今・ここ・自分~断捨離日記

断捨離とは不要・不適・不快を、要・適・快に入れ替えるプロセス
正規トレーナーのmomoが、断捨離でごきげんを実現します

洗面台のその後

2011-03-31 19:43:23 | 実践

2月末、ストレスてんこ盛りだった洗面所のリフォームが終わった


すさまじいBefore


すがすがしいAfter



プロの手を借りて、美しく機能的に生まれ変わった洗面台。

今後、ここを如何に使っていくかは、私と家族次第だ。

必要最小限のモノだけを置いて、
使った後は各々がきれに保つように心がけるも、
以前と同じように、使いっ放し、出しっ放し、汚しっ放しにするも、
私たちの自由。


私としては、せっかくキレイになったんだから、キレイに使いたい。

前と同じじゃ、ストレスも全然減らないし…。

一応、その旨、家族には申し渡した。

あと私ができることは、こまめに掃除をして、
後片づけをしないと後ろめたいような状態を作り出すことかな。

片づいた洗面所を気持ちいいと感じる、
そんな感性や美的感覚が、あいつらにもあればの話だが…。(特に息子!)



今回のリフォームで、大きく変わったこと。

台の高さが10センチ以上高くなった。

家族の身長は156センチ~175センチだが、
一番背が高い息子も腰を曲げる角度が緩やかになって、洗顔が楽な感じ。
 

洗面ボールと顔や手の距離が近づいたからか、
跳ね散らかす水の量が激減。

水が飛び散っても、洗面ボールと台が一体成形のため、さっとひと拭きで終わり。

洗面台右側面にあった奥行き17センチの棚を撤去。

たった17センチのことで、ロールスクリーンが開けやすくなり、おまけに室内が明るくなった。

洗面所に潜んでいた不要物を思い切って断捨離したため、
収納グッズそのものも、いらなくなった。



(処分した収納グッズ)

これだけの入れ物の中に、不要なモノが詰め込まれていたなんて…。

自分では断捨離済みだと思っていた場所なのに、この体たらく。

基準が甘かったということもあるけれど、
実は一度断捨離した場所を時間を置いて見直すと、けっこうまた出てくるものなのだ。

最初は絶対捨てられない…と思ったモノも、
次の機会には、あっさり手放せたりする。

それは日々、断捨離マインドを磨いていくと、
執着がどんどん昇華して、自分のセンサーもどんどん鋭敏になり、
本当に本当に本当に必要なモノの見極めができるようになるからだと思う。

だから同じ場所を2度、3度と断捨離するのは、意味がある。

自分の意識が進化していることを実感できるから。





今のところ、合格点の洗面所、ずっとキープできるかな。



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エンドレス

2011-03-27 10:36:59 | 断捨離とは?

春休み。

いつもは居ない人が、家にいる。

いつもは用意しなくていい昼ごはんが必要となる。

朝、昼、晩、1日3食…。

人間って、なんですぐお腹が空くのかなぁ。

1回の補給で1週間くらいエネルギーがもてば、いろんな意味で楽なのに。

昔の人は1日2食だったが、
食品メーカーだか調理機器メーカーだかの陰謀で、
昼ごはんを食べる習慣ができた…という話をまことしやかに聞いたことがある。


…とくだらないことをウダウダ考えているのは、
つまり3食も用意するの、正直言って、めんどくさ~~~っと思っているから。

ご飯は母親が作って当たり前と思い込んでいる子どもたちは、
お腹が空いても、ただただ「ご飯よ~~」と呼ばれるのを待っている。

自分から冷蔵庫を開けて、なにかを作ってみるなんて、考えたこともないようだ。

…まあ、そんな風に育ててしまったのは私だから、
自業自得といえばそれまでだけど、
もはや幼児ではない、でっかい中高生がゴロゴロしていると、なんかむかつく。


だけどそれだけかな?

食事の準備がこんなに億劫に感じるのは、
回数が増えたことと、メイド扱いされることに嫌気がさしたことだけが原因かな?


多分、キッチンが散らかっていることも、多少は関係していると思う。

キッチンは、調理の度に片づけておかないと、
どんどん汚くなる場所の代表格だ。

食器洗い機に入らない物や漆器に鍋類、
こぼれた粉類、ソース&油、
分別前に洗って乾かしてある容器の数々、
ちょっと気を抜くと、あっという間に増殖して、見るも無残な汚台所になる。

溜めておいて、後で一気に…が間違いの元。

これをやってしまうと、次の調理がすごく嫌になり、その後片づけはもっと嫌になる。

だから毎食ごとに、きれいにするのが望ましい。


でもそれって1日3回だよ?

面倒くさがりの私にとっては、・・・試練だ。



3日前に、これじゃいかん…と一念発起して、
台所を隅から隅までピカピカにした。

もちろん片づけ(断捨離) → 整頓 → 掃除(拭く・磨く)の順番で。

きれになったキッチンで、気分も晴々として一件落着。



…のはずだったが、すでにシンクにはいろんな物が山積みだ。

ホットプレートの鉄板は重いし洗いにくいしで、
ついつい後回しにしてしまったのが総崩れの始まりだったかも。

あ~~~~ぁ




だけど、この散らかるという現象は、生きているからこそなんだなぁ…とも思う。

人が生きていくうえで、毎日食べることは欠かせない。

食べるためには、調理をする。

調理をすれば、台所は散らかり汚れる。

この繰り返しが、生きているってことなのかもしれない。



それが実は幸せなんだと感じるに、今を置いて他はない。



いろいろ理屈を並べてしまったけれど、とにかく昼ご飯までに台所をきれいにしよう。

今、生かされていることに感謝しながら。



 


電池がない!

2011-03-24 09:30:21 | 日記

目覚まし時計が止まってしまった。

原因は電池切れ。

最後に交換したのは1年以上…、いや、もっと前だったと思うから、
そんな時期かもしれないけれど、よりによって今ですか?

運悪く、ず~~~~~っと前に買った、10本780円の徳用パックは、ちょうど使い切ったところ。

さらに運悪く、被災していない当地なのに、スーパーにもホームセンターにもドラッグストアにも、電池はない。

特殊な四角い電池とかボタン電池、滅多に使わない単4サイズ以外は、全て売り切れ。

すっからかんの棚が薄ら寒い。


仕方ないね。

ないんだから。

ガソリン使って市内全域を探したり、ネットで購入したりする気はない。

目覚まし時計は必需品だから、ゲーム機内の電池と交換するとしよう。

子どもは文句を言うかもしれないけれど、
今の日本の状況を、自分レベルで理解するいい機会になるかも。


多少の欠乏があっても、みんなが工夫して生活すれば、大丈夫。

日本はそれほど脆弱な国ではない。

しばらく辛抱すれば、生産も物流もまた動き出す。

あわてたり、パニック買いに走らないよう、自分軸をしっかり持っていようと思う。



だけど被災地を応援しよう!とみんなが思っている時に、よからぬことを考えているヤツもいる。


震災3日後くらいに届いたメール。

『被災日までの注文は返金に応じる。

会社としても今月の売り上げは全て寄付する。

現地工場の社長も商品代金の寄付を申しでている。

こういう時に国境はない。

個人的な義援金はこちらまで。』


…そんな会社知らないし、なにも注文してないんですけど?

リンク先はクリックしていないが、とっても怪しげなにおいがする。


節電しましょう!のチェーンメールなんて、まだかわいいほうだ。


節電メールは5件ほど届いたが、
周波数の違いで北陸で節電しても、東日本にはほとんど回せないとのこと。

これは北陸電力の談話だから、正しい情報。

まあ、被災地のお役には立てないが、地球のためにはなるから、
これまでどおり節電は心がけていこうと思う。


気仙沼の信金の電子ロックが壊れた金庫から4000万円が盗難にあったとか、
壊れた店舗からブランド商品がごっそり持っていかれたとか、
義援金詐欺が横行しているとか、
震災ボランティアを名乗る不届き者が現地入りしているとか、
耳を疑うようなことが実際に起きているらしい。

阪神・淡路大震災の教訓から、女性や子どもは絶対に一人でトイレに行くなとも言われている。


浅ましくも哀しい現実だ。


被災地の現状に心を痛め、なんとか被災者の役に立ちたいと思う人がたくさんいる一方で、
自分の欲にしか目がいかない、火事場泥棒みたいな真似を平気でする輩もいる。


被災地では自警団を結成する動きもあるとのこと。

日々の生活だけで精一杯なのに、なんとも痛ましい。

 

 


必要最小限で

2011-03-20 12:21:50 | 日記

ここ石川県は、東日本大震災の被害を受けていない。

すべてが通常通りに動いている。


…にも関わらず、ドラッグストアやスーパーでは、米や水が品切れになっている。


もっと深刻なのが首都圏で、コンビニやスーパーの棚はガラガラだとか。

乾電池やカセットコンロも完売で、ガソリンスタンドには長蛇の列。



みんな不安なんだ。

東北の惨状を何度も目にして、不安をかきたてられ、半ばパニックに陥っている。


だけど日本全土が被災したわけじゃない。

敵の攻撃を受けているわけでも、内戦が起こったわけでもない。

電力カットの影響も多少はあろうが、被災地以外では、生産も流通もほぼ通常どおりだ。

政府も食糧の備蓄は十分だと言う。

今現在は交通網の混乱とガソリン不足で、流通が滞っているけれど、
モノがないわけではないのだ。

ガソリンだって原油はたっぷりある。

精製して、必要な地域に運ぶのが若干遅れているだけ。


だから落着かなきゃ。

日本だけでなく、世界中の人が、被災地に手を差し伸べようとしている。

自分にできることなら、なんでもしたい!・・・と、みんなが思っている。

そんな時だからこそ、まず落着かなきゃ。

被災した方々をなんとか援助したいと思っているなら、まず落着かなきゃ。



買いだめによる品不足の現象は、
将来が不安だから捨てられない…という心理と、根っこは同じような気がする。

これは断捨離セミナーで学んだ捨てられないパターンのひとつ。

もしかしたら、いつか必要かもしれない…と、
あるかないか分からないその時のために、捨てずに取っておく。

捨ててしまったら、いつか困ることがあるかもしれない。


今この時を生きているのに、将来の不安に焦点を合わせている。

もしもの時なんて、来ないかもしれない。

困ること、必要になることなんて、ないかもしれない。

だけど、もし、万が一…。


そんな時がきたら、その時に対処すればいいし、
必要なモノなら、必ずなんらかの形で手に入る…というのが断捨離流。

必要なモノを入手できない自分を想定することも、断捨る。



この非常時に、必要以上に持たない、これは覚悟がいることだ。

周りが買いだめに走る中、自分だけが買い控えるのは、不安だし怖い。

幼い子どもがいたりすれば、なおさらだろう。


だけど、日本は大丈夫、つぶれたりしない。

物流もまもなく回復する。

たとえ今欲しいモノが一時的に入手できなくても、
それで飢えたり、凍えたり、まして命を落としたりすることはない。

買いだめが続くと、業者は大量発注をかける。

すると被災地に送る物資が、流用される恐れが出てくる。

しばらくの不便をみんなで辛抱することが、
しいては被災地の痛みを共有することに繋がるのではないだろうか。

愛する人や家を一瞬で失った方々にくらべれば、
そんな不便は些細なことに思えてくる。


今は、みんなが不安な時。

ダンシャリアンの私たちは、せめて必要最小限で生活する智恵と覚悟を持てたらいいと思う。





どうかご無事で

2011-03-18 09:34:56 | 日記

福島原発の上空から、自衛隊が水30トンを投下した。

3段階の冷却システムがすべて機能しなかったため、最後にできることらしい。

技術の粋を集めた原子炉に放水…。

たき火を消すのとはわけが違う。

本当にそれでクールダウンできるのか。

有効性は、…分からない。

政府にも専門家にも、この先のことは分からない。

地震も津波も想定以上の規模で、こんな事故だって初めてのこと。

これからどうなるのか…、
一般市民だけでなく、指示を出すトップもみんな不安なのだ。


そんな中で最善策を模索している。

対応が遅いとか、決断が遅いとか、すべてが後手後手だとか、
批判するのは容易いけれど、じゃあ自分が同じ立場に置かれたら、一体どうする?


現場にいる原発職員、自衛隊、消防、警察の特殊部隊や精鋭部隊は、
本当にこれで熔解を止められるのか…と疑問に思っているかもしれない。

それでも個人の想いには蓋をして、被爆の危険を承知しながら作業に当たっている。

日本人だから、被爆の恐ろしさはよく知っているはずなのに。



今この時も、危険な作業に従事する人たち、
それが仕事…と言ってしまえばそれまでだけど、現場に近づくことさえ命がけだとういうこと、
出動に際し、自分が犠牲になることを、覚悟した方もおられるかもしれないということ、
決して忘れてはいけない。


朝刊に、消防車の周りで放水準備をする自衛隊員の航空写真が載っていた。

白い防護服姿の隊員もいる。

豆粒のように小さな人影は、ただの自衛隊の人ではない。

当たり前のことだけれど、一人一人が○○△△という名前を持った個人だ。

誰かの息子であり、夫であり、兄であり、弟であり、友であり、恋人であり…。

女性の隊員もいるかもしれない。

この方たちにも、それぞれ家族や愛する人がいる。

家族、友人、国民、ひいては故郷を守りたい…と現場に赴く人たちと、
被爆してほしくない、無事でいて欲しいと藁にもすがる思いの家族、そして私たち。


どうか原発で犠牲者が出ませんように。


放水は焼け石に水という論調もあるけれど、
もし神様がいるなら、この大きな賭けに勝たせて!と祈らずにはいられない。