今日だけは、邪魔されたくない!
…という日に限って、何かが起こると思うのは、私の勘ぐりだろうか。
エネルギーがダダ漏れ状態なのが、自分でも分かる。
迷いが生じた時、
詰まっていると感じる時、
さしたる理由もないのに虚しい時、
なんとなく投げやりな気持ちが払拭できない時、
思考がやたらと後ろ向きな時、
何をしたらいいのか、今の私は知っている。
詰まりを取り除く!
ただその一点に尽きる。
どうしてなんだろう…と悶々と考えたって、多分理由なんて分かりはしない。
ならば、手っ取り早く対処するに限る。
こういう気分になるのは、自分軸がぶれているからに違いない。
幸い明日は、今年最後の燃やさないゴミの日。
目の前に〆切がぶら下がっている。
昨日、出歩くのをやめて、お掃除に勤しんだおかげで、
すでにどん底は脱しているし、
あとはさらなる詰まりを取り除いて、流れを取り戻すだけ。
…よし!と気合を入れていたら、
「今日、仕事手伝ってよ。」と、突然夫が言う。
なんですと?
自営業なので、忙しい時、手が足りない時、
手伝うのは当然だと自分でも思う。
…だけど、当然って、なに?
私の予定や想いにはお構いなしに割り振られる、
この“当然”って、一体なに?
ふっと思い出したのは、
金沢講座の打ち上げで、ひでこ先生が仰った言葉。
「momoさんの口癖は、便利と不便。
自分の価値を便利さで量っているんじゃないの?」
図星
…だったけど、別に驚きはしなかった。
すでに自分でも認識していたから。
いつでも、どこでも、用があれば、そこにいる便利な女。
何もかも人任せな家族の世話に明け暮れる便利な女。
自分の予定は投げ打って、相手の都合を優先させる便利な女。
NOと言わない、断らない、多少の無理は引き受ける便利な女。
でもこんな立ち位置って、人としてどうなん?
便利さに価値を見い出す女のセルフイメージって、健全なの?
私は便利な存在になるために、生まれてきたわけじゃない。
人の役に立とうが立つまいが、私は私。
人の思惑通りになろうがなるまいが、私は私。
そのままで価値がある。
そう気づかせてもらった貴重な一言だった。
打ち上げから帰って、
「私、便利であることを自分の存在価値にするのは、もうやめる。」
と一方的に宣言した。
夫はきょとん…としていたけれど。
便利、不便に焦点を合わせていると、
被害者意識が募る。
私がこんなにしてあげているのに!…と見返りを求めるようになる。
被害者意識も見返りも、ダンシャリアンには似合わない。
家業はとても大事。
…だけど、今日は家に居て、住まいを整えたい。
そう伝えたら、「あっ、そうなん?」とすぐ引き下がる夫。
なんだ、その程度の必要だったんかい?
では遠慮なく、今日は断捨離にフォーカスさせていただきます。
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