河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

茶話102 / どうする凡人

2023年11月28日 | よもやま話

昨日の午前中は唐辛子のクリスマスツリー作りで遊んだ(畑115 / Merry Xmas)。
他人が見れば、「ええ歳こいたオジンが何んとつまらないことしてる!」と思うだろう。
しかし、当のオジンは、つまらぬ遊びのお陰で身体も楽になったし、やる気も出てきた。
意味も目的もないつまらないことに無意識に集中し、無意識に充実感を感じる子どもの遊びのようなものが、本来の「遊び」で、意味のないことに意味があるのだ。
子どもが一日中遊んでも疲れを感じないのはそのためだ。
大人の遊びや趣味は意味・目的があるし金がかかるから、報酬や見返りや自己満足を求める。
だから、その時は集中をして楽しくとも、欲望や欲求が満たされないとストレスや疲れを感じる。
仕事を子どもの「遊び」のような感覚で楽しくしよう、などというのは土台無理な話だ。

だが、時として仕事や遊びや趣味に、子どもの「遊び」のような無意識の集中状態になることがある。
スポーツの試合の最中、感覚が研ぎ澄まされ「球が止まって見えた」「相手の動きが見えた」というやつだ。
「ゾーンに入る」とか「ゾーン感覚」と言われる「高い集中力を保ち、適度な緊張状態とリラックス状態が適切なバランスを維持できている状態」のことだ。
しかし、これは充分に練習をし自分の能力に自信を持っている人にしか出来ないことで、私のような凡人には無理な話だ。

「ならば、どうする凡人?」
簡単なことよ、唐辛子のクリスマスツリーを作ればよかろう!
まずは、金をかけない。金がかからないので報酬や見返りを求めない。
次に、誰のためなどという意味や目的もなくやることだ。意味ないことだから成果はどうでもよい。
そして、泰然自若とリラックスして一心不乱に作る。無意識のうちに集中していればよい
気付けば数時間が経過していて、わずかばかりの達成感に充分満足している自分を感じることができればよい。
そんな子どもの「遊び」の時間が、大人にも必要なのだ。

午前中に唐辛子ツリーを作って、精神・魂を持った自分と、それを形や行動にする身体が一致した状態になった。
午後からは畑に出て、エンドウの畝の準備でもするかと意気込んでいたら、ぱらぱらと雨。
仕方がない! 暇に任せてブログでも書くとするか。
「おいおい、それあったら、おまえにとっては、このブログ自体が子どもの遊びやろ!」

コメント
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