河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

ちょっといっぷく35

2022年09月30日 | よもやま話

朝夕の温度差で風邪をひいたのか少し熱っぽい。
こんな時、明治時代の大阪人は、医者や薬屋ではなくうどん屋へ行った。
「毎度。いらっしゃい。なにしまひょ」
「ちょっと風邪ひいたみたいや。いつもの頼むは」
「へい、少々お待ちを」
出てきたのはきつねうどん。その横に紙に包まれた薬が一つ割り箸にはさまれている。

3世紀の中国の『傷寒論(しょうかんろん)』という書物に、「風邪のひきはじめには消化の良い熱い汁物と薬を飲めば薬力が上がる」と書かれているのを見た大阪のうどん屋が始めたという。
これが評判になって、あちこちのうどん屋で薬を売るようになった。
その薬を作っていた明治9年創業の「うどんや風一夜薬本舗」という薬屋が今でも東住吉に現存している。
HPには「『うどんや』にある『風(かぜ)』が『一夜』で治るお『薬』」が名前の由来とある。
いかにも効きそうなネーミングだし、うどんも食べたかったので薬屋で探したがなかった。
いたしかたなく漢方系の葛根湯を買ってきた。
※上・下の写真は「うどんや風一夜薬本舗」のHPから拝借しています。

『傷寒論』には葛根湯についても書かれていて、「太陽病、項背強几几、無汗悪風、葛根湯主之」とある。
漢方では症状の軽い順に「太陽病・少陽病・陽病」、悪化すると「陰病」というらしい。
「かぜなどの発熱性疾患初期で、うなじや背中の凝り、汗が出ない、悪寒などに葛根湯を主に用いる」の意になる。
別の項には「破傷風や脳膜炎等のときのような全身痙攣に葛根湯」とある。けっこういろんな病気に効くようだ。

こんな医者がいたそうだ。
「なに、頭が痛い?  頭痛ですな。葛根湯がよろしい。次は胃が痛い?  葛根湯がよろしい。今度は筋肉痛?  葛根湯をおあがり。次の方は・・・」
「先生、私は単なる付き添いです」
「付き添い?  退屈でしょう。葛根湯をおあがり」
「葛根湯医者」という小咄である。
買ってきた薬の効能書きには「体力中等度以上のものの次の諸症:感冒の初期(汗をかいていないもの)、鼻かぜ、鼻炎、頭痛、肩こり、筋肉痛、手や肩の痛み」とある。
というわけで、本日の昼食は「薬付きのきつねうどん」。うん。なんとなく効いてきた気がする。

※図は「大阪名所絵葉書」(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

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畑――命の落花生

2022年09月28日 | 菜園日誌

ピーナッツが好きで、酒のアテには欠かせない。だから、個人的には「命のピーナッツ」とよんでいる。
それほど好きならば自分で作ろうと、栽培しだして15年ほどになる。
一度に全てを収穫するのではなく、何度かに分けて収穫する。落花生の塩ゆでを食べるためである。
塩ゆで落花生は収穫二日以内の新鮮なものでないと極端に味が落ちる。だから、スーパーに並べられることはない。
そこで、その日採った一部はアテの塩ゆでにして、残りは乾燥させて後日にピーナッツにしている。これも農家の特権である。

今年は近くの畑仲間にもらった「おおまさり」という塩ゆで専用の落花生と、今までの「ジャンボ落花生」を半分ずつ栽培。
葉が少し黄色くなってきたので「おおまさり」から収穫開始。
いくらピーナッツ好きでも、そんなに多くは食べられないので、昨日から近くの道の駅に出荷。今年初めての搬入になる。
本当は朝に収穫して売りたいのだが、時間がないので夕方に収穫。
きれいに水で洗って、出来の良いのを選別して袋詰め。出来の悪いのが我が口に入ることになる。

売れ残りは閉店後か翌朝に引き取るというルールがあるので、良いのしか搬入しないようにしている。
売れたかどうかは一日に四回のメールで教えてくれる。売れ残ればピーナッツにするしかない。
しばらくは落花生を出荷。その後は里芋を出荷する。これが一年分の肥料、種代になる。
命の落花生である。

初出荷は午前中に完売。めでたしめでたしである。

※「落花生蜘蛛牙彫根付」(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)

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畑――意外な白菜

2022年09月27日 | 菜園日誌

一つ前に書いた天満菜(大阪しろ菜)を絶滅危惧種に追いやった白菜だが、意外なことに、日本にやってきたのはキャベツ(=明治元年渡来)よりも後である。
明治8年(1875)名古屋で開かれた国際博覧会に中国の「山東白菜」が出品された。これを愛知県がもらい受けて栽培されるようになる。
白菜といえば鍋物に欠かせないのだが、意外なことに鍋物として食べられていない。
例によって御浸し、和え物、漬物が主だった。
この山東白菜は今でいう「山東菜」で、完全に結球しない半結球白菜だった。
鍋にするには柔らかすぎるし、ボリュームもなかった。

この山東白菜の球をより大きくしようと、愛知県が改良を始めるがうまくいかない。白菜と同種のアブラナ科の植物が日本には多くある。
まれに大きく結球しても、咲いた花が他のアブラナ科の植物と交配してしまうために、まとまった種を採ることができなかったのだ。

完全結球白菜の改良に成功したのは、意外なことに宮城県だった。
明治37年(1904)の日露戦争に従軍した兵士が、現地で食べた白菜があまりにもおいしかったので、その種を日本に持ち帰った。
宮城農業学校(現在の宮城県農業高等学校)の先生が、他のナズナ科との交雑を少なくするため、松島湾内の馬放島で隔離栽培で育てられた。
少しずつ改良が加えられ、大正13(1924)年に今のような白菜が完成。以後、「仙台白菜」の名で全国に出荷される。いよいよ、白菜の入った鍋物をみんなでつつくことができると言いたいが、関東と東北が中心の出荷、栽培。いくら日持ちのする白菜とはいえ、関西は遠すぎる。
白菜の入った鍋物をみんなでつつくには、関西で栽培可能な品種が必要だった。
関西で栽培できる品種が改良さたのは戦後。今や、大阪・兵庫・京都の順に年間購入量のベスト3を占めている。

というわけで、白菜を定植した。
白菜は関西人だけでなく虫も大好物の野菜なので、無農薬での栽培は困難。
結球するには外葉が20枚程度必要なので、無肥料では困難。
気温15度以下でないと結球しないという、意外と気難しい野菜である。

そこで白菜だけは防虫ネットの特別扱いになる。

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畑――しろ菜

2022年09月25日 | 菜園日誌

彼岸の中日の23日に植えた「大阪しろ菜」がいち早く芽を出した。右の菜の花はまだ発芽していない
野菜の中で「大阪」の冠名がつくのはこの「大阪しろ菜」だけである。

江戸時代から大阪北区の天満界隈で盛んに作られていたので「天満菜」ともいう。
アクやクセがなく柔らかいので誰でも食べることができる。
暑さにも強いので、野菜の少ない夏場には「しろ菜とアゲのたいたん」が毎日出されたという。

ところが、徐々に市場に並ばなくなる。
「しろ菜」を漢字で書くと「白菜」で、球にならない非結球白菜の一種だ。
昭和の初期に結球した「白菜」が市場に出回りだすと、「しろ菜」の人気が一度に下がった。
さらに戦後は、小松菜に押されて、とうとう市場から姿を消してしまう。

再び姿を現すのは、2005年に「大阪市なにわの伝統野菜」に認定されてからである。
大阪の冠名がつくのはそのためだ。
大阪市内では「天満菜」で売られている所もある。

※写真は昔の天満市場(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

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畑――楽

2022年09月24日 | 菜園日誌

ペットは買っていない。旅行やグルメにも縁がない。
だから、ブログを書くネタに苦労する。ではない。

まあ、趣味・道といえば百姓仕事か。
百姓にとって彼岸がくるとしくなる。
彼岸花が一斉に咲き、地温が20度前後に落ち着いてきたことを教えてくれる。
たいがいの種を蒔いても芽が出る。
真東にある二上山の真ん中から陽が昇り、真上を通って極があるという西方浄土に沈む。
それを体感したかったのだが、あいにくの雨。
そこで、MP3の聞けるラジオで演歌の音をかけながら、家のガレージで種まき。

墓花用の撫子と桔梗。野菜は法蓮草と大阪しろ菜に野沢菜。
畑に直接まいても良いが、水やりや間引きがじゃまくさい。
セルに植えて、本葉が出そろった頃に畑に定植する。この方がである。
ここで、ふと考えた。
」という漢字に〈身体的負担が少ない〉いう意味があるのだろうか?

調べてみると古語には無い。「」の本来の意味は〈音楽〉の意。
音楽を聞いていると楽しくなるので「楽し」という語ができた。
楽をする〉意で使われ出すのは室町時代以降。どうやら仏教の影響らしい。
仏教の教えに「道楽」という語がある。仏道を求めるという意味で、「どうぎょう」と読む。
したがって、「道楽」は〈仏道を修めて得られる楽しみ〉の意である。
それがやがて「楽しみ」という意味だけが残り、「道楽息子」のように良い意味では使われなくなる。
そして、「道楽」の「」から「楽す(らくをする)」という語が生まれた。


に二種あり。俗楽道楽となり」
本来の道楽から外れた我が俗楽の身には、極楽往生はほど遠いか・・・。
いや、「善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや」
と納得して、芽が出そろうのを楽しみにしている彼岸である。

※下の絵葉書は京都大学付属図書館アーカイブより

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