河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

茶話154 / 友達たくさんできるかな

2024年11月27日 | よもやま話

6月に、小学校の同窓生の掛かりつけ医が、もう歳だからと引退した。
「すまんけど、他の医者を探してくれるか」と言われていたが、しばらく経っても異常がない。
家で血圧を測っても、140前後の歳相応の数値。
こりゃ、案外、薬を飲まなくても大丈夫なんだと自己判断。
「薬から病を起こす 」「薬は身の毒」なんてことわざが有馬温泉。
半年近く医者通いせず。
薬も飲まずに放ったらかしにしていた。

ところがどっこい北の湖。
10月頃から歯が痛い。
肩をボキボキ、首をネジネジ、調子がへん。
耳も詰まった感じがする。
なんてーこったい肩こったい。
こいつぁー駄目だと勘念して、半年ぶりに新しいクリニックへ。
診察を待っているのは年寄りばっかし。

まずは「血圧を測りますね」と優しく言われて腕まくり。
シューシューと空気が入る。
さて、どのくらい?
と、思ったら、空気が抜かれて測り直し。
こんな時は毒なことはない。
これだけで血圧が上がる!
測り終わって医者が一言「180」。
な、な、なんと、南都は奈良の興福寺!
体の裏表に聴診器当てられ、おまけに血を抜かれて血糖検査。

結果、「前と同じ薬を出しときますから、しばらく様子をみましょう」ときたもんだ。
「薬無ければ病なし 」「薬多ければ病甚だし 」なんてことわざを信じてはならないのだと納得。
それでもって、再び薬漬け!
診察を待つ年寄りの一員になった。
兼好法師が言っている、
「よき友三つあり。一つには物くるる友。二つには 医師(くすし)。三つには智恵ある友」
医師とも仲良くやっていくとするか!

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畑187 / 台湾山芋

2024年11月26日 | 菜園日誌

岡山の友人にもらった台湾山芋の葉がだいぶんに黄色くなったので収穫した。
正式には大薯(だいじょ)だが、台湾から沖縄を経て九州に伝わったとされ、「台湾山芋」や「沖縄山芋」とも呼ばれている。
亜熱帯原産で、寒さには殊更弱い。
本州では種芋が寒さで越冬できないので、作られるのは少ないそうだ。
4個もらって、土に埋めて下駄箱の下に置いていたら、4個とも冬を越してくれた。
初めて作った作物なので掘るのが待ち遠しかった。

傷つけないように遠くから四方にシャベルを入れ、てこの原理で畝から切り離す。
大きな土の塊が出てくる。
我が畑は粘土質なので、この土を取り除くのが一苦労。
サツマ芋の時と同様に発掘作業さながら。
ようやく顔を出した台湾山芋。
不揃いの芋が大小合わせて10キロはあるだろうか。

「山芋」という名の固定の品種は無い。
自然薯、長芋、大和芋(つくね芋・台湾芋ともいう)などを総称して「山芋」といっている。
このうち、日本の山野に自生しているものが自然薯である。
台湾芋は、在来種ではないし、畑で農作物として栽培されているから自然薯ではない。
しかしである。
折れて傷ついたのを摺り下ろしてみると、長芋とは比較にならないほど強烈な粘りである。
しかも味が濃い。
これはもう、自然薯ではない自然薯のような自然薯である。

よし、来年は自然薯畑にしてやろう!
そのためには、常に15℃の温度で越冬させなければならない。
手ごろな大きさなのを30個ほど新聞紙でくるむ。
これを三等分して、今年のように下駄箱の下に。
もひとつは、サツマ芋と一緒に発泡スチロールの箱に。
そして最後のひとつは、ダンボールの箱に入れて冷蔵庫の上にある収納棚で保存することにした。
どれかが越冬してくれればよい、危険分散保存である。
そうだ、もうひとつ、最も危険性の高いやつを越冬させなければ!
自分自身を!

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畑186 / はてしなく

2024年11月23日 | 菜園日誌

玉ネギも植えた。
そら豆も植えた。
エンドウも植えた。
これで春野菜の準備は完了。

もう一つ、ビニールハウスも完成した。
幅260㎝×長さ550㎝だから14.3㎡。
ほぼ9畳だから4坪半になる。
五年前に造った第一号ハウスは2坪だから二倍以上の広さ。
一号ハウスは春にブルーシートを張って、物置兼玉ネギ吊場にする計画だ。
二号ハウスくらいになると、ちょっとしたものが植えられる。
まずは、絹さや、スナップ、エンドウを10株。
3月になれば、絹さやから順に春を味わえる。

今時の朝7時の気温は5度前後。
ハウスの中は10度なので、朝早いうちはハウスの中で出来ることをする。
気温が上がってきて、ようやく外の作業をする。
天気がよいと、10時頃にはハウスの中は35度になっている。
左右のビニールをめくり上げて、野菜の成育適温の25度に調整してやる。

帰り際になってもすぐには帰らない。
快適な温度のハウスの中でぼおっと過ごす。
夕方も、めくったビニールを閉めるついでに、ぼおっとする。
早い話、このビニールハウスは我が隠れ家でもあるのだ。
カセットコンロを買って来てコーヒー沸かそうか……。
それなら野菜がいっぱいあるから一人鍋をつつこうか……。
思いははてしなく広がるのである。

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茶話153 / 老いの小文 五の⑥

2024年11月22日 | よもやま話

※⑤のつづきです。初めての方は茶話148から読んでください。

旅の四日目は大阪に帰る日だ。
私が「弁当を買って、明石の海を見ながら食べよう」と提案した。
見事に晴れ渡った空を仰ぎ、さすがは「晴れの国」と称賛する一方で、やはり「はずの国」かと諦観しつつ備前の国を離れた。
途中、私は「スーパーに寄ってくれ」と言った。
「何、買うねん?」と不思議そうな友人に、「土産や!」と答える。

旅行して、土産物屋で土産は買わない。
その土地のスーパーで買うことにしている。
京都に行けば、スーパーで八つ橋を買う。
琵琶湖へ行けば、スーパーで小鮎の甘露煮を買う。
その方が、土地の匂いが感じられる。

スーパーに寄ってもらってから、「つるや」という弁当屋で弁当を買った。
小食な私は、弁当を買う時は、中身や値段ではなく、量で選ぶ。
たいていは一番小さいのを買うことが多い。
手ごろなのを選んで帰路に就く。
行きとは反対の南寄りに、和気、相生、姫路を過ぎ、高速が渋滞していたので、加古川から一般道にバイパスを下りた。

1時前に、明石駅の西寄りの海岸にある望海浜公園という所に着いた。
小高い松林の丘があり、そこに登ると防波堤の向こうに明石の海が広がっていた。
ベンチに座って弁当を広げる。
ラベルを見ると二段弁当とある。
上から見たら、小さくて、私には手ごろだと思ったのだが、おかずの下にご飯の重があった。
ちょっと裏切られた気持ちがしたが、秋の陽に輝く明石の海を見て食べる弁当は美味かった。
そういえば、来たときも明石で、助六寿司を食べたのだ。
たった三日前のことなのに、妙に懐かしい気持ちになった。
バックの中には、岡山のスーパーで買った土産が入っている。
128円のパックうどんが三つ。
明日の今頃は、我が家で岡山のうどんをすすって、甘い思い出とともに奥深い思惟にひたっているにちがいない。


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茶話152 / 老いの小文 五の⑤

2024年11月21日 | よもやま話

※④のつづきです。初めての方は茶話148から読んでください。

旅の三日目も備前晴で、午前中は昨日刈り残した草を刈た。
11時頃に早々に切り上げて、少し早い昼食のカップうどんをすする。
昨日の夜、酒を飲んでいて、「いつもの湯郷の温泉は飽きたから、違う温泉に行こう」。
「それなら、奥津温泉に行こう。奥津渓も紅葉しているかもしれない」。
「紅葉しているはずだ」という断定ではなく、「紅葉しているかもしれない」の推量表現に何んだか安心した。

岡山三大河川の一つである吉井川に沿って津山へ。
津山から、また吉井川にそって北に上る。
吉井川の源流が奥津渓なのだ。
光沢のある真っ黒な瓦の家が続く。
日本三大瓦の一つである島根の石州瓦(赤色)の黒色バージョンで、屋根に積もった雪を早く溶かすために黒い釉薬を塗っているのだという。
 黒光る石州瓦に柿紅葉
二時間ほど走って奥津渓に着く。
緑と黄と赤のまだらな紅葉だったが、友人の推量通りだったので納得した。
それでも、渓谷(たに)と紅葉はよく似合っていた。
この渓谷の岩の白さが、紅葉を引き立てているのだろう。
 紅葉まだ 岩の白きや 奥津渓

紅葉見学もほどほどにして、日帰り温泉施設へ向かった。
「花美人の里」という名の大きな温泉施設だという。
「風呂から上がったら、悪いけど、ビール飲んでもかまへんか?」
「ああ、ええで。気にせんと飲んで!」
と言っているうちに入口に着いた。
そこには真っ赤な字で「本日定休日」と書かれた看板があった。
谷底に落ちた人間に上から石を投げるような、完膚なきまでの仕打ち。
我にとっては、どこに行っても「はずの国 岡山」の決定打だった。
結局、いつもの湯郷温泉に向かった。

湯郷の日帰り温泉施設は「鷺温泉」という。
その昔、円仁法師が、ここで鷺が足の傷を癒すのを見て発見したとことから名付けられた名湯だ。
西陽を背に受けて出来た自分の影を踏みながら入口の階段を上がる。
湯につかりながら考えた。
とかくこの世はままならない。
何もかもが思い通りになるとは限らない。
自分の影を踏むようなもので、踏んだと思って一歩先に出れば、影ももう一足に先へ逃げているのだと……。
※⑥につづく

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