今・ここ・自分~断捨離日記

断捨離とは不要・不適・不快を、要・適・快に入れ替えるプロセス
正規トレーナーのmomoが、断捨離でごきげんを実現します

辞書が象徴するもの

2012-01-09 10:35:11 | 実践

来年のことを言うと鬼が笑う…らしいが、
前年のことを言うと、誰が笑うのだろう…。


昨年、facebookでクリスマス断捨離を呼びかけた。

三連休で時間に余裕があったからか、
はたまたクリスマスの予定がなかったからか、
(一昔前はシングルベル…とか言いましたね
けっこうたくさん報告が寄せられた。

日本全国に散らばっているダンシャリアンが、
同時期に断捨離に勤しむ…。

ただそれだけのことなのに、なにか励まされる。

1.5トンも断捨った…とか、ゴミ袋が○袋とか聞くと、
対抗心がむくむくを湧き上がる。

(*注 ↑これは間違い。
断捨離はあくまでも自分軸の世界だから、
比べたり、張り合ったりはNG)

ただどちらかと言うと、
掃除の3ステップの1番最後、拭く・掃く・磨くに時間をかけたため、
最初のステップの片付け、つまり断捨離部分は手薄になった。

…これも、これまでの断捨離でモノが減ったおかげでしょう。

ありがたや~~


だけど成果がゼロだったわけじゃない。

量は少ないが、私にとって、ひじょうに重たいモノを手放した。


それは…、これ。



小学館、ランダムハウス英和大辞典。

縦27センチ、横21センチ、厚さ9センチ。

重さにして4キロのまさに大辞典。

33歳の誕生日に夫に買ってもらった。

当時のお値段、14,800円。

あの頃にしては、大きな買い物だったはず。

よほど嬉しかったのか、裏表紙にサインまでしてある。


仕事柄、よく辞書を使う。

それも7~8万語収録くらいの辞書では間に合わない。

重たくて、開くだけでも一苦労のこの辞書、よく使った。

だがデジタル化の大波がやってきて、
英辞郎を始めとするCD辞書が台頭し、
さらには掌サイズの電子辞書やネット辞書がその座を奪った。

誰だって、手軽で、早くて、便利なほうが好きだ。

いつの頃からか、大辞典は本棚の隅っこで、じっと座っているようになった。

ずっと、ずっと、待っても、待っても、出番は来ない。

あんなに重宝されていたのは、夢だったのか。

薄っすらかぶった埃が、その厚みを増していく。


この辞書はもう旬を過ぎた。

使う可能性は、ゼロに等しい。

…と分かっていながら、これまで1度も断捨離の対象にはならなかった。



なぜなら、この巨大な辞書は私のプライドの象徴だったから。



「私は翻訳家なのよ。」と自他共に認めさせる証拠品だったから。



全盛期は、1ヶ月に3本以上のドキュメンタリー番組に字幕をつけていた。


10年くらい前に、SSTという字幕用のソフトが導入されてから、
ほとんどの作業はPC上でできるようになった。

以前はストップウォッチで計っていたセリフの長さも、
尺を指定するだけで、PCが秒数を割り出し、
何字まで使えるかを瞬時に表示してくれる。

原稿用紙に手書きした字幕を
フィルムに焼き付ける作業もなくなった。

自分の訳をその場で画面に載せられるので、
映像とマッチしているかをすぐに判断できる。


いろいろ便利になったのは事実だが、
それでも1時間番組の字幕翻訳には10日ほどかかる。

オフィス仕事ではないから、
5時になったから終わりではなく、
1日12時間作業することもあった。

それを1ヶ月に3本ということは、
ほとんど休みなく、翻訳に没頭していたわけだ。


目も頭も疲れたし、慢性肩こりで体が重かった。

幼かった子供たちとの時間を犠牲にしたことも多々あった。

たまに仕事が途切れても、疲れ果てていて、何もできない。

当然、家も散らかっていた。


…それでも充実していた。

いや、充実していると思い込んでいたのか。



翻訳を取ったら、私には何も残らない…と思っていた。


翻訳家であることで、自分の存在意義を確かめようとしていたのかもしれない。



存在意義…なんて、

私が私であるだけでいいのに、

若い私は、何かに追われるようにPCに向かった。


内面がとてつもなく未熟だったんだなぁ…。

だから翻訳家の肩書きがそんなにも大事だったのか。

もうっ、いじらしい奴




手放せなかった辞書から、そんな過去が浮かび上がってきた。


でももういいよ。

すでにナショナル・ジオグラフィックやアニマル・プラネット等、
300本以上の翻訳をこなしてきた。

十分にやった。

培った字幕の技術は惜しいから、
これからは映像祭などで後進の育成に役立てれば、それでいい。

私には次のステージが待っているはず。



大辞典が去った後の本棚に、
ぽっかりとスペースが空いた。

重量だけでなく精神的にも重かったモノがなくなった。


この軽さが、ゆとり…という豊かさなのかもしれない。



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気楽なお正月

2012-01-06 11:28:57 | 実践


あけましておめでとうございます。



momoんちのお正月は、…なんというか、こんな感じだった。



つまり、一見普通の日となんら変わらないけれど、
そこはかとなく正月~~みたいな。
(バラとガーベラに、さりげなく葉ボタン)


大掃除はできる範囲でいい…と最初から決めていた。

だって生活っていうのは、1年365日のたゆまぬ営みで、
掃除は毎日のルーティンワーク。

年末だけが特別だと思うと、すごいプレッシャーになる。

毎日、少しずつコツコツやれば、それでいい。

家中、ピッカピカに磨き上げたら、そりゃ気持ちいいとは思うけど、
なにも忙しない年末に集中してやらなくてもいいはず。

ちょっと手間のかかる掃除は、
体力と気力が充実している時、
水が冷たくない時、
自分の気が向いた時にやればいい…、と私は思う。


お節料理も1段。

ここだけの話、お節とお雑煮が嬉しいのは、実は初日だけ。

何度も続くと飽きてしまう。(太るし・・・)

本当は1~2食分あれば十分なんじゃないかな…。


年賀状も年が明けてから、いただいた分にお返しをするだけ。


…だから、お正月を迎える準備は、とても簡単だった。

普段の家事に若干のプラスアルファ。

気合を入れて、へとへとになるまで頑張った以前の年末とは大違いだ。


おかげで子供たちと一緒に、ゆっくり紅白を見ながら過ごせた。


もちろん1年の締めくくりとして、
また気持ちよく新年を迎えるため、
一生懸命頑張る人を否定するものではない。

日本の伝統でもあるし、
家族総出の大掃除は、結束を高め、
互いへの感謝の念を生み出す。



実家の母は、伝統行事を、毎年、きちんとやる。

大掃除をして、お正月らしい花を生け、
お節料理も3段重で用意する。

元旦の初詣も欠かさない。


それはそれでいいものだと私も思う。

家庭から伝統文化の継承に貢献している。


だが幼い頃から、そんな母の背を見てきたはずなのに、
同じようにしたいと思わない私がいる。

いや、「したくない」・・・じゃなく、「できない」なのかも。

素敵だと思うけれど、私には無理。

母の意や教えに反するけれど…。



だけど、それでもいいじゃない…と堂々と言えるのは、
断捨離で確立した自分軸のおかげだろう。

母のやり方を踏襲していなくても、罪悪感はない。

後ろめたく感じたり、無理してでも同じようにしなきゃ…という焦りはゼロ。

実家のきちんとしたお正月も好きだし、我が家の気楽なお正月も同じように好き。

それでいいんだ…って、なんか心地よい。



これが実家の元旦の食卓。


はいはい、お母様には敵いませんって。

でも私は私のやり方でいくからね。





行きつ戻りつですが、2012年も断捨離道をまい進いたします。

本年もよろしくお願いいたします



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