河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

俄31――もどり駕籠

2023年08月28日 | 祭と河内にわか

元々は歌舞伎「戻駕色相肩(もどりかごいろにあいかた)」を題材にした沖縄舞踊があって、それを喜劇にしたのを俄にしたものです。ダンスの上手な演者が息を合わせて、踊るように駕籠を担げば、それだけで面白いと思います。ただし、台本中ではムーンウォークとしましたが、地車の上なので、前に進まずに前に進んでいるようなダンスです。
詳しくは「沖縄喜劇『戻り駕籠』」のユーチューブをご覧ください。駕籠は竹竿に段ボールで駕籠の絵を画くだけでOKです。

三人俄『もどり駕籠』
(次郎吉・藤四郎・車太夫)

   下手から次郎吉が登場。
次郎吉 わいは、次郎吉という籠かきや。
       上手から藤四郎が登場。
次郎吉 さあ、お客さん迎えに行くで。今日もよろしく頼むで、藤四郎。
藤四郎 こっちこそ頼むで、次郎吉。
         後ろに段ボールで作ったぺらぺらの籠。二人でかつぐ。
次郎吉 ほな行くで。
藤四郎 えっさ。(これを合図に)
二人  えっさ、えっさ、えっさ、えっさ。(右を向き足踏み四回)
二人  えっさ、えっさ、えっさ、えっさ。(前を向き杖で地面をたたく四回)
二人  えっさ、えっさ、えっさ、えっさ。(右を向きムーンウォーク四回)
        以下、どちらかが「えっさ」と言いながらムーンウォークしながら。
次郎吉 楽なにわかや。
二人  えっさ、えっさ、えっさ、えっさ。(右を向きムーンウォーク四回)
藤四郎 しかし、疲れるな。
二人  えっさ、えっさ、えっさ、えっさ。(右を向きムーンウォーク四回)
次郎吉 そこの地蔵さんのとこで待ったはるはずや。
二人  えっさ、えっさ、えっさ、えっさ。(右を向きムーンウォーク四回)
藤四郎 着いたことにしよ。
二人  えっさ、えっさ、えっさ、えっさ。(右を向きムーンウォーク四回)
次郎吉 そやな。よし着いた。
二人  えっさ、えっさ、えっさ、えっさ。(前を向き杖で地面をたたく四回)
              (止まる)

次郎吉 ああ、えら。
藤四郎 ・・・・。
次郎吉 (怒って)なんかしゃべれ。
藤四郎 まだ、来たはれへんがな! 客はどんな人や?。
次郎吉 大阪の遊郭に揚がってて、おかんの病気の見舞いに帰ったはった車太夫という女の人や。
藤四郎 車太夫。さぞべっぴんさんやろな!
次郎吉 浜辺美波と広瀬すずを足して二で割ったみたいやろな。
藤四郎 そんなべっぴんさんが、わしをちらっと見て「まあ、粋でいなせなお兄さん」なんて言うて、すり寄ってきたらどないしょ。
次郎吉 そんなサルみたいな顔したのにほれるかい。わしの方見て、「まあ、りりしくて頼りがいがあるお方」やと、わしの方にすり寄って来るわい!
藤四郎 なんで、そんなイノシシみたいな顔したんにほれるねん。
次郎吉 (怒って)なんやと。
藤四郎 (怒って)何を!
   二人がとっくみあいの喧嘩をする。

        そこへ、期待を裏切らぬ、ど派手な化粧をした狸のような車太夫が上手から登場。たもとで顔を隠している。
         二人は喧嘩をやめ、プロポーズする格好。車太夫が顔を現すと、恐怖で身震いをして、どうぞどうぞと相手に譲る仕草。
         それを見た、車太夫が、ムッとして
車太夫 (藤四郎に)  まあ、粋でいなせなお兄さん。
藤四郎 来るな。あっち行け。
車太夫 (次郎吉に)   まあ、りりしくて頼りがいがあるお方。
次郎吉 あかん。藤四郎、おまえにやるわ!
藤四郎 わいもいやや、おまえがもっていけ!
次郎吉 おまえや。
藤四郎 おまえじゃ。
         再び、喧嘩をし出す。
         車太夫が、うちわとてぬぐいを取り出して男口調で、
車太夫 おいおいおいおい、喧嘩はこれで、やめとかんかい!
次郎吉 なんや、それ。(ひったくる) てぬぐいうちわやないかい。これで、けんかするなとは。はて?
藤四郎 はて?
次郎吉 はて!わかったわい。内輪で木綿な じゃ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

78 / 虹

2023年08月27日 | よもやま話

四時半に目が覚めた。
四時なら、もう一寝入りするのだが、中途半端な四時半。
まあ、せっかくだから起きるとするか。
それでもって、薄ら明るい中を畑へ。
堤防から西の空を見ると大きな虹。
なにかしら縁起よく感じてパチリ。

何かで読んだ「虹ハ微薄ノ雨ニ日光映ジテ五彩ヲナス」という言葉を思い出した。
虹を七色としたのはニュートンで、それまでの日本では、中国の五行説に従って五彩(色)と考えていた。

井伏鱒二の『黒い雨』のラストで、主人公の重松が、姪の矢須子の原爆症が平癒することを祈ってつぶやく。
「今、もし、向こうの山に虹が出たら奇蹟が起きる。白い虹でなく、五彩の虹が出たら矢須子の病気が治るんだ」
これには伏線があって、小説中の被爆日誌に、重松が「白い虹を見た」と話すと、工場長が「悪いことの起きる前兆だ」という記述がある。
つまり、白い虹=不幸=原爆。
逆に、五彩の虹=幸福=平和。
原爆のない平和な世の中になりますようにという、作者の祈りが込められたラストなのである。

さて、今見ている虹は何ん色ある?・・・と数えてみる。
青・黄・赤・白・緑・・・確かに五色。五彩の虹!
なんとも目出度いと、東の山に目をやると日の出!

世界が平和でありますよう。

※銅版画はカリフォルニア大学バークレー校蔵

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

77 / 丸刈り

2023年08月25日 | よもやま話

コロナ感染が広がり出してから理髪店にいかなくなった。
我が家の相方に散髪してもらっている。
最初はハサミでちょきちょきやってもらっていたが、うまくいかない。
つまるところは丸刈り。
バリカンでいっきに刈ってもらっている。
以来、丸刈り。

なんといっても安上りである。
散髪代がいらない。シャンプーなどは一年間で一本ですむ。
朝なんぞは髪を整える必要がない。当然、整髪料はいらない。
もう一つ大きなメリットはハゲがめだたない。

我らの時代、小学校から中学校に上がる時の一大イベントは、丸刈りになることだった。
強制であったから従わざるを得ない。通過儀礼のようなものである。
中学校が丸刈りを強制していた理由は「衛生面を考えて坊刈りにしている」だった。
だが、本当の理由は「 坊刈りではモテないから恋愛に時間をとられない」だと思う。

丸刈りといえば甲子園(高校野球)。
全国の高校の3/4が長髪を許可しているにもかかわらず、ほとんどが丸刈り。
上にあげたような理由からだろうが、本音は「昔から丸刈りが伝統だから」だろう。
高校野球大会が始まったのは1915年(大正4)、第一次世界大戦の最中で、男子学生は軍隊に倣って全員丸刈りが当然の時代だった。
だから、丸刈りが「伝統」というのはおかしい。
昔からの「習わし」を頑固に守っているだけである。


今年の甲子園大会には長髪の学校が七校あったという。
そのうちの慶応義塾高校が1916年の第二回大会(当時は全国中等学校野球大会)以来107年ぶりの優勝。
長髪旋風!
よし、わしも、そろそろ長髪にするか!

※『全国中等学校野球大会史』春日俊吉 ほか

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

76 / 目高

2023年08月24日 | よもやま話

最初に買ったプラスチックの瓢箪池は、できるだけ自然に近いものにするために、田んぼで採ってきた面高(おもだか)を植えている。
葉の形が人間の顔に見えることから「面高」というのだそうだ。
メダカは目が高い位置についているので「目高」というのは理解できるが、面高の葉はどう見ても顔には見えない。
矢じりの形をしていることから「勝軍草」という方がぴったりのような気がする。
戦に縁があるために多くの武将が家紋に使った。
家紋の場合は「沢瀉紋(おもだかもん)」という。

沢瀉(たくしょう)は中国語で、本来はオモダカと言わずにタクショウと言っていたのだろう。
それを縁起がよいように「顔が立つ・面目がたつ・花が高い」などのイメージから面高と言うようになったのだろう。
この面高を改良したのが正月に食べるクワイ。
クワイの方が大きいのだが、茎や葉の形はまったく同じ。
葉茎が鍬のようなので「鍬芋」がなまってクワイになった。
大きな目が出るというので縁起ものにされている。

クワイは食用になるのだが、オモダカは田んぼの雑草にすぎない。
クワイのような芋(1㎝にも満たない)をたくさんつけるので、翌年にはあっというまに広がる。
人間にとってはやっかい者の雑草である。
ところが、メダカにとっては大好きな草だ。
根は水中で葉っぱは水上なのでメダカの格好の遊び場になる。
「雑草という草はないがや!」と万太郎が叫ぶ通りなのである。
昔、田んぼで見た目高は面高の間を泳いでいた。
目高には面高がよく似合う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

75 / めだか

2023年08月23日 | 歴史

チイチイパッパ チイパッパ
雀の学校の先生は
むちを振り振りチイパッパ
生徒の雀は輪になって
お口をそろえてチイパッパ
まだまだいけないチイパッパ
も一度一緒にチイパッパ チイチイパッパ チイパッパ
(作詞:清水かつら 作曲:弘田龍太郎)


お馴染みの『すずめの学校』。
かわいい歌詞なのだが、1922年(大正11年)に発表なので、よくよく見るとかなり軍国主義的な歌だ。
先生が鞭(むち)で脅しながら、生徒を一つの思想に染めようとしている。

めだかの学校のめだかたち
だれが生徒か先生か
だれが生徒か先生か
みんなで元気に遊んでる
(二番、作詞:茶木 滋 作曲:中田喜直)


戦後間もない1950年(昭和25年)に作られた『めだかの学校』。
平等、自由、健康の基本的人権がやんわりと歌いこまれている。

目の前の自由に泳いでいるメダカを見ていると、はるか昔の子ども時代に帰ることができる。
日常的なものを忘れて解放的で自由な心持になる。
しばしの漂泊者となって、遠い昔に旅することができる。

感傷的気分にひたっていると、
「昼ご飯できたから早く来て! 蕎麦やからのびるで!」
と声がして、旅人は現実に引き戻される。
メダカを飼う理由は、自由を感じさせてくれるからでもあるのだ。
※南條亮ジオラマ記念館の写真を改作
※下の絵は鶴島輝夫さんより借用

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする