先日、私のブログが大フィーバーした。いつものアクセス数の20倍にもなっている、驚いたね。リアルタイムのアクセスも切れ目なしに高い水準で続いていた。宮川選手・速見コーチ・洗脳と言う単語が、ネットでヒットした結果である。フィーバーは3日で終わった、有頂天に舞い上がっていた私は、夢のような時間が消えていくのを目の当たりにして、まるで宇宙に一人ぼっちで取り残された気分になっていた・・・。終わりだ。
と、まあ、ブログがたまたまヒットしただけなので、今は平静に戻りつつある。あれは、単にニュースに乗っかっただけの「はしか」みたいな一時的な病気なんだ、と考えている。ネットの住人は気になる話題を片っ端からアクセスして読みまくっているに過ぎない。私が2日かけて考えた末の理論も解決策も、中身をサッと読んだだけで心にも止めず、次の話題探しに熱中しているのだろう。私のブログは跡形もなく記憶の領域から消えてしまって、永遠に忘れ去られていった。それだけのことである。他の何千万・何億のブログ・SNS記事が同じ運命をたどる。その中でほんの「ごくごく一部」が世間の注目を浴びるのだ。
だが私は泣き言を言うつもりも恨み節を引く気力も全然ない。私は「Nothing」である。「ゼロ」である。それでも僅かながらの読者は存在する(大半が知り合いだが)。有り難いことに毎回読んでくれる友人もいるのである。素晴らしいことではないか。自分の思っている事を文章にして発表する機会を与えてくれたブログという仕組みには、心の底から大いに感謝している。大げさに言えば、生きている支え、でもある。だがそのアクセス数が20倍にもなった時、私は「社会に受け入れられている」と勘違いしてしまったのだ。
そして今は嵐が過ぎ去った跡を、台風に粉砕された町や風景のように眺めている。もう一度、あんなアクセスが来ないかな〜、。
結構!、夢を持ち続けることは良いことである。だが夢見る少年のままではいられない。歩き続けなければならないのだ。それで、普段の自分のブログスタイルに立ち返り、物事を選んで真剣に考えることにした。大衆受けを狙い話題性に乗っかることは止めて、人間の本質に迫ることにしたのである(ちょっと偉そう)。大坂なおみ氏のブログは「中身は日本人という意識」だったが、タイトルを大衆受け狙いにしてしまったところが私の弱さである。ネット住民は真面目な議論は好まない。欲しいのは自分たちの主張の「先頭を切ってくれる過激な意見・文章」である。つまりはアジテーターだ。そういう文章や写真がアップされると、途端に大量にヒットし拡散してゆく。すべては流れ行く河の表面に表れ出て来た「あぶく」である。水が流れるように流されて消えていく、そんな泡沫(うたかた)だ。何か新しい考え方を発見して、それをネットに呈示し「考えること」に目覚めてもらおう、というのではない。
私はネットの「盛り上がり」から一線を画し、地道な思考を深めることに精力を使おうと思い直している。当然、アクセス数は元の「小さな仲間達」に戻ってしまうが、それも私の能力に見合った数字だと納得している。私のブログは、問題を考えに考えて、「解決策を提案」することで一緒に考えてもらうスタイルである。意見を投げつけて読者の感情を燃え上がらせるアジテーターには向いていない。皆が何か物事を考えようとする時に、「参考になるようなブログ」を書ければいいと思っている。このブログへの読者登録もコメントも無いが、それも皆が「同じ意見だから仲間だよ、盛り上がろうぜ!」という人たちでは「無い」からだと思って、納得している。
というわけで、少々愚痴が出た文章だが気持ちがすっきりした。これからも「考えること」という趣旨に沿ってブログを書き続けたいと思っているので、何がしかの成果などは期待せずに、大いに楽しんでいただきたいと思います、よろしく。
と、まあ、ブログがたまたまヒットしただけなので、今は平静に戻りつつある。あれは、単にニュースに乗っかっただけの「はしか」みたいな一時的な病気なんだ、と考えている。ネットの住人は気になる話題を片っ端からアクセスして読みまくっているに過ぎない。私が2日かけて考えた末の理論も解決策も、中身をサッと読んだだけで心にも止めず、次の話題探しに熱中しているのだろう。私のブログは跡形もなく記憶の領域から消えてしまって、永遠に忘れ去られていった。それだけのことである。他の何千万・何億のブログ・SNS記事が同じ運命をたどる。その中でほんの「ごくごく一部」が世間の注目を浴びるのだ。
だが私は泣き言を言うつもりも恨み節を引く気力も全然ない。私は「Nothing」である。「ゼロ」である。それでも僅かながらの読者は存在する(大半が知り合いだが)。有り難いことに毎回読んでくれる友人もいるのである。素晴らしいことではないか。自分の思っている事を文章にして発表する機会を与えてくれたブログという仕組みには、心の底から大いに感謝している。大げさに言えば、生きている支え、でもある。だがそのアクセス数が20倍にもなった時、私は「社会に受け入れられている」と勘違いしてしまったのだ。
そして今は嵐が過ぎ去った跡を、台風に粉砕された町や風景のように眺めている。もう一度、あんなアクセスが来ないかな〜、。
結構!、夢を持ち続けることは良いことである。だが夢見る少年のままではいられない。歩き続けなければならないのだ。それで、普段の自分のブログスタイルに立ち返り、物事を選んで真剣に考えることにした。大衆受けを狙い話題性に乗っかることは止めて、人間の本質に迫ることにしたのである(ちょっと偉そう)。大坂なおみ氏のブログは「中身は日本人という意識」だったが、タイトルを大衆受け狙いにしてしまったところが私の弱さである。ネット住民は真面目な議論は好まない。欲しいのは自分たちの主張の「先頭を切ってくれる過激な意見・文章」である。つまりはアジテーターだ。そういう文章や写真がアップされると、途端に大量にヒットし拡散してゆく。すべては流れ行く河の表面に表れ出て来た「あぶく」である。水が流れるように流されて消えていく、そんな泡沫(うたかた)だ。何か新しい考え方を発見して、それをネットに呈示し「考えること」に目覚めてもらおう、というのではない。
私はネットの「盛り上がり」から一線を画し、地道な思考を深めることに精力を使おうと思い直している。当然、アクセス数は元の「小さな仲間達」に戻ってしまうが、それも私の能力に見合った数字だと納得している。私のブログは、問題を考えに考えて、「解決策を提案」することで一緒に考えてもらうスタイルである。意見を投げつけて読者の感情を燃え上がらせるアジテーターには向いていない。皆が何か物事を考えようとする時に、「参考になるようなブログ」を書ければいいと思っている。このブログへの読者登録もコメントも無いが、それも皆が「同じ意見だから仲間だよ、盛り上がろうぜ!」という人たちでは「無い」からだと思って、納得している。
というわけで、少々愚痴が出た文章だが気持ちがすっきりした。これからも「考えること」という趣旨に沿ってブログを書き続けたいと思っているので、何がしかの成果などは期待せずに、大いに楽しんでいただきたいと思います、よろしく。
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