野生生物を調査研究する会活動記録

特定非営利活動法人 野生生物を調査研究する会の会員による活動記録です。

関西と関東では違うヤブガラシ

2023-08-04 | フィールドガイド--植物編--

ヤブガラシ (ブドウ科)

 

 

日当たりの良い林縁や堤防などでみられます。

ヤブガラシはどこにでもよく出てきて、やぶをからしてしまうから、ヤブガラシ

手入れが行き届かない荒れ果てた場所でよく見られたのでしょう。

そのため、ビンボウカズラ、とかビンボウクズ、ビンボウグサ情を醸し出す草として扱われてきました。

ツル性で2~3mも伸びる多年生。

観察

茎は角張り,節を中心に赤紫色を帯びています。

葉は小葉5枚。互生。小葉には低い鋸歯があり,基部に托葉がある。

(関西のヤブガラシの葉、小葉が5つが基本形だが3、4枚のものが混じっている。関東では基本形が多いそうです。理由は関西のヤブガラシは2倍体で関東は3倍体)

夏に花柄を伸ばした先の集散花序に多数の緑黄色の小花をつける。

小花の直径は5mmで,花弁は簡単に落ちてしまうので、黄赤色の花床ばかりが目立つ。

花床の色はオレンジ色から次第にピンク色に変わっていきます。

花床をよく見ると濡れている。蜜で昆虫にとっては食べやすい状態にあるのでよく集まる。

実について

関西のヤブガラシは実をつけるが、関東のヤブガラシは実ができない。(理由は関西のヤブガラシは2倍体で関東は3倍体だから)

ヤブガラシは、ハダニがいる植物には巻き付かない。(つる草はハダニがいる植物には巻き付かないことを発見

中井友也(研究当時京都大学農学部4回生、現:毎日放送社員)・矢野修一(京都大学大学院農学

研究科助教)https://www.kyoto-u.ac.jp/より

この研究では小学校でよくでるアサガオはハダニがいても巻き付いたとか。温室育ちになると怖いもの知らずなのかもしれませんね。


夏の花 ヒマワリ

2023-08-03 | フィールドガイド--植物編--

夏の花 ヒマワリ。

7月から8月にかけてヒマワリの植えてある畑が観光名所になっている。

写真は、兵庫県佐用町のひまわり畑の写真です。

 

ひまわりについて8つの項目にまとめました。

 

1.ヒマワリは向日性があり、太陽の方向に動きます。

2.ヒマワリの学名は Helianthus です。ギリシャ語で太陽を意味する「ヘリオス」と花を意味する「アンサス」から来ています。

3.16世紀にペルーに初めて到着したスペイン人探検家は、インカの高僧が身に着けていた驚くべき黄金のヒマワリの宝飾品を見て、ヒマワリ畑を黄金と間違えました。それにより、ヒマワリは「偽りの富」の象徴となりました。

4.これまでに記録された最も高いヒマワリは9.17メートル。2014年にドイツで栽培されましした。

5.ヒマワリはキク科の植物です。

6.ヒマワリはロシアとウクライナの国花です。現在戦場となっているウクライナとロシアが同じ花を国花としている点、複雑な気持ちです

7.ヒマワリの種はカルシウムが豊富で、優れた健康食品です。

8.ヒマワリの種はフィボナッチ数列に従います。フィボナッチ数列とは数学者フィボナッチによって作成された数列内の各数値は、前の 2 つの数値の合計になります。(1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55, 89の数列のこと)

自然界のすべてのものはこのパターンに従う傾向があり、特にらせん状の形状にそれが見られます。(松ぼっくりのらせん)

 

  1. ヒマワリはなぜ東を向くか―植物の不思議な生活 (中公新書 (798)) 新書 – 1986)に詳しい。ヒマワリは常に太陽の方を向いて咲くというイメージがありますが、実は太陽を追いかけて東から西へと首を動かすのは、つぼみの時だけ。開花すると、花は東向きで動かなくなります。(同じ方向を向いたのが多いので写真にとりやすい。)
  2. 古代ギリシャ神話には、太陽神アポロンに恋をし、いつもその姿を目で追っていた少女がヒマワリの花になったというお話があります。

   ここで疑問、古代ギリシャには「ひまわり」はなかったのでは

 

  1. ひまわりは北アメリカ原産の植物で、紀元前1500年頃から栽培が始まったとされています。

ネイティブアメリカンは、ヒマワリを作物として育て、栽培した最初の人々であると考えられています。 彼らはひまわり油を料理に使い、非常に健康的で栄養価の高い種子を食べていました。

アメリカ先住民の中には、トウモロコシ、豆、カボチャ(ズッキーニ)などと並び、ヒマワリをいつかの主食となる作物として「4番目の姉妹」と呼ぶ人もいました。

コロンブスがアメリカ大陸を発見した後、1500年代中頃にスペインの医師ニコラス・モナルデス氏がひまわりに興味を持ち、種をヨーロッパに持ち帰りました。

  1. ギネス記録 ドイツのハンス・ピーターシファーさんが17メートルが育てたヒマワリ
  2. 小学校3年の理科でヒマワリを育て観察する教材になっています。

夏休の自由研究にもなりやすく、いろいろなホームページでまとめ方などたくさんあります。

ヒマワリはキク科。キク科に共通するのは筒状花(=とうじょうか)(管状花)。外苑にある花弁は舌状花といいます。

ヒマワリの筒状花を観察すると、雌しべより先に雄しべが熟して花粉を出します。筒状花には5本の雄しべがあり、熟すと黄色い花粉つきます。筒状花が外側から順に咲きはじめ、雌しべが受粉できる状態になります。受粉すると果実になります。1000個以上の実ができるのです。

  1. ロシアやウクライナではヒマワリは食料として親しみのある植物だったことと、ロシア正教では断食があり、ヒマワリの果実は食べてもよいと許可されたことから人気がでたといわれています。

チェルノブイリの事故のときもヒマワリは注目されました。ヒマワリには放射線のもとになる鉱物を吸収し、環境を浄化してくれる可能性が大いに期待されました。

  1. ヒマワリのカロリー・脂質は同じ量を比較するとポテトチップス、揚げせんべい、さきいかより多いそうです。リノール酸、ビタミンE、葉酸(ミネラル)さんなどが含まれています。
  2. 12世紀から13世紀にかけてイタリアで活躍した数学者レオナルド・フィボナッチが発見。

昭和57年度(第6回)数学入門公開講座テキストに広中平祐氏の「ひまわりの渦」のテキストがあるので参考にしてください。

 

さて、2番の疑問

古代ギリシャ神話の中の「太陽の花」は、今のヒマワリでないことは明確です。古代ギリシャ人が一度もヒマワリを見たことがなかったからです。

ヒマワリの花がヨーロッパで人気ものになった17世紀。

フランスの宮廷画家シャルル・ドゥ・ラ・フォスが1688年に発表した『クルュティエ』の絵が象徴的です。

この絵は、ギリシャ神話の太陽神アポロに恋焦がれる海の妖精クルュティエの悲しい顛末を描いたもので、叶わぬ恋に途方に暮れる海の女神のかたわらには大きなヒマワリの花が描かれています。

この絵のイメージから人々は古代ギリシャとこの花を強引に結びつけ、ヒマワリを太陽神アポロのシンボルとしたのです。

この絵のすばらしさから、たちまちギリシャ神話を代表する花となってしまったというわけです。

物として知られていた地中海沿岸に自生する草本のヘリオトロープではないといわれています。

別の説では、マリーゴールド(キンセンカ)もあります。


クサギの花の匂い人それぞれ

2023-08-02 | フィールドガイド--植物編--

クサギ(シソ科)

8月上旬 クサギの花を見つけた。

クサギの葉を揉むと臭い匂いが漂います。クサギは漢字で書くと臭木 。

しかし、臭いの好みは人それぞれのようで、 観察かいで葉の臭いを嗅いでもらうと、 「くさい」と顔をしかめる人と、 胡麻のような芳香の漂う臭さで嫌な臭いではないという人とに二分されます。

このクサギのにおいは生き残るための工夫です。

芋虫などに葉を食べられないように、一口でも食べるとにおいがでます。このにおいがこの後につく虫の数を減らします。

 

夏には白い花を樹冠いっぱいに咲かせます。

枝先や上部の葉の付け根から広がり、めだつように花序を出します(集散花序)。

がくは淡い赤紫色です。

花は甘い芳香があり、 クロアゲハなどの蝶が蜜を吸いにやってきます。ただし、アゲハは蜜をすう口が短いので蜜をすうことができません。

クサギの花を観察するとおしべがたっている時期とめしべがたっている時期があるのに気が付いた人は良く観察している人です

これは、自家受粉をふせぐための工夫です。

 

 

夏のあと晩秋から冬にかけて、 丸い果実が青黒く熟します。

がくは果実なっても残り、 実が熟す頃には赤く色づいて、 星形に開きます。

この実をすりつぶして、昔は染料にしたそうです。灰汁で煮てこした液でそめたものが、薄い藍色のあさぎ(浅葱)色になります。

 

春の軟らかい新葉は食用になります。若い葉を茹でて水にさらし、おひたしやご飯に入れて食べたり、佃煮にしたりして食べることができます。

岡山県の山間部では、湯がいた新芽を乾燥させ、保存食にしたそうです。

季節ごとに利用されたクサギです


ミズタマソウ

2023-08-01 | フィールドガイド--植物編--

ミズタマソウ(アカバナ科)

8月花が少なくなる時期、小さな花が気になる野草です。

湿り気が多く、 日影に生える多年草。

草丈は 、20㎝から60cm。

夏から秋にかけて、 花や果実の穂が出ます。

茎には下向きの毛が生えています。

花は白色で直径3mm ほど。

花びらは2枚で、 真ん中が深く切れ込んでハート形。がくやおしべも2枚です。

 

ミズタマソウの果実には、表面にかぎ爪状の毛がびっしりと生えています。

このかぎ爪で服や動物の体に引っかかり、 種がひろがります。

この果実に露がついて水玉のようになるので水玉草と名がつきました。

 

但馬ではミズタマソウまで鹿が食べているそうです。


一日花 ナツツバキ

2023-07-21 | フィールドガイド--植物編--

ナツツバキ(ツバキ科)

朝来市の峠道を雨の降る日に車で走っていると目に入った花がある。
ナツツバキ
一日花なので、今日見た花は明日はない。
車を止めて、雨の中の1枚。

ナツツバキは、沙羅双樹と言って寺院に植えられることの多い木
兵庫県で見学できる寺院や公園・植物園

兵庫県西脇市小坂町の寺院・播州成田山
兵庫県神崎郡福崎町應聖寺
神戸市北区 念仏寺  
神戸市灘区 天上寺  
明石市二見町 観音寺 
加古川市加古川町 鶴林寺  

神戸市立森林植物園 神戸市北区
兵庫県立フラワーセンター 兵庫県加西市豊倉町 

群生自生地
県立有馬富士公園(三田市)
『福島ナツツバキ個体群』として、三田市指定文化財(天然記念物)の指定を受けました。(2016有馬富士公園ホームページより)
県立ささやまの森公園 (篠山市川原)
群生地は、 同公園事務所から南へ徒歩約50分の山中の谷筋一帯で、 兵庫県と大阪府の府県境近辺。 (丹波新聞2011ホームページより)
水山ブナ・ナツツバキ希少個体群保護林(兵庫県美方郡香美町)
豊岡市但東町相田のナツツバキの群生地(2014たじまのしぜんのホームページ)

【ナツツバキ】宮城県以西の本州、 四国、 九州に分布。 樹皮はリョウブの樹肌のように赤褐色でつるつるとしている。 
6月下旬から7月下旬ごろまで美しい白い花を咲かせる。 花は直径約5センチで、 開花後、 1日で落ちる一日花。
冬には葉をおとす落葉樹。
夏にツバキに似た白い清楚な花が咲くことからこの名前が付きました。

兵庫県ではナツツバキは六甲山北側の高海抜域など比較的冷涼な気候で生育します。
シャラノキの異名を持ち、 寺院に多く植栽されているが、 自生数は少ない。

平家物語の一説「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)を現す」
インドでは沙羅双樹は本種ではなく、フタバガキ科の娑羅樹(サラノキ)。ナツツバキの葉がサラノキと似ている。

お寺で、この花を題材に法話を聞いて心を落ち着かせるのもよいが、雨の山中での花もまた情緒がある


ガマとヒメガマ

2023-07-18 | フィールドガイド--植物編--

ガマとヒメガマ

 

池の縁には“フランクフルト”のようなガマの穂がめだちはじめました。

植物のどの部分なのかわかりますか。

花、果実?

フランクフルトの部分は、茶色いガマの穂は、ガマの果実の集まりです。

ガマの穂は古い人は因幡の白兎の話でご存じの方も多いのでは

今回はガマとヒメガマをとりあげました。

 

 

因幡の白兎

蒲(ガマ)の穂をほぐした穂綿をまるめて寝具に入れたことから「蒲団(ふとん)」になった。

蒲の葉を編んで作った円い敷物を座禅に使う「蒲団」(座蒲団)というとか。

北海道のアイヌの人たちも茎葉をつかって「ゴザ」を織ったといいます。

竹輪蒲鉾(ちくわかまぼこ)は魚肉をねって竹のくしにつけて焼いたものだが、その形が蒲の穂ににているところからついた。

うなぎの蒲焼(かばやき)も昔はウナギも今のような食べ方ではなく、ウナギをぶつ切りにして、串焼きにしたのですが、その形がガマの穂に似ていたことから、蒲焼と呼ばれるようになったとか。

蒲は茎や葉を簾(すだれ)や籠に編むなどして生活用品として使われてきた。

『新木綿以前のこと』(永原慶二著 中公新書)によると、麻衣(木綿以前の庶民の着物は麻で編んだ衣をきていた)を袷にしてその間にガマの穂綿をいれて保温剤にしたとある。

また、ガマの若い芽は柔らかく、茹でて野菜のように食べていた。

 

大黒さまという「尋常小学唱歌」がある。小学校2年生で学習したようだが、その話のもとは古事記のなかにある「稲羽之素兎」の話。

 

「隠岐の島の兎が、因幡に渡りたいとおもい、ワニをだましてわたろうとした。だまされたことに気づいたワニは兎の毛皮をはぎとってしまった。

 兎がないていたところに通りかかった大黒様の兄弟。

 『海で塩水を浴びて、風に当たって伏していなさい』と教えてもらったが、この身はたちまち傷ついてしまった。

 兄弟の荷物を背負わされ遅れてやってきた大黒様

 兎に『今すぐ水門へ行き、水で体を洗い、その水門の蒲(がま)の穂をとって敷き散らして、その上を転がって花粉をつければ、膚はもとのように戻り、必ずいえるだろう』とアドバイス。

 

その古事記の話が唱歌の

「大黒さまの/いうとおり/きれいな水に/身を洗い/蒲の穂綿に/くるまれば/うさぎはもとの/白うさぎ」

の歌詞になった。

 

古事記は大国主だが、歌は大黒さまになっている。

もともとは違う神様だが、

 

ところが、古事記には、ガマの「穂綿」ではなく「蒲黄(ほこう)」となっている。

「蒲黄」とはガマの花粉のこと。この花粉は止血剤、鎮痛剤になり、切り傷や軽いやけどなら患部に直接ぬっておくとよい。

 現在でも穂黄の成分の効能, 効果から化粧品にはすでに使用されており、米国では成分が脂質代謝改善の作用がある(アメリカ食品医薬品局)と認められ, 食品のマーガリンの中に入っている

 穂綿などつけたらちくちく痛いだろうというのがガマについてよく知っている人のうんちく。

 

 実際、雄花からでる花粉の時期は6から7月、花の時期が終わってよく目にするのがガマの穂なので、歌の歌詞になったのではと考える人も多い。

 

 兎が歌で付けたガマの穂は集めて火打石の発火物、燈心などに利用された。

 

 

ガマの名前の由来だが、

漢字の「蒲」をマガマと読み、はじめの「マ」を省略され、「ガマ」となった。

朝鮮語のカム(材料の意味)が語源である説

アルタイ語の葦(あし)をいみする「カマ」が日本で「ガマ」になった。

など諸説あるようです

武庫川流域では

ガマとヒメガマがよく見られます。

穂は、上に雄花、下に雌花が咲きます。

ガマは雄花と雌花はくっついていますが、ヒメガマはその間に緑色の軸(花柄)があります。

花期が終わると雄花は無くなり軸だけが残ります。

雌花は結実して茶色になります。秋にこの穂がほつれて種子が風に飛びます。

ガマ (ガマ科)

湿地や池のへりなど、 水深の浅い場所に生える多年草。地下茎を伸ばし、 しばしば群生する。

ヒメガマ

ガマに比べると、雌花穂も小さく、葉も細い。


ハタツモリとは 「畑つ守」「旗積もり」!? ーリョウブー

2023-07-14 | フィールドガイド--植物編--

リョウブ(リョウブ科)

 

里山では、7月、クリの花が終わるころから穂を出し始めます。樹肌が特徴的なのですぐにみわけがつきます。

シカがこの木の皮をはがして食べてつるつるになっているのを見かけます。

 

北海道南部から九州にかけて、山地に自生し、高さ 8~10mになる落葉小高木で、葉は枝先に集まって互生し、先は鋭くとがり、ふちに鋸歯があります。花は枝先に小さな白い花を穂状につけ、甘い香りを放ちます。

 

リョウブ(令法)という名前は、平安時代、若葉が食用になることから救荒食料として乾燥保存し、飢饉に備えるよう「令法(りょうほう)」が発せられたことに由来します。それが、転訛して“リョウブ”となったと言われています。

花の様子から「竜尾」のように見えることから、リョウブとなった説もあります。

 

古い時代には「ハタツモリ」と呼ばれていました。語源ははっきりしないようですが、意味は「畑つ守」(畑を管理する人)です。

 

平安中期の和歌に

「いまよりは み山がくれの はたつもり 我うちはらふ 床の名なれや」 能因法師

<意味>失恋した能因法師、その女性からリョウブの枝を送られて「これからは深山に身を隠す「畑つ守」です。贈って下さったハタツモリ(リョウブ)の一枝は私の一人寝の床の塵を払う名でしょうか」と詠んだ歌です。失恋して坊主になるとは・・・

 

語源ははっきりしないと述べましたが、「ハタツモリ」について、牧野富太郎氏は、白い花がたくさん咲いているのを白い旗が積もっているようだとして、「旗積もり」の説をのべています。

 

樹皮はサルスベリやナツツバキのように樹皮がはがれ、斑になるのが特徴です。

4月中旬ごろ、リョウブの芽。

枝の先端に伸び出した数センチのリョウブの芽立ちは、美しく、生け花の材料にも使われます。

 

この若芽、3~4cmに伸びたものを天ぷらや味噌和えにして食べるとおいしいです。

また、若葉を一緒に炊飯したものを令法飯(りょうぶめし)として戦国時代から知られています。

 

救荒植物の利用として、湯がいて干したものを屋根裏に保存しておきいざというときに使ったといいます。

 

木は大きくならないので柱にはなりませんが、材が緻密なので、床柱や器具材などに使われました。

良質の木炭の原料になりました。


ツユクサ(ツユクサ科)ー物言う雑草ー

2023-07-09 | フィールドガイド--植物編--

ツユクサ(ツユクサ科)

 

3日まえに庭に刈り取ったツユクサを枯らしてからすてようと、タイルの上においておいたものだ。

ところが、昨日の雨で根もないのに見事復活。

大したものだ。

ツユクサについて調べていると川野和昭氏の論文を見つけた。

「物言う雑草/ツユクサと焼き畑民の記憶―ラオス北部と南九州の比較からー」という民俗学の論文だ。

1993年の熊本県五木村の調査で、ツユクサが一番困る草だと村人から聞いたことから始まった研究。

村人はツユクサが「日に干してもかれない」と理由を述べている。

 

我が家のツユクサも干して置いたら枯れると思っていたが、枯れないのだと共感したしだい。

 

五木村の聞き取りでは「石の上や木の上に置いておいても、風で地面に落ちるとまた増える。地面にうめても雨が降って土が崩れるとまた増える。川に流しても、どこかにひっかかり、ふえる。焼いても一節のこっても増える」となかなか大変な草だと聞き取りをしている。これが物言う雑草だ。

表題のようにラオスと南九州のツユクサの処理の方法を比較して焼き畑の民のツユクサにどのように向き合ってきたか共通点から考察している論文だ。詳細は読んでいただきたい。

 

ツユクサは理科の実験観察教材として小学校から利用されている。

<学校での学習>

・小学校6年(理科)の単元「水の通り道」で、気孔について観察・学ぶ。

表皮をはがして観察する方法(すべての教科書が扱っている)が一般的だ。

・中学校2年(理科)の単元「生物と細胞」で、細胞のつくりを観察・学ぶ。

・高等学校(生物)の単元「光合成」、「呼吸」、「植物の環境応答」で、気孔に関し学ぶ。

 

道端や草地などで見られ、6月から9月に花を咲かせ身近な植物であるからだろう。

 

和名は、ツユクサで、古くは「着草」といったが、これは花で布を刷り染めしたところによる。

日本の古代の染色は、ツユクサやカキツバタの花の色、ヤマアイの葉の色などを直接衣料にすり込む方法がとられていた。

万葉集に「月草に衣ぞ染むる君がため 綵色(しみ)の衣を 摺(す)らむと念ひて」(『万葉集』七・一二五五)《意味》ツユクサに私の衣も染まり、恋に落ちてしまったのです。あなたのために、まだらの衣を摺ってさしあげようと思っていたら。

このように、直接布に色をこすりつけて色を付けていた。

飛鳥時代以降は紫染めや藍染め、紅染めなど色の変わりにくい染色技術が大陸から伝来しので、ツユクサで衣料を染めることはなくなったという。

 

江戸時代元禄になると、友禅染でツユクサが使われる。

水につけると脱色する性質を利用し、下絵を描く絵の具に使った。

 

青花紙(単に青花ともいう)と呼ばれる紙をつかって汎用性につながった。

ツユクサは、朝のうちに摘んだ花びらを絞って青汁をとり、和紙に塗って染み込ませてから乾かす。

この手順を約100回繰り返すと「青花紙」となる。友禅の職人は、青花紙を小さく切って水に溶かし、色素を取り出すことで、下絵を描いたという。

これによって友禅の技術が急速に発展した。現在でも滋賀県では専用のツユクサを栽培している。

 

 

『万葉集』ではツユクサを 月草、百代草、平安時代には露草「露草」「蛍草」、など呼び名がある。

地域によってもいろいろな呼び方があり、身近な植物だったことがわかる。

 

さて、ツユクサは午後にはしぼんでしまい1日しか咲かないので、英語ではDayflower。

花の様子は

真ん中にある黄色い花のようなπ字型とY字型。元々はおしべだったものが変化したもので、「仮おしべ」と呼ばれている。虫などが寄ってきやすい効果があると考えられている。Y字型には少し花粉がでるので、π字型で虫を誘い、Y字型で虫に花粉を付け運んでもらっているなんていう説もある。

一方、本物のおしべはもっと下まで長く伸びて、めしべのすぐ横にある。もちろんこちらは花粉を作る「葯(やく)」がある。

虫がこなくても、午後には花が閉じる。花が閉じる時には、くるくると内側に巻いて仕舞われていき、雄しべと雌しべがくっつくので、自家受粉できる仕組みになっている。


サカキ(モッコク科)とヒサカキ(モッコク科)神事はどちらを使う

2023-07-05 | フィールドガイド--植物編--

サカキ(モッコク科)とヒサカキ(モッコク科) 

 

エングラーの分類ではツバキ科だったが、APGではモッコク科と記されている。

 

皆さんの地域ではサカキとヒサカキをどのように利用されています。

今は流通がしっかりしているので、神前にはサカキ、仏前にはヒサカキがあたりまえになっていませんか!

神事や仏事で扱われやすい植物のサカキとヒサカキ

日本列島でも、サカキが生えない地域もあり、ヒサカキをサカキとよび利用されてきた歴史があります。

(毎年、恒例のナチュラリストクラブの最終回が民俗学と植物の話、そのなかから今回はサカキとヒサカキ)

 

サカキ

枝、葉は神前に玉串として供えられる。(供えられるのは「サカキ」だが、ヒサカキを使う(「サカキ」は関東地方以北に自生しない)ところもある)

葉の表面はのっぺりとしていて緑が濃く、縁が滑らかな曲線になっている。枝の先端の芽はやや大きく、 弓なりに曲がり鷹の爪に似ている。

サカキの花は6月ごろ。11月ごろに黒い実がつく。

「榊」 は日本で作られた漢字で、 木へんに神。その漢字のとおり、 古くから神棚に供えるなどの神事に使われているため、神社に良く植えられています。

 

ヒサカキ

照葉樹林のなかではふつうにみられる樹木。岩手県、秋田県以南から四国、九州、琉球列島、および朝鮮半島南部、台湾、中国、インド、マレーなどにに分布する

別名もビシャコ(関西)、シバ(九州)ヒシャシャギ、シャシャキ、クサカキなど数多くある。日常に利用されてきたことが名前の豊富さからわかる。地域によってはヒサカキを「サカキ」というところもある。(例 新潟県佐渡、中国地方や四国など また、岡山県北部ではヒサカキがないのでソヨゴを使うという)

花は3から4月に黄を帯びた白から赤紫色まで。

ヒサカキの灰はムラサキの根で染める江戸紫やアカネ染めの媒染剤に使われた。そのため、それ用にヒサカキを栽培もされていたようだ。アルミニウムが含まれているので貴重な灰になる。

サカキは神前がおもだが、ヒサカキはサカキの代わりの神前ばかりか、シキミのかわりに墓・仏壇へのお供えなどとして利用されている。


未の刻にさくヒツジグサ

2023-06-26 | フィールドガイド--植物編--

ヒツジグサ(スイレン科)

分布 北海道~九州

花の時期 6~9月

 

昔の時刻の数え方のひとつである、「未(ひつじ)の刻(14:00)」の頃に花が開くことからこの名前になった。(園芸種のスイレンは早朝に花が開く)

ところが、江戸時代の書『大和本草』には、「此ノ花ヒツジノ時ヨリツボム」とあります。

それで、明治までは早朝に花が咲き、未の刻には花が閉じると思われていました。

 

それが事実かどうかを京都府の巨椋池(今は埋め立てられてありませんが)で、確かめた人物がいました。

牧野富太郎氏です。

早朝から夕方まで観察して、「花は正午から午後三時までに咲き、夕方5時から6時ごろに閉じる」と述べたといいます。

今回の画像は

里山での草刈りの作業前(10時)の画像

そして昼食時(1時ごろ)の画像

 

一つの花は3日、3回咲いたあと、水中に沈み結実します。

実ができると種子は浮かびます。一つ一つの種子は仮種皮(かしゅひ)につつまれてぷかぷか浮いてひろがっていきます。

この仮種皮は1、2日で腐ってとけてしまいます。とけると種子はそのまま水底に、時期が来ると発芽することになります。

兵庫県では、ため池でよく見ることのできるヒツジグサ。全国的にみると絶滅が危惧される種になりつつあります。

 

京都府(牧野富太郎氏はさどくやんでおられるかも)や奈良県では絶滅危惧種Ⅱ類、大阪府や和歌山県 滋賀県では準絶滅危惧種

コイやアメリカザリガニの食害のほか、きれいな環境が少なくなり、また、埋め立てなどで生活する環境がなくなっているとか