日本の英語教育が「全然使えない!」というのは昔っからである。学校で教科書を見ながら先生の文法説明を聞いて必死で覚えようとするのだが結局外人が道を尋ねると「I can't speak English」と英語で断ったりするのだ、これ何でだろうか?(これ、結構な笑い話である)。YouTube を見てると広告が出て来て「英語の学習は超簡単!」などと誘ってくる。だが言ってることはごくごく普通の習得方法で、要は「日常使いの例文」をひたすら丸暗記するだけなのだ。これで誰でも英語がしゃべれるようになるって寸法である。じゃあ、何で学校で12年も勉強しているのにしゃべれないのか?
答えは大学入試で「必要だから」、である。学校義務教育の基本は読み書き(国語)が出来て、お金の勘定(算数)が出来て、その上社会に出た時に必要な知識(常識)が一通り覚えられれば、それで十分だと私は思っている。要するに大学に進学する為に試験を行って「何とか一定数を選抜する」というのは、教育とは何ら関係が無いのである。教育とは、社会に出てすぐ必要な最小限のスキルと知識があれば「それで十分」なのだ。だから私は試験を突破する為の「特殊な能力」などどれだけ磨いたとしても、その後の人生に役立つことは無く「全くのムダ」だと全身でもって断言する(私は中央大学法学部法律学科を現役合格したが・・・決して自慢してるわけではない・・・大学で何かを習得してその後社会に出て「何かの役に立った」という経験は、皆無であった。これは事実である)。
勿論、中には猛勉強して司法試験に合格した人も多くいたのは事実である(弟がそうだった)。私が言いたいのはつまるところ勉強というのは「目的を持たなければ無意味」だということである(試しに高校生に、君は何のために勉強してるの?と質問するといい。もし、中に将来の夢を語る者がいたとして、果たして現在の勉強が役立つだろうか・・・)。不幸にして私は法律の道からドロップアウトした。皆さんも大学に進学したのは良いけど、何をやったらいいか分からないまま卒業した人が多いんじゃないかな?(これは私の妄想です)。勉強するとは言っても目的があるわけじゃなく、最後は就職活動に走り回ったあげくに「思ったような大企業」に入社できず、中途半端な会社で埋もれていく・・・そんな人生が大半だと思う。私もそうだった。
だがそれで「人生がつまらないものだった」というわけでは決して無いのである。人生は紆余曲折があってそれなりに楽しい事も多かったし、今は貧しいながら安定した年金生活も送れている。で、こういう人生において、果たして大学での勉強が「どれだけ役に立っているか?」という事なのだ。まあ、人生において自分の進むべき道を「如何に早いうちに見つける」ことがどれほど大切か、というのに尽きる。学校教育は、それを精一杯「アシストしてあげる」ことに注力するべきだと私は思う。
話は大きくなったが英語教育に限って言えば、それがコミュニケーション・ツールとして全く使えない原因は「それが試験科目になっているから」ということしか理由が見つからない。今すぐ大学入試の科目から英語を外して「自由に学ばせる」だけで、見る見るうちに日本人の英語力は「世界で通用するレベル」に到達する筈だ。勿論、文法なんか分からない人は続出するだろう。だけど当のアメリカ人だって知らないような小難しい文法を、しゃべれもしない日本人が「何故覚える必要があるんだろう?」。アメリカ人の赤ちゃんはロクに文法など分からないうちから片言の英語を「バンバンしゃべっている」ではないか!。言語はコミュニケーションの道具である。使いながら覚えるのが正しい。だから・・・
今すぐ英語を「入試科目から外す」ことを提案する!
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