今・ここ・自分~断捨離日記

断捨離とは不要・不適・不快を、要・適・快に入れ替えるプロセス
正規トレーナーのmomoが、断捨離でごきげんを実現します

いつでも捨てられる…か?

2011-06-29 18:50:35 | 実践

夫の実家で食器棚の断捨離をした際に、もう不要と判断した食器、調理器具、カトラリーの類。

実にダンボール5箱分。

全部自宅に持ち帰り、分別してゴミの日を待つ。

金沢市では、燃やさないゴミの日は月1回。

重量があるので、ゴミ袋に小分けした。


搬出の前日、・・・ふと思い立って、義姉に電話をする。

私が勝手に断捨離したが、
もしかしたら義姉にとって大切なモノや思い入れのあるモノが混じっているかもしれないから。


「覚えとらんわ~~~。」

義姉が実家を離れてから、すでに40年。

どんな食器があったかなんて、忘却の彼方らしい。


そっか…、じゃ、遠慮なく処分します。



…と、思いきや、


「捨てるのなんて、いつでもできるから、ダンボールに入れて実家の2階に置いといて!」と仰る。



えええええええっ
なんですと


たった今、食器のことなんか覚えていないと言ったばかりじゃ?

覚えてないのに、実際にお義姉さんが使うわけでもないのに、保管しておけと?

2階には、お義姉さんのお祖母ちゃんが使っていた食器一式も、手付かずで積み上げられているというのに?



怯むな、私。

これが普通の人の感覚なんだから。



捨てるのなんて、いつでもできる。


果たして本当にそうだろうか?


捨てることって、案外、難しい。

要る・要らないを判断し、
あまたの抵抗勢力を蹴散らして、自分の罪悪感にも打ち勝ち、
ゴミ袋に入れて、それをさらに集積所に出すことは、
口で言うほど簡単じゃない。

だから捨てられない・捨てたくない…と多くの人が悩むのに。

捨てる決心をしたら、一気に最後まで動かないと、
ゴミはどこかに仮置きされ、そのまま放置されることになる。

縁側に、廊下の隅に、ベランダに、車庫の中に、庭の倉庫に、そして実家の2階に。


実家の2階はまさにモノ置き。

使っていない頂き物が箱に入ったまま埃をかぶり、
先代の所持品がそっくり残され、
おそらくダニの大家族が住んでいる座布団やゴザが積み上げられ、
昭和の香り漂うレコードや、忘れられた買い置きの日常品など、
ありとあらゆるモノの墓場になっている。

そういえば、夫の中学の頃のユニフォームが今も壁にかかったまま

孫達が遊んだ卓球台もあるのだが、
こんな埃の舞い散る中で卓球をしたら、たちまち呼吸困難になってしまう。


断捨離講座in金沢のテーマは魔窟だったが、
実家にもあったんだな、魔窟

2階に通じる細い階段は、さしずめ賽の河原…といったところか。

いつかはこの魔窟も片づけなくちゃいけない日がくる。

その時の負担を、ほんの僅かでも軽減するために、
義母の食器を仲間入りさせるわけにはいかない。

一生懸命、言葉を選びながら、説得したら、
元々、そんなに執着していたわけでもないので、義姉はあっさりOKを出してくれた。


…というわけで、とっくの昔に役目を終えた食器たちには、
実家に空間とゆとりを取り戻すため、身を引いてもらった。


長いこと、どうもありがとう。さようなら

実家の台所引き出し。

これだけ断捨離。

すっきり~~

本邦初公開、ダンボール5箱分の食器を吐き出した食器棚の現在。

左下のごちゃごちゃは、まだ手をつけていない部分。




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怒涛の居間掃除

2011-06-26 22:06:10 | 実践

夫の実家へお手伝いに行った。

今日は、義母がいる居間のラグを、夏用に換えて欲しいとのこと。


ラグを取り換える…。

それ自体はとても簡単なんだけど、
そのためには、冬用ラグの上にある諸々のモノを全部どかさなければならない。


…けっこうな重労働かも。

ため息が出そうになるのを、慌てて飲み込んだ


義母はただでさえ具合が悪いのに、一向に良くならないことで、かなり凹んでいる。

私たちが、病状のことを、何か隠しているんじゃないか…と勘ぐるほどに。


何も隠し事はしていない。

だけど確かにこんな雑然とした部屋にいたら、
悪いほうへと思考が流れるのも無理はない。


よし!では、お掃除しましょう

風通しをよくして、動けなくても、せめて気持ちが和むように…。



普段から片づけも掃除もあまりされていない部屋。

モノと埃がいっぱいだ。

古い雑誌、古い本、古いブラシ、古い座布団、古いマット。

本人が横にいるので、「これ、いりますか?」といちいち尋ねる。


ヨガの教本。

「腰の痛みにいいポーズが載っとるから」

歩くのも難儀しているのに、ヨガはやめた方がいいのでは?


黄ばんだ新聞の切り抜き。

「いいことが書いてあるから、また読むこともある。」

情報も古すぎると、逆に毒になるかも。


ツボ押しの本。

「痛い時、これを見て、ツボを押さんなんから。」

1989年発行の雑誌…、もう何年も開いていない感じ。

それにツボの本ばかり、3冊もいらないでしょう?


大量の折り紙。

「ひ孫が来たときに必要。」

ひ孫は一人、東京在住。そんなに頻繁に遊びには来れない。


でかいマッサージチェア。

「お見舞いの人が来た時、座ってもらう。」

どうか他人のことより、自分の快適を優先して!

主治医にもマッサージはダメと言われているのだから、
場所塞ぎのチェアはここにはいらないのでは?


何十冊もの野菜作りに関する書物。

畑仕事が生きがいだったのは、よく知っている。

でも…、可哀想だけど、これからは、今までのように畑にはいけない

いくらなんでも、こんなに大量の本は必要ないと思う。


開封済みの野菜の種。

発芽保証期間は3年前。

「紫蘇は丈夫やから、古い種でも生きとる。」

本当ですか~~?



一事が万事この調子で、疲れるったらありゃしない。



お義母さんは、捨てたくない人なんだなぁ…。


だけどひでこ先生は、戦時中を生き抜いてきた人たちの心境は、察してあげなければいけない…と仰っていた。

モノがない時代、食べる物も明日の保証も何もない。

乏しい中、ひもじい思いに耐えながら、気力で生きてきた。

気合や根性だけではどうにもならない窮乏を、無理やり埋めてきたのだ。

計り知れないトラウマを負っている。

この部屋が心身を蝕んでいることは明らかだが、
「すっきりさせなきゃ、ダメですよ!」と上から目線で言ってはいけない。


じれったい…とは思ったけれど、根気よく確認を取りながら、
OKが出たモノだけ、気が変わらないうちに…と大急ぎでゴミ袋に詰める。

冬用ラグを引っぺがし、丹念に掃除機をかけ、
ついでにソファもマッサージチェアも移動させて、
裏にこんもり積もった埃を取り除く。

家具の裏とはいえ、こんなに大量の埃と暮らしていたら、良くなるものも良くならない。

夫と2人、取り憑かれたかのように掃除をしていて、ふと気づいたら…、


な、なんと

義母が杖をつきながら寄ってきて、古い手紙や書類を自ら捨て始めた。


それも今までの抵抗は何だったの?…と思わせるほどの潔さで、ズバズバ断捨離している。






籐のラグを敷いて、座卓を元に戻したら、夏用の部屋が整った。


本日の戦利品は、ゴミ袋3袋、ダンボール2箱の不要物。


2時間の掃除で、居間はびっくりするくらい片づいて、気持ちの良い空間になった。



帰り際、「また来るね」と振り向いたら、義母が泣きだした。


心細かったんだな、きっと。

体が思うように動かなくて、先のことを考えると、いろいろと不安で…。

物が堆積して流れが淀んだ部屋で、山のような不安を抱え、背中を丸めて座っているしかなかった。


病気のことは、主治医に任せるしかないけれど、
部屋がきれいになったら、気持ちも晴れるし、気力も快復するはず。

流れがよみがえれば、きっと何かいいことも流れ込んでくるよ。


…そういう思いも込めて、拭き清めた座卓の上に、「断捨離入門」をそっと置いてきた。






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真夏日だから?

2011-06-23 19:30:43 | 実践

暑い真夏日だって

気温もさることながら、この湿度にはまいる。

6月だというのに、もう体がバテ気味で、何もしたくない。

ず~~っとウダウダしていたいところだが、
実際にウダウダして夜になると、激しい自己嫌悪に襲われるのは必至。

それも嫌なんだよね~~。


…こんな時は、アレだな。


ウォークマンでノリのいい曲を大音量で聞きながら、
何も考えず、ただただ、我が家のパワースポット、キッチンを磨く。

不思議なもので、体を動かしていると、いつの間にかウダウダした気分は霧散する。

暑いからたくさん汗をかくし、ダイエット効果もばっちり。

おまけにキッチンがピカピカになれば、
気分爽快、へばりつくような鬱陶しさとも、おさらばできる。

至れり尽くせり、いい事ずくめだ


では…、ちょっくら行ってきます。

 


…で、3時間後。

キッチンのみならず、リビングもきれいに片づいた

それだけ動くと弾みがつくのか、このまま終わるのが惜しくなる。

現在、外壁の塗り替え中で、窓を開けられないため蒸し風呂状態の2階で、
やらなきゃ・・・とずっと気になっていた衣類の整理に突入した。

夏物と入れ替えながら、断捨離も同時進行。

前のシーズンには思い切れなかったけど、今はそれほど執着していない服、
1年たって好みが変わった服、
この夏、着たいと思えない服、
子供たちの小さくなった服、
卒業していらなくなった制服etc.

軽快にゴミ袋に詰めていけるのは、セミナーの余韻か、
はたまた暑さで頭がぼ~~~っとしているからか。


衣類の断捨離は、私にとってハードルが高い。

小さい時から、衣類を大切に…と、繰り返し母に刷り込まれてきたせいかもしれない。

衣替えの極意も叩き込まれている。

そんなにしなくても…と思えるほど、しっかり管理させられた。

シーズン中、1回でも着た衣類は、洗濯あるいはクリーニング、
必要とあればアイロンもかけて、防虫剤と一緒に、保管ケースに入れる。

でも、いる・いらないの判断は管理に含まれないため、
衣類の量は年々増え、その都度、保管ケースを買い足していく。

そうして押入れやクローゼットは、もう着ることもない古い服の墓場と化した。


2年前に断捨離と出会ってから、ずっと母に植え付けられた観念と戦ってきた。

捨てたい、もういらない…と思っているのに、処分できない私。

なんでだろう…。


母はお洒落が好きだった。

ファッションの仕事に就いていたこともある。

だから母にとって、衣類は優先順位がとても高いモノで、処分の対象ではありえない。


…でも、私は違う。

私は、清潔で小ぎれいにしていたいとは思うけれど、
たまに新しい服を欲しいと思うこともあるけれど、
基本的に、お洒落にさほど興味はない。

コーディネイトに工夫もなく、小物やアクセサリーもいらない。

気に入った服なら、毎日着たって平気だ。

だから枚数はそんなに必要ない。

昔の服なんて、もっといらない。


結婚した後もずっと母の管理方法を踏襲してきたが、その呪縛こそ、もういらないのでは?


そう気づいてから、衣類の断捨離も少しずつできるようになってきた。

とても辛いことではあるけれど…。


それにしても、今日は、思いのほか、じゃんじゃん思い切れたな~。

暑さとBGMのせいかな…。

熱中症になりそうなくらい、汗もかいたし、なんか気持ちいい。


本日の成果は、キッチンとリビングの片づけ&衣類の断捨離、
午後のウダウダした気分が、今はすっきり爽快、よく眠れそうだ。

桑田圭介くんとクイーンに感謝



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断捨離講座in金沢・実践編

2011-06-21 20:21:53 | セミナー

断捨離講座in金沢が終了した。

ガイド編、意識編、実践編の全3回コース。

地元なんだから…と無理にお願いして、3日に分けた。

他の街では、同じ内容を、土・日にまとめて一気に学ぶ。

出かける手間は少なくて、ある意味、ラクかもしれないけれど、
講義内容の消化吸収には、負担が大きいように思う。

だって本当に盛りだくさんだから!


断捨離はただの片づけ術に留まらない。

本当に奥が深くて、これでOK…というゴールはない。

心の中にまでプローブを伸ばし、自分が長年、ひた隠しにしていた諸問題をあぶりだす。

目を背けてはいたけれど、本当は自分をとてもとても苦しめていた根本的な問題。

絶対、解決なんかできない、答なんかあるはずない!…と半ば諦めていた問題。

だけどもし解決できたら、
どんなに気持ちが軽くなるだろう…、
毎日がどんなに充実して、楽しく感じられるだろう…と思っている問題。

そんな深い悩みにまで言及していく断捨離。

でもそれもこれも、スタートは住まいに堆積する不要物の排除から。

心の問題は分かりにくいが、断捨離はとても分かり易い。

自分が行動することで、目に見える結果が出る。



「断捨離って、すごい!

こんなに奥が深いとは、想像もしてなかった!」

「宗教みたいな話だったらどうしよ~~と心配してたけど、全然違う。

今まで自己啓発系のセミナーに何度か参加したけど、なんか違和感があって…。

今回はしっくりくるし、納得できる。」


休憩時間にいただいた感想だ。


わざわざ3回に分け、間に1週間挟むことで、
講座で学んだことをじっくり反芻したり、実践してみたりする時間が生まれる。

その過程で疑問や質問が出てきても、次の回で直接、ひでこ先生に尋ねられる。

そうやって定着させながら、ステップアップしていく方が、ラクを上回る利点があると思った。


…だが、加速度的にご多忙になって、
月の3分の2は、出張で地元にいらっしゃらないひでこ先生。

この方式も、もしかしたら今回が最後かもしれない。




最終回の実践編も相変わらずの絶好調。



見たってちょ、この楽しそうなお顔

全国各地のセミナーで、毎回同じ話をするのに、飽きませんか?…と聞いたことがある。

でも全然、飽きないとのこと。

各講座、テーマは同じでも、それぞれ独自のカラーがあり、
その時々の流れや要望に応じて、話したいことが湧き上がってくるのだとか。

100人、200人を前に講演するよりも、
30~40人規模で、受講生さんのニーズを肌で感じ取りながら講義をする方が、実はお好きらしい。


…で、金沢の受講生さんを前にして、今回、まず仰ったのは、挨拶のこと。

ひでこ先生は、挨拶をとても大切にしている。

たとえ、家に誰もいなくても、帰宅したら「ただいま」と言う。

その時に、「なんだこの汚い家は」ではなく、
「あ~~、帰ってきてよかった。ほっとする」と思える家だと、いいな。


住まいを整える、つまり家のメンテナンス、平たく言えば家事労働、
この部分を楽しめたら、生きることは楽しく、そしてラクになる。




モノの価値は自分が決める。

たとえば、戸棚の奥に仕舞いこんである、あの高級ブランドのカップ。

私が日常的に使うなんて、もったいない!

でも何がもったいないのか?

使われもせず、暗い戸棚にずっと保管されている事の方が、もったいないのでは?

これは自分が自分に許可を出していないからだ。

無意識のうちに、こんないい物は自分には相応しくないと思っている。

いきなり10万円のカップは敷居が高いけれど、
とりあえずおまけで貰ったカップはやめて、3000円くらいのカップを使う許可を出してみては?

そのカップに慣れてきたら、次はもっといい物を使ってみたい…と思うようになるかもしれない。


低いセルフイメージに基づかず、
人がなんと言おうと、自分に相応しいモノは自分で決める。

これはカップに限ったことではない。

誤解してほしくないのだが、断捨離は高価な品を推奨しているわけではない。

ただモノの価値は、自分で決めようと提唱しているだけだ。

値段や希少価値やブランドバリューではなく、
私が慈しんで、大切に思うモノが、私にとって価値がある。

その揺るぎないスタンスが、断捨離のベースだ。



リピーターさんの中に、バーゲンに行くのはやめた!…という方がいた。

お得感に惑わされ、本当にその品物が欲しいかどうかではなく、
こんなにいいモノをこんなに安く買えた私に焦点が当たっていた。

本当に欲しいモノは、定価でも欲しいモノ。

そう思ったら、バーゲンに行く気が失せたとのこと。

現在、彼女のお宅は、モノが厳選され、
ダンシャリハウスも顔負けのすっきり空間に変身したらしい。

そして彼女自身、とても活き活きして、日々の生活をとことん楽しんでいる。



(講座のレポート、つづく)



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断捨離講座in金沢・意識編

2011-06-14 21:42:28 | セミナー

幹線道路から1本入って、我が家のある住宅地へと続く並木道。

両サイドにメタセコイヤが繁るけっこう長い道で、広々とした歩道もある。

夏は緑、秋は紅葉、冬は雪景色…と四季折々に大変美しい。

…んだけど、そのメタセコイアの下に、な、なんと

カモシカがいたのだ


山を切り開いた住宅地とはいえ、人家のこんな近くに?

キジもよく歩いているし、たまにクマも出るし、ハクビシンの目撃情報もあるけれど、
まさかカモシカまでいるとは、本当にびっくりだ。

カメラを構えた時には、藪の中に逃げ込んでしまったので、画像はない。

だけど、つぶらな瞳のカモシカと見つめあうことができ、なんか得した気分





さて、断捨離講座・意識編のつづき。


モノそのものに焦点を合わせるのが商品価値。

でも断捨離が重んじるのは、活用価値。

商品価値は、他人が決めた価値だが、活用価値は自分だけに意味のある価値だ。

安かろうが、高かろうが、希少価値があろうが、なかろうが、
私が慈しんで大切にするモノにこそ、価値がある。

自分にとって価値があると認めたモノは、
遠慮なく手に入れればいいし、仕舞いこまずにどんどん使えばいい。


ただ何故だろう、私たちは、自分で自分に制限を加えてしまう。

モノを選ぶ時、1番欲しいと思うモノではなく、2番手を選ぶ傾向がないだろうか?

究極のそれ!…ではなく、わざわざソコソコのモノに手を伸ばしていないだろうか?


こんな高価なモノを買ったら、人はどう思うだろう…。

私には、こんなよいモノは相応しくない…。

慎ましい人だと見られたい…。

そういう他人軸な気持ちこそ、断捨離して然るべきじゃないかな。


ダンシャリアンになったからといって、欲がなくなるわけじゃない。

食欲も物欲も生きる力だ。

ただ厳選に厳選を重ね、自分が本当に欲しいモノだけを手に入れるようになる、それだけのことだ。



後半のテーマは、部分即全体。

見える形で見えない部分を診断する。

つまり、意識層にある事象で、無意識の領域も分析することができるということ。


たとえば、「捨てられない」という人がいる。

これは捨てることを躊躇うという、意識できる領域で起こる現象。

ではこの人の無意識層、いわゆる深層心理には何があるのか?

「捨てられない」と言っているが、本当は「捨てられない」のではなく「捨てたくない」。

それは、自分自身が「捨てられたくない」と思っているから。

根底にあるのは、哀しいかな、無価値感だ。


同じく、「断れない」という人がいる。

この人も、「断れない」のではなく、「断りたくない」。

それは自分が「断られたくない」から。


無価値感は、多少なりとも誰にでもある感情。

無意識の領域にあるので、なかなか表面には現れないが、
自分には価値がない、自分は誰の役にも立たないと思ってしまう感情。


人は自分が誰かの役に立つ存在でありたい。

誰かに「ありがとう」と言ってもらうと、すごく嬉しい気持ちになる。

自分の行為や言葉で、誰かが笑顔になると幸せな気分になる。

報酬や見返りが欲しいのではない。

もはや欲求と言ってもいいかもしれない。


私の心理学の師匠は、
「人は自分が役立たずだと思う場からは、全速力で遠ざかり、
自分が役に立つと思う場には、お金を払ってでも出かけていく」と言う。

つまり無価値感とは、それほどまでに認めたくない、自分を苦しめる感情なのだ。


でも大丈夫。

不要なモノを1個捨てると、無価値感も1個消えるから。


また全ての人は、地球人の1人として全体に繋がっている。

これも部分即全体。

なぜツイている人には、さらにツキが回ってきて、
ツイていない人は、とことんツイていないのか。

それも、部分即全体で説明がつく。

多分企業秘密なので、詳しい説明は割愛するが、
受講生さんのリマインダーとして、図だけアップしておこう。




断捨離は散らかっていること責めるものではなく、
片づいていることを誇るものでもない。

ただただ、無自覚なモノの堆積を憂う。

モノに埋もれている状態は、
重しや足かせでがんじがらめになって、身動きが取れないのと同じ。

不要な障害物は取り除いて、身も心も軽くハッピーになりましょう!




6月16日は、いよいよ最終日。

3回なんて、あっという間だ。

12回連続講座くらいでも、いいのに…と思う。

最終回は、実践編。

さらなるヒートアップをお約束します




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