「ほんまに、人情味のある、優しい、兄貴あった・・・」
そう言って春やんは鼻をすすり、ちびりと酒もすすった。
オトンは何も言わなかった。
私は、勇ましくも、なんとも悲しい話で聞かなければよかったと思った。
「そやから、本来ならば『篠ヶ峰』と彫った墓石にするものやが、陸軍歩兵何某と書かれた立派な墓に入ってしまいよった」
「兄弟の中にひとりぐらい賢いやつがおらんとあかん。わしが中学校までやってもらえたのも兄貴のお陰や」とも言った。
気をとり直したのかオトンが言った。
「ほんで、春やん、今日はなにしに来たんや?」
「ああ、そやそや。喜志の宮さんのお札と祝い箸を配りにきたんあった」
「もう、そんな時期か・・・」
「はやいなあ。来年は戦争も災いもない良いとしでありますようにやなあ」
そう言ってお札と祝い箸をテーブルの上に置き、「ごっつぉはん!」と言って歌いながら玄関へ出た。
♪櫓太鼓は何処で鳴る
五丈三尺空で鳴る
繻子の締め込みばれん付き
十と六俵上がったら
力士も戦場も同じこと
勝つも負けるも力と技よ
裸芸者であるけれど
これも御国(みくに)の花の数♪
ずいぶんと長い話だった。春やんが帰ってから気が付いた。
あっ! ポッキーが空になってるがな!
時計を見て気が付いた。
あっ! 『てなもんや三度笠』も『ウルトラQ』も終わってるがな!
※写真は円谷プロ・江崎グリコのHPより借用
※歌は京山幸枝若「雷電八角遺恨相撲」より引用
【補筆】
実を言うと、これは春やんから聞いた話ではない。
私が町会の役員をしていた時に、年末の勘定会議(年初にある総会の打合せ)で、隣に座った古老から聞いた話である。
会議が終わると膳折と酒が出て慰労会になる。その時、その古老が言った。
「昔、この川面に相撲取りがいたのを知ってるか? 大阪相撲までいって、そら強かった! せやけど戦争で死んでしまいよった」
酒の勢いで話したのか、あまり話したくなかったのか、あとは私の質問にぽつりぽつりと答えてくれるだけだった。
それを、今年の年末になってふと思い出した。
それでもって、春やんを担ぎだして、代わりに語ってもらった。
▲明治6年(1873)に徴兵令が発せられた。 男子は満20歳で徴兵検査を受け、検査合格者(甲・乙種)の中から抽選(くじ引き)で「常備軍」の兵役に3年間服することになつていた。
たとえば、大正10年(1921)の徴兵検査受検者約55万人のうち、実際に現役入営したのは約13万6000人となっている。平時には4人に1人しか軍隊に入らなかった。
▲1927年(昭和2年)、東京相撲協会と大阪相撲協会は解散し、全国の協会・組合が統合されて「大日本相撲協会」が発足した。
この一年間、つたないブログをご覧いただきありがとうございました。
来年も、よろしくおねがいします。