河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

歴史38/ 一かけ二かけ③

2024年02月13日 | 歴史

※連載です。①からお読みください。

夢に春やんが出て来た。
つんつるてんの着物一枚着て、犬を連れて、石川にかかる河南橋の欄干に腰掛けている。
ワンカップの蓋をシュカーンと開け、ぐいと一口飲んで語り始めた。
  
よーう調べたやないかいな。
せやけど、もっとこだわらなアカン! 大豆と麹と塩を寝かせて味噌を作ったら、次は美味しい料理にせなアカンやろ!
一かけ 二かけて 三かけて、四かけて 五かけて 橋をかけ」というのは、どういうこっちゃねん?
教えたろか……征韓論に敗れた西郷さんは新政府から離脱して一人欠けた
それで、故郷の鹿児島へ馬で駆けた
ほんでもって、命を懸けて、明治政府に喧嘩を仕掛けた
一か八かの大勝負を賭けたんや!

ところが、田原坂の戦いで大打撃を受けた。
ほうほうのていで熊本を脱出して、国境にある下槻木(しもつきぎ)という村にたどり着いた。
綾北川を渡ると宮崎や。
ところが、前日の台風で川が氾濫して橋が流され、渡ることができない。
そこで西郷は、山から大木を伐採して橋を造ったんや。
村人は喜んで、牛一匹を殺して盛大にもてなしたというなあ。
西郷は涙を流して村人に御礼を述べ、這うようにして橋を渡った。
その時の姿が、降伏の格好に見えたんで西郷降参橋と呼ぶようになったそうや。
渡り終ったら、官軍の追撃をかわすために橋をこわすのが普通なんやが、村人の不便を思い、そのままにして行ったという。
ええか、わらべ歌の中にある「橋を架け」というのは、この橋のことや。

西郷隆盛、娘です」とあるが、西郷さんには、奥さんのとのあいだに一人、奄美大島で世話になった愛加那という女ごっさんとの間に一人の計二人の娘さんがいる。
しかし、西郷さんほどの人や、あちこちにぎょうさんコレ(小指を立て)がいるがな。
橋を架けた村にも、いたはったんやろなあ……。なんちゅうたかて「天下無双の英雄」や!
一かけ 二かけ 三かけて、しかけた色恋やめられぬ というやっちゃがな!
そう言って春やん、歌い踊りながら、あの世に帰っていった。
♪一かけ 二かけ 三かけて、しかけた踊りはやめられぬ。
五かけ 六かけ 七かけて、やっぱり踊りはやめられない♪

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歴史38/ 一かけ二かけ②

2024年02月12日 | 歴史

※続きものです。①をお読みください。

勝海舟とともに江戸城無血開城を実現した西郷隆盛は、新政府内でも参議として維新の改革を推し進めた。
しかし、明治6(1873)年、武力によって朝鮮を開国させようと主張した征韓論を、岩倉具視や大久保利通らに猛反対され、朝鮮への派兵は中止となる。
西郷隆盛はこれを不服として辞職、 新政府から離脱する。
明治政府に不満を持つ士族は西郷の姿勢を支持し、多くの人々が西郷の元に集まる。
そして、ついに郷里の私学校生徒に促されて挙兵する。
明治10年2月15日、日本国内最後の内戦である西南戦争が勃発した。

鹿児島で蜂起した西郷隆盛率いる薩摩軍は、北上して熊本城を囲む。
しかし、攻略に失敗。
政府軍を迎え撃たんと田原坂(たばるざか)に陣を構えた。
3月4日から20日までの17日間にわたって激しい戦いが続いた。

 ♪雨は降る降る 人馬(じんば)は濡れる 越すに越されぬ田原坂
  退くに退かれぬ田原の瞼(けん)は 男涙の小夜嵐(さよあらし)
  春は桜よ秋ならもみじ 夢も田原の草枕♪  (熊本民謡)

業を煮やした政府は、警視隊から剣術に優れた者を選び「抜刀隊」を臨時編成した。
抜刀隊は、何度となく斬りこみ攻撃を繰り返し、田原坂を奪い返した。
多くの死傷者をだした西郷軍は鹿児島に退却する。
そして、敗北を覚悟した西郷隆盛は、9月24日、城山で自刃する。

この抜刀隊の活躍を外山正一(東大教授、後に学長)が歌詞に書き、お雇い外国人のシャルル・ルルーが曲をつける。
日本最初の軍歌『抜刀隊』である。
西洋のメロディーが珍しかったのだろう、庶民の間でも広く愛唱され、 日本で最初の流行歌となった。(一番のみ)

♪吾(われ)は官軍我が敵は 天地容れざる朝敵
敵の大将たる者は 古今無双の英雄
これに従うつわものは 共に慄悍決死(ひょうかんけっし)の士
鬼神に恥じぬ勇あるも 天の許さぬ反逆を
起こせし者は昔より 栄えしためし有らざるぞ
敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に
玉散る剣抜きつれて 死する覚悟で進むべし♪
※YouTube『抜刀隊 陸軍分列行進曲

詞の中にある「朝敵」「敵の大将たる者は 古今無双の英雄」は西郷隆盛のことだ。
西郷を慕う者からすれば、けっして心良いものではない。
そこで、西郷を偲んで、誰かが『抜刀隊』のメロディーに、西郷隆盛を弔う詞をかぶせた。
これが日本全国に伝わり、子どもが、毬つきや手合わせ遊びをするときのわらべ歌になる。

♪一かけ 二かけて 三かけて、
四かけて 五かけて 橋をかけ。    
橋の欄干 手を腰に、はるか彼方を眺むれば、
十七八の姉さんが、花と線香を手に持って。
もしもし姉さん どこ行くの?
私は九州鹿児島の 西郷隆盛 娘です。
明治十年の戦役に、切腹なさった父上の お墓詣りに 参ります。
お墓の前で手を合わせ、南無阿弥陀仏と拝みます。
ジャンケンポン♪
※YouTube『一かけ二かけて(わらべうた)

これで春やんのメモの謎が解けた。
『必殺仕事人』のナレーションは、わらべ歌「一かけ二かけ」のパロディーだったのだ。
※③につづく
※芳年『やまと新聞 第四百十四号附』 国立国会図書館デジタルコレクション 
※梅堂国政『鹿児島新画之内 熊本県田原坂撃戦之図』 国立国会図書館デジタルコレクション

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歴史38/ 一かけ二かけ①

2024年02月11日 | 歴史

テレビで、必殺シリーズ600回記念映画の『必殺!(1984年)』をやっていた。
布団に入る時間だったが、最後まで視てしまった。
ラストで、藤田まこと演じる中村主水が橋を渡るシーンで、懐かしい文句をつぶやく。
それを聞いて思い出した。
春やんが残してくれた『河州喜志村覚書帖』にメモされていた文句だった。

 一かけ 二かけ 三かけて
 仕掛けて 殺して 日が暮れて
 橋の欄干 腰下ろし 遥か向こうを眺むれば
 この世は辛い事ばかり
 片手に線香 花を持ち
 おっさん おっさん どこ行くの?
 あたしは必殺仕事人 中村主水と申します

1979年(昭和54年)5月から1981年1月まで、朝日放送で放映された『必殺仕事人』で、芥川隆行が語るオープニングナレーションだった。
「なんでまた、こんなんメモしたんやろ?」
「歴史」の項で書いた、今までの記事は、実際に春やんが話したことだし、『覚書帖』にも細かくメモされていた。
しかし、「必殺仕事人」のメモは備忘録のような、気になった事柄を無造作にメモしたページにあって、いくつものメモが雑多に書かれている。
実は、私もプログを書くためによく似たことをやっている。
思いついたり気になったりした言葉をとにかくメモする。
あることを調べているうちに、以前にメモしたことと関連する事柄を見つけると、それを前のメモに書き加える。
何度か追加メモしているうちに、メモ同士が関連性をもってくる。
そのとき、一つの文章になる。
大豆と麹と塩をねかせていると味噌になるのと同じことだ。
「そうか、春やんも同じことをしていたのだ!」

だとすれば、春やんがメモしたページの中に関連する事柄があるはずだ。
春やんのメモのを下へと追っていく。
「東京-博多間が6時間40分」
「林家三平が54歳で死去」
「ジョン・レノン銃殺」
「カラスの勝手でしょ」
なんやねんこりゃ! 余計にわからんがな。
自分の気に入った文句をメモしただけかいな!
頭にきて、覚書帖を閉じようとしたとき、春やんのメモの上に、大豆と麹があった!
「獅子の時代」
1980年のNHKの大河ドラマ(作:山田太一)だ。
幕末から明治にかけての激動の時代を描いたドラマだ。
ご丁寧に「西郷隆盛」とある。
これで結びついた! 味噌が作れる!
※②につづく  

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歴史37 / あとがき……

2024年01月29日 | 歴史

春やんがよく言っていた。
歴史というのは年表を覚えるのと違う。年表の裏にあることを語る、喋らんとあかん! 歴史みたいなもん語ってなんぼや! 喋ったもの勝ちや!
学問としての歴史学は、古文書・記録・史書などの文献史料を読んで、一つの歴史像を構成することにある。
春やんは、文献資料など関係なしに、一つの歴史像を構成してしまう。
それが出来たのは、喜志村という舞台があったからだ。
ええか、歴史というのは、その当時の地理を頭に入れて考えんとあかん
喜志村という地理を舞台にして、楠正成を、吉田松陰を、関係する人々を動かす演出家、監督だったのだ。

学校で習う日本史は政治史の色合いが濃い。
そのため、庶民が出てくることは少ないし、文化や信仰は貴族や武士、僧侶のものだ。
庶民の文化や信仰に光があてられたのは、1914年(大正3)に柳田国男らによって日本民俗学が創始されてからだ。
たかだか100年足らず。日本史学が文献だけでなく、絵画や文学、遺跡や遺物、民俗行事、地図や地名などを参考にしだしたのは最近のことである。
しかし、春やんの歴史観は元から民俗学の色合いが濃い。
だから、日本史からすれば奇想天外だが、その地で生活している名もない庶民の文化や信仰がある。

あるとき、春やんにたずねた。
「明治時代と江戸時代は、どっちがよかったと思う?」
そら江戸時代や! 明治になってから歴史に大きな穴が空いてしまいよった!
廃仏毀釈でお寺の歴史が散逸し、神社を中心とする臣民教育で土着的な伝統芸能が否定された。
戦後になって神社による統制がなくなると、軍事的なものの排除(神社に非は無いが)からか、明治から戦前のことに関しては記録が表に出てこない。
歴史、民俗学者も、および腰になって歴史の空白を埋めようとしない。
ましてや、小さな神社仏閣は個人営業でもあるから詳しいことはわからなくなる。
ええか、歴史をつくったんは信長でも秀吉でもない! わしら一般庶民や! せやから、わしみたいなオッサンが語る歴史こそが本真もんや!

そう豪語した春やんの歴史の話は「歴史36/祭りじゃ俄じゃ」で終わる。
とはいえ、春やんが残してくれた「覚書帖」がある。
その中には、紫式部や家康や龍馬が喜志村に来ている。
「春やん、なんぼなんでも無理があるんとちがうか!」
あったれ! そんなんもん喋ったもの勝ちや!
というわけで、タイトルは「あとがき」としたが、「中締め」に変更する。

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歴史36/祭りじゃ俄じゃ 補筆

2024年01月17日 | 歴史

以下の文章とスケッチは、川面出身の鶴島輝雄さん(故人)がかかれたものである。

戦争が終わって軍国色が一掃されると、それまで自粛を強制されていた盆踊りや祭りが爆発的な勢いで復活した。
この絵は昭和二十二年頃(一九四七)の、秋祭りにおけるだんじりの宮入りを示している。
この当時、二〇台に近いだんじりが繰り出した。
青年団が祭りを取り仕切り、九月中旬から〈にわか〉の練習に励んで、十月十八日の本祭りの日、神社の境内で〈にわか〉を奉納した。
だんじりの周りには〈にわか〉を見る人で溢れていた。

昭和十年刊の喜志尋常高等小学校〔現代の中学1・2年〕『学びの栞』の中に次の記事がある(国立国会図書館デジタルより)。

(十月)十七日 神嘗祭(かんなめさい)
この日初穂を皇太神宮にお供へになり、勅使が立たれます。宮中でも、賢所でおごそかな祭典をあげさせられます。
同日 氏神秋祭
村の年中行事中一番にぎやかなものの一つでせう。大国宮では盛大な祭典が行はれ神輿かきや地車引もあつて、森厳な森に太鼓の音がひびき人の波で境内が埋まります。
  柿赤き 二十ヶ村の 祭かな

尋常小学校は現在地の木戸山町にあったが、高等小学校は美具久留御魂神社の境内にあった。
娯楽の少なかった時代、秋祭りが村々あげての楽しみだったのがよくわかる。
しかし、『学びの栞』が発刊された翌々年の昭和12年7月の盧溝橋事件で日中戦争勃発し、13年4月に国家総動員法が公布される。
祭の自粛を強制されたのは、おそらく、この頃だろう。
「柿赤き二十ヶ村の祭りかな」の「二十ヶ村」は当時の氏子村の数だ。
鶴島さんの説明に「二〇台に近いだんじりが繰り出した」とあるから、戦後初の祭に、ほぼ全ての氏子地区が地車を出したことになる。

誰もが祭の復活を待ちこががれていた。
そして、誰もが祭の復活に歓喜した。
冬の寒さに耐え忍んでいた草花が、一斉に花を咲かせ、実を結ぶ。
戦争で忘れていた自然や人の、在りのままの姿や流れを取り戻した瞬間だったにちがいない。

宮入を終えて村に帰る途中、俄を演じた衣装のまんまの春やん・彦やん・ミッツォはん三人に、明治生まれの師匠の徳ちゃんのオッチャンが寄って来て言った。
「わしが子どもの頃に見た俄は面白ろかった。どんなけ笑かすかが俄あった。
それが、宮さんで俄を奉納するようになった時に、天皇陛下の祖先を祀る宮さんで奉納する俄は笑かすのは不謹慎ややと言われるようになってしまいよった。
せやから、歌舞伎の真似事して、落とし(オチ)だけで笑かすような、面白ろない芝居になりよった。
そよさかいに、笑かしたらアカンのなら泣かしたろやないかいと、新国劇やら新派の芝居やらをとりいれたんや。
それでも、観客は笑いたいからヤジを飛ばしよる。そのヤジに一言返す即興は、さすがに、お上(警察)も許しよった。
そんな昔の古い河内俄を見せてもろたワ! 俄みたいなもんは、子供の遊びと同じや! やった者勝ちや!」
昭和生まれのミッツォはんから聞いた話である。

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