河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

畑126 / 良いお年を

2023年12月30日 | 菜園日誌

一月一日の元日の朝、つまり、毎年の元旦になると尊い御方がお出でになる。
ピンポーンとチャイムも押さずに、玄関の鍵がかかっていようがお構いなく、スーと家の中に入ってこられる。
そして、テーブルの上に置いた重箱の中のお節料理と鏡餅を食べて、ニコニコと笑っておられる。
紅白歌合戦を最後まで視た眠い目をこすりながら「明けましておめでとうございます」と挨拶をすると、
「今年も、おまえたちのために、この一年の福徳と幸福を土産に持って来たで、正月(一月)の間はゆっくりさせてもらうとするか」
「ははーっ! 一ヶ月と仰らずに一年でも!」
「いやいや、そうはいかんわい。おまえたちか幸せかどうかを高い所から眺めるために、山に帰らねばならんでな!」

雑煮を一緒に食べながら「あなた様はどのような御方ですか」と訊ねた。
「毎年、来ているのに知らんかったのか! おまえたちの先祖じゃ(祖霊神)! 亡くなってから33年経つと神に昇格して、おまえたちの生く末を見守っているのじゃ。普段は山にいるので山の神、正月はおまえたちの所に来る歳神(としかみ)じゃぞよ!」
「なるほど! それで毎年お出でになる!」
「そうじゃ! だから元旦にわしが来やすいように頼むぞ!」
「ははーっ!」

そういえば忘れていた。元旦に、我が家に幸せをもたらすために高い山から降りてくる年神様をお迎えする準備を。
自分の家が年神様をお迎えするのにふさわしい神聖な場所であることを示すために、結界をつくって我が家が清らかな場所であることを示さねば。
そこで慌てて畑の農小屋の中にある稲藁(いなわら)を取って来てしめ縄作り。
年に一度しかやらないので、作り方を忘れてしまって悪戦苦闘。
なんとか恰好がついて、庭にある南天(難を転じる)と松(年中青々と栄える)、それにペーパークラフトの飾りをそえて完成。

一昨日の二十八日が「二重の末広がり」で善かったのだが、作った二十九日は「二重苦」で験が悪い。31日は「一夜飾り」でこれも験が良くない。
今日の三十日が、しめ縄を飾るぎりぎりの日。
元日にのんびりと神様をお迎えするためには、年末の準備が大切。
来たる年が、今年に増して良きとしでありますよう。

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畑125 / ささやかながら

2023年12月28日 | 菜園日誌

今日は少し暖かくて畑作業には適しているが、一つ前の記事に書いた「八つ頭ショック」が大きくてやる気なし。
そこで昼前、相方に「弁当食べに(ドライブ)行こ!」と誘って、和歌山県橋本の産直市場の「やっちょん広場」へ。
到着すると12時半を過ぎていたので、いつも買う年寄り用の弁当は売り切れ。
しょうがなく「道の駅九度山」へ行って399円の中華弁当に。
いつもは店の前のテラスのテーブルで食べるのだが、寒いので駐車場の車の中で食事。
ところが、この中華弁当、冷めているのに意外と案外美味くて満足。

もう一つお目当てがあって、里芋の「セレベス」という品種を買うこと。
インドネシアのセレベス島(現スラウェシ島)から伝来したのでセレベス。
里芋独特のヌメリが少なく、肉質がしっかりしてホクホクして甘い。
他の里芋の芽が白いか、このセレベスは芽が赤いので「赤芽芋」といわれている。
お母んが「里芋は、赤芽が美味いワ!」とよく言っていたので、八つ頭とともに赤芽を植えていた。
ところが、セレベスが改良された「赤芽大吉」というのがあって、今まで植えていたのは、どうも「赤芽大吉」らしいと思うようになった。
ネットで調べても「赤芽芋=セレベス=赤芽大吉」とゴッチャになっている。
なのに「赤芽大吉」というネームバリュウが優っているのか、「セレベス」という名が出てくることは珍しい。

そこで、違いを確かめるために、セレベスを買うのが今日の弁当ドライブの目的。
そのセレベスを「やっちょん広場」で手に入れた!
さすが和歌山、大阪とちがって、正月には子芋より親芋(頭芋)を食べるのだという文化がまだ根強いのか頭芋ばかり。
その中に赤ちゃんの頭ほどの親芋一個入りと、子芋が親芋になった四個入りの袋が二つ残っていた。
しかも、ご丁寧に「セレベス」というシールを貼ってくれている。
吾同様によほどセレベスにこだわっているのだと、小さい親芋四個入りを購入。
今年やった親芋植えのように、一個から三本の芽を出せば4個×3芽で、子芋を12個植えたのと同じになる。
少々値がはったが、来年の新たな目標、夢ができて満足!
調子にのって、途中寄ったスーパーにあった宝くじ売り場で初夢宝くじを買って、もう一つ夢を追加。

次の日、セレベスは水につけて土をまぶして袋に入れて春まで保存。
一方の八つ頭は、売るはずだった20株ほどを掘りあげて畑の隅に積んで土をかぶせて、これも春まで保存。
八つ頭は皮がかなり堅くなるので保存がかなり効く。
あばよくば、里芋が少なくなる春先に売ってやろうと、またしても獲らぬ狸の皮算用。
狸に逆に化かされるかもしれないが、夢はいくつあってもいい。

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畑124 / 縁起試し

2023年12月25日 | 菜園日誌

久々に道の駅に出荷。
正月用に里芋の一種の八つ頭を初めて出す。
関東の雑煮は焼いた角餅にすまし汁をかけ、里芋と小松菜かほうれん草に蒲鉾、そして三つ葉を散らす。
その時の里芋は必ずといっていいほど八つ頭。
末広がりの「八」に、人の「頭」に立つ(出世する)の縁起かつぎ。
だから、正月前は八つ頭の値段が倍に跳ね上がる。

対して、関西の雑煮は丸餅を焼かずに白みそで炊く。 
そこへ普通の里芋と細い祝い大根と色鮮やかな金時人参をすべて輪切りで入れる。
みんな丸く円満にすごせますようにという縁起かつぎ。
だから、案の定、道の駅の商品棚には八つ頭なぞ誰も置いていない。
そんな大阪で八つ頭がはたして売れるだろうか?

いやいや、広い日本、外国人だってたくさんいるのだから、大阪に関東出身の人が一人や二人、いや、10個出荷したから10人くらいはいるはずだ。
そして、10人ともが正月に八つ頭が食べられなくてイライラしているだろう。
「おっ! 珍しい八つ頭が出てるじゃねえか。一つ買ってやろう!」てえんで、売れるにちがいない。
それに、「こんなけったいな芋を買うやつおまへんやろ」という大阪人もいるだろうが、異文化理解、異文化共生の時代だから買う人もいるにちがいない。
どっちにせよ、縁起かつぎの前の縁起試し。

12・2・4時と閉店後の5時にどんなけ売れたかメールが配信される。
売れ残ったら閉店後に引き取りに行かなければならないが、今年は15回出荷して全て完売で15連勝!
12時のメールを見て唖然・・・1個。
なんのなんの、開店してまだ三時間だ。
2時のメールを見て呆然・・・1個。何回見ても1個のまま。
なんのなんの、閉店までまだ三時間もある。
4時のメールを見て愕然・・・2個。焼け石に水の2個。
5時のメールを見るまでもない完敗!
さあ、引き取りに行くとするか。

引き取りに行くと、普通の里芋はけっこう売れているではないか。
永年の年月に築かれてきた文化のなんと根深く、根強いことか!
「せやから、こんなけったいな芋は売れるはずないて言いましたがな」と頭の中の声。
けっこうマジなカルチャーショック。
完売すれば、新年の雑煮は、焼いた角餅に八つ頭にしようと思っていたが、郷の中の人間は郷にしたがうのがいい!
縁起試しの失敗は、縁起かつぎの丸餅に輪切りの里芋で、縁起直しするとしよう。

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畑123 / 花盗人

2023年12月23日 | 菜園日誌

畑123 /  花盗人

百姓仲間のライングループに「ニンジンを100本ほど盗まれた」とメールがあった。
年の瀬とはいえ、なんとも世知辛い話だ。
盗まれた側は損害以上に、数か月大切に育てた努力が一瞬ににして無にされることが最も腹立たしい。
人事の及ばない自然災害ならば、いたし方なく諦めるしかない。
アライグマやヌートリアは、生きるために食べるのだから罪の意識はないから、ぼんやりとなんとなく許せる。
しかし、罪の意識があるはずの人間の仕業は許せない。

『花盗人』という狂言がある。
庭の桜の枝が折られているのを見つけた主人が、盗人の再来を待ち構える。そこへ花盗人がまた盗みにやってきたので、捕えて桜の幹に縛り付ける。
その花盗人が和歌を詠む。
 この春は 花の下にて縄つきぬ 烏帽子桜と人やいふらん
 (この春に桜の樹の下でお縄になり我が名誉も尽きてしまった。縛られている桜の樹が自分がかぶっている烏帽子のように見えるから、人は烏帽子桜と言うだろう)
その機転のきいた風流な和歌に感心した主人は、盗人を許し、酒をふるまい、別れ際に桜を一枝折って渡してやる。
「花盗人に罪はない」と言われるようになったのは、この狂言からだ。

しかし、花盗人は窃盗罪で、10年以下の懲役または50万円以下の罰金を科せられる。
だのに、そんな罪の意識にさいなまれながら、凍てつくほどの闇の中で、100本のニンジンをどんな気持ちで抜いたのだろう。
それを思うと、逆に、盗まれた側が、悲しくも寂しい気分になる。
だから、警察沙汰にはしないという。
「俺が作ったニンジンは美味しい? みんな喜んだ? 高く売れた? よかったなあ!」
百姓には、『花盗人』で桜の枝を折られても盗人を許した主人の優しさ、おおらかさがある。

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茶話105 / 諸行無常

2023年12月22日 | よもやま話

今日は朝イチから子ども見守り隊で交差点へ。
しかも、今年の最後の当番。
そのうえ、強烈寒波の襲来で頭のてっぺんから足の指の先まで猛烈に冷たい。
それでも、「おはよう」と言えば、「おはようございます」と挨拶する子どもたちの声はいつもより元気がいい。
それもそのはず、今日は終業式。
冬休みのうえに、クリスマスはあるは正月はあるは、年に一度のウハウハの稼ぎ時。
黄色い旗を振りながら自分の子どものころを思い出す。

見守り隊をしている交差点は、美原(現堺市)から平尾峠を越え、近鉄喜志駅前を通り、喜志小学校の近くから太子町(南河内郡)へ抜ける府道美原太子線にある。
小学校の前から石川の河南橋までの道は明治22年に造られたもので、我々は「新道」と呼んでいた。
今は交通量が増えて、子どもたちは村中の道を通って、この交差点で新道を横切るだけだが、自分が子どもの頃は新道が登校路だった。
まだ舗装されていない地道で、冬ともなれば水たまりの氷をバリバリと割りながら通った。
それほど行きかう車は少なく、ときたまダンプカーが通り、一時間に一本ほど白いボンネットバスが通るだけだった。
1925年(大正14年)5月30日に開業した金剛バスだ。
つい二日前に全線廃止となり、今は、あの若草色のバスに代わって黄色の近鉄バスが通っていく。

普段見慣れたものがなくなるのは少し寂しいが、あるものが無くなり、あるものが生まれるのを、今までどんなけ見て来たことか。
 行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかた(泡)は、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し 『方丈記』
世の中にあるものは必ず滅びると考えるとはかないが、この世のものはたえまなく変化し続けて新しいものが生まれると考えれば前向きになる。
諸行無常は永久不滅でもあるのだ。
この寒いのに、半ズボンで元気に登校する子どもたちがそれを示している。

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