今・ここ・自分~断捨離日記

断捨離とは不要・不適・不快を、要・適・快に入れ替えるプロセス
正規トレーナーのmomoが、断捨離でごきげんを実現します

せ・い・ひ・つ

2011-04-30 09:48:00 | 断捨離とは?

静謐って、こんな字を書くんだ。


1 静かで落ち着いていること。また、そのさま。「深夜、書斎に過ごす―なひととき」

2 世の中が穏やかに治まっていること。また、そのさま。「―な世情」  by大辞泉


辞書にはこうあるけれど、もっとこう…なんて言うか、
清々しさとか、畏怖の念を抱かせるような神聖な感じ…とか、
私の中では、人の世の汚れとは無縁なニュアンスがある。

もちろん散らかったとか、片づいていないとか、モノが溢れているとかは論外で、
まさに対極にある状態だと思う。


そんな静謐な空気を、最近、ほんとに時々だけど感じることがある。



汚れ物を全て片づけ、磨き上げたキッチンに、朝一番に、足を踏み入れた時だ。


余計なモノは何もなく、シンクも天板もコンロもピカピカ、
そこに朝の光が差し込んでいる。

朝早いので音も無く、
視界や心を乱す色も形も無く、
何もかもがしっとり落着いた中に、ただただ光が満ちている。


寝ぼけ眼で入ってきても、「おや…っ」と思う。

空気が何か違うのだ。


大げさかもしれないけれど、“静謐”という言葉が頭に浮かぶ。


なんとも清々しい1日の始まり。

とても気持ちがいい



ひでこ先生は神社が大好きだ。

月初めには、白山比神社への参拝を欠かさない。

セミナーで全国を周る際も、時間があると現地の神社を訪ねておられるようだ。

神社の敷地全体に漂う、静謐な空気が好きだと仰る。

本殿も参道も大木に覆われた敷地も、
そこに満ちる空気は、我々が日常生活を送る、雑事と雑念に溢れた下界とは異なると。

「断捨離に通ずるものがあるでしょ?」とにっこり


はい、確かにそうですね。


神社と我が家の小さなキッチンを比べるなんておこがましいが、
片づいて拭き清められた場所は、漂う空気が違う。


とても清々しくて、気持ちが良くて…


私は、この静謐さが好きだ



一旦はきれいに片づけても、その状態をずっとキープできないことが目下の悩み。

だけど、この気持ちよさを肌で感じ、
好きだなぁ…と深呼吸する瞬間を重ねていけば、
またこの空気に包まれて過ごしたいと自然に思うようになる。

人は他人にあれこれ指示・命令されても動かないが、
自分が心からこうしたい…と思えば、自然と身体が動く。

だから積み重ねていきたい、
キッチンの空気を心地よいと感じる朝を。


そのためには、前日の夜、少々頑張らないといけない。

きれいな状態にしてから寝る、これを徹底すれば、幸せな朝は確実に増えるはず。


気持ちいい朝を迎えたいかーーー?(ウルトラクイズ風

は~~~い



私は毎朝、特大と大と中のお弁当を作るが
清々しいキッチンで、目覚めのコーヒーを一杯飲んでから取り掛かると、
手際が格段にアップする。

お弁当にかける手間も愛情も増幅され、
朝ごはんも、ついもう一品行くか!…って気持ちになる。

そして、朝が苦手なのに、朝からそんなに頑張れる自分が、ちょっと好き



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無差別処分じゃない

2011-04-26 21:51:06 | 断捨離とは?

そんなに何もかも捨てなくても…

後悔したらどうするの?

無駄なモノがひとつもない人生なんて、味気ないでしょ?



私がダンシャリアンだと言うと、よくこういう反応が返ってくる。


そうかな…?


そんなに何もかも捨てているわけじゃない。

ひとつひとつのモノと向き合って、不要と判断したモノだけを処分している。

以前は仲良しだったけれど、今は縁が切れたモノ。

今・ここ・自分の軸からずれたモノ。

そんなにお気に入りでもないけれど、
ただそこにあるから…と漫然と置きっ放しになっていたモノ。

毎日使っていなくても、
好きなモノ、残しておきたいモノ、大事に思うモノは断捨離していない。




捨てて後悔したことは・・・、あるかもしれない。

だけど忘れてしまった

所詮はその程度の後悔だ。

「あ、あれ、捨てなきゃよかったな」と一瞬は思っても、
3日も経てば、そんなモノがあったことさえ、忘れている。

つまりはあっても無くても大勢に影響の無いモノ、
でも断捨離の対象になるくらいだから、絶対必要、大好き!…というモノでもない。


ひでこ先生も、この質問はよく受けるそうだ。

「たとえ後悔したとしても、それで命が脅かされるような事態は起こらないでしょう?」と仰る。


100個の断捨離をすれば、
人間だもの、1個か2個は失敗することもあるだろう。

でも問題は、どこに焦点を合わせるかだ。

98個の不要物がなくなって、身軽ですっきりした、ごきげん生活を満喫するのか、
2個のことを延々悔やんで落ち込むのか。

必要なモノは必要な時に与えられるし、
いざと言う時、私には必要なモノをゲットする才覚があると信じるのか、
未来のあるかないかの事態に怯え、
「もし○○な時に、△△がなかったらどうしよう」…と、不安に囚われて暮らすのか。

どちらを選ぶかは、個人の自由だが、
断捨離を始めて1年半、捨てたことを未だに引き摺っているモノ、私にはない。




無駄なモノがひとつもない人生じゃない。

無駄じゃないモノに囲まれた人生だ。

使うモノ、楽しむモノ、大事なモノ、そして好きなモノ。

味気なさなんて感じない。

ここからも、まだまだ断捨離できると思っている。



使っていなくても、手放せないと思うモノはある。

そんなモノまで、無理やり捨てることはしない。

処分するのは、これは不要で、もう私はいらない…と納得したモノだけ。


ここに誤解があるようだ。

断捨離の判断基準は、使うか、使わないか。

確かにそうなんだけど、
使わないけど、捨てられない…ってモノ、誰にでもある。

そんなモノまで、生木を裂くような思いをして捨てる必要はない。

断捨離を進めていくと、判断の精度がどんどん上がり、
今は思い切れなくても、3ヵ月後にはあっさり手放せることが、よくある。

そういう心境になった時、処分すればいいだけの話だ。


それにダンシャリアンは、能天気にほいほい捨てているわけではない。

モノの要・不要を判断するのは、本当にしんどい作業だ

まだ使えるモノを処分する時は、
もったいないと思うし、罪悪感にさいなまれる。

見て見ぬふりをする方が、どれだけ楽なことか。

それでも自分の管理能力を超えた膨大なモノを処分して、
住まいも心もすっきり整えたいという強い気持ちの元、
罪悪感と真正面から向き合って、しんどい作業に自らを追い込む。

その先に一体何があるのかな?


最近、なんとなくその輪郭が見えてきたように思うけれど…。





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断捨離講座in金沢 

2011-04-20 12:19:25 | セミナー

お待たせいたしました!

断捨離セミナーの受付を開始いたします。


断捨離セミナーin金沢 連続講座・全3回

日時

6月2日 (木)  講座I ・ ガイド編  13:00~16:30

6月9日 (木)  講座II ・ 意識編  13:00~16:30

6月16日 (木) 講座III ・ 実践編  13:00~16:30 



場所 

金沢市文化ホール・第5&6会議室

石県金沢市高岡町15番1号

http://www.bunka-h.gr.jp/



講師 : やましたひでこ (クラターコンサルタント)

【講師紹介】

東京都出身。石川県在住。

大学在学中に入門したヨガ道場で、
心の執着を手放す行法哲学「断行・捨行・離行」に出合う。

その後、モノの片づけを通し、
誰もが実践できる自己探求のメソッドとして落とし込んだ、
住まいと心のガラクタの新・片づけ術「断捨離」を考案。

2000年頃からクラター(ガラクタ)・コンサルタントとして
「断捨離セミナー」を全国各地で開催。

「片づけ」「整理・収納」「掃除」という概念の組み立てから、
実践による意識変容までのメカニズムを明解にしたセミナーが話題を呼び、
受講者は年々広がりを見せている。

著書に「断捨離」、「ようこそ断捨離へ モノ・コト・ヒト そして心の片づけ術」、
「断捨離で日々ごきげんに生きる知恵」がある。

5月には新刊「俯瞰力」が出版される。




受講費

【初参加の方】
       
全3回 一括 20,000円 <テキスト代込>

早期お申込割引適用<5月8日まで> 一括 17,000円 <テキスト代込>

全3回の受講が原則ですが、部分参加も可能です。

ただし全講座受講者が優先となりますので、ご希望に添えない場合もございます。

その際は、どうかご容赦くださいませ。
  
各講座 1回 7,000円 <テキスト代別途 1,500円>

      
【リピーター(再受講)の方】

全3回 一括 10,000円 <前回のテキストをお持ちください>

各講座 1回 4,000円  <前回のテキストをお持ちください>



お支払い方法 

振り込み  受講料のお振込をもって、お席を確保させていただきます。



定員

40名 (先着順。定員になり次第、締め切らせていただきます)
      
より多くの方に受講していただくため、リピーター枠は10名とさせていただきます。



特典

全講座の修了者を対象に後日、やましたひでこを囲んで、シェア会を予定しています

前回も大好評をいただいた、地元ならではの特典です。




お申込み・お問い合わせはmomoまで 

verymomo@yahoo.co.jp 

メールの件名を金沢セミナーとし、以下の7点をご記入の上、お申込みください。

*ご氏名(ふりがなもお願いします)

*ご住所

*ご連絡先(緊急時に連絡がつく番号でお願いします)

*ニックネーム(参加者のみなさんに呼んでほしいお名前)

*受講希望日  全講座受講希望/部分参加希望

*メールアドレス

*受講動機(きっかけ等)

なお上記の個人情報は、セミナーの連絡用以外には使用いたしません。



お申し込みメールをいただきまたしたら、原則24時間以内に返信いたします。

返信がない場合は、アクセス制限に引っかかっている可能性もありますので、
どの記事でも構いませんから、コメント欄からその旨お知らせください。

連絡用のアドレスもお願いします。

申し込み受付期間中は、コメント欄を承認制にしますので、アドレスその他が公開されることはありません。

なおGWは、48時間の猶予をいただきますので、ご了承くださいませ。 

 


昨年秋のセミナーでは、たくさんの素敵な出会いがありました

貴重な気づきと学びを本当にありがとう。

緑芳しい季節の新しい出会いを、今から心待ちにしています。



だから今セミナー

2011-04-20 12:13:20 | セミナー

「被災地では、何もかも流されてしまって、困っている人がたくさんいるのに、
普通に生活している我々が、断捨離するって、どうなの…?

使えるモノが捨てられるのを見たら、被災地の人は怒るんじゃない?」


出たな、もったいない仮面

我が家には、なんでもかんでも溜め込んでおきたい男がいる。

彼の辞書に「捨てる」という単語はない。

そのモノを今の自分が使うか否か…なんて、どうでもいい。

とにかく、もったいないから、捨てたくない。

深層心理には、捨てられたくない自分がいるのかな…。


私が断捨離に勤しむようになってから、なにかと文句をつけてくる。

家が片づくことに異論はないけれど、
捨てずにすっきり住まいを実現すればいいと思っているようだ。


そんなの無理だっちゅーーの


不要品が溢れかえったままで、片づくわけがない。


被災地の方々が困難な生活を強いられているのは、報道で知っている。

だからといって、私が、今、ここで、不要品を溜め込んで、
それがなにかの援助になるだろうか?

私の不要品が、即支援物資になるわけではない。

靴を送った時によく分かったが、支援物資にはそれなりの条件がある。

自分が要らないモノは、多分被災地でも要らない。


もったいない仮面の言い分は、かなり的外れだと思う。

…だが、夫はその事実に気づかない。



断捨離は住まいの片づけを通して、自分の内面や生き方を整えていく。


今回の大災害で、私たちは自然の猛威を見せつけられた。

安全神話は崩れ、ずっとあると思っていたものが、一瞬にして奪われることも知った。

普通の生活って、当たり前のことじゃなかった。

平凡な日常を送れることが、どれだけ幸せなことか、改めて思い知らされた。

だけどその幸せは、案外もろい。



こんな時に断捨離?



いや、こんな時だからこそ!


これまでの生活や価値観を見直してみるいい機会だと思う。


この一瞬は大切な一瞬だと自覚して、ただ漫然と生きていた自分を省みる。

本当に大切なモノって何だろう?

絶対に失いたくないモノって、何だろう?

逆に大切だと思っていたけれど、実は無くても平気なモノはないだろうか?

こだわってきたけれど、執着してきたけれど、それはなぜ?

モノに限らず、自分を縛っている人間関係や感情、手放したらどうなるのだろう?




断捨離はただの片づけ術ではありません。

住まいの片づけを通して、心の中もすっきりさせ、ごきげんな毎日を目指します。

住まいも心も整える断捨離を、一緒に学びませんか?

 
6月の金沢3回連続講座、受付開始します。


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援助物資の条件(ちょい辛口)

2011-04-13 15:19:55 | 日記

お掃除の神様、たった1日で帰っちゃった…。

クスン


まあ、仕方ないか。

神様もあちこちで必要とされてて忙しいだろうし、
1日びっちり居てくれただけでも、御の字だ。

ごきげんは、神頼みじゃなく、自分の手でゲットしなければ。



神が降臨した翌日は燃えるゴミの日。

なんと我が家から出たのは、45リットルゴミ袋が9袋


もしこれが、純粋に断捨離の成果であれば、それはもう素晴らしいとしか言いようがない。


…んだけど、違うんだな、これが。


実は、ブログに書くことをずいぶん迷ったが、誰かの役に立つかもしれないので、思い切ってアップする。


9袋のうち3袋は、町内一斉清掃で集めた落ち葉や枯れ草の類。

そして通常ゴミと断捨離で出たゴミが2袋ずつ。


残り2袋は…、



被災地に送るために寄付してもらった靴類だ。


善意で託してもらった品を捨てるとはナニゴトだ!…と叱られるかもしれない。

だけど私の個人的判断で、廃棄処分にした。


なぜなら…、状態が悪かったから


おそらく何年も下駄箱か倉庫に眠っていたのだろう。

女子が喜びそうなデザインだけど、強烈にカビ臭いスニーカー。

ファブリーズして天日干し、ついでに靴乾燥機にかけたが、臭いが抜けない。

…不快な臭いが玄関はおろか、2階まで充満してしまった。


グレーかと思ったら、びっしり埃で覆われたピンクの運動靴、
しかも年数が経っているからか、油膜と合体してこびりつき、こすっても取れない。


持ち主には、かかとを踏む癖があったのだろう。

後部全体が潰れてペッタンコのズック。


経年劣化で靴底のゴムがバリバリに割れた長靴もあった。


すでにガムテープが変色して、ウネウネになったダンボール。

箱も中の靴も埃をかぶっている。

処分しようとして、そのまま忘れ去られてしまった靴なのだろうか。

せめて箱のふたを閉めておけば、ここまで汚れなかっただろうに。




被災地には、何もない。

全て流されてしまった。

着の身着のまま逃げてきた人々は、どんなモノでも嬉しい。




本当に?



キツイ言葉で申し訳ないが、援助物資は施しではない。


自分が援助を受ける側だったとして、カビ臭いスニーカーが本当に嬉しいだろうか?

埃だらけのスニーカーを誰も欲しがらなかったら、
ゴミ処理場も機能していない被災地で、一体誰が処分するのだろうか?

ボランティア?それとも被災者の皆さん?


援助ではなく、邪魔になってしまう。



断捨離をする時、まだ使えるものを手放すのは辛い。

もったいない!・・・と罪悪感にさいなまれる。

そう、捨てる判断は、楽じゃない。

それなら、あげちゃえば?

無料なんだし、使おうと思えば使えるんだし、嫌なら捨ててくれていいし、
自分もいいことした感じで気分がいい上に、
こっちは捨てる辛さを味わわず、向こうも靴が手に入り、一石二鳥じゃん

…的なノリは間違っているんじゃないか?



援助物資は、必ずしも新品である必要はないが、
受け取った人が不快感を覚えない程度には状態のいい物でなければならないと思う。

現在の日本なら、それが可能だし、
状態のいい物を提供したからといって、家計が著しく圧迫されることもないはずだ。



不要物を処分したいのなら、捨てる痛みは自分で負う。

他人に、ましてや被災した方々に押し付けてはいけない。

ダンシャリアンは潔くありたい。



もちろん集まった靴のほとんどは、清潔で傷んでいない品。

きっと被災地でも役に立ってくれることと思う。

第二の人生(靴生?)、東北で頑張っておいで




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