河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

畑166 / 雑草

2024年07月17日 | 菜園日誌

明日、畑で何しようという目的と明日の天気で、何時に起きるかが決まる。
毎度の猛暑で8時頃までしか動けない。
やることがいっぱいあれば4時30分に起きて、5時から畑へ。
あまりなければ6時に起きて、のんびりと畑へ。
目が覚めて、外で雨音がしていれば、ゆっくりと寝る。

この一週間、雨が降れば豪雨という日が三回。
土の渇く間がなく、畑の中に入れなかった。
ようやく今日になって梅雨前線が北上。
さっそく5時に起きて畑へ。
と言っても、まだ土が湿っているから畑には入らずに、土が固い通路や畔の草抜き。
雑草は抜いても刈っても容赦なく生える。
雨降り前に抜いて放ったらかしにしていた雑草なんぞは、もう生き返って根を伸ばしている。
なんとまあ……と呆れるとともに、なんとも逞しいものよ……と感心する。

 ♪生きる事がつらいとか苦しいだとか言う前に
 野に育つ花ならば力の限り生きてやれ♪
  (松山千春『大空と大地の中で』)
考えてみれば、自分だって雑草のように生きてきたではないか……?!。
そよともしなかった稲田に風が渡り、鼠でも走っているかのように波が立つ。

さあ、もう少し抜くとするか……。
雑草が雑草を抜く。
 ♪果てしない大空といつの日か幸せを
 広い大地のその中で 自分の腕でつかむよう♪

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茶話139 / 涼しい

2024年07月11日 | よもやま話

「命にかかわる暑さ」などと言われると、外出をせずに部屋でじっとしているしかない。
戸を閉め切ってクーラーを利かし、外部と遮断された部屋の中で過ごす。
 炎天を来てクーラーに冷さるる /石塚友二
クーラーのなかった昔は、北と南の縁側の戸を開け放って風通しをして、自然と一体になっていた。
 大の字に寝て涼しさよ淋しさよ /小林一茶

今はクーラーによって受動的に冷やされるだが、昔は積極的に涼しさを求めた。
自然にあるものを利用した簾(すだれ)と葦簀(よしず)で日差しを防いだ。
水の蒸発で熱が奪われるのを利用して道に打ち水をした。
軒先の吊りしのぶや風鈴に、目と耳で涼しさを感じた。
そして、それらを風情として愛でた。
それどころか、花火や舟遊びのように、涼しさを求めることを夏の行事にして、暑さをみんなで楽しんだ。
日本人は、涼しさを皮膚だけではなく五感で感じとる感性をもっていたのだ。

古語の「涼し」は、冷んやりしているという意味よりも、清らかに澄んで、さわやかですがすがしいの意味によく使われる。
そんな感性が失われた現代。
なんとも情けない世になったものよと嘆きつつ、
ガンガンに利いたクーラーの部屋で涼しい顔をしている。

※五雲亭貞秀,貞秀『東都両国ばし夏景色』,藤慶. 国立国会図書館デジタルコレクション 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

畑165 / なんとも物騒な

2024年07月09日 | 菜園日誌

あんなけ雨が続いたのに、もう一週間も雨が降らない。
梅雨の大型連休。
トマトなんぞは、わざと水をやらずに虐めてやった方が甘いのが出来る。
しかし、花が咲き始めた落花生は水を欲しているのに、畝の土がカラカラに乾いて、可哀そうに元気がない。
そこで久しぶりに「お浸し」。
とはいえ、料理して食べるのではない。
隣の田んぼから畑に水を入れて、畑を水浸しにするのだ。

基本的に蒔種や定植、よほど葉がしなびている時にしか水はやらない。
自然農法……などという洒落たものではない。
邪魔くさいのだ。
畝の間にたっぷりと水を入れて半日ほど放ったらかしに水攻めしてやると、畝に水がしみこんで真っ黒になる。
野菜の葉っぱはしゃんとして元気になる。
欠点は雑草も元気になることだ。

が溜まる間、スイカをつるしあげる。
とはいえ、こてんぱんに批難するのではない。
網の袋に入れて吊るすのだ。
空中栽培は、これをしなければ、スイカの重さで蔓が切れてしまう。
空中栽培は、少ない面積でたくさん植えられるし、実に太陽が均等にあたる。
欠点は台風に弱いということだ。

さて、落花生の畝に水がいっぱいに溜まった。
赤髭野郎の面の皮をひん剥いて帰るとするか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茶話138 / 天まで届け

2024年07月08日 | よもやま話

毎日、「危険」のアラートが出されて、もはや畑仕事は早朝しかできない。
5時に起きて、畑へ行く。
4月に植えたサツマイモから、ようやく植えることができるほどの苗が出来た。
植え時期としては少し遅いができないことはない。
昔は梅雨に入る6月に植えたものだ。
それが今では、温室で苗を作るので、4月や5月と早くなっただけだ。
季節感の無い世の中になったものだ
植え終わって、やれやれと8時頃に帰る。
朝食を済ませて、涼しければ、もう一度畑へ行くが、すでに30度に達している。
毒炎焼くがごとく地は焦げ、命あっての物だねである。

家の中でじっとしているしかないが、我が狭い寓居には居場所がない。
庭に出て影の下で暇をつぶす。
去年に作った「吊りしのぶ(62/しのぶ)」を吊るそうと針金で台を作る。
さて、吊る段になって、コンクリートで固められた軒に吊りようがない。
仕方なく、庭の木の枝に吊るした。
どうも情緒がない。

昼になって孫が遊びに来た。
今日は七夕だから笹飾りを作ろうということになって、近くの竹藪から竹を切って来る。
飾りの短冊とかをPCでダウンロードする。
「マクドのポテトを爆食いできますように」
「私の願いごとがかないますように」
「ぢいぢのぢがなおりますように」
好きなことを書いて笹に吊るす。
さて立てかける段になって、「笹の葉さーらさら軒端に揺れる」の軒端がない。
仕方なく、玄関の柱にくくりつける。
完璧に情緒に欠ける。

生活が便利になった分、情緒がなくなった。
昔は、夏の夕べの縁側に蚊取り線香の煙が揺れて風鈴が静かに鳴ったものだ。
温暖化のせいだろうか、季節があっという間に変わる。
昔は、夏から秋に移ろう微妙な変化や風情を感じたものだ。
今日、七夕の笹飾りを川に流しに行こうとしたら、相方が「今は川に流すのは禁止」だと言う。
それでは願い事が天の川に届かないではないか!
仕方なく、畑で燃やした。
煙になって天まで届けだ!
みんなの願い事がかないますように。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする