今・ここ・自分~断捨離日記

断捨離とは不要・不適・不快を、要・適・快に入れ替えるプロセス
正規トレーナーのmomoが、断捨離でごきげんを実現します

Real Clothesに断捨離が!

2011-01-31 13:42:05 | 断捨離とは?

漫画家の槇村さとる氏は断捨離通だ。

2010年10月10日号のクロワッサンに掲載された
ひでこ先生との対談は記憶に新しい。


槇村氏のReal Clothes(リアル・クローズ)は、
昨年、テレビドラマ化されたこともあり、ご存知の方も多いと思う。

越前屋百貨店の布団売り場にいた冴えない店員の絹恵が、
婦人服売り場配属を機に、おしゃれに目覚め、
人生の目標となる女性にもめぐり合い、
仕事を通じて成長しながら、バリバリ働く物語りだ。

そのReal Clothesの11巻に、ややっ、これは!…と思うシーンがあった。

直属のボスが過労で入院し、
身の回りの品を自宅マンションまで取りに行く絹恵。

だがそこで目にしたのは、散らかって荒れ果てた部屋。

生ゴミすら放置されたまま、悪臭を放っている。

ボスを憎からず思っている絹恵は、
窓を開け放ち、よし・・・と腕まくりをして、片づけ始める。

だが絹恵は、そこではたと気づく。


『他人がさわっちゃダメだーーーー。

部屋の中は心の中だ。

どんなにすさんでたって、それが自然なら・・・
勝手に人の手で片づけられたら、腹が立つ。

心の中は、自分で整理するしかない。』(原文のまま)


生ゴミだけ捨てて、部屋はそのままに、
絹恵は頼まれた物を病院に届ける。


『心の整理はご自分で!!』

…と切ない念を送りながら。


断捨離の真髄をよく分かっていらっしゃる槇村氏だからこそ、
つむげるエピソード。


そう、断捨離は、人のモノに手をつけない。

自分のモノに自分の手で片をつけるプロセス。

だって自分で向かい合わないと、なんの意味もないから。

他人が片づけたって、それは一時的なことで、
心の中はそのままだし、すぐ元に戻って、それで終わりだ。

自分の人生をなんとかしたかったら、
他人任せじゃなく、自分で向き合う覚悟を持たないと!

でも逃げずに向き合った先には、きっと素敵な変化が待っている。



作品中には、仕事で行き詰ったり、疲れきったりした絹恵が、
自分の部屋の散らかり具合に気づき、
いてもたってもいられず、片づけを始める場面が時々登場する。

一生懸命頑張っている部下に対して、
ごみためのような部屋にいる自分を恥ずかしい・・・と感じたり。


中学生の頃から大好きな漫画家さんだったけど、
断捨離つながりで、さらにファン度アップだ


クロワッサンの対談に向けて、
初めてお会いする槇村氏の作品を読んでみたいとのことで、
ひでこ先生に私の蔵書(?)をお貸しした。

これは一度は断捨離対象になったが、
娘がもう少し成長したら読ませたい・・・という想いが捨てられず、
とっておくことにした、いわく付きの本。

そうしたらひでこ先生が、
対談に本を持っていって、なんと直筆のサインをもらってくださった。








きゃ~~~~~~っ、感激!

ありがとうございます。

永久保存版にしよっと!
(ダンシャリアンにあるまじき発想)




雪は相変わらず。

玄関から道を臨む風景。

もう白一色。



車庫の上にも1メートルほど、積もっている。

もちろん屋根にも

暖房用の灯油タンク周辺は、2メートル以上溜まっていて、
残量を見に行くことも、ままならず。

たとえ空になっても、給油のおじさんもタンクに近づけないけど…。





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旨し!

2011-01-29 22:27:59 | 実践

内釜のコーティングが剥がれ、新旧交代した我が家の炊飯器。

新機種は踊り炊き…ができるヤツで、
踊りながら炊くと何がどういいのかイマイチ理解はできないが、
試しにご飯を炊いてみたら・・・


おいしい!


昨日と同じお米なのに、お釜ひとつで味がこんなに変わるものなのか…とびっくり。

基本的に、ご飯は食べられればOKという夫でさえも、
一口で味の違いに気がついた。

心なしかご飯がツヤツヤ輝いている。

毎日食べるご飯が、美味しいって、いいことだなぁ~~。


前日に炊いたご飯を、翌日のお弁当に使っても美味しさ変わらず…って、
ユーザーレビューに書いてあったし、
それが本当なら、ひじょうに助かる。


ご飯を炊く、ただそれだけのことが、なんだか楽しい。




“踊り”と“旨い”繋がりで、小話をひとつ。

中3の娘は、This is it! 以来、マイケル・ジャクソンの大ファンで、
DVDを繰り返し見てダンスの振り付けを覚え、一人で踊っている。

汗だくで部屋から出てきたと思ったら、
受験生のくせに、ずっと踊っていた・・・とかは、日常茶飯事。

MJのダンスは素人目にもすごく複雑で難しいと思うが、
何度も何度もトライして、それなりに習得しているからすごい。

まさに『好きこそものの上手なれ』だ。

そんな彼女、高校生になったら
本格的に先生について、ダンスをやりたいようだ。

友達もみんな知っている。

先日、学校帰りの娘と友達数人を車に乗せた時、
TVに出ていた日本人ダンサーの話になった。

「○○って、ダンスを始めたの、18才からねんて」

「じゃ、高校生からでも一生懸命やれば、プロになれるかも!」

「よっしゃぁ

「でも、ず~~~っと練習しんなんね。」

「寝てる時とご飯の時以外は、踊っとれば?」

「ご飯の時も、踊りながら食べたらいい。」


「踊り食いやね!」





うまい!座布団1枚!




またある時、娘と友人を連れてスーパーに寄った。

おやつを何か買ってあげる・・・と言うと、友人が遠慮した。

すると娘が、


「いいって、いいって、湿っぽいな!」


湿っぽい?

娘よ、それを言うなら、水臭いでしょ。

来週火曜日は、私立高校の入試なのに、そんなんで大丈夫なのか?



箸が転がっても可笑しい年頃の娘と友人たち
その賑やかなおしゃべりを聞いていると、本当に面白いし癒される。

遥か昔、私にもそんな時代があったような、なかったような・・・。

緊張感を撒き散らすことなく、明るく受験期を駆け抜ける彼女たち、
本当はすごい大物なのかもしれない。


みんな頑張れ。応援してるよ。


…大きく話がそれたので、
新しいトースターのレポはまた今度



まるで豪雪地帯。

今晩からまた大雪になるらしい。

ご近所の皆さんも、疲れ果てて除雪を諦めている模様。



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買うと決めたら、さっさと買う

2011-01-27 16:00:22 | 実践

ひでこ先生のご自宅で受けた断捨離講座・ガイド編で、
捨てるモノは3分類できると知った。

使っていないモノと使っているモノと想念の強いモノ。


(1)使っていないモノ → 保存・放置・忘却

いつか使うかもしれないと保存してあるけれど、
そのいつかが来ることもなく、ただ漫然と置きっ放しになっているモノ。

捨てなきゃ…と思っているのに、
その手間や時間を惜しんでそのまま放置されているモノ。

あることすら忘れ去られ、存在自体が忘却の彼方になってしまったモノ。


(2)使っているモノ → 乱雑・滞積・埃・汚染

使ってはいるものの、丁寧な扱いを受けていないモノたち。

欠けた茶碗やシミのある服、状態の悪いモノは、自らを貶めるマイナスオーラを発する。

つまり「お前なんか、汚いモノでちょうどいい」というメッセージだ。

自分の価値を自ら下げて、否定している。


(3)想念の強いモノ → 象徴

たとえば人形、アルバム、書画骨董、思い出グッズ。

こういう類は、モノ自体に特別の思い入れが入りやすい。

思い出グッズは、当時を思い出して励まされるようなものならOKだが、
「あの時はよかった、それに引きかえ今は…」…と
過去に囚われ今を卑下する要因になるようならNGだ。


(2)の不具合や汚れを放置したまま、
ごきげんではない状態で使用しているモノの代表選手は、トースター

中が見えづらいだけに、何年分もの焦げたパンくずが滞積している。

貴女は、そんなトースターで焼いたパンが相応しい人ですか?…と、
ひでこ先生に問われ、即座にトースターを買い換えようと思った。

我が家のトースターは10年選手、
ほぼ毎日せっせと働いてくれた優れモノだが、
内部も外側も汚れがこびりつき、拭いても擦っても磨いてもきれいにならない。

すでに使い切った感もあり、なんの迷いもなく買い替えを決断した。



…のが、約1年前。


買い換えると決心したのに、なぜ先延ばしするのか。


それは単に面倒くさかったから


新しい機種を選定し、価格調査をして、
購入手続きに及ぶ一連の作業がわずらわしかった。

機種選定にしても、
たくさんあるメーカーのたくさんある機種の中から、
必要な機能や異なる性能を比較検討し、
これぞというモノを選び出すのは、
楽しい作業でもあるが、ある意味、けっこう面倒くさい。

現存のトースターは汚いなりにも動いているので、
緊急性もなく、ただただ判断を先送りにしていた。
(どっかの国の国会みたいだ・・・


だけど心の隅っこには、いつもトースターのことが引っかかっている。


いつかは買い換えるんだから・・・。


そのいつかって、いつ?



時を同じくして、毎日使う炊飯器にも不具合が生じた。

ご飯を炊くことに支障はないが、内釜のコーティングが剥がれだしたのだ。

圧力制御の部品も一部無くなっている。

米をとぐたびに、剥がれた部分が気になっていた。

炊飯器も買い換えよう…と思ったが、
トースターと同じ理由で、実行は先送り。



こういうズボラから発する先送り体質に嫌気がさした。

断捨離がなかなか進まない理由も、根っこはきっと同じだろう。

今日は○○周辺を徹底的にやろう!・・・と気合を入れても、
1日が終わってみれば、結局、何もできていなくて、凹んでみたり。

こんなことの繰り返しこそ、断捨離したいなぁ…。



…ということで一念発起、
トースターと炊飯器を一度に購入した。

実はお正月に義父母を招いたら
子供たちだけでなく、私までお年玉をいただき、懐が暖かかったという理由もある。

機種選定と価格調査には1週間ほどかかったが、
ネットをフル活用してみたら、呆れるほど簡単だった。

汚れたトースターとコーティングが剥げた炊飯器を、
だましだまし使ってきたこの1年間、
なんだか勿体ないことをしたと感じる。

どうせ買うなら、さっさと買って、
気持ちよいキッチン環境を整え、ごきげんで調理に励めばよかった。

ぐずぐずして無駄なストレスを抱え込んでいた1年間、
短いようでも365日、ちょっと長すぎた感は否めない。


新しい機種は明日届く。

これまで真面目に働いてくれたトースターと炊飯器、
長いことどうもありがとう。

そして、さようなら。




毎日、毎日、雪が降る。

クリスマス寒波から向こう、
石川県では1日も欠かさず降雪が観測されているとか。

除雪をしても雪の捨て場がなく、
自宅の前にはこんな山ができてしまった

ここは大通りへ繋がる歩行者用の小道だが、
もはや道の体をなしていない。

小学生と犬は喜んでいるようだが・・・。

はやく春が来ないかなぁ~~~



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他人のモノには手を出さない

2011-01-25 11:53:42 | 断捨離とは?

他人のモノを勝手に捨ててはいけない。

これは断捨離の鉄則だ。


断捨離を始めて間もない頃、
私はこの掟を破り、家族のモノにも手を出していた。


だって~~~~~、自分のモノより、人のモノのほうが捨てやすいから


たとえ使っていなくても、自分が手に入れ、ずっと溜め込んできたモノ達には、
なんらかの執着が絡み付いていて、
要る・要らないの判断をするのは、とてもしんどかった。

しかし家族のモノならば、
たいした執着もないから、潔くズバズバ捨てられる。

どんどん膨らんでいくゴミ袋を見ると、心が躍った。


確かに誰が見ても絶対に要らないモノは、存在する。

小さくなって着られない子供服。

前の学年の教科書やプリント類。

穴の開いたシューズ。

何年も前に卒業したカードゲーム。

カペカペになって皮が剥がれ落ちた、大学時代のスパイク。(30年モノ)

卒論の資料。

前の職場で揃えた、野球ユニフォーム一式。

年代物のとてつもなく旧型のスキー板。

以下省略。


これら家族の不要物は、
断捨離を始めた私にとって、格好の獲物だった。

ほとんど何の罪悪感もなく、
どんどん捨てられて、空間も気持ちもすっきりする。


だ・け・ど!

ひでこ先生は、
たとえ家族と言えど、他人のモノに手を出してはいけない!と仰った

子供がまだ幼くて、すべてのモノが親の管理下にあるならば、
代理で断捨離するのも、まあいいだろう。

だけど、10代の子供は、もう半分大人、
すでに自我が目覚めている相手に対し、
その私物を勝手に処分するのは、よろしくない。

また家の片づけに何の関心もない夫にしても、
大学の部活で使っていた黄ばんだウェアに、
私には理解不能なノスタルジーを抱いているかもしれない。

もし自分のモノが誰かに勝手に捨てられたとしたら…、
なんだか自分がないがしろにされているような、
自分が捨てられるような、
嫌~~~な気分になるはずだ。


だから断捨離は、自分でする。

人のモノに手を出さなくても、
断捨るべきモノは、家の中にいっぱいある。

判断するのが辛かろうが、まず目を向けるのは、自分のモノだ。

主婦の場合は、食器や調理器具や家財等も、
自分の裁量で処分を決められるので、
該当物は膨大な量になるはずだ。


そうやって、自分に軸を据えていれば、
予想外の素敵な変化が訪れる(…こともある)。


断捨離セミナーの受講生さんから、こんなメールをいただいた。

『また皆さんとお会いできることを楽しみに、
今は少しずつ、母と二人でダンシャリに励んでおります。

やはり、二人だと、ダンシャリの楽しさも倍増するようです。

ワイワイ言いながら、ストレス解消になってます。

先日の不燃物の日には、ゴミ袋10袋以上出しました(^O)=3

まだまだ、リサイクルショップ行きの本や雑貨なども控えているので、
早々に持って行きたいと考えています。

最近、モノを溜め込むタイプの父が、
ほんの少しずつですが、モノを手放してきています。

父の怒りにふれないよう、隠れてこっそりダンシャリをしていたのですが、
きっと私達の波動が伝わったのだと思います。

母と二人でニンマリしています(#^.^#)』


またこんなメールも。

『セミナーの後も、ちょっとづつですが
「捨てればいいんだ」と思って、色々とごみ袋にいれています。

が、面白い事に...
私の断捨離は進まないのに、
普段から家の中をきれいにしている友達が
私の話しを聞いて、ドンドン捨て出しました。

スイッチが入っている人って、こうなのね~なんて思っています。』


さらにはこんなコメント。

『やました先生が長年培った「断捨離」を
自分のあり方、暮らしの変化を通じて
断捨離の整合性を、私なりに伝えられたらいいな・・と思います。

今のところ友人など、自分の周りへの影響がすごいです。

ほんの少し伝えただけで、即実行!

しかも、先生がお伝えしたポイントをしっかり押さえているので、
ただただ驚くばかりです☆』



すごいね

受講生さん達が断捨離する姿に感化されて、
家族や友人が自分のモノを自分で処分し始める。

そう、モノの要・不要は、所有者本人にしか判断できない。

自分のモノを自分の手で。

これがあるべき姿なんだと思う。


家族が、各々の私物を自分で断捨離する、
私にもいつの日か、こんな幸運が訪れることを願いつつ、
今日も粛々と自分のモノと向き合おうっと。



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歯の処遇

2011-01-14 10:48:27 | 実践

我が子に初めての歯が生えた時、嬉しかったのを覚えている。

少し前から、よだれが多いな…とは思っていた。

しきりにおもちゃを、しゃぶっていた。

そうしたら、ある朝、小っちゃな歯が顔を出した。

そっと触れてみると、確かに硬い。

桜貝みたいなピンク色の歯茎に、
ほんの少し出てきた歯はまるで真珠のかけらのよう。

何度も触って、嫌がられた



そんな感動的な生え方をした乳歯だが、
5~6年経てば、永久歯にその座を譲る。

20本の乳歯は役目を終えて、順次抜け落ちるのだ。



さて、この抜け落ちた乳歯、いったいどうすればいいのだろう。


昔からの慣わしでは、下の歯は屋根に投げ上げ、
上の歯は縁の下に投げ込むことになっているようだ。

どちらの歯も、上と下に向かって真っ直ぐ生えるようにという願いを込めて。


だけど現在の住宅に、縁の下はない。

土台に換気口はあるが、金網で覆われている。

それに屋根に投げ上げたって、結局は地面に落ちてくる。

もういらない歯とはいえ、子供の体の一部を野ざらしにするのは忍びなく、
かといってゴミ箱に捨てることも耐えがい。

…で、どう処分していいか分からずに、ただ何となく取ってある。

愛おしくて大切に保存してあるわけではない。

その証拠に、何かの拍子に、引き出しや棚の隅っこから、コロコロ出てくる

アメリカで、乳歯を入れておく、フォトフレームみたいな専用の箱を見たことがあるが、
抜けた歯を飾って、果たして嬉しいだろうか…?

赤ちゃんだったのに、こんなに大きくなって…と、
後からしみじみ懐かしむためのアイテムは、
乳歯より写真や作品のほうが相応しいのでは?

(ダンシャリアンの場合は、厳選した写真ね


ただなんとなく。

これが曲者だ。

昔は赤ちゃんだった息子と娘も今は10代半ば、
立派な永久歯が生え揃い、
歯列矯正もしたので、噛み合わせもばっちり、
見た目も大変よろしい。

私が乳歯を取っておく必要はないし、
多分本人たちも、欲しがらないと思う。

もしかしたら歯はおろか、へその緒だって欲しくないかも…。



よし、処分しよう。

野ざらしもゴミも嫌だから、庭に埋めよう。

歴代ハムスターのお墓の横がいいかな

今は雪が深くて無理だけれど、
家中から集めておいて、もう少し暖かくなったら土に返そう。


何千年か経って、
『旧○○時代の人類の化石、発見!』…なんてニュースになったりしてね。



今日は晴れ間ものぞいているが、今晩から、また寒波がくるらしい。

暖房機の調子が悪いので、ゆううつ・・・。



癒し画像も1枚



犬は喜び庭駆け回る~…というのは本当。

毎日、散歩のたびに大はしゃぎ。

ちなみに犬も乳歯が抜けるが、
我が家の愛犬は食べてしまったらしく、見たことはない。




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