明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

格差社会からの脱却と労働市場の活性化

2018-08-31 18:31:17 | ニュース
日本人の格差社会を、根本的に解消する策を考えてみた。格差とは、持てるものと持たざるものの越えがたい壁である。貧乏生活から成り上がって一国一城の主となるサクセスストーリーが夢ではなく現実のものとなる社会は、この壁がなく、自分の才覚一つで何にだってなれる「自由で平等な競争社会」である。格差社会は「競争の無い」ことで成立する。金持ちとは、資本主義の意味する本質を表していて、つまりは「既にお金を持っている人」であり、そのお金を「元手にしてさらにお金を増やす」方法を熟知している階層を指すのだ。

昔は土地、すなわち不動産を持っている人が一番上の階層を占めていた。つまり荘園を持ってそれを耕作させて年貢を取り、いろいろな人に賄賂を贈ったりしてさらに有利な条件で土地を増やし、お金を増やして日本を支配していた。平安時代の事である。民衆は生きていくためには食べなくてはならず、その食べる手段が「土地を耕作して農作物を生産する」ことしかなかったのだ。それに反対したり抵抗したりした人は、武力つまり武士を使って鎮圧していたのである。だんだん生産力が上がり、民衆が生きていく方法にもバリエーションが出てきて、多種多様なグッズが市中に出回り「それを作ったり売ったりして」生計を立てることが可能になって、初めて土地の呪縛から解き放たれ、格差の壁を乗り越えることが出来る社会になった。室町町人文化である。

だがこの自由闊達な町人文化も一定の時間が過ぎてひとしきり波風が収まると、商人達の大小も固まってきて、安定を求める勢力とそれを不満とする下部組織が対立し、一大ムーブメントとなって戦国の下剋上を生みだしたのである。誰もが平等に富を得る権利を主張し合うという状況は、格差社会にとって不可欠の「身分」による差別がなくなって、もう何の制約もない「1からの競争」がはじまったのである。つまり逆に言えば「制約」が「格差を保証する」のだ。その反対概念が「競争」である。日本の格差社会を打ち破る自由・平等な社会は、結局は過酷な制限なき「無差別競争社会」となる。そこでは強いものが勝ち残り、勝利の甘い果実を独り占めするのだ。だが、そのような社会においては「ルールが必要」である。暴力で物事を解決するのはルール違反だし、自由・平等の競争原理に反する「スタート時点での格差」もルール違反として排除されなければならない。

さてここからが今日のテーマの「格差社会を打ち破れ!」に入ることにする。私の考える新ルールとは、「所得一身の法」である。余り聞き慣れない言葉だと思うが、ご想像の通り私の造語である。つまり財産所得は「個人1代限り」で遺産相続出来ないという法律だ。格差社会の根本は「親の財産と七光」である。生まれながらにして持っている富を「公平に再配分」しなければ、いつまでたっても格差はなくならない。それで私は以下のことを提案してみようと思う。

1 「遺産国庫返納法」
親の遺産は全部国庫に返納することにし、個人が稼いだ財産はすべて、その個人が亡くなれば国が没収するという法律である。もちろん配偶者だけは遺産を引き継いでもいいが、子供やそれ以外の人には残すことは出来ない。この財産1代限りが厳密に実施されれば、富の再配分が可能になるのだ。一見不条理なシステムに見えるが、実は返納された財産で「莫大な予算」が使えるようになるので、それを原資にして国民すべてに平等な「教育・福祉・医療」を提供するのである。閉ざされた一部の人々だけの間でぐるぐると引き継がれている巨額の資産を広く一般に開放して、国民全体の生活を底上げする費用に充てるのである。もちろん教育は無料、老後の年金準備金や介護税も無料、医療費も無料、最低生活の不安も一掃して「夢に向かって精一杯努力する人生」を全ての人に約束する、そういう法律である。つまり、日本国民が一つの家族になるのである。自分の子供という考えから脱して、我々は全て「日本の子供」で同じということである。

2 「不動産国有法」
不動産は全て国有とし成人に一つずつ貸与する。そして当人と配偶者が亡くなれば国に返還する。農業権や水産権や林業権も特権の一つであり、元々は富の象徴だった。例えば親が持つ広大なぶどう畑は、今までは代々子供が受け継ぎ、良質のワインを製造し、大規模な会社を経営して裕福な暮らしをしていた。だが新しい法律では、会社の掃除係の息子がワイン会社の営業になり、成績を上げて役員になって最後には社長の座に就くことだって可能なのだ、もちろん才能と努力があってのことだが。新しい法律では親が社長だからといって、子供は何の恩恵も受けることは出来ない。掃除係の息子と「同じスタートラインに立ってヨーイドン」の競争をしなければならにのだ。親のDNAが引き継がればその子供も「多分優秀だろう」と思われるが、優秀だということが成功の唯一の条件ではない。タイミングやニーズや目の付け所がピッタリ合ったときに、信じられないような素晴らしい結果を出すことが出来るのである。個人の多様性を最大限に尊重する社会が、結果として「格差の無い社会」を実現するのである。ついでだが、ゴミ屋敷や空き家問題などは存在しなくなる。なぜなら所有権が存在しないからである、簡単だ。

3 「親子財産分離法」
新しい法律では、親の収入がいくら高くても子供の生活費に充てることは違法となる。金持ちの子といっても贅沢三昧は許されず、一般の家庭の子と同等以上の暮らしは出来ない。いかにも厳しいようだが、子供のうちに贅沢をしていても結局財産は「遺産国庫返納法」があって貰えないのだから、後から苦しむより初めから無いものと思って生きていくのが本人の為であると言える。100年もしてこの方式が当たり前になる頃には、金持ちの子だからといって全然有利なことはなくて、親が子にしてやれることが無くなるのである。子供に必要な事は全部国が面倒を見るので、「教育・スポーツ・芸術・趣味」など、親の職業や収入に関係なく「子供の生活レベル」は全国一定である。もちろん裕福な家庭の子だからといって「親の稼ぎで何でも欲しいものが手に入るわけではない」のだから、普通一般の家の子と平等に生活しなければならない。せいぜい食事や服で、多少の愛情を表現するだけである。親は自分の収入で贅沢三昧しても構わないが、子供時代に平等な生活体験を送って育った経験があると「贅沢への欲求」も自然となくなって、費用的にはより平均化・内容的には多様化と個性化への道を進んでいくのではないかと思う。

4 「贈与禁止法」
遺産を無くして資産の平準化を図っていても、贈与が今まで通りに行われていれば「ザル法」になってしまう。自分の遺産を国に取られてしまう前に「誰か他の人」に一旦贈与しておき、死んだ後に子供に「贈与戻し」すれば遺産は保全されて結局は子供に渡ってしまう。これを禁止するためにはこのような「子供への迂回遺産」を禁止すればいいかと思うだろうが、その方法では「Aさんの遺産をBさんの子供に贈与し、Bさんの遺産をAさんの子供に贈与するという遺産相続の相互交換」が起きてしまう。全ての子供を平等一律にゼロからスタートさせるためには、贈与も禁止しなくてはならない(なんとか抜け道を探すのが人間の業=ゴウである)。経済は資本の多寡によって成功が左右される場合が多いから、一律にダメと言ってしまえば「経済がダメになる」。だから「投資」を推奨するのである。投資であれば、いくらしても構わない。リターン効果がないような案件に多額の投資を行うのは経済活動としては慎むべきだが、人類の壮大な夢に挑戦したり、新しい技術を開発したり、個人がどうしてもやりたかった事を実現するなど、投資が生み出す価値は計り知れない。日本人に限らず投資を考えるに「リターンばっかり求める」傾向があるのは如何なものだろう。せっかく稼いだお金である、どうせ国に取られるなら「やりたい事やってみよう」という気になるではないか。これが遺産国家返納法のメリットでもある。

5 「仕事報酬等価法」
最後に格差社会の根深い悪を破壊する秘法を考えた。世の中には仕事がないのに「会長」だとか「相談役」だとかという「名前だけで実態が不明の役職」がいっぱいある。社員から見れば目の玉が飛び出るような給料を貰っているのに、実際は「何もしていない」役職である。だがこういう立場の人に対して「あの人がいる会社だから」とか、「あの人が睨みを利かせているなら」とか、役職に名前が加わっているだけで「判断を左右されて」しまうのが一般の人間である。税務署を退官した役人が「顧問」として迎えられたり、警察官だったひとが「警備担当」として職を得る。こういった有名無実の役職を世の中から一掃して、「実務の内容」で勝負する社会を作ろうではないか。人は仕事の内容・成果で評価・報酬を受ける権利が保証されてこそ「格差社会の撤廃」になる。人を見る時に役職名で判断せず、その人が「どんな仕事が出来るか」で判断したいものである。

おまけ:「労働力流動性確保法」
いろいろ格差社会から抜け出すための法律を考えてみたが、最終的には労働力の流動性ということが必要だなと思えてきた。働きたい人が存分に力を発揮できる労働環境、それを保証し拡大するのが「労働力の流動性」である。これから少子化で一層不足する労働力、いまこそ労働力というものを強力なカードにして、資本家優位の社会をひっくり返す時ではないのかと考える。それで、それにもっとも適した比較モデルが「サッカーのクラブチーム」と気がついたのである。

サッカーというのはポジションでやることが相当違う。キーパーはもちろん別格であるが、ディフェンダーとアタッカーそれにゲームを組み立てるミッドフィールダーと3種類いる。それぞれにタイプがいろいろあり、チーム事情や監督コーチの戦略によっても欲しい選手が異なってくる。それにライバルチームの動向も考慮にいれると、「膨大な選手のデータ」がマーケットに溢れていてもおかしくない。つまり個人の資質と能力(もちろん年齢や経歴も)が一覧できるようなデータが、各クラブチームの検討の俎上に載っているわけである。現状は個人の「仕事ぶりを評価するデータ」は殆ど公開されていない。ここに縁故や友人関係に頼る転職が多い理由である。データが公開されていないということは「転職する側に取って恐ろしく不利」なのは言うまでもない。これから日本も転職市場を活性化するために、国家規模で「個人資質・能力戦力データベース」を作成・登録し、システム構築を決定・加速することが必要である。労働者の能力・評価が目の前に「山のようにある」のなら、早速今いる社員と入れ替えて「もっと会社の戦力をUP」させることが可能になる。人事部であれば「夢のような話」ではないだろうか。だが会社にとって都合の良い話ばかりではない。相対的に評価が高くなれば「移籍金も高額になる」のが当然だ。

いまいる会社で年収600万円で働いているのであれば、新しく転職する先では「年収800万円や1000万円」のオファーが来てもおかしくない!。当然、新しく転職させるためには「移籍金」を前会社に払うことで、後腐れなくサッパリ辞められるのである。それほど欲しい有能な人材なら、移籍する会社側もお金を払っても十分ペイするのである。さらに新卒から一定年数が経てば「フリーエージェント制度」が適用される、とするのだ(なんと!)。得点力の高いアタッカーがフリーエージェントでどこにでも自由に移籍出来るとすれば、そこら中から「うちに来て欲しい」とラブコールが殺到すること必定ではなかろうか。私も経験があるが、能力があってやる気も体力も充実している時期に「良い会社に転職出来ていたら」、もっと稼げたろうなと思ってちょっと後悔している。そんな残念な後悔をなくすために「どんどん転職をする」べきだし、それを後押しする「全労働者を網羅した移籍市場」を早急に開設することが日本にとっては喫緊の課題である。これを国家規模で行うことにより、労働者は「何時辞めても次に行ける」と言う自由な労働意識を持てるし、会社も労働力の確保に苦労しなくて済むのである。そうなれば「給料は転職するたびにどんどん高くなる」であろう、願ってもないことである。もちろん会社の方のリサーチもバッチリ調査してなくては、転職市場としては片手落ちである。これからは個人も自分専用の転職代理人を持つ時代が来るに違いない。そうすれば会社努めサラリーマンの不平不満など、雲散霧消である。

ところで昔、全国共通テストというのが子供の時にあった。これを大人で実施するのである。テスト料5000円くらいで「今現在の自分の市場価値」を数値化するのだ、例えば転職値360点、とか。もちろん、作業スキル92点、人間関係構築力75点、交渉力84点、企画力68点、指導力41点、とか詳細もついているのである。リアルに有意義だと思うのだが、国でやってくれないかな?。やって見たら「みんなの労働意識」も随分違うものになると思うよ。

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