変な夢を見た。
私は古い木造家屋の2階部分にいる。
畳敷きの狭い部屋が2つ。
どちらの部屋にも、キチキチに家具が詰め込まれている。
二段ベッドや机の下、押入れの中も箱や収納家具でいっぱい。
歩くのも難儀するような部屋の中で、私は自分の服を収めたタンスを探している。
だが木製とプラスチック製のタンスや引き出しがいたる所にあって、
どれが自分のタンスか分からない。
どうも誰かと出かけるつもりらしく、階下から「まだ~~~?」っと苛立った声がする。
着て行く服が見つからず、私は半泣きだ。
…そこで、はっと目が覚めた。
なんじゃ、この思わせぶりな夢は?
ひと雨ごとに涼しくなる今日この頃
毎年、季節の変わり目になると、「着る服がない!」と大騒ぎする羽目になる。
クローゼットには、服がたくさんぶら下がっているのに…、
今、この季節に着る服、着たい服がないのだ。
結婚当初から繰り返されてきた愚行に、夫は呆れている。
さすがに新婚の頃は「じゃ、買い物に行こうか。」…なんて言ってくれたが、
今では「またか…」と聞こえないふりをする。
まるで恒例行事のような「着る服がない」コールだが、
ダンシャリアンとなった今では、その理由がよく分かる。
クローゼットや収納ケースの中の服、そのほとんどは軸がずれているのだ。
かつてはお気に入りだったかもしれないが、
時間の経過と加齢とともに、“今”の“私”が着たい服ではなくなっている。
だけど、なんとなく、ついついそのまま放置され、クローゼットを占拠し続ける。
山のような衣類の中に、
今の私が必要で、今の私に似合っていて、
今の私に心地よい服はどのくらいあるのだろうか。
おそらく半分以上は、断捨離しても何ら困ることはないはず。
ひでこ先生は、捨てられないのではなく、捨てたくないのだ…と仰る。
確かに捨てようとすると、罪悪感に押しつぶされそうになって、躊躇する。
その罪悪感と向き合うのが嫌で、判断を先延ばしにしてしまう。
私の人生、こんなことの繰り返しだった
ここらで潔く、すっぱり行きたいものだ。
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