空観方程式

「色」と「空」の一体化によって可視化され、相互作用で共感・共鳴が生じ、新たなる思いや生命力が実体化される。

魚を与えるのではなく、魚釣りを与える

2015年08月07日 | 読書・TV感想
老子の言葉で
 人に魚を与えれば一日生かすことができるが、
人に魚釣りを教えれば一生養うことができる。
というのがある。

この逸話(教訓)は知らず知らずのうちにモノにすがって生きることを戒める道徳とは異なり、
メンタル的な面での解決策という一面を含んでおり、それにより救済される場合がある。
道徳だけでは解決策にならないからだ。以下はそうした解決策についてのTV感想である。



モノ(魚)を与えるとは、
モノにすがって生きる」に通じていて、多い少ない、勝組負組、惹いてはあれが悪いこれが悪いの善悪二元の
排除の世界である。
特に注意が必要と思われるのは、悪いことは他のせいにするとか、あれが悪い、これがダメだのように、
全てを観念でとらえようとする場合で、「恨み(うらみ)、妬み(ねたみ)、嫉み(そねみ)」等に結びつきやすく、
従っていつまで経っても安心や喜びが遠のいてしまう。一種のヒステリー的な状態であって、批判ばかりが先行し、
問題なのはこうしてみたい、これをやってみよう、という前向きな意欲に欠ける点だ。
海外においてもアランの幸福論のようなうつ病の認知行動療法に通じるようなメンタル治療法が考案されている。
また、著名な哲学者であるニーチェも「善/悪」の価値観の背後にはルサンチマン(恨み、妬み、嫉妬の感情)
潜んでいると言う。
『ツァラトゥストラ』は人間を堕落させる嫉妬や恨みの感情=「ルサンチマン」をどう克服するかということだった。注1

我が国においても昔から人間関係に深く関係する「うらみ、ねたみ、そねみ」は救われることがない難病であって、
治療が必要であるとの意識がある。
宗教的な観点では、ニーチェよりも、キリスト教伝来よりもはるか昔から、法然、親鸞等による独自の救済思想があった。
なによりニーチェは「神は死んだ」と言ってしまったことで、「ニヒリズム」の心配や「超人」「永遠回帰の思想」など、
病からの克服には自らの大変な努力が必要になってしまった。それに比べれば、法然、親鸞は、称名を唱え信心により
往生できると、誰でもたやすく病から立ち直る方法を編み出した(証明した)点で極めて画期的であった。
「ルサンチマン:難治の機」 藤田徹法住職のNHK日常の仏法より
病には種類があって、その種類によって対処法が異なっている。
(対治:医学によって治療する)、(同治:寄り添って治療する)、(聞治:仏法を聞き、光明を感じることで治療する)

老子の魚釣りの例では他との関係性、即ちコトによっては現実世界に働きかけてくる本願という生命力、
それを感じ取ることで、他のおかげによって生かされていることに気が付く、あるいは聴こえてくる。(聞治)
いわば他からの一体感から得れるものである。
他者とのかかわりによって生かされているから、
お互い様で生かされているから →お返しする、恩返しという感覚が生まれる。
お借りして(客として)いる人生だから、授かった人生だからお任せできる。注3

お任せしようとすれば、
 がんばらなくてよい(なんとかなるさ)
 いつまでも悲しまなくてよい
 善と悪の問題ではなくなる
 自分なりの生き方で納得できる

病からの克服法としてこの様な画期的なセーフティネットの他にも、従来よりの古典的解決策によっても、
善か悪かの観念だけの世界になってしまうことや、何年たっても解決できないというド壷にはまってしまう
こととか、めぐりめぐって戦争に発展する危険性を回避する要素にもなっている。注2
これがいわば魚釣りの部分である。7世紀にはこの方法を求めて玄奘三蔵が天竺(てんじく)を目指した。


他方の悲しみ解決策においては、例えば宮沢賢治『銀河鉄道の夜』 「悲しみを、乗り越えよ」がある。
想像することは現実からの逃避ではなく、明日への希望にもつながっていく。
悲しみにくれていては、なにも始まらない。想像し、自らの悲しみと折り合いをつける方法を見つけたからだ。
悲しみを乗り越える光明、失ったものや過ぎ去ったことよりも、今生きている人達のこと
ほかの人を自分のコトとして考える。<注4>みんながお互いに相手を思いやれば、どんな悲しみも乗り越えられる。
他者とのかかわりによって生かされているから、全ては何らかの関係の中で生きていることを知る。

つまりモノとコトの双方が必要である
ファンタジー と現実との融合、あるいは虚と実の一体化とは「心に伝わるもの」が共鳴して調和し、
ポジテイブなものに変える「色即是空」の部分である。
ファンタジックなものが本当に見えたリアリティとの一体感であって、銀河鉄道アナと雪の女王のみならず、
木も石も、すべては互いにつながっているから、あたかも感謝しているように花を咲かせ、
ダイアモンドの様に輝く。そのように聴こえてくるし、観えてくる。
傍らの草木が話しかけて来ているように、野に咲く花がささやいているように感じる。
その方が幸福になるし、成り切った中からワクワクをベースにした「生の高揚」につながる。

内部にある喜びの感情に降り注ぎ、強めていく。美しい言葉が美しさを与え、高貴な言葉が高尚にし、
強い言葉が力を与える。生きているものは積極的なものであり、過剰なエネルギーを生み出す物質空間
なのである。とはニーチェとまるで同じような捉え方のように感じてくる。
「悲しい時は悲しむより仕方がない」が、怨恨と同様にいつまでも悲しんでいては自分の体を食い尽くす。

[結論]
人間を堕落させる嫉妬や恨みの感情=ルサンチマンのこだわりを自覚し<注5>、どちらの対処法を選ぶかは
人によって異なる。
ただ道徳や儒教のように美徳理想観念だけではパワーにならないし、ルサンチマンの解決もしない。
怨恨は病ではないにしても、終わりが無いので病になってしまう。いつまでもひたすら堪えて待つ思い<注6>
だけでなく、心の変化が可能となる対処法も必要である。



<注1>
NHKテレビ番組「100分 de 名著 ニーチェ ツァラトゥストラ」
ニーチェ「ツァラトゥストラ」の思想から教わる人生・前向きな生き方


ニーチェ ツァラトゥストラ」のまとめ
著名な哲学者であるニーチェにいたっても恨み、妬み、嫉みの感情は後ろ向きな疫病であって、
その「ルサンチマン」は「喜びを感じる力を弱くする」と言う。
ルサンチマン(恨み、妬み、嫉妬の感情)やニヒリズム(「すべのものは無価値である」とする考え方)
の良くないところは、喜びを忘れてしまうことである。

キリスト教においても「ルサンチマン」に対して「隣人愛」のように特別な対処法があった。
自分のことよりも他人のことを愛しなさいという教えである。
しかし「心清く生きる」という固定的な生き方になって、生き方の形が決まってしまう。
また、強い人間を悪く言うには、神様をもってくればいい。
キリスト教の神様は「あいつら(強い人間)は確かにこの現世では富を持ち、政治権力を持っているかもしれない。
でも、あいつらは結局、地獄に堕ちるんだ。神からしてみればダメな人間だ。」
これこそ「善/悪」の価値観の背後にはルサンチマン(恨み、妬み、嫉妬の感情)が潜んでいると言います。
ニーチェは、キリスト教とは異なる価値、「価値の転換」をしなくてはならないと思ったのです。

ニーチェが提示する新しい価値観は「絶好調な感じ、楽しい、愉快だ、ワクワク」をベースにした
「生の高揚」なので様々なやり方がある。いろんなやり方を目指して、様々な人が実験をしていく。
まさに、「生の実験」。生きることは実験であるとニーチェは考えたのです。
「それぞれの人が高揚する生き方を目指していこうじゃないか」というイメージがニーチェの中にはあった。
「自分がどうやったらパワーアップするか」「元気が出てくるか」ということ。生が高揚して、
パワーアップして喜びを感じて生きていくことを重要視した。
しかし、その「神が死んだ」とは自分が信じられるものがなくなる。即ち「ニヒリズム」に陥ると
「安楽がよい、冒険しない、憧れというものを持たない」という人になってしまいがちである。

ではどうすればよいか
「生の高揚」をとことん実現しようとする人間となるにはどうするか。絶えず創造的に生きている人は
(恨み、妬み、嫉妬の感情)も持たず、ちょっとイヤなことがあってもすぐ忘れてしまい、
これまでの価値観にとらわれず、絶えず創造的にクリエイティブなパワーにあふれて生きていける人のこと。
ニーチェは幼子にように無垢なまま、でも気力をみなぎらして生きるためには「永遠回帰」の思想を
受け入れなくてはならないと言っています。自分の人生が最悪であっても、それを受け入れて超人となる。
その秘訣が「永遠回帰の思想」何度も何度も永遠に繰り返されるという思想なのです。
最悪の事態も含めた自分の人生を肯定して、「超人」になったということを現しているのです。
ニーチェは「エネルギー保存の法則のもとで万物が運動すると、永遠に時間がたてばまた元の状態がやってくる」
と説明しています。
「永遠回帰の指輪」は、自分の人生にはマイナスもプラスもあるが、トータルの人生の輪が何度も巡ってくる
ということを意味しています。
つまり、マイナス部分も「これで良かった」と全肯定する、自分のネガティブな事も含めて全肯定するということです。

注2「怨みは愛によってのみ止む」釈尊からの対処法
日本が戦争に負けた本当の相手は、貪り、怒り、怨み妬み憎しみという三毒煩悩の悪魔であって
そのことを知るべきです。
「目には目、歯には歯」と言わんばかりに、怨みに怨みを返している限り、毎日が三毒煩悩との
戦いであり、負ければ、やがて身を滅ぶす道が待っているだけです。
いかなる場合であっても、三毒煩悩に染まることのないよう、よくよく心して、冷静に対処しなければ
なりません。
ただ一つ言える事は、私達は「仏性」という強い味方に守られている分、恵まれた立場に居るという事です。
貪り、怒り、怨み妬み憎しみを向けてくる人々、仇なす人々の救いを祈らせて頂けるという事は、
それだけ私達が守られ、恵まれているからこそ、出来る事なのです。


<注3> 日経メルマガより (幸福と不幸2015.07.17善人と悪人2015.07.24)


<注4>NHK「100分 de 名著 」
小泉八雲著「日本の面影」第四話(2015.07.29)より 日本人の他者を理解する情:倫理観・美意識を紹介

小泉八雲は日本に古くから伝わる怪談・民話を通して、日本人の他人を批判しない、貶めない、相手をほめるという
倫理観・美意識について世界に紹介し、人間の普遍的な要素であるこの様な常識や倫理観を見つめ投げかけた。

ギリシャで生まれたラフカディオ・ハーンは日本人のこうした心オープンマインドに触れて、本当の居場所を見つけた。

<注5>
河合隼雄著「中空構造日本の深層」昔話と深層心理学より
精神分析医でもある著者によれば、深層心理学はノイローゼの治療という、極めて実際的な目的を持って発展してきた。
十九世紀末にフロイトは、人間の心の中に無意識という領域の存在を主張した。
患者の無意識内に存在するコンプレックスが、ヒステリーの症状発生の原因であり、それを患者が明確に「意識化」する
ことによって治癒されると主張した。(これによれば意識の自覚がなければヒステリーは際限無く続く)
それにより夢への研究が重視され、同時に昔話についても夢と同様の方法で、人間の無意識の心的過程の表出として研究された。
その後、さらにユングによって精神分析学は人間の無意識をより掘り下げて研究されて来た。それによって神話・昔話、
ファンタジーの分析から人類の深い知恵を導き出す形となった。
著者は日本での古事記神話から、中空・均衡構造のモデルを提示し、西欧型の中心統合構造と対比させて、東洋の中で
日本だけがどうして近代化にいち早く成功したのかについて記述している。


<注6>
NHK『100分 de 名著 旧約聖書』一言でいうなら、終末になって「神が動くのを待つ
「旧約聖書」第四話(2014年5月28日) 

なぜ悪いことをしていないのにヒドイ目にあわなきゃならないのか?
ルールを守っても、なぜ神様から祝福されないのか?
なぜ自分が正しいと主張することが神様から叱られることなのか?

正しいか否かは人間が決めることではないのである...
正しいか否かの基準は神様のみ、なのだ...
そこでヨブは、悔い改める...
思い上がった自己正当化(自力作善)を悔い改めたヨブには神様の祝福が下り、財産が戻ってきて、子供も新たにでき、
豊かで幸せな生活を送ったとさ。というストーリーである。
次々に訪れる試練は、神への信仰を試されているのであって、その試練に耐えていれば
いつか必ず神によって救済されることを信じ、いつまでも待ち続けるという思想が生まれる。
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