悩むことと考える事とは異なるので、
この違いを良く認識すべきである。
悩むとは一つのことにとらわれて、
くよくよと或いは
ぐるぐる堂々巡りする状態を
扁桃体思考(一極集中の状態)といい、
一旦リセットしながら思いを巡らせ
考える状態の思考を
前頭葉思考(試行錯誤の状態)という。
感情は
ホモ・サピエンスの大脳周辺系の発達(突然変異)と
大いに関連しているとされる。
主に扁桃体(刺激反応)、とともに
海馬(記憶)、帯状回(痛み)の発達だ。
これらの要素としては
集団社会とのつながりや言語の生成などから、
一極集中や試行錯誤に関与する。
「認知革命」と呼ばれているもので、
集団の中での問題解決能力や共感能力の獲得である。
しかしこれらの獲得とのトレードによって、
人間は悩みを抱えることとなった。
扁桃体は、生存に関わる重大なものかどうかを
一瞬のうちに評価する機能だ。
集団生活における安心や恐怖、
好き嫌いの反応が扁桃体に任されているので、
特に怒り・悲しみの様なネガティブ感情の
コントロールには心の安定が必要である。
こうした判断や決断が
感情に振り回されない様にする為には、
扁桃体の活動を制御することが必要だが、
身の安全を司る進化により制御不可能だ。
そこで感情の独裁者とも呼ばれる。
従い感情の管理者と呼ばれる前頭前野によって
制御するしかない。
悩むとは考えるとは異なり思い込みから始まり、
一極集中化へ進行して行く過程と同じだ。
悩みの多くは扁桃体思考といって
人間の感情をつかさどる部位で起る。
元来は進化の危機管理のために発達したもので、
瞬時の対処ができるようにするための機能である。
深い考察は行わず、
とっさに行動するための機能である。
(思考の停止・固定)
眼に見えない現象でも最悪のケースを予見して、
回避行動を起こそうとする部位だ。
したがって
前頭葉のような時間のかかる合理的な機能を司る、
考える部位と違って、感情による判断ミスを起こす。
例えば
口の中にあるはずの唾が床に落ちれば、
本来非常に貴重なものであるにもかかわらず
汚物と判断して捨ててしまう。
あるいはまた
オリンピックのメダリストにもかかわらず、
銀メダリストになると不幸になるという
他との比較で自己蔑視してしまう原因も同様だ。
この直感主体の扁桃体思考で行われているために、
判断ミスをして
不必要な心配事や悩み事を抱えてしまう。
感情がそういう思考に仕向けてしまうのであって、
特徴的・象徴的な例を挙げれば、
「みんなで渡れば怖くない」
英国ヘンリー王子の「スペア」等々
日常生活のほとんどがこうした扁桃体思考なので、
一人でいる時間が少ないと
スロー(前頭前野)思考の機会も少なくなって、
扁桃体思考であふれてしまう。
ダニエル・カーネマンという
ノーベル賞心理学者が云う、
「心配が現実化するわずかな可能性」を、
心は無意識に探し続け、私たちはそれをまるで
「確実に起こること」であるかのように受け止めてしまう。
心配ごとに取りつかれ不安にさいなまれている最中は、
それがとてもリアルに感じられる。
「取り越し苦労」で、人生を浪費してしまい、
「いまを楽しみながら生きること」ができなくなる。
「私たちが日々心を悩ます心配事や悩みの多くは、
かなり的外れで、ほとんど現実化しない」
人間の観念や正義では
何かにこだわった状態であって、
暴走状態になる危険な状態だ。
何かにこだわってしまう状態とは
扁桃体思考のことでもある。
同じく何かに悩むことでも扁桃体が関与していて、
後戻り困難な一極集中化へと進む端緒となる。
いずれにせよ扁桃体だけで長期に考えないことだ。
インプットされた情報には
感情の判断ミスかもしれない不安の原因を知り、
あるいは心の底を打ち明ける能力だ。すなわち
ミスでなければその感情を適時・適所にて
吐き出すことで、なんとか感情をコントロールできる。
ただし吐き出すときには
汚物をまき散らさないようなマナーが必要だ。<参考>
いずれにせよ
常に理性(前頭葉思考)と感情(扁桃体思考)との
バランスが必要である。
参考:大愚 元勝 福厳寺住職。
「心の炎症」を整える
感情と理性との戦い
我慢するのではなく
心の汚物(エネルギー)を吐き出す処の
オブツダン「御仏壇」。
何時間でも、何回でも聞いてもらえる場所だ。
感情はやり過ごす。
そして理性は決して失わないことだ。
この違いを良く認識すべきである。
悩むとは一つのことにとらわれて、
くよくよと或いは
ぐるぐる堂々巡りする状態を
扁桃体思考(一極集中の状態)といい、
一旦リセットしながら思いを巡らせ
考える状態の思考を
前頭葉思考(試行錯誤の状態)という。
感情は
ホモ・サピエンスの大脳周辺系の発達(突然変異)と
大いに関連しているとされる。
主に扁桃体(刺激反応)、とともに
海馬(記憶)、帯状回(痛み)の発達だ。
これらの要素としては
集団社会とのつながりや言語の生成などから、
一極集中や試行錯誤に関与する。
「認知革命」と呼ばれているもので、
集団の中での問題解決能力や共感能力の獲得である。
しかしこれらの獲得とのトレードによって、
人間は悩みを抱えることとなった。
扁桃体は、生存に関わる重大なものかどうかを
一瞬のうちに評価する機能だ。
集団生活における安心や恐怖、
好き嫌いの反応が扁桃体に任されているので、
特に怒り・悲しみの様なネガティブ感情の
コントロールには心の安定が必要である。
こうした判断や決断が
感情に振り回されない様にする為には、
扁桃体の活動を制御することが必要だが、
身の安全を司る進化により制御不可能だ。
そこで感情の独裁者とも呼ばれる。
従い感情の管理者と呼ばれる前頭前野によって
制御するしかない。
悩むとは考えるとは異なり思い込みから始まり、
一極集中化へ進行して行く過程と同じだ。
悩みの多くは扁桃体思考といって
人間の感情をつかさどる部位で起る。
元来は進化の危機管理のために発達したもので、
瞬時の対処ができるようにするための機能である。
深い考察は行わず、
とっさに行動するための機能である。
(思考の停止・固定)
眼に見えない現象でも最悪のケースを予見して、
回避行動を起こそうとする部位だ。
したがって
前頭葉のような時間のかかる合理的な機能を司る、
考える部位と違って、感情による判断ミスを起こす。
例えば
口の中にあるはずの唾が床に落ちれば、
本来非常に貴重なものであるにもかかわらず
汚物と判断して捨ててしまう。
あるいはまた
オリンピックのメダリストにもかかわらず、
銀メダリストになると不幸になるという
他との比較で自己蔑視してしまう原因も同様だ。
この直感主体の扁桃体思考で行われているために、
判断ミスをして
不必要な心配事や悩み事を抱えてしまう。
感情がそういう思考に仕向けてしまうのであって、
特徴的・象徴的な例を挙げれば、
「みんなで渡れば怖くない」
英国ヘンリー王子の「スペア」等々
日常生活のほとんどがこうした扁桃体思考なので、
一人でいる時間が少ないと
スロー(前頭前野)思考の機会も少なくなって、
扁桃体思考であふれてしまう。
ダニエル・カーネマンという
ノーベル賞心理学者が云う、
「心配が現実化するわずかな可能性」を、
心は無意識に探し続け、私たちはそれをまるで
「確実に起こること」であるかのように受け止めてしまう。
心配ごとに取りつかれ不安にさいなまれている最中は、
それがとてもリアルに感じられる。
「取り越し苦労」で、人生を浪費してしまい、
「いまを楽しみながら生きること」ができなくなる。
「私たちが日々心を悩ます心配事や悩みの多くは、
かなり的外れで、ほとんど現実化しない」
人間の観念や正義では
何かにこだわった状態であって、
暴走状態になる危険な状態だ。
何かにこだわってしまう状態とは
扁桃体思考のことでもある。
同じく何かに悩むことでも扁桃体が関与していて、
後戻り困難な一極集中化へと進む端緒となる。
いずれにせよ扁桃体だけで長期に考えないことだ。
インプットされた情報には
感情の判断ミスかもしれない不安の原因を知り、
あるいは心の底を打ち明ける能力だ。すなわち
ミスでなければその感情を適時・適所にて
吐き出すことで、なんとか感情をコントロールできる。
ただし吐き出すときには
汚物をまき散らさないようなマナーが必要だ。<参考>
いずれにせよ
常に理性(前頭葉思考)と感情(扁桃体思考)との
バランスが必要である。
参考:大愚 元勝 福厳寺住職。
「心の炎症」を整える
感情と理性との戦い
我慢するのではなく
心の汚物(エネルギー)を吐き出す処の
オブツダン「御仏壇」。
何時間でも、何回でも聞いてもらえる場所だ。
感情はやり過ごす。
そして理性は決して失わないことだ。