今・ここ・自分~断捨離日記

断捨離とは不要・不適・不快を、要・適・快に入れ替えるプロセス
正規トレーナーのmomoが、断捨離でごきげんを実現します

冷蔵庫クリーン作戦

2010-07-31 19:14:04 | 実践
断捨離は、気力と体力を消耗するなかなか疲れる作業だが、断捨離後の状態をキープするのも、容易なことではない。

ちょっと油断すると、どこからともなく家の中に不要物が侵入し、我が物顔で居座ろうとする。

単に入口の断が甘いのかもしれないが、ぼ~~っとしていると、モノの流入をくい止められない。

せっかく断捨離して要・適・快の空間を手に入れても、メンテナンスを怠ると、あっという間に元の黙阿弥。

ま…、いいか、後でやろう…、疲れちゃったし…と、言い訳を重ねていると、不要・不適・不快の魔の手が忍び寄ってくる。




7月下旬に大きなイベントがあり、私はほぼ全エネルギーをつぎ込んだ。


そしてふと気づいたら…、


嗚呼、やっぱり


食卓の上はプリントの山、玄関には箱買いしたペットボトル飲料が置きっぱなし、洗濯物も溜まり、子供たちのサブバックや私物が散乱し、心なしか床もざらついて、家の中は惨憺たるアリサマ。


そして、そして、あろうことか、あんなにすっきりしていた冷蔵庫の野菜室が、再びブラックホールと化していた

しかもブロッコリーとナスが腐っている。

最近、野菜を腐らせることがなかっただけに、かなりショック。


よし、とりあえず今週末は冷蔵庫クリーン作戦だ。

少々組み合わせが妙でも、在庫一掃メニューにして、一度庫内を空にしよう。

棚やポケットや製氷皿も洗って、清々しい冷蔵庫を取り戻そうっと



実家の断捨離~燃やすゴミ編(2010.7.4)

2010-07-15 19:59:06 | 実践

断捨離熱に感染した母は、ものすごい勢いで断捨離に没頭している。


私は週に1回手伝いに行き、母が出したゴミの処分をするのだが、毎回、その量が半端じゃない。

燃やさないゴミ&粗大ゴミを埋立場に運んだ翌週は、燃やすゴミ。

燃やすゴミとは、衣類、紙類、生ゴミ等、一辺が70センチ以下のサイズで、燃やしてもダイオキシンなどが発生しないゴミ全般、つまり普通ゴミの日に出してもいい種類のゴミだ。

…それなら、市指定のゴミ袋に入れて、収集日に出せばいいようなものだが、大量に出す場合は、集積場までの往復も大変だし、山積みにすると町会や回収作業員に迷惑をかけるし、重い紙類や本を入れるとビニール袋はすぐ破れる。


そこでクリーンセンターに自己搬入することにした


一応有料だが、20キロ以下168円、20キロ超分10キロあたり84円と格安だ。


水と安全とゴミ処理はタダじゃない。

環境にも負担を強いるのだから、お金を払って当然だと思う。



車の後部座席に山のようなゴミ袋と段ボールを載せて、生まれて初めてクリーンセンターに行った。

生ごみを処理する施設なので、かなり臭うのかと思いきや、まったくの無臭だった。

緑に囲まれた、とってもクリーンなゴミ処理場

騒音もなく、鳥のさえずりが心地よい。

焼却で発生する熱を、隣接する市民プールの温水化に利用しているという。

ちょっとエコかも(^^ゞ


前日に予約を入れてある。

事務所で申込用紙に必要事項を記入、順路に従って、搬入口から車ごとバックで建物内に入る。


目の前に横3メートル、縦5メートルほどの、一段低い囲いがある。

深さは50センチほど。

そこにゴミを入れるように指示された。

ひとつずつ丁寧に置こうとしたら、「いいから、どんどん投げちゃって!」と言われた。


埋立場の時もそうだったが、ゴミとはいえ、乱暴に投げ入れることに、いささか抵抗を覚える

だって一度は、自分のそばにあって役立ってくれたモノ達だから。

捨てることに変わりはないけれど、最後にこんな扱いでは、…申し訳ないというか、可哀そうな感じがする。


オレンジ色の囲いは、なんと底面自体が大きな秤になっていた。

重さを量ると、後方のシャッターがするすると開いた。


シャッターの向こうは…


巨大な屋内ゴミ溜め場!


秤がダンプカーの荷台のように傾いて、ゴミを巨大プールに落とす仕組みだ。


シャッターの隙間からしか見えないので、全体の大きさは分からない。

でも遥か彼方の向こう側では、市のゴミ収集車が5台同時に、回収してきたゴミを空けている。

ジンベイザメが泳いでいる水槽、…いや、サッカー場より大きいかも。

かなり深そうだが、半分くらいまでゴミで埋まっている。

いったんここにプールして、2トンずつ焼却するのだとか。



人口40万の市で、1日にこれだけのゴミが出る。

大都市や首都圏だったら…、想像を超える量だろう。


これを全て焼却するのか…

貴重なエネルギーを使い、熱と灰と二酸化炭素を放出しながら。


 
ゴミを減らすためにも、入口の“断”が大切だと心底思った。


この日、母が出した燃やすゴミは、全部で130キロ、しめて1050円也。


ようこそ断捨離へ(2010.6.28)

2010-07-15 19:58:19 | 実践

断捨離を進める上で、絶対に外せない条件は何か?


それは家にいることである。


やました先生は、家を空けていては断捨離はできないと仰る。


ごもっとも~~~。

断捨離の初期は、誰が見ても明らかなゴミを間引くだけなので、気がついた時、目に着いた時にちょいちょい捨てられるが、このやり方はとっても時間がかかる。

1年…、いやずっとこの方式なら3年くらいは必要かも…。


ある程度効率的かつ効果的に、成果が目に見える速度で進めるには、まとまった時間、家にいなければ難しい。


だって断捨離って、エネルギーも時間も気力も体力も判断力もガンガン消費するから。



…実家の断捨離にかまけていて、ふと気づいたら、自分の家が放ったらかしになっていた。

実家はガラクタだらけなので、手当たり次第にバッサバッサと捨てられて、半端なく爽快だ。

片や我が家は断捨離が少し進んだ状態なので、”明らかなゴミ”は減っている。

曖昧な状態のゴミを判別するのは、とっても疲れるので、どうしても後回しにしたくなる。

気力・体力が充実して、時間もたっぷりないと、エンジンが掛かりにくいのだ。



でもこれじゃダメだよな…と、ちょっと反省。

言い訳ばっかりしてないで、頭と手を動かさないと。


衣替えでタンスから出たままになっている冬物衣料、さっさと判断してダンシャらなくては。
(でも断捨離の辞書に、衣替えという言葉はない!とのこと(^^ゞ)


子供たちのプリント類も溜まってきているし、冷蔵庫のチェックも最近甘くなりがち。

オークション出品も面倒になってきた。



ここらで一発、心機一転できるような起爆剤がないかなぁ…と思っていたら、



あった!



やましたひでこ先生の新著、「ようこそ 断捨離へ」

ようこそ断捨離へ モノ・コト・ヒト、そして心の片づけ術
宝島社
やましたひでこ


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この本はやました先生がコツコツ書きためたブログ、 “断捨離通信”を書籍化したもの。

先に出版された「断捨離」は、意識や方法論や必要性を説いたものだが、この本はいわば断捨離現場のレポートだ。

いろいろな人、いろいろな悩み、いろいろなケース、いろいろな対象物、いろいろな障害…、それこそ人の数だけ断捨離があることを証明しているような本だ。


PCでブログを読むのもいいけれど、本として手に取ってみると、また違った感慨がある。

 
ネット接続環境がない人や、PCが苦手な高齢者には、嬉しい出版だと思う。

それに寝る前に必ず何か読まないと気が済まない、私のような人間にも、ありがたいことだ。





では最近の成果をひとつだけ。


ジュエリーボックスと裁縫箱は、女にとって特別な意味を持つ箱ではないだろうか。


特に私は、若いころ、キルトや刺繍が好きだったので、裁縫箱は聖域に近い。

…と言う割には、箱自体はただのプラスチックだし、中もぐちゃぐちゃ。

糸、ボタン、針、ハサミ、アイロンプリント、端切れなどが、ぎゅうぎゅうに押し込まれている。
 
もう絶対使わないであろう、曲がった針も後生大事に取ってあった。

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ボタンの山。

スーツは捨てたのに、ボタンだけわざわざ外して、保管してあったりする。

どんな心境だったのか…、まさに女心はミステリーだ。

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使いそうな予備のボタンだけに絞った。

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糸もこんなにあった。

ミシンをかけることも、今は皆無だというのに。

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最終的に、女の聖域はこんな感じで落ち着いた。

すっきりして気持ちいい。

 
最近はとんとご無沙汰している手芸も、また始めたいような気持ちになるから不思議だ。


大きなスペースでも小さな箱でも、断捨離した後の爽快感は変わらない。

さあ、明日は何をダンシャろうかな。


実家の断捨離~着物編(2010.6.16)

2010-07-15 18:59:54 | 実践
実家の断捨離、次のターゲットは着物だ。

いきなりそんな判断の難しいモノ?

いや、これには訳がある。


ある日、某NPO団体が、ほどいて再利用したり、芝居に役立てたり、リサイクルしたりするために、不要な着物を引き取っているというローカルニュースが放送された。

それを見ていた母が、電話してきたのだ


「姑の着物を出したいから、手伝って!」


姑、すなわち私の祖母は、生前、茶道を教えていた。

その関係で、着物は山ほど持っている。

それを処分したいと言うのだ。


和服を着る機会が少ない現代において、着物をどうするか困っている人は、案外多いのではないだろうか。

私も、嫁入り時に持ってきたはいいけれど、一度も袖を通したことのない着物の処遇に悩んでいる。

高価なものだし、揃えてくれた親の気持ちを考えると、ダンシャリアンとしては失格かもしれないが、おいそれと処分はできない。

だが着ない着物を保管する桐のタンスは、大きくてすごく邪魔

これがなければどれだけすっきりするか…とは思うのだけれど。


…というのが、多分普通の人の着物に対する感覚だろう。



母は、自分の着物は処分の対象にしていなかった。

捨てるのは折り合いの悪かった姑の着物。

あ…、なるほどね。

そりゃ、迷いも躊躇いもないわな


姑の着物を蔵から出した。(落ちぶれたとはいえ、旧家なので蔵がある)

うっそ~~~と思うほど、後から後から出てくる。

喪服だけでも何枚あるんだ!…というほど。


しかも姑のモノだけではなく、その姑、つまり私の曾祖母の着物や曾祖父のはかまに裃、父の七五三の着物まであった。


はあ~~~~っ


この家の人たちは、代々、不要になったモノの処分を先送りしながら生きてきたのね。

次の代に片付けの重責を押しつけながら…。



汗だくになりながら運び出した着物の山。

襦袢やシミ・汚れのあるものはゴミに出すことにして、リサイクルできるものを仕分けする。

大判の風呂敷包みが8つ、ごみ袋は5つになった。


風呂敷包みを車に乗せて、引き取り会場の駅まで運ぶ。

地下の広場までとても持ってはいけないので、台車を借りた。


沢山の人が不要な着物を持って集まっていた。

だけど業者でもないのに、こんなに大量に持ち込んだのは私たちだけだ(^^ゞ



引き取りの料金は重さで決まる。

絹はキロ200円、ウールは50円、綿は30円、帯は100円という具合だ。


祖母と曾祖母の着物は全部合わせて40キロ、4700円になった。


これを安いと言うか、ラッキーと言うかは、考え方次第。

曾祖母が亡くなったのは40年以上前。

古いけれど、文化財的な価値もなければ、歴史的資料にもならない着物。

ずっと蔵の中で眠っていた。

使ってももらえず、ただただ腐臭を発しながら、そこにあっただけ。

 
祖母は一昨年90歳で亡くなった。

友達はもうほとんど鬼籍に入り、形見として欲しがる人もいない。

母にしても、祖母の着物を身につけるつもりはさらさらない。


とっくにお役目を終えた着物たちだった。


リサイクルされて誰かが使ってくれたり、舞台で役者さんに着てもらえれば、それだけで御の字だ


なにより母の肩から40キロの重荷が下りた。



…ただ、40キロは実家に残る膨大な不要物に比べれば、ほんとに微々たるもの。

まだまだまだまだまだまだ先は長い。



頑張れ、私

そして飽きるな、母!


実家の断捨離~布団編(2010.6.14)

2010-07-15 17:56:32 | 実践
ゴミを捨てると、どうしてこんなにも清々しい気分になるのだろう。



実家の母に断捨離の話をした。

興味を示さないかな…と思いきや、意外にも母は即座に食いついた。


やましたひでこ先生の「断捨離」と川端のぶこさんの「断捨離のすすめ」を貸したら、あっという間に読破。


そして実家の断捨離が始まった。



自慢じゃないが、実家は断捨離のしがいのある家だ。


押入れもクローゼットも納戸も物入れも、扉を開けるのが難儀なほどキチキチ。

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収納スペースに入りきらなかったモノ達は、廊下やリビングや庭を容赦なく侵略している。

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母や弟のモノばかりでなく、先祖代々受け継がれてきたガラクタも化石化しながら堆積しているから始末が悪い。


しかも戦時中に育った母は、乏しい生活の後遺症か、もったいなくて捨てられない。


使わなくても、またいつか使うかも。

必要じゃなくても、せっかくあるんだから。

サイズがあわなくても、ダイエットに成功したら着るし。


きれいだから、高かったから、頂き物だから、思い出があるから、捨てるほどのことはないから…。


今・ここ・自分の軸からずれまくった品々。


おびただしい不適・不要・不快に埋め尽くされた空間だ。


先輩ダンシャリアンとして、まず明らかなゴミから間引く方法を提案した。

これは私が断捨離に着手した頃にやっていたことで、エネルギーと時間の9割を、判断することではなく捨てる作業そのものに充てられる。



最初に捨てたのは、仏間の押入れいっぱいに詰まっていた布団。

なんと私がティーンの頃使っていたものまで残っていた。

古い綿の布団は、しっかり湿気を吸っていて、重くカビ臭い。

全部で16枚、そして座布団・枕・クッションなどの小物。

私の7人乗りワゴンの後部座席を全部倒しても、天井までぎゅうぎゅうになる量だ。

これを郊外の埋立場まで運んだ。


私の住む自治体はゴミの自己搬入ができるが、モノによって持っていく場所が違う。

布団を含む有料粗大ごみの場合は、山の中にある埋立場で引き取ってくれる。

入口で車ごと重さを量り、そのまま埋立現場に車をバックで乗り付けて、捨てる。


東京ドーム何個分か…見当もつかないほど巨大なすり鉢状の穴の底。

ブルドーザーが忙しげに動き回っている一画に、ゴミがどんどん放り込まれていく。

土ぼこりが舞いあがり、群がるカラスも心なしか元気がない。

日差しを遮るものは皆無なので、1日そこにいる職員は、黒光りするほど日焼けして、みんな日傘をさしている。

かつては使われていた様々なモノが、今は一緒くたに放り込まれ、無造作に水をかけられ、押しつぶされていく。

ある程度の量が溜まったら、土で覆ってよく固め、その上にまた新たなゴミを積み上げていくらしい。

この埋立場もあと数年で満杯になるとのこと。



消費大国の影の部分を見たような…、なんとも物悲しい気持ちになった

これだけのモノを所有して、果たして日本人は幸せになったのだろうか…。

こんな埋立場が日本に、いや世界にいくつあるのだろう。

美しい山を切り開いて、巨大なゴミ捨て場を造る私たちは、地球にひどいことをしているなぁ。

 
これからはダンシャリアンとして、入口での“断”をきっちりしていこうと改めて思った

この日、私が捨てた布団類は、500キロ未満で、1400円なり。