ゴミを捨てると、どうしてこんなにも清々しい気分になるのだろう。
実家の母に断捨離の話をした。
興味を示さないかな…と思いきや、意外にも母は即座に食いついた。
やましたひでこ先生の「断捨離」と川端のぶこさんの「断捨離のすすめ」を貸したら、あっという間に読破。
そして実家の断捨離が始まった。
自慢じゃないが、実家は断捨離のしがいのある家だ。
押入れもクローゼットも納戸も物入れも、扉を開けるのが難儀なほどキチキチ。
収納スペースに入りきらなかったモノ達は、廊下やリビングや庭を容赦なく侵略している。
母や弟のモノばかりでなく、先祖代々受け継がれてきたガラクタも化石化しながら堆積しているから始末が悪い。
しかも戦時中に育った母は、乏しい生活の後遺症か、もったいなくて捨てられない。
使わなくても、またいつか使うかも。
必要じゃなくても、せっかくあるんだから。
サイズがあわなくても、ダイエットに成功したら着るし。
きれいだから、高かったから、頂き物だから、思い出があるから、捨てるほどのことはないから…。
今・ここ・自分の軸からずれまくった品々。
おびただしい不適・不要・不快に埋め尽くされた空間だ。
先輩ダンシャリアンとして、まず明らかなゴミから間引く方法を提案した。
これは私が断捨離に着手した頃にやっていたことで、エネルギーと時間の9割を、判断することではなく捨てる作業そのものに充てられる。
最初に捨てたのは、仏間の押入れいっぱいに詰まっていた布団。
なんと私がティーンの頃使っていたものまで残っていた。
古い綿の布団は、しっかり湿気を吸っていて、重くカビ臭い。
全部で16枚、そして座布団・枕・クッションなどの小物。
私の7人乗りワゴンの後部座席を全部倒しても、天井までぎゅうぎゅうになる量だ。
これを郊外の埋立場まで運んだ。
私の住む自治体はゴミの自己搬入ができるが、モノによって持っていく場所が違う。
布団を含む有料粗大ごみの場合は、山の中にある埋立場で引き取ってくれる。
入口で車ごと重さを量り、そのまま埋立現場に車をバックで乗り付けて、捨てる。
東京ドーム何個分か…見当もつかないほど巨大なすり鉢状の穴の底。
ブルドーザーが忙しげに動き回っている一画に、ゴミがどんどん放り込まれていく。
土ぼこりが舞いあがり、群がるカラスも心なしか元気がない。
日差しを遮るものは皆無なので、1日そこにいる職員は、黒光りするほど日焼けして、みんな日傘をさしている。
かつては使われていた様々なモノが、今は一緒くたに放り込まれ、無造作に水をかけられ、押しつぶされていく。
ある程度の量が溜まったら、土で覆ってよく固め、その上にまた新たなゴミを積み上げていくらしい。
この埋立場もあと数年で満杯になるとのこと。
消費大国の影の部分を見たような…、なんとも物悲しい気持ちになった
これだけのモノを所有して、果たして日本人は幸せになったのだろうか…。
こんな埋立場が日本に、いや世界にいくつあるのだろう。
美しい山を切り開いて、巨大なゴミ捨て場を造る私たちは、地球にひどいことをしているなぁ。
これからはダンシャリアンとして、入口での“断”をきっちりしていこうと改めて思った
この日、私が捨てた布団類は、500キロ未満で、1400円なり。