空観方程式

「色」と「空」の一体化によって可視化され、相互作用で共感・共鳴が生じ、新たなる思いや生命力が実体化される。

空海の「虚往実帰」

2024年05月05日 | スクラップブック
老子の言葉で
 人に魚を与えれば一日生かすことができるが、
人に魚釣りを教えれば一生養うことができる。
というのがある。

この逸話(教訓)は
モノにすがって生きることを戒める道徳とは異なり、
メンタル的な面での解決策、
それにより救済される場合がある。
道徳だけでは解決策にならないという主張だ。

例えば、
自由主義のみでは損得勘定優先となって
損した得したに媚びるようになる。
結果的に「魚をもらって得したような気になる」
知らず知らずに自由からは逸脱し、
損得に媚びた不自由な身となる。
自由を維持するためには
モットモットの意識だけでは危うい存在だ。
捨てるという意識・感情も必要だ。
「もらうことを捨てれば(魚釣り方法を)得ることになる」
呼吸と同様、吸うだけでなく吐く(捨てる)ことも必要だ。
あるがままを捨ててこそあるがままとなれる。
ハッピーを捨ててこそハッピーになれる。
純粋を捨ててこそ純粋になる。
悟りを捨ててこそ悟れる。
不完全なものの可能性により、
完璧を捨ててこそ完璧となる。
モットモットを捨てることで儲ける。
そこから
「生きているだけで丸儲け」といった
心の変化が生まれる。



美徳や理想の観念(魚を与える)だけでは
パワーにならないし、
いつまでもひたすら堪えて待つ思いだけでなく、
心の変化が可能となる対処法(魚釣り方法を)も必要である。
要は
感じる(観じる)心で見えてくる。
それを実社会に活かすことだ。

色即是空
空即是色 

実社会から仮想空間に赴き、
空から実社会に帰るという空海の「虚往実帰」に
通じる言葉でもある。




ところで
「誰かに頼ったり、誰かに頼られたり」
この二項で人間関係が生まれ、そこからの道徳だ。
生まれて死ぬまでの長期にわたる関係で、
道徳通りにはいかない場合も多くある。
たとえ失敗しても、あるいは生きづらさを実感しても
メタバースと呼ばれる仮想空間で希望を取り戻して、
実社会に帰ってくる方法が「虚往実帰」だ。
「実」である現実世界と「虚」である仮想空間、
片方だけでは関係・改良は生まれない。
心の持ち方には双方による動的平衡が必要だ。
こうして対立二項での共存作用がとても重要だ。
それを「融合」や「重ね合せ」と呼ぶ。
例えば波動の干渉は仮想空間での演算により
実体空間で波の強度として現れる。

量子の世界でも、
スピンの回転方向が、
左と右の対立した形で共存している場合がある。
「重ね合せ」と呼ばれる。
量子コンピュータはこれを利用して、
0と1とを一体化させて重ね合せた形で
計算を実行する。
その計算結果だけが現実社会へ提示される。
ここでも「虚往実帰」だ。

 


 現実社会で人間が考え、
その正しさにこだわろうとするのが
道徳のような一極集中型で、
例えば民主主義、権威主義、全体主義、共産主義など、
いずれも後戻りのない決めつけ型の一極集中だ。
しかし
たまたま運良く旨くいった方が褒め称えられ、
運悪く旨くいかなかった方はすげ替えられるだけの話だ。
要は正しいから良くなることではない点だ。
だからこそ問題は膨大の数の日常だ。
そもそもいちいち正しいかどうかの合理性について
検証するわけでもないし、
即断即決の扁桃体思考に加えて、
感情による評価ミスで多くの トラブルが生まれる。
そして正しいかどうかではなく、
運が良かったかどうかで決められるのであれば、
結果として
運悪く全てを否定されたとしても、
信じるものがなくなったとしても、
絶望回避する方法に、
メタバースのような仮想空間での
自分の思考を自分で眺める方法だ。
つまり、魚の釣り方である
心の変化が可能となる対処法だ。

仮想空間では、
過去の人々との相互作用によって、
「感じる(観じる)心で見えてくる」
そこから夢や希望を取り戻し、
実社会に帰って元気を取り戻し、
またダメなときにはメタバースに戻るという
試行錯誤が可能だ。
例えば古来からの試行錯誤では、
「和(重ね合わせによる相互作用)を以て貴しとなす」
日日是好日
これらが「色即是空・空即是色」のリセット思考だ。
若い年代ではやり直しができるから、
何時でも戻ってこられる虚構のメタバースを基地にして
大いにチャレンジしてみることだ。
要は如何にして好ましく捉えられるか、
これが魚釣りの教えなのであろう。

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