空観方程式

「色」での一体化・重ね合わせによる相互作用で共感・共鳴が生じ、「空」としての新たなる生命力の姿が実体化される。

自分がどうなりたいのか

2025年01月02日 | 読書・TV感想
般若心経における色と空の関係は
現実実体と実体のない虚構の様な関係性としていた。
具体的には物と心や生と死との関係の様に、
色と空は同一な状態であって、
現実であっても常に変化して、
この世の全ては実体のないものとして捉えることで
苦から解放される。という捉え方であった。

しかし元に戻って考え直してみたら、
色と空との一体化ではなく、色の中での一体化から
空が生まれて姿を現すとなった。

色という実体の中で繰り返され、作用し合って関係づけられる世界観の中で
一体化(重ね合わせや仮想現実)により、神聖な本当の姿が現れる。
そこから自分にとって本当に大事なものが見えてくるのであって、
そのプロセスが空と表現されている。

色という実体の中で繰り返され、作用し合って関係づけられる世界とは
例えば
損した得した、勝った負けた、正しいか正しくないか、
といった様々な二元の関係の中で、常に繰り返される現実の実体であって、
それら双方の存在を否定することなく受け入れ、
そこから一体化(重ね合わせや仮想現実)での相互作用により本当の自分が生まれてくる。
そのような作用や関係性、あるいはプロセスが空である。
具体的には分解と合成といった動的平衡状態から持続性生命の実体が生まれて来る様に。
即ち、分解を合成よりも先回りさせることだ。

従って、関係性の中で
一方のみにこだわり、執着したり、取りつかれたりしてしまえば
本当の姿は現れてこないことになる。
追求すればする程、否定や排除が続き一極集中状態となって、
気が付かないままで一生を終えてしまう。
執着しないということは、しないという状態に執着していることだ。

だから一体化させるということはそういう関係を捨てることであって、
そこから新しい姿としてあらわれてくる。
色と空の関係は、簡単に言えば、捨てることで得られる関係である。
幸せになることを捨てることで幸せになる。
あるがままにという状態は、あるがままになるというこだわりであって、
本当のあるがままではない。
あるがままになることを捨てた状態が本当のあるがままの状態だ。



大谷翔平選手は
最強のプレーを求めて渡米した。しかし
強いだけでは一流ではなかった。
自分はどういう人間になりたいのかと共に、そのことと一体化させることで
何をすべきかという本当の姿を見出した。
勝ち負けよりも、どんなにささいなプレーでも全力を出し切る。
その姿がチームに伝わる。そのことを先回りさせることだ。
それによって自分の回りにあったネガティブのものをポジティブに変えられた。
要はささいなプレーで全力を出すためには、自分は何をすべきかである。
2024年はそれを実感し体感した年でもあった。
NHKスペシャルより
















NHKスペシャルより
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日本人の能動的観念

2024年12月09日 | 読書・TV感想
日本人の能動的観念
自然を見て感じる(観じる)心(意識)

英語にはない固有名詞
楽しみや状態を示す抽象名詞

侘び寂び
こもれび
恩義
もったいない
いただきます

能動的に信じるとは
自分で見て観じて心の整理ができて、尚且つ共感される状態
恩義:恩から受けたり感じたりした義務感や責任感に報いるために努力する
ボランティアとは無償の奉仕であり異なる概念。自分のためでもある。

受動的に信じる(信仰)とは
先人の教えを聞くことで覚えて、それを信じ尚且つ従う
代表的なものが宗教
子供が言葉や善悪、物語を教えてもらうように。

人間は
心(意識)によって行動するので違いによる影響は絶大である。

もし受動的な意識が支配的であるならば、
損得や安全か危険かを教えられた通りに、あるいは
他のものに委ねることで(その時の状況によって)行動する。
むしろ損得だけで決めてしまう状況となる。一極集中型
即ち、扁桃体思考と呼ばれるものだ。
善か悪か、正しいか正しくないか、強いか弱いかだけで決めてしまう。
勝ちか負けかしかない状態だからとことん戦う状態が続く。

日本人は勝つとは、負ける人がいるからだと優先的に考えられる。
負けた人の気持ちになって考えられる。
自分の成功は自分の力だけでなく周りの人の支えがあったからだと考える。
前頭葉思考
そこから壊すことで活かす(動的平衡)意識に抵抗がない。試行錯誤型
例えば生き延びるために壊すという変化、分解と合成の共存のような場合だ。
それは生命の持続性に通じる物理的なシステムだ。同時に人間の意識に於いても
そうした一体化による変化が求められているのではないか。

諸行無常と諸法無我という思想を古来より継続させてきた。
何かを「信じる」より他者を「尊敬する」
そこでこだわらないという心の持ち方と
そこに通じる生き方についても迫ってみようと思う。



日本は自国文化を尊重しつつ
他国の影響を取り入れる柔軟な社会である。
象徴的には神道の中に仏教を取り入れて独自のものにした。
カレーライスを取り入れ、それにとんかつを加えてカツカレーにした。
クリスマスを祝った数日後、神社仏閣に初もうでをする。

構築と解体を共存させる意識も同様に違和感がない。
我が国では古くから「無常」という言葉で継承されてきた。
常に変化する状況にあり、失敗は成功の基、捨てることで得られる:
親鸞のいう「無義(分解)の義(合成)」である。
また西行も言う、「身を捨ててこそ(分解)身をも助けめ(合成)」

分解と合成が対立するものではなく、互いに補完し合いながら
新たな価値を生み出すプロセスであることを示している。例えば

ハッピーになることを捨てることでハッピーになる
死を覚悟(分解)するとは、全力で生きようとする(合成)こと。
夜は寝るため(分解)にあり、朝はもう一度生きる(合成)ためにある。
あるがままを捨ててこそ(分解)あるがままとなる。(合成)
華道:華をたむけ(分解)、そして活ける(合成)
鈴木大拙:無分別(分解)の分別(合成)

人間の進化によって獲得した分別によって生じた苦悩や悲しみに対し、
そこを乗り越えるための必要なものであって、いわば想像上の秩序である。
特に、生と死の二項対立は人間にとって避けることのできない状態だ。
片方のみにこだわれば新たな状態は出現してこない。
いつまでたっても解決することができないので苦難の道を歩み破綻する。
例えば闇のみにこだわってしまうと、どうせ死ぬのに人間はなぜ生きるのか?
から抜け出せなくなり、物語が生まれずに苦難の道が続いてしまう
「こうでなければならぬ」「こうすべきだ」を捨ててこそ、
「こういう世界だからこそ生きていられる」が生まれてくる。
要は
何が正しいのか(扁桃体思考)よりは何が本当か(前頭葉思考)だ。
だから何が正しいのかを追求するより、状況をそのままにした
曖昧・中庸の状態で発酵させる方が、むしろ解決に近づくとの考えだ。
仏教では諸法無我といい、繰り返しであって永遠不滅なものはないと教えるが、
神道で唱えられる先祖崇拝として死後の魂を敬う考え方と共存できる。
囚われや計らいは捨て、回り舞台の風景によって象徴や祈りの対象として
「できる時であればできるように、できないときはそのままで」
人の命は定められたもの。それにあらがってどうする。あまんじて受け入れ、
好きなように生きる。(できる時はできるように)
即ち「分解を合成より少しだけ先回りさせる」生き方だ。

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仏教での「無我」の教えと「お盆」の習慣 Copilotの答え

2024年11月29日 | スクラップブック
日本国内での「盆」に対する意識の根拠について教えてほしい。
「お盆」は日本における重要な行事の一つであり、
祖先の霊を迎え、供養する期間として知られています。
この行事に対する意識や根拠について、いくつかのポイントを紹介します。

歴史的背景
仏教の影響:

お盆は、仏教の「盂蘭盆会」(うらぼんえ)に由来します。
盂蘭盆会は、仏教の教えに基づいて、亡くなった人々の霊を供養するための行事です。
お盆の行事は日本に仏教が伝来した6世紀ごろから行われているとされています。

祖先崇拝:
日本の伝統的な信仰である祖先崇拝とも深く結びついています。
古くから、亡くなった祖先の霊を敬い、家族の一員として迎える習慣がありました。

お盆の習慣
迎え火と送り火:
迎え火は、祖先の霊を家に迎え入れるために行われ、
送り火は、霊を見送るために行われます。
これらの火は、霊が迷わず家に戻り、
そして帰ることができるようにする役割を持っています。

墓参り:
お盆の期間中、多くの人々が先祖の墓を訪れ、掃除や花を供えることで供養します。
これは、先祖の霊に感謝し、家族の繁栄を願うためです。

精霊棚(しょうりょうだな):
家庭内に精霊棚を設け、故人の写真や遺品、お供え物を並べます。
これにより、故人の霊が家に帰ってきたときに休息できる場所を提供します。

現代における意識
家庭の絆:
お盆は、家族が集まる機会として重要視されています。
忙しい現代社会においても、お盆の期間には帰省する人々が多く見られます。
祖先を敬い、家族の歴史や絆を再確認する時間とされています。

地域の伝統:
各地域で独自のお盆行事や風習があり、地域社会の結束を強める役割も果たしています。
例えば、踊りや祭りなどが行われ、地域住民が一体となって先祖を供養します。

文化遺産の保存:
お盆の習慣は、文化遺産としても大切にされています。
次世代に伝えられることで、日本の文化と伝統を守る役割を担っています。

お盆は、歴史的・宗教的な背景とともに、
現代においても家族や地域のつながりを深める大切な行事として認識されています。




お盆は仏教に由来するとの回答ですが、
仏教では「無我」思想の様に永遠不滅である「霊」の存在を否定している点で
矛盾しているのではないか?


確かに、仏教の「無我」思想とお盆のような祖先供養の行事の間には、
表面的には矛盾があるように見えます。以下にその点を詳しく説明します。

仏教の「無我」思想
仏教では、すべての存在は常に変化し、
固定された自己(アートマン)や魂の存在を否定する「無我」思想を持っています。
すべての現象は因縁によって生じ、独立した実体を持たないとされています。
この教えは、執着を手放し、悟り(ニルヴァーナ)に至るための重要な概念です。

お盆の由来と目的
一方、お盆は祖先の霊を迎え、供養する行事であり、これには仏教だけでなく、
日本の伝統的な祖先崇拝の要素も強く影響しています。
以下のような点で、お盆が仏教の教義と調和し得る理由があります:

現実の生活と教えの調和:
仏教の教えは、理論的な哲学だけでなく、人々の日常生活や社会的な慣習とも融合しています。
お盆のような行事は、家族や地域社会のつながりを強化し、精神的な平和をもたらす役割を果たしています。

象徴的な理解:
祖先の霊を迎える行為は、必ずしも個々の固定された魂の存在を示すものではなく、
象徴的な意味合いが強いと解釈できます。
これは、先祖への感謝や家族の歴史を大切にするための象徴的な儀式と捉えられます。

融合と変容:
日本における仏教は、伝統的な神道や民間信仰と融合し、独自の形で発展してきました。
お盆もその一例であり、仏教の教えと日本固有の文化や信仰が交じり合って形成されたものです。

現代の視点
現代の仏教徒や宗教研究者の中には、お盆の行事を仏教の教義の一部として受け入れつつ、
哲学的な無我の教えと日常の宗教的実践を矛盾なく理解する方法を模索している人もいます。
実際のところ、宗教や文化の伝統は複雑で多層的なものであり、
一見矛盾するように見える要素が共存することもあります。

このように、
お盆の行事は仏教の教えと伝統的な日本文化の融合によって成り立っており、
両者の関係は深く、複雑なものです。
さらに深く掘り下げたい場合は、仏教の教典や学術的な研究を参照すると良いでしょう。













参考:Copilot(コパイロット)



論理的な矛盾点が存在していても
人間の方で指摘しないと回答には含まれない。

(恣意的かどうかは別にしても)
欠落箇所が含まれていたとしても判りずらい。
そもそも
お盆の風習は仏教の論理的な価値判断から
選ばれたわけではないことの証明だ。
個人個人が自分にとって価値があると思われるから
風習として選択されて継承されているのであって、
明確な根拠があるから行っているのではない。
魂の存在という仮想空間でのストーリーに
従っているだけなのだ。特に日本人は
互いに相反する観念が共存していても問題ない。
混ざっているのではなく一体化している証拠でもある。
量子の重ね合わせと同等だ。

タイのプーケットでは現在もなお
邪悪を払うため、そして幸運を呼び込むために
ウナギを放流する習慣があるという。
個人個人が自分にとって価値があると思うからだ。
「ウナギを放流する人に向かって根拠を示せ」
とはだれも言わないだろう。
単に自分の生きてきたストーリーに従っているのであって、
他人から押し付けられた価値観にとらわれることではない。


ソースコードを生成する
日本語で書くだけで、
AI(Copilot)によって自動的にソースコードが補完される。


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2024年 日本および日本人の注目項目

2024年10月20日 | 記事のコメント
ノーベル平和賞に被団協の受賞

米国プロ野球(MLB)で日本人の活躍
大谷選手の一試合6打数6安打、3本塁打、10打点、2盗塁の大活躍や
「3本塁打&複数盗塁」「17塁打&複数盗塁」50-50前人未踏記録等

トヨタ売上販売台数世界トップ

ドラマ「SHOUGUN」でエミー賞受賞
アカデミー賞は宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」長編アニメーション賞と
山崎貴監督の「ゴジラ-1.0」が日本映画として初めて視覚効果賞を受賞した

パリオリンピック金メダル20の数でもメダルの総数45でも最多数を更新
金メダル世界3位

米国女子プロゴルフで笹生選手、古江選手がメジャー優勝
卓球50年ぶり、ケイリン37年ぶり優勝
プロボクシング井上尚弥4団体統一スーパーバンタム級タイトルマッチに勝利しタイトル防衛
現WBAスーパー・WBC・IBF・WBO世界スーパーバンタム級統一王者。

JAXA月面ピンポイント着陸成功

日本航空516便の乗員・乗客379人は衝突から3分で全員が脱出用スライドから避難した。

能登地方で震度7の地震

東京30度観測史上最も遅い真夏日10月19日

日本少子化過去最少75万人

日銀による利上げ17年ぶりで、世界的にも異例な対応が続いてきた日本のマイナス金利が転換

4月円安がさらに加速して、1990年4月以来、34年ぶりに1ドル=160円台をつけた

日経平均株価の終値は4400円を超えるかつてない急落
日経平均株価がバブル絶頂期の水準を超え世界的に株価が暴落した1987年のブラックマンデーの翌日につけた
3836円を超えて過去最大の下落幅を記録した

日本で開かれた「日本・台湾イノベーションサミット2024」会議

ウクライナ大統領と日本がイタリアで首脳会談を行った
岸田総理大臣から、ウクライナの復旧・復興のための支援を強化する

運輸・建設・医療の3業種で、働く人たちの時間外労働、つまり残業の上限規制が始まった
建築費、橋やトンネルのインフラ修理費高騰、円安などによる資材、人件費の高騰も背景にある
日本郵便は手紙の料金を84円から110円に





追加:
フィギュアスケート女子、16年ぶり坂本を中心に、松生、吉田が表彰台を独占
Japanese sweep at ISU Grand Prix Skate Canada!  26 Oct 2024
坂本1位 千葉2位 青木3位 日本勢表彰台独占
第4戦NHK杯 09 Nov 2024

 


日本の囲碁棋士、一力遼(河北新報社 取締役 )が19年ぶりに世界一を獲得。9月8日
日本出身で限れば1997年富士通杯の小林光一以来。
ビッグタイトルの応氏杯で“AIを超える”と驚嘆される一手を繰り出し、優勝を果たした。
囲碁界の伝統を時代に合わせて改革するとともに、独自の手法でAIも活用した。



米国女子プロゴルフで西郷選手が新人賞と
古江選手が平均ストロークNo.1のベアトロフィーを獲得した。
尚、写真中央のタイ国 ジーノ・ティティクル選手は最終戦で
優勝し、優勝400万ドル(約6億円)のビッグプライズを得た。

尚、日本人の年間獲得賞金額は(150円/1ドル)
笹生選手290万ドル、(4億3千万円)4位
古江選手280万ドル、(4億2千万円)6位
渋野選手170万ドル、(2億5千万円)14位
西郷選手160万ドル、(2億4千万円)16位
参考に日本の女子プロゴルフでの年間最高獲得賞金は
竹田選手の8回優勝で2億7千万円だった。
2位3位は小祝選手と山下選手で共に1億7千万円だった。
尚、渋野選手、西郷選手は共に今年の優勝回数はゼロだった。


lpga 2025 category15    money-and-finishes2024
        


ノーベル平和賞授賞式






男子プロゴルフ
日本ツアー賞金王・金谷拓実PGA挑戦権獲得










米国プロ野球で大谷選手が年間MVPを獲得した。

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心の中から湧き出るアトラクター

2024年09月29日 | 記事のコメント
2つの無秩序 x振動とy振動、
例えば「暖かさ」と「光」の刺激から、
ろうそくの明かり(x-y空間のアトラクター)という
秩序化した灯が心の中で浮かび上がる。




同じく大空に表れる虹での具体例
虹と美しさといった(無秩序な振動)刺激の
重ね合わせによって出現する、(心の中で感じる)
アトラクターによって、
それが湧き出る感情となって現れる場合がある。

人間は虹を見ることにより
「虹」と「美しさ」の刺激が重ね合わされて
秩序化が出現し、それが内面から湧き出る
ポジティブな動機・活力となって表れる。



そもそも無秩序といった刺激の要素だけでは
秩序化が生まれない。
無秩序の重ね合わせによって、すなわち
これを自覚し、意識化することにより、
美しさや幸せという秩序化がアトラクターとなって
心の中から湧き出てくる。
「心で感じる美しさ」とは
ポジティブな湧き出る感情が秩序化して現れているのである。
その自由なプロセスが幸福へのプロセスとなっている。
それにより
美しさが見えたり、幸せを感じたりするわけだ。
こうしたプロセス感情や動機の出現を眺めてみることだ。
その様な無秩序から生まれる仮想現実が、
人間の獲得した幸せの認知革命だ。

下図は津田一郎中部大教授が示した
竜巻における3次元アトラクター例である。





ところで脳細胞の中でも
眼や耳からの刺激にる神経伝達アトラクターが形成されているといわれている。

子供がブランコして楽しいのは、上下に揺れる物理的な刺激によって、
即ちスウィングの重力刺激と目で見える景色変化の刺激によって
心の中から湧き出るアトラクター(楽しいという秩序化)を自覚するからだ。

無秩序から形成される秩序化への気付きや自覚がなければ動機につながらない。
要は、目の前にある幸せに気付かなければ、幸せになれない。

大人のブランコ(精神的な刺激・振動)でも、
~しないといけない、~しなくてもいいの振動刺激。
へんなことにむきになる、いちいちこだわらないという振動刺激。
豪華絢爛と繊細優美(清楚端麗)というそれぞれの無秩序な振動刺激。
あるいは読書によっても、
登場人物に自分を重ね合わせることで刺激が伝わる。
目に見えないものでも、思考を眺めることで
前頭前野に現われてくる秩序化したアトラクターに気づければ、
その心から湧き出るものが自覚される。

これらは
過去の失敗や将来の不安に駆られたときに、
一日一日、積み重ねて生きている
今の自分に向き合うことができる。
あるいはまた
自分を変えてみることにもつながる。
住む場所を変えてみるだけでなく、
こうした思考のブランコによっても実現する。
要は、
危機管理器官の扁桃体ネガティブ思考一辺倒から
前頭葉思考による秩序化を眺めてみることで
カオスの中での自由な世界から
自分を変えてみることの一例だ。










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正しさや快適な環境は幸福と関係しない

2024年09月02日 | 読書・TV感想
動物学者ジョン・B・カルフーンの行った実験「ユニバース25」は、
ネズミに好きなだけの餌と水を与え、快適な環境で育てたら
どういう社会をつくるか? という実験だった。(1968~)

JBカルフーン博士の実験
Universe25
 
私たちの生活は衣食住が保証され、
至る所にコンビニとスーパーがあり、
冷暖房は完備され、非常に快適だ。
ネズミたちにも同様に非常に快適な環境が用意された。
ネズミにとってのパラダイスが実験施設ユニバース25だった。

 しかし実験はおよそ人間の想像を超える経過と結末を迎えた。
パラダイスのはずのユニバース25で、すべてのネズミが殺し合い、
やがて子供を産まなくなり、全滅したのだ。
同じ実験を25回繰り返しても結果は同じであった。




ネズミの実験は、いくら正しくて快適な空間であっても、
移動しなければ(閉鎖空間内では)変化が生まれない。
その結果、絶滅を迎えるというものだ。

人類はアフリカ大陸から各地に移動することで
進化を繰り返した。
特にホモ・サピエンスは
国家や貨幣、神という虚構を共有する能力を
(突然変異という)進化によって獲得したことが
大きく寄与したとされる。
例えば
守護神の共有によって大集団での役割分担が可能となり
一体感の共有によって、適材適所による効率的な
組織運営が可能となったとされることだ。
やがて
ホモ・サピエンスが地球上で最強の生き物となり、
ネアンデルタールをはじめとする多くの種族は
途絶えてしまうこととなった。




進化は環境の変化によって育まれる。
生き延びるには
新たなる秩序や創造・改革改良が必要なのだ。
「同じところに居続けたのでは争いや育児放棄によって
ネズミ同様の結果、絶滅を迎える」のではないか?

人間の意識も同様であって、
双方が正しいとする一極集中のような
いつまでも同じ意識のままでは、
虚構の共有に齟齬が生まれ、争いが生まれる。
例えば保守とリベラルの対立のように。
一人で生きるのであれば争いは生まれないが、
問題は多くの人間が共助・役割分担による
集団社会の中で生きる場合だ。
その場合
「悪貨は良貨を駆逐する」であって、
悪い価値判断のほうがラクで楽しいから
そうした虚構の共有といった一極集中の状態に
固まってしまうのはネズミと同様の結果で
危険であるということかもしれない。

社会組織の移動を繰り返すことは困難であるため、
争いを避けるために日常での試行錯誤が必要だ。
そこから生まれる虚構共有以外の意識変化、
尊重すべき共通の価値判断が必要ではなかろうか。


空観方程式では
対立ではなく重ね合わせの状態での思考だ。
例えば動的平衡状態のようなものだ。
生きるために壊すという思考である。
壊すことで生命を維持する。
解体と構築とを繰り返すことで新たな秩序生み出す点だ。

鎖国制度の下においても我が国は
武士道と呼ばれる組織・秩序を守ってきた。
自由や平等の観念が犠牲となるけれど、
士農工商、本家分家の区別を守ることで
対立が生まれることを避けてきた。
しかし進化の法則と同様に、産業革命のような
黒船来襲による外部環境が変化を促し
選別・淘汰の試行錯誤により、従来の身分制度を一掃し、
解体することで
新たな国家秩序を生み出した。

正しく快適な秩序を壊すことなく、
維持しようとすることの方がむしろ危険である。
だから生きるとは、幸福とは、
積極的でも能動的でも共通して
「試行錯誤を繰り返す」ことなのかもしれない。



参考1
TVドラマの中でも、
変化によって新たな秩序が生まれることを
取り上げている。



参考2
求める幸福のかたちも、幸福を手に入れる方法も人それぞれだ。
しかしながら著名な哲学者のアランやラッセルに共通しているのが、
外に目を向けて意識の変化を求めることだ。
じっとしたままでは幸福になれない。
幸せになるために「外に目を向ける」とアランが言う。
また、ラッセルも
不幸になるのは自分の内ばかりに目を向けて主観的になっているから。
そして幸福になる方法は、外に目を向けて“客観的に生きる”ことだと唱えた。
主観的なとらわれ(感情主体の偏桃体思考)から逃れ、試行錯誤の繰り返しで
心のバランス(スロー思考とファースト思考)を保つのを助けてくれる。




八王子方向の雷と虹

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保守とリベラル

2024年07月10日 | 読書・TV感想
保守とリベラルとの選挙が世界中で生まれている。
戦争、核兵器反対、差別反対と、仮に実現困難であっても
「正しいことを言い続けることが大切だ」がリベラルの主張で、
「いくら正しいことを主張しても実現できないのであれば価値がない」
が保守の主張である。

確かに平等は正しい。
細胞レベルでは西欧人も東洋人も、障害者も健常者も、男も女も、
黒人も白人も区別はない。従い差別はあってはならないことだ。
しかし現実には2
車の免許には視力検査があって差別が行われている。このように
社会での生存には、社会と折り合いをつけながら生きている存在だ。
正しくても実現できなければ意味がない。
そうした現実に目を向けるべきだ。リアリズムと呼ばれる考え。
それが人間存在の根本だ。

「幸せ」は人々によって異なるものであり、
個々の価値観や経験によって定義される。
幸せは個人や文化によって異なるが、
共通の要素として、自己の満足感や希望を持つことが
挙げられている。
大前提として
「人間存在とは何か」という根本的な問題に関連してくる。

要は
今(の現実)を重視するのか、
魂(思い)を重視するのかである。






「現実よりも希望や正しさの方を優先する」
希望や夢を抱き続けることが幸福だ。
戦争反対と言い続けることが重要だ。
観念としては宗教に近く、リベラリズムと呼ばれる。
一方では
「何が正しいのかよりも、何が本当なのかが優先される」
実現しないものに価値はない。
戦争・核兵器反対と言い続けるよりも、
具体的に何をやれば、
どうすればそれらは実現するのかが優先される。

人間は何に力を注ぐべきか。
国家も同様に国力や経済力このような現実優先が保守と呼ばれる。
何が実現できるものなのか、自己利益の優先である。
それが幸せにつながるという考え。
従い、実現できないものはあきらめ、次の道や別の道に進む。




結論:

仏教でいわれる「こだわり・執着を捨てる」とは
偏桃体思考から離れることで、
得と感じるか、損と感じるかの参照点(基準)を
下げることで幸せを感じる、すなわち
ノーベル賞学者ダニエル・カーネマン博士の言う
「参照点の違いによって、人の価値判断は変化する」
である。



幸せの基準値「参照点」が低い人が幸せになる。
これは前頭葉(スロー)思考によって可能であり、
それにより初めて幸せをもたらす。

戦争・核兵器反対と言い続けるよりも、
今何をすれば、
どうすればそれらは実現するのかが優先される。
人間は何に力を注ぐべきか。
国家も同様に国力や経済力このような現実優先が保守と呼ばれる。
何が実現できるものなのか、自己利益の優先である。
それが幸せにつながるという考え。
従い、実現できないものはあきらめ、次の道や別の道に進む。
自己利益優先の考えで、米国ではトランプの存在が象徴的だ。
英国やフランス選挙のように、世界中でどちらを優先すべきかの選択が
今盛んにおこなわれている。

こだわりを抱き続ける(リベラル)、こだわりを捨てる(保守)。
二者択一ではなく、双方を取り入れることが幸福につながる。






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幸せな気分になる人

2024年06月14日 | 読書・TV感想
幸せな気分になれる人
身近にある小さな幸せを見つけて満足する、
あるいは
どうせ死ぬのだから
好きなことをしてワクワクした思い出づくり。
または
このような偏桃体思考から離れることで、
得と感じるか、損と感じるかの参照点(基準)を
下げることで幸せを感じる、すなわち
ノーベル賞学者ダニエル・カーネマン博士の言う
「参照点の違いによって、人の価値判断は変化する」
から
幸せの基準値「参照点」が低い人が幸せになる。
このような
前頭葉思考が安心をもたらす。


一方、
飛行機をキャンセルしたことで助かった!
「生きているだけで丸儲け」
こうして死期を自覚することは、
どうでもいいことに時間を使わないようになる。
それは自由で幸福なことだ。ハイデガー

こうした
奇跡的な幸運に恵まれなくても、
老人に対して「生きているだけで丸儲け」
の合理性を発見した。

ウサギのような弱い動物の群れは
生き延びるために老ウサギを大切にする。
それは猛獣に襲われた時、
老ウサギが犠牲になって子ウサギが助かるからだ。

ホモ・サピエンスにも生き延びるために
ウサギの群れのような
子供の命を守るために老人を大切にする
その遺伝子がつくられているから、
今でも
「老人は子供を守るために価値ある存在だ」
皆んながそう思って生きている。

現代において
老人が子供を守る事態が本当に来るのか?
それはどんな事態なのか?
誰もわからなくても問題ない。
老人は価値ある存在だと思えれば良い。
それがダニエルカールマン博士の
いつか来るかもしれないうわさ話を信じる
前頭葉(スロー)思考の合理性だ。
同時にこれが老人に対する
「生きているだけで丸儲け」の合理性だ。
そしてそのことに感謝できれば最高の気分となる。

いずれにせよ、すべてが
幸せになることを捨てて、
幸せを感じる生き方だ。





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空海の「虚往実帰」

2024年05月05日 | スクラップブック
老子の言葉で
 人に魚を与えれば一日生かすことができるが、
人に魚釣りを教えれば一生養うことができる。
というのがある。

この逸話(教訓)は
モノにすがって生きることを戒める道徳とは異なり、
メンタル的な面での解決策、
それにより救済される場合がある。
道徳だけでは解決策にならないという主張だ。

例えば、
自由主義のみでは損得勘定優先となって
損した得したに媚びるようになる。
結果的に「魚をもらって得したような気になる」
知らず知らずに自由からは逸脱し、
損得に媚びた不自由な身となる。
自由を維持するためには
モットモットの意識だけでは危うい存在だ。
捨てるという意識・感情も必要だ。
「もらうことを捨てれば(魚釣り方法を)得ることになる」
呼吸と同様、吸うだけでなく吐く(捨てる)ことも必要だ。
あるがままを捨ててこそあるがままとなれる。
ハッピーを捨ててこそハッピーになれる。
純粋を捨ててこそ純粋になる。
悟りを捨ててこそ悟れる。
不完全なものの可能性により、
完璧を捨ててこそ完璧となる。
モットモットを捨てることで儲ける。
そこから
「生きているだけで丸儲け」といった
心の変化が生まれる。



美徳や理想の観念(魚を与える)だけでは
パワーにならないし、
いつまでもひたすら堪えて待つ思いだけでなく、
心の変化が可能となる対処法(魚釣り方法を)も必要である。
要は
感じる(観じる)心で見えてくる。
それを実社会に活かすことだ。

色即是空
空即是色 

実社会から仮想空間に赴き、
空から実社会に帰るという空海の「虚往実帰」に
通じる言葉でもある。




ところで
「誰かに頼ったり、誰かに頼られたり」
この二項で人間関係が生まれ、そこからの道徳だ。
生まれて死ぬまでの長期にわたる関係で、
道徳通りにはいかない場合も多くある。
たとえ失敗しても、あるいは生きづらさを実感しても
メタバースと呼ばれる仮想空間で希望を取り戻して、
実社会に帰ってくる方法が「虚往実帰」だ。
「実」である現実世界と「虚」である仮想空間、
片方だけでは関係・改良は生まれない。
心の持ち方には双方による動的平衡が必要だ。
こうして対立二項での共存作用がとても重要だ。
それを「融合」や「重ね合せ」と呼ぶ。
例えば波動の干渉は仮想空間での演算により
実体空間で波の強度として現れる。

量子の世界でも、
スピンの回転方向が、
左と右の対立した形で共存している場合がある。
「重ね合せ」と呼ばれる。
量子コンピュータはこれを利用して、
0と1とを一体化させて重ね合せた形で
計算を実行する。
その計算結果だけが現実社会へ提示される。
ここでも「虚往実帰」だ。

 


 現実社会で人間が考え、
その正しさにこだわろうとするのが
道徳のような一極集中型で、
例えば民主主義、権威主義、全体主義、共産主義など、
いずれも後戻りのない決めつけ型の一極集中だ。
しかし
たまたま運良く旨くいった方が褒め称えられ、
運悪く旨くいかなかった方はすげ替えられるだけの話だ。
要は正しいから良くなることではない点だ。
だからこそ問題は膨大の数の日常だ。
そもそもいちいち正しいかどうかの合理性について
検証するわけでもないし、
即断即決の扁桃体思考に加えて、
感情による評価ミスで多くの トラブルが生まれる。
そして正しいかどうかではなく、
運が良かったかどうかで決められるのであれば、
結果として
運悪く全てを否定されたとしても、
信じるものがなくなったとしても、
絶望回避する方法に、
メタバースのような仮想空間での
自分の思考を自分で眺める方法だ。
つまり、魚の釣り方である
心の変化が可能となる対処法だ。

仮想空間では、
過去の人々との相互作用によって、
「感じる(観じる)心で見えてくる」
そこから夢や希望を取り戻し、
実社会に帰って元気を取り戻し、
またダメなときにはメタバースに戻るという
試行錯誤が可能だ。
例えば古来からの試行錯誤では、
「和(重ね合わせによる相互作用)を以て貴しとなす」
日日是好日
これらが「色即是空・空即是色」のリセット思考だ。
若い年代ではやり直しができるから、
何時でも戻ってこられる虚構のメタバースを基地にして
大いにチャレンジしてみることだ。
要は如何にして好ましく捉えられるか、
これが魚釣りの教えなのであろう。
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幸福の原理

2024年04月07日 | スクラップブック
幸福の原理:メンタルの安定と心の平和
それを得るため、メンタルと心の原理を知る。
それによって
原因の一つである評価ミスを防ぐことが出来るし、
同時に
自分の感情の起伏を眺めることでも、
今ある幸せに気づくことも出来るようになる。

頭の毛や唾は普段丁寧に扱われる人体備品だが、
一旦床に落ちてしまえば瞬時に汚物扱いとなる。
これはとりもなおさず
扁桃体の評価ミスで引き起こされている。
同じようにして
扁桃体思考はどうでもいいことであっても、
関わらずにはいられない程の重大事件で、
無視することなどできないと感じるものだ。
これは脳での危機管理に関連する、
進化の過程で培われた
ネガティブな感情を処理する
最優先の独裁者的部位のなせる特性だ。

日常のほとんどが
この扁桃体思考(感情主体の独裁者)である。
心配事に取りつかれ
不安にさいなまれている最中は、
どうでもいいことでも,
おとぎ話であっても
とてもリアルに感じられる。
そしてむしろ
現実化しないことに不安を覚え
悩みとして抱え込む

そのことに気が付かなければ
思い込みのようにして評価ミスを起こす。
「取り越し苦労」で、人生を浪費してしまい、
「いまを楽しみながら生きること」ができなくなる。
(長期化による精神障害の危険)
扁桃体思考は一極集中(何が正しいか)の
効率優先であって、
生きる意味の合理性(何が本当かの試行錯誤)
にまで深められない。
合理的な思考による一極集中化であれば、
気が付くことでリセットして
引き返すことができるが、
扁桃体思考による評価ミスから進んでしまった
一極集中化では、
気が付かないままで進行するので、
元の状態に戻るのが極めて困難だ。


扁桃体思考を抑制するためには、
前頭前野を刺激(前頭葉思考)することだ。
例えば
眼に見えないものに価値を見いだす
合理性による評価判断だ。
自分に正直に生きる幸せ、
目的を持つことが幸せ
感謝する幸せ、
人のため、人を幸福にする幸せ
家族と一緒にいる幸せ
などについてだ。


参考:
感情主体の扁桃体思考における象徴的な具体例と特徴
マネーによる幸せ(比べてみるための眼で見える幸せ)
刺激的な幸せ(比べるために普通のことに満足できない)
この様なことには限りがないこと(長期化の危険性)であり、
苦しみを生むものである。
しかも心の安定とは関わりのないことである。

改善することと否定することは異なる
ダメな・無価値な人間だ、ではなく
価値ある人間だと肯定する。
自然を眺めるように、自分の気持ちの起伏を眺める。
自然とのつながりに気が付く事、
自分のこだわりを他に委ねる事。




余談:
西欧の個の意識や主観・観念は我執・こだわりである。
一方、我が国での基本は我執・こだわりを捨てて、
自然と(善と悪とが)一体となる(無分別の)観念である。
それによって
新たに生まれた秩序で悩み・争いから解放され救済される姿勢だ。
善を行うとかえって対立を生むことがあるからだ。
(扁桃体思考により何もしない人間が悪に見える)
善いことの意識(分別することや自己都合)を捨てることで、
初めて真の善となる。(善と悪の一体化)
息を吐く(捨てる)ことで息を吸うことができる。
「吐くことと吸うことは一体である」
ハッピーでなければいけないと思っている限り、
ハッピーになれない。
「ハッピーを捨ててこそハッピーになれる」



2024年4月7日 日野市
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長期の扁桃体思考によって生まれる心の汚物

2024年03月13日 | 記事のコメント
悩むことと考える事とは異なるので、
この違いを良く認識すべきである。
悩むとは一つのことにとらわれて、
くよくよと或いは
ぐるぐる堂々巡りする状態を
扁桃体思考(一極集中の状態)といい、
一旦リセットしながら思いを巡らせ
考える状態の思考を
前頭葉思考(試行錯誤の状態)という。

感情は
ホモ・サピエンスの大脳周辺系の発達(突然変異)と
大いに関連しているとされる。
主に扁桃体(刺激反応)、とともに
海馬(記憶)、帯状回(痛み)の発達だ。
これらの要素としては
集団社会とのつながりや言語の生成などから、
一極集中や試行錯誤に関与する。
「認知革命」と呼ばれているもので、
集団の中での問題解決能力や共感能力の獲得である。
しかしこれらの獲得とのトレードによって、
人間は悩みを抱えることとなった。

扁桃体は、生存に関わる重大なものかどうかを
一瞬のうちに評価する機能だ。
集団生活における安心や恐怖、
好き嫌いの反応が扁桃体に任されているので、
特に怒り・悲しみの様なネガティブ感情の
コントロールには心の安定が必要である。
こうした判断や決断が
感情に振り回されない様にする為には、
扁桃体の活動を制御することが必要だが、
身の安全を司る進化により制御不可能だ。
そこで感情の独裁者とも呼ばれる。
従い感情の管理者と呼ばれる前頭前野によって
制御するしかない。

   

悩むとは考えるとは異なり思い込みから始まり、
一極集中化へ進行して行く過程と同じだ。
悩みの多くは扁桃体思考といって
人間の感情をつかさどる部位で起る。
元来は進化の危機管理のために発達したもので、
瞬時の対処ができるようにするための機能である。
深い考察は行わず、
とっさに行動するための機能である。
(思考の停止・固定)
眼に見えない現象でも最悪のケースを予見して、
回避行動を起こそうとする部位だ。
したがって
前頭葉のような時間のかかる合理的な機能を司る、
考える部位と違って、感情による判断ミスを起こす。
例えば
口の中にあるはずの唾が床に落ちれば、
本来非常に貴重なものであるにもかかわらず
汚物と判断して捨ててしまう。
あるいはまた
オリンピックのメダリストにもかかわらず、
銀メダリストになると不幸になるという
他との比較で自己蔑視してしまう原因も同様だ。
この直感主体の扁桃体思考で行われているために、
判断ミスをして
不必要な心配事や悩み事を抱えてしまう。
感情がそういう思考に仕向けてしまうのであって、
特徴的・象徴的な例を挙げれば、
「みんなで渡れば怖くない」
英国ヘンリー王子の「スペア」等々
日常生活のほとんどがこうした扁桃体思考なので、
一人でいる時間が少ないと
スロー(前頭前野)思考の機会も少なくなって、
扁桃体思考であふれてしまう。

ダニエル・カーネマンという
ノーベル賞心理学者が云う、
「心配が現実化するわずかな可能性」を、
心は無意識に探し続け、私たちはそれをまるで
「確実に起こること」であるかのように受け止めてしまう。
心配ごとに取りつかれ不安にさいなまれている最中は、
それがとてもリアルに感じられる。
「取り越し苦労」で、人生を浪費してしまい、
「いまを楽しみながら生きること」ができなくなる。
「私たちが日々心を悩ます心配事や悩みの多くは、
かなり的外れで、ほとんど現実化しない」

人間の観念や正義では
何かにこだわった状態であって、
暴走状態になる危険な状態だ。
何かにこだわってしまう状態とは
扁桃体思考のことでもある。
同じく何かに悩むことでも扁桃体が関与していて、
後戻り困難な一極集中化へと進む端緒となる。
いずれにせよ扁桃体だけで長期に考えないことだ。
インプットされた情報には
感情の判断ミスかもしれない不安の原因を知り、
あるいは心の底を打ち明ける能力だ。すなわち
ミスでなければその感情を適時・適所にて
吐き出すことで、なんとか感情をコントロールできる。
ただし吐き出すときには
汚物をまき散らさないようなマナーが必要だ。<参考>
いずれにせよ
常に理性(前頭葉思考)と感情(扁桃体思考)との
バランスが必要である。





参考:大愚 元勝 福厳寺住職。
「心の炎症」を整える
感情と理性との戦い
我慢するのではなく
心の汚物(エネルギー)を吐き出す処の
オブツダン「御仏壇」。
何時間でも、何回でも聞いてもらえる場所だ。
感情はやり過ごす。
そして理性は決して失わないことだ。
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生きているだけで丸儲け

2024年03月01日 | 読書・TV感想
日々是好日は
「生きているだけで丸儲け」の生き方でもあり、
あるいは
今日という日は二度とない、
今日しかないと思って全力で生きる。
というこだわりの一極集中型の要素でもある。
ところで「生きているだけで丸儲け」の中には
得した損したこだわりの感情も存在している。
「生きているだけ」ではない、こだわりの感情の中で、
災害のような大損失に見舞われた時にはどうするかだ。

問題は日々是好日の
「どんな日でも毎日が好い日だ」では
済まされなくなった時にどうするかだ。

一方で「今日しかない」「今日だからできる」
というこだわりの一極集中で過ごしているうちに、
くよくよ考えること(偏桃体思考)が自然に
なくなることもある。
こだわりのような一極集中型がリセットされている状態だ。
「生きているだけで丸儲け」においても、
儲けていると思っているから
損した得したのこだわりがなくなる。

さて、生命が生きるために選んだ堅牢ではなく破壊、
つまり生きるために壊し続ける動的平衡状態のように
良い悪いではなく、損した得したでもなく、
一極集中か試行錯誤かではなく、
ハッピーかどうかでもなく、
人間の観念とは関係のない
自然の営み、外部環境によって
生き残りやすかったどうかで決まる場合もある。
要は単に「生きているだけ」なのであれば
儲けは捨てた状態だ。
捨てたことによって初めて儲けとなる。
こだわりを捨てるというこだわりだ。
義なきを義とす:親鸞のスタンスだ。
人間の観念に対応する外部環境は
無限に存在するから、その結果、進化のように
無限に枝分かれさせる要素が生まれている。
したがって
何が正しいのか、何が楽しいのか、何が得するのか
のこだわりではなく、
何を選択すれば生きやすいのかで決まる。
要は動的平衡によって、
こだわりを捨てるという
一極集中で生きているうちに
一極集中(こだわり)が消える現象だ。

なにも人間が決めつけることをしなくても、
自分の直感(扁桃体思考)による決定のエラーを
修正することや、こだわりを捨てて、
自然に任せながら後戻りやリセットを行う
試行錯誤や試考錯誤の前頭葉思考だ。つまり
善い悪いの中で生きているうちに
善い悪いのこだわりが消えてしまう。
具体的な前頭葉思考は
他人と相談する、書物やAIの様な他の考えを利用する。
何が正しいかではなく何が本当かを観察してみる。
何が本当に生きやすいのかを体現してみる。

感情をつかさどる扁桃体思考と
合理性を追求する前頭葉思考の均等化が
大切だ。
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ファースト&スロー

2024年02月26日 | 読書・TV感想
感情をつかさどる扁桃体思考と
合理性を追求する前頭葉思考の均等化が
大切だ。

日常ではほとんどが扁桃体思考であって、
健康やマネーがいくら合理的だとしても
日常が楽しくなければハッピーにはならない。
問題は困難と遭遇した時に
扁桃体思考だけで乗り越えようとしないことが
重要だとノーベル賞心理学者D.カーネマンが言う。
ファースト&スロー、2014より
精神科医によれば
ファーストが扁桃体思考にスローが前頭葉思考に
対応するのだそうだ。

前頭葉思考は怠け者で
意識的に努力しないと働かない。
しかも疲れると働かないという特徴がある。
したがって日常のほとんどが
扁桃体思考の独裁者に支配される。
これが一極集中の形骸である。
戦争反対と叫ぶだけでは感情支配による
扁桃体思考のままの一極集中型だ。
これではコンサートホールで盛り上がるのと
変わりがない。
悩み(ファースト)は考える(スロー)と異なり、
扁桃体思考であり堂々巡りしている状態だ。
本質は(前頭葉思考)どうすれば戦争が防げるかである。
一極集中(ファースト)から試行錯誤(スロー)への
切り換えが大切だといわれる。
また、何が正しいのかがファーストであり、
何が本当かがスローに該当する。
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何が本当なのか

2024年02月05日 | 記事のコメント
何が正しいのか
ではなく、
何が本当なのか
に注目すべきである。

「戦争反対」は正しい
従い非武装化による戦争回避だ
しかし実際には
ウクライナは武装していなかったために
ロシアに侵攻された
すなわち
「武装強化することで戦争が回避される」
が本当のことだった。


「平等」は正しい
しかし実際には
車の運転には
十分な視力を持った人のみが運転できるように
視力検査が行われる。その結果
不合格者は差別され排除される。
すなわち
「安全のために平等は制限され差別する」
が本当のことだ。


「多様性社会・多文化共生」は正しい
しかし
単一民族である日本に対しては
多様な文化・文明が存在することが善と信じ、
日本という固有の文明が
グローバル全体主義に飲み込まれることを
阻止したいと一部において考えられている。
すなわち
「日本独自の文化のために多様化は制限される」
が本当のことだ。


「車の排ガス規制」は正しい
従いEUにおいて車のEV化が進められた。
しかし実際には
発電所において
発電時にCO2が排出されているし、
なおかつ
バッテリーの製造時にも、あるいは
廃棄時にもCO2がより多く排出されている。
さらには
EV車の充電時間が長い、
充電設備のインフラ投資、
あるいはコスト問題
エネルギーのロシア依存や
中国のEV車進出の問題、
なおかつ
ドイツ、英国の車産業での雇用不安により、
「EV車はガソリン車より多くCO2が排出されている」
が本当のことだったことが
明確化してきた。


君主は善良で慈悲深い人間である
従い
「このことを称賛すべきだ」
は正しい。
しかし
イタリアの哲学者マキャベリは
現実を見れば
そうした君主は必ず没落するとして、
「愛される君主より
恐れられる君主のほうが安全だ」
が本当のことだと主張した。


「物事をプラスで受け止める、
過去にこだわらず今を楽しむ、
許すことを学ぶ、こうした習慣が
幸せにつながる」は正しい。
しかし
ノーベル賞心理学者である
ダニエル・カーネマン

幸せかどうかは、
正しいか正しくないかよりも、
何が多くの習慣となっているかよりも、
「何が記憶に残っているかによって決められる。
記憶に残らない経験は
どうでもいいものとなる。」が本当だ。
何故山に登るのか?
つらい苦しい(経験の)登山であっても
最後に目的地にたどり着いた記憶により
すべてが幸福に包まれる。


「心身が健全であることが幸せである」は
正しい。しかし
ノーベル賞心理学者である
ダニエル・カーネマン
幸せかどうかは、
経験よりも記憶のほうが優先される。
従い
どれだけ長い間幸せだったかよりも
どれだけ満足だったかが優先される。
すなわち
「オハイオに住むより
カルフォルニアに住んでいるほうが
幸せだと感じる。
つまり、
健康やマネー、学歴の経験(総量依存)よりも、
「日常生活にて満足できている(無苦痛依存)と
感じられるほうが幸せだ」が本当である。
したがい
政治政策は
苦痛を減らすことを目標とすべきで、
幸せは
自分の好きなことをする時間を増やせばよい。


「心がきれいな人に出会えれば幸せである」
は正しい。
しかし
親鸞聖人は
全ての人に「清浄の心無し」といい、
「心の中を他人には見せられない」
が本当だ。
かつ、心と言動とは異なるものだ。
すなわち
「真実の心無し」も本当だという。
このような人間の姿は
昔から変わらないし、変わりようもない。
にもかかわらず
仏から賜った「真実の心」の本質により
仏の真実信心にあるがままに接することで
(悲痛な声に耳を傾け寄り添っていただき、
苦痛が減らされたことにより)
心が汚いままでも救済され、
本当の幸せになった事に感謝する。
これが浄土真宗親鸞の教えとなった。



「雇用多様化政策」は正しいことだ
しかし
能力主義は人種差別だとしてアメリカにおいては
能力ではなく肌の色で雇用を決めて
かえって「人種間の溝を深め、黒人暴動が激化した」
が本当のことだった。

アメリカにおけるCRT
 (Critical Race Theory 批判的人種理論)
「マイノリティーを優遇すべきだ」は正しいことだ
白人であるだけで特権を得てきたのだから
マイノリティーを優遇して贖罪すべきだ
しかし
BLACK LIVES MATTER により
実際にはマイノリティーを優遇した結果
「米国社会が分断された」
が本当のことだった。


参考
近年の警官による殺人のうち、
黒人が犠牲となった比率は白人の約2∙5倍。
また、黒人が逮捕され収監される比率は白人の5~6倍で、
これは黒人男性の3人に1人、
トランスジェンダーの黒人女性の2人に1人が
一生に一度は刑務所を経験し、
黒人女性の2人に1人が伴侶を収監された経験を持つ計算である。

コロナ禍の人種格差も明らかになった。
米国疾病予防管理センター(CDC)の2020年8月の統計によると、
黒人の陽性者率は白人の2∙6倍、入院率は4∙7倍、死亡率は2∙1倍。
社会のインフラを支える仕事に従事する人や、
人口過密な貧困地域に住むことを余儀なくされている人が多く、
医療保険未加入率が高いことも格差の一因だった。


大国のGDP





中国の状況 (2024年1月)
「コロナ禍でも経済活動は適切であった」
しかし
何が本当なのか?
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日本での国民性の歪み

2023年12月16日 | 読書・TV感想
2023年12月15日は
記憶に残る日となった。
大谷選手のドジャーズ入団会見と、
日本での国会議員裏金疑惑の報道が
重なったからだ。
要は
金に対する無執着さと金に対する執着とが
重なった状況だ。
問題は20代の若者が金にこだわりのない
野球へのひたむきさと、
60、70代の老人が金に執着する
醜い姿とが折り重なっていたからだ。
特に老人が金に執着する姿ほど
醜いものはない。
その老人たちが政治家だったというから
さらに驚きだ。

法律を作る政治家が金のために法律を無視し、
一方、大谷選手の野球プレーにこだわった
歴代最高の契約金1000億円は、
契約終了まで無利子での
後払いにしたという内容だった。



年を取って老後を迎えれば、
平穏でのんびり過ごせる姿を
若者に見せるだけで、
老人の役割は果たせる。それには
食うだけの金があれば十分で、
それ以上の余剰は不要だ。
70歳前後の政治家が
自身の裏金作りに奔走している姿はまさに
恥の概念が消滅してしまった姿だ。
この国のモラルが崩壊し、世代での役割が
ねじれた状態となってしまっている状況を
どう立て直せばよいのか。


白熱教室でのサンデル教授が大谷選手について
紹介する。同時に日本人の国民性について、
自分より他人との共同性、
「助け合い」「おかげさま」の精神だという。
また、大谷(日本人)が持つ優れた能力
礼に始まり礼に終わる姿。
ひたむきに努力する姿勢と成功した後でも
一人で成し遂げたものでないという
謙虚な意識についてだ。



これは
「日日是好日」の関係にも当てはまる。
若者のスタンスでは現在を採用する。
過去や未来にこだわらず、今日こそが良い日だ
という一極集中型だ。





一方、老人ではいつでも良い毎日だという
道徳型の姿勢だ。



これこそ
老人と若者の世代間での役割分担の姿ではないか。
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