、日本全国お誕生日会の面目躍如である。

今年もまた日本中のコンビニでは、クリスマスケーキの販売ノルマを達成するためにバイトスタッフに売れ残りを押し付けるのだろうか。街では多くの歌手のクリスマスソングがこれでもかと言うほどに流れているではないか。・・・だが確かに私も、桑田佳祐や広瀬香美の歌はとても気に入ってる。しかしバレンタインデーもそうだが、キリスト抜きで「この時期はこれ」と企業が商売で煽るイベントに、何の疑問も無く「ホイホイ乗っかって浮かれる」というのは如何なものだろう。

日本には昔から大晦日に正月の初詣、また雛祭りや五月の節句そしてお盆と夏祭りなど、庶民参加のイベントが一年を通して一杯ある。それがいつの間にかバレンタインやハロウィンやクリスマスなどの西洋のお祭りを有難がって取り入れて、訳の分からないイベントに現を抜かしている姿は情けないではないか。いったい日本人の心の文化はどこへ行ったのだ?

まあ、かく言う私もウィーン少年合唱団の賛美歌を聞けば美しい歌声に心を奪われ、バッハのマタイ受難曲を聞けば思わず涙する一人だから、やってる事は同じようなもんである。現代は人それぞれ、好きなものを「好きなだけ楽しめば良い」時代なのだ。クリスマスだけに罵詈雑言を浴びせては、片手落ちと言うものであろう。だからデパートや商店街やスーパーが、ここを先途とシャカリキになってクリスマスを商売にするのも、まあ仕方ないこと諦めようか。

クリスマス、日本じゃキリストも 風物詩、ってね。



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