「美しい花がある、花の美しさという様なものはない」 小林秀雄 のことば
花が美しい(観念)のではなく、美しい花がある(本質)のである。
本質が先にあって、その後に観念が従う。
即ち
正しいか正しくないか(観念)ではなく、何が真実か(本質)である。
例えば
正しいか正しくないかの「理念」で生きるときは、
正しいと思い込んでいるが故に、自我の都合や情念によって、
正しいと思った立場を変更できなくなってしまう。
正しいことであるから
突き詰めれば突き詰めるほど破綻に向かって進むのであって、
幕末の尊王攘夷などが象徴的である。
正しいか正しくないか(観念)だけでは持続性はなく、
物事は何が真実か(本質)が先にあり、その結果何が現実なのか
と共に一体でなければならぬ。
満州事変しかり、真珠湾攻撃しかり
このたびの朝日、毎日新聞のコロナワクチン予約システム不備報道も
同様である。
即ち予約システムに不備があることは正しいのだけれども、
現実は「ワクチン接種をいち早く実施する」というのが本質であり、それが
現実なのであって、予約システムが正しいか正しくないかだけの
一面だけを取り上げてそれを報道してしまった。
自分は正しい事をしているのだ!正義を貫くのだ!という思い込みがそうさせる。
自我の都合だけで観るから本質を見失う。こだわりやしがらみがそうさせる。
物事は自と他との一体、本質と現実の二元性の基で評価すべきなのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/41/2e/cd9776a81fbc82c65ce822cf5dacd041_s.jpg)
空観方程式では
「色即是空」のみならず、「空即是色」と一体で物事を観る。
あるいは
物事は「諸行無常」のみならず、「諸法無我」と一体である。
花が美しい(観念)のではなく、美しい花がある(本質)のである。
本質が先にあって、その後に観念が従う。
即ち
正しいか正しくないか(観念)ではなく、何が真実か(本質)である。
例えば
正しいか正しくないかの「理念」で生きるときは、
正しいと思い込んでいるが故に、自我の都合や情念によって、
正しいと思った立場を変更できなくなってしまう。
正しいことであるから
突き詰めれば突き詰めるほど破綻に向かって進むのであって、
幕末の尊王攘夷などが象徴的である。
正しいか正しくないか(観念)だけでは持続性はなく、
物事は何が真実か(本質)が先にあり、その結果何が現実なのか
と共に一体でなければならぬ。
満州事変しかり、真珠湾攻撃しかり
このたびの朝日、毎日新聞のコロナワクチン予約システム不備報道も
同様である。
即ち予約システムに不備があることは正しいのだけれども、
現実は「ワクチン接種をいち早く実施する」というのが本質であり、それが
現実なのであって、予約システムが正しいか正しくないかだけの
一面だけを取り上げてそれを報道してしまった。
自分は正しい事をしているのだ!正義を貫くのだ!という思い込みがそうさせる。
自我の都合だけで観るから本質を見失う。こだわりやしがらみがそうさせる。
物事は自と他との一体、本質と現実の二元性の基で評価すべきなのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/41/2e/cd9776a81fbc82c65ce822cf5dacd041_s.jpg)
空観方程式では
「色即是空」のみならず、「空即是色」と一体で物事を観る。
あるいは
物事は「諸行無常」のみならず、「諸法無我」と一体である。