河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

茶話170 / ふくらはぎ

2025年02月20日 | よもやま話

松尾芭蕉『奥の細道』の中に次のような俳句がある。 
 汐越(しほごし)や鶴はぎぬれて海涼し
意味をとりにくいので句読点を打つとこうなる。
 汐越(しほごし)や。鶴、はぎぬれて、海涼し
「汐越」は、越前と加賀との国境にある地名(呼称)。
浜に松林があり、汐が満ちてくると幹が海水に浸かったところから名づけられたという。
問題は「はぎ」。
漢字では「脛」と書く。
「すね」、「はぎ」とも読む。
脛の裏のふっくらした部分は「ふくらはぎ」。
その脹脛が痛い。

最強寒波が終わったらと思ったら、今度は最長寒波。
かなり寒いが、天気は良いので歩きに出る。
意を決して富田林市寺内町までの2㎞に挑戦。
30分かかって到着。
さすがに疲れた。
それに脹脛が痛い。
近くのスーパーに入って、イートインで無料のお茶を飲んで休憩。
    ★
15分ほど休んで、さて、どうしよう?
帰ろうか……とも思ったが、せっかく来たのだから……。
せめてもと、お気に入りの仲村家住宅へおっちらこっちら。
かつては造り酒屋で栄えた仲村家住宅は、屋号を佐渡屋という。
富田林寺内町では数少ない表屋造り。
表通りに面して細長く店の棟を構え、その背後に居住部分の母屋がある。
街道沿いの宿場を思わすたたずまいが良い。
それに、歴史カテゴリー「その26松陰独り旅・その27松陰独行」で書いた吉田松陰が逗留した家でもある。
長州(山口県)から500㎞歩いた24歳の松陰も立っていた、低い軒先の店の前に自分も立つ。
季節も同じ蓑笠に冷たい風が浸み込む頃だ。
これだけで凛とした気持ちになる。
 独り行くのも況(いわん=当然)や生路(せいろ=人生)。

もう一つお気に入りの、近くにある寺内町展望広場へ。
二上・葛城・金剛山が一望できる。
松陰も連山を眺めて日本国の未来に夢を羽ばたかせたのだろう。
そう思うだけで背筋が伸びる。
さあ、歩いて帰るとするか!
だが、最近、マンションが建って、展望広場から金剛山の裾野が見えなくなった。
それを思うと、どうも気が滅入る。
すると、脹脛の痛さがよみがえる。
さあ、どうしよう?
しかし、松陰は、富田林から600㎞歩いて江戸へ向かったのだ。
よし!
だが、松陰はペリーの黒船に遭遇し、人生の転機(処刑)を迎えたのだ!
しかし……だが……逆接の接続詞が続く時は、順接の接続詞に戻すのが良い。
そして、電車で帰ることにした。
 至誠にて動かざる者は、未だこれあらざるなり
まだまだ誠が足りない。

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茶話169 / 眠り

2025年02月06日 | よもやま話

月に一度、町会館で町内の同年代グループの飲み会がある。
歳が歳だけに、まずは体調不良の話題、次に薬の話で盛り上がる。
「どんな薬を飲んでいるねん?」
「〇〇や!」
「俺と一緒やがな!」
「あの薬もパッケージが白い間は良えけど、ピンクとか赤になるとアカンらしいな」
それを聞いた右隣の少し年配のYさんがじろりと睨む。
気心知れた同士の集まりだから、もめごとになることはない。

町内で飲んでいるという安心感から、ついつい酒が進む。
年甲斐もなく寄ったので途中で退散。
ふらふらになって家に帰ってバタンキュウ。
朝起きて、何も覚えていない。
誰かに何か嫌なことを言ったりはしていなかっただろうか?
毎度毎度の自己嫌悪。
用事があって歩いていると、昨日、睨まれたYさんとばったり。
「昨日は、すんません!」
「なんのこっちゃ?」
「昨日はえらい飲んでしもたわ!」と勘繰りをいれる。
「けつこうしっかり喋ってたで!」
優しさで言ってくれているのかもしれないと、もう一つ勘繰りをいれる。
「嫌なこと言うてなかったかなあ?」
「皆と楽しそうに、やってたがな!」
それで、ようやく一安心して、「飲み過ぎて何にも覚えてないねん」。
「それは酒に酔って覚えてないのやなしに、眠ったから覚えてないねんがな!」

眠りの効用には、心身の疲労だけではなく、記憶の整理もある。
頭の中の記憶の引き出しに、覚えておくべきことと、忘れるべきことを仕分けしてくれるのだ。
嫌なことは引き出しにぴしゃりとしまいこまれ、嬉しいことは引き出しに入りきれずに、朝になっても残っている。
だから、朝に目覚めたとき頭がすっきりとしている。
そうでなければ人間なんぞ、やってられない。
良くも悪くも、眠っている間に整理されて、すっきりとした朝を迎えて、よし、今日も頑張るぞという気持ちになれる。
        ◇
「それで、どに行くねん?」とYさん。
「会館にジャンバーを忘れたんで取りに!」
「そりゃ、飲みすぎやがな! 寒いのによう帰ったなあ!」
「寒さも忘れてたわ!」
「そういうたら、メガネも忘れてたんとちがうか?」
「朝から、探してたんやがな!」
  ◇
会館に行くと、下駄箱の上にジャンバーとメガネが置いてあった。
その横に、マフラーと手袋、ニット帽とタバコにライターなど……。
それに靴が一足。
派手なマフラーはYさんのだと覚えていたので、電話をかける。
呼び出し音ばかりでなかなか出ない。
しかたなくYさんの家へ。
「このマフラーはYさんのやろ?」
「おお、そや! どこにあったんや?」
「会館に……!」
「うっかりしたがな……」
「手袋とニット帽もあったで!」
「あっ、それも、わしのや!」
「靴もあったけど?」
「ええ?」
玄関の上り口に、会館のトイレのスリッパが脱ぎ捨てられている。
「来る前に電話したんやけど?」
「あっ! スマホも忘れてきた!」
  ◇
眠りですべて忘れるのではない。
眠る前に酒で忘れている。
そして、その前に、老いで忘れている。

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茶話168 / 味なもの

2025年02月04日 | よもやま話

京都に住んでいる人は京都観光をしないそうだ。
清水、八坂、知恩院へ行っても、自分が住んでいる所と同じ土地の匂いがする。
だから、京都に限らず、身近にある観光地へは行かない。
「♪知らない街を歩いてみたい どこか遠くへ行きたい」という気持ちになれない。
日常からの離脱、漂泊観! はたまた、甘美な仮想逃避にはならないからだ。
 愛する人とめぐり逢いたい
 どこか遠くへ行きたい
 愛し合い信じ合い
 いつの日か幸せを
(『遠くへ行きたい』 詞:永六輔・曲:中村八大)

ウォーキングを兼ねて、家から2㎞ほどの太子町(南河内郡)へ梅を見に行ってきた。
梅といっても花ではない。
墓である。
太子町には、日本の礎を築いた古代の偉人達が眠っている。
敏達、用明、推古、孝徳(孝極)天皇、そして、聖徳太子の墓がある。
地図で見ると「梅鉢」の家紋に似ていることから「梅鉢御陵」とよばれている。

聖徳太子廟がある叡福寺にバイクを停めさせてもらう。
そこから500mほど歩いて用明天皇陵へ。
また、500mほど歩いて推古天皇陵へ。
堺・羽曳野の仁徳・応神天皇陵のように、平地に土を盛って造られたのではなく、
山裾の小山を利用して造られた御陵なので坂道が続く。
さすがに疲れて、温かい缶コーヒー買って、近くの小さな公園で一休み。
大昔にも誰かが、ここで一休みしたのだろうか?
日曜日とあって、リュック背負ったウォーカーが前を通りすぎて「こんにちは!」と挨拶してくれる。
「こんにちわ!」

なんとなく元気が出て、800mほど歩いて、前回書いた竹ノ内街道沿いにある孝徳天皇陵へ。
ここで、ほっと一息。
ここからは下り坂。
のんびり歩いていると、坂下から自転車に乗った小学生が上がって来て、「こんちは!」と元気よく挨拶してくれる。
「こんちわ!」

♪愛する人とめぐり逢いたい♪
「愛する人」とは、恋愛の対象となる人とは限らない。
「自分を受け入れてくれる人」なんだ。
竹之内街道という交通の要所であったが故に、旅人をもてなす、受け入れる人情が残っているのだろう。
自分の住んでいる所と風土は似ていても、人情が違うのだ。
どこか遠くへ行かなくとも、近くに愛する人がいて、どこかでつながっている。
縁は異なもの、味なものである。

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茶話167 / ちょっと旅気分

2025年01月30日 | よもやま話

梅の花がちらほらと咲きだした。
チーチーとメジロが集まってきて枝をゆする。
さあ、今日はどこを歩こうか?
一ヶ月、ウォーキングを続けていると、行く所がマンネリになる。
そこでスマホに「九星方位ナビ」とやらを入れた。
九星気学の占いで運気の良い方角へ歩く。
節分に恵方を向いて寿司を丸かじりするのと同じだ。
今日は六白水星で東が吉。
うーん、おもしろくない!
それって通い慣れてる畑の方角ではないか。

ならば、ずうっと東の太子町(南河内郡)へ行こうか。
でも家から2㎞もある。
この歳になると、一気に歩けるのは2キロが限度。
帰りをいれると往復4㎞も歩かなくてはならない。
4分たったチキンラーメンみたいにのびてしまう。
ウルトラマンならエネルギーがもたない。

こういう時は発想の転換。
転換というほどの転換ではないが、家をスタート地点にするからいけないのだ。
バイクで太子町まで行く。
日本最古の国道竹ノ内街道添いのスーパーにバイクを置かしてもらう。
そして、古い家並が残る石畳の街道を歩く。
1㎞ほど行って、同じ道を戻る。
これで2㎞で、チキンラーメンもいい塩梅に膨らんでいる。
見慣れぬ景色の中を歩いて新鮮な気持ちになる。
ちょっとした旅行気分になって、スーパーで土産を買う。
大阪名物「しょうが天」。
運気も開けたし、今晩は、これをアテに一杯飲んで、身体を休めるとするか。

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茶話166 / 歩いてなんぼ

2025年01月29日 | よもやま話

ウォーキングを始めてから一ヶ月が経った。
多趣味で移り気な自分にしては、よく続いたものだ。
冬場の運動不足解消と健康維持が目的だ。
一日歩けば、一日寿命が延びる。
そう考えると、続けなければならないような使命感が出てくる。

だが、最初は自信がなかった。
そこで、「歩けば歩くほどポイントが貯まる」そんな文句につられて、Rポイントが貯まるというウォーキングアプリアプリをスマホに入れた。
ところが、一日の歩数を見るのに広告が出てくる。
目標達成のスタンプをもらうのにも広告が出てくる。
スタンプをもらった後にも「おめでとう」のコメントに添えられた別の広告が出てくる。
頭にきて、無視してホーム画面に戻ろうと「×印」をタップすると、再び「おめでとう」の画面!
結果、見たくもない動画を見なければ元に戻れない。
おいおい、昔のHサイトの手口と同じやないかい!
かくして、アンインストール!

人間、金に目がくらむと、ろくなことはない。
なのだが、それに懲りないのも人間である。
dポイントが貯まるというウォーキングアプリアプリを入れた。
そして、やっぱり、それにも広告がつきまとう。
一日数円のポイントになっているから諦めもつく。
しかし、損をしていたら、競馬や競艇のように元を取ろうと深みにはまり込む。
おいおい、ギャンブルと同じやないかい!
かくして、またもやアンインストール!

人間、金に目がくらむとみ、ろくなことはない。
貧もじい年金暮らしの貧もじい爺の考えからすると、本来の歩く目的は、労働・生活・健康のためである。
金は後から付いてくるオマケのようなものだ。
そう考えれば気も楽だ……。
……うん? 待て待て!
ポイントの貯まるアプリを20個ほどインストールして、ひたすら歩く。
一つのアプリで月50円貯まると……50円×20……!
貧すれば鈍する。
とかく人間は、欲と二人づれ。

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