河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

茶話135 / 野の花

2024年03月29日 | よもやま話

岡山の旅は四日のうち三日が雨。
帰ってからも雨続き。
畑活したいが閉店がらがら休業状態。
うらやましげに空見上げても今にも降りそな空模様。
降りそでもこっちは振る袖もなき年金暮らし。
まま食うままもままならぬ身。

朝起きると今日もやはり雨。
さて、どうしよう。
月に一度の掛かりつけ医に行って、血圧計って、薬局に行って薬をもらって帰宅。
さて、どうしよう。
そうだ。去年、近くの河川敷にモヂズリが咲いているのを見つけた。あれを採って来て植えよう。
ちょうど雨も止んでいる。おおよその場所の目星はつけてある。スコップとバケツを持って河川敷へ。
確かこの辺りだとうろうろする。あったあった! おお、こっちにも! 都合六株。
持って帰って、植木鉢を探して植えてやる。

  陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰(たれ)ゆゑに 乱れそめにし われならなくに /河原左大臣 『古今集』
(陸奥で織られる「しのぶもじずり」の摺り衣の模様のように、乱れはじめた私の心はいったい誰のせい? 私のせいじゃなくってあなたのせいなのよ)
陸奥 (むつ) の国信夫 (しのぶ) 郡(福島県福島市文知摺)の、草花の葉や茎を布に螺旋状に擦り付けた模様を「信夫文知摺」と呼ぶ。
その模様が花の形に似ているので「もぢずり」という名がついた。
ぐるぐるとネジを巻いたように咲くので「ねじ花」ともいう。
水はけがよく、日当りのよいところを好むので、たいていは芝生に混ざって生えている。
ゴルフ場でよく見かける花だが、上から見ると単なる雑草かと見過ごしてしまう。
しかし、数ミリの小さな花を観察するとランと同じ形をしている。れっきとしたランの一種である。

6月ころにピンクから赤の花を咲かす。
「みちのくのしのぶもぢづり」の和歌のように情熱的な花ではないが、野に咲く花のけなげさが感じられる。
雨のち曇り、そして晴れ。
青い空をバックにして咲く花が待ち遠しい。

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茶話134 / 老いの小文➆

2024年03月28日 | よもやま話

※「老いの小文⑥」からのつづきです。
 かげろうが揺らぐ春の日、野辺に出て、ふりさけ見れば足ひきの山の尾の上の雲霞み。色添え、匂う桜の花盛り。折々通う春風にもなんとも言えぬ花の香がする。
 なんぞと書き始める予定の備前の旅のはずだったが、花のつぼみはまだ固い。おまけに、三日目から雨模様。しかたなく、素戔嗚尊が八岐大蛇を退治した剣を洗った滝から、男根を祀る金勢大明神をめぐり、道を南へとって日生の海に着いた。
 瀬戸内に面した日生の海は、波静かに鏡のごとくして陽に輝き、突如として現れる数十の島々の松樹の碧緑を映す。青垣なす山々を背に、春うらうらの浦風うけて海浜にたたずめば、白砂青松まことに書にも及ばない絶景である。
 なんぞと書きたかったのだが、日生の名のごとき日は生ぜず、島々は降る雨にかすんで下手な水墨画を見ているようだ。

 早々に日生を外れ備前市に向かう。2号線から道をそれると伊部(いんべ)という古い街並みに入った。今年、ドジャースに移籍した山本由伸選手の生まれ故郷だという。なるほどさようかと、車はスプリットやカットボールの緩急おりおりに街並みを抜け、2号線にもどる。
 友人が「美味いうどん屋があるのだ」と、時たま走る新幹線を尻目に吉井川沿いの堤防へ。河川敷ながらなんとも広いゴルフ場で、パルグリーンゴルフクラブというそうだ。なんでも、全米女子プロゴルフ選手権を制した岡山生まれの渋野日向子が練習を積んだゴルフ場だという。いつしか旅は、ご当地出身有名選手のツアーとなって車は走る。堤防をゆったりと左フックした先にうどん屋があった。

 地元備前長船の刀工「福岡一文字」から『一文字』と名付けられたセルフのうどん屋だ。麺にこだわり、地元産の小麦を石臼で挽いた自家製小麦粉を使っている。醤油も岡山産の甘めの濃い口。ちょうど大阪の「けつねうどん」を食べているようで、よく口に合う。せっかくなので、岡山の牧場の牛肉の入った肉うどんを頼む。柔らかいながらも、しっかりと肉の味がして美味かった。備前のうどんはあなどれない。
  やわらかに春雨見つつ肉うどん
 うどん屋を出て備前長船刀剣の里へ。、現存する名刀の70パーセントが備前の刀だという。長船一門の祖である「光忠」から二代「長光」、三代「景光」へと伝承された中で刀剣王国が築かれていった。質・量ともに全国1位の鉄の産地で、古くから渡来人が渡り住み、優れた技術が伝承されたからだろう。良質の土から作る備前焼もしかりである。
 してみれば、素戔嗚尊が八岐大蛇を斬った十拳剣(とつかのつるぎ)は長船の地で得たものだろう。だからこそ、お礼をこめて、わざわざ出雲から備前に戻って剣を洗い、備前の神に奉納したのにちがいない。

 ようやく雨があがった。刀剣博物館という大きな施設があるのだが、往時が偲ばれる所の方がよかろうと、長船の刀匠たちの菩提寺である西方寺慈眼院に行く。かの西行法師も訪れて歌を詠んでいる。
 長船に鍛冶(かぢ)する音の聞こゆるは いかなる人の鍛ふなるらん
 門をくぐって境内に立ち、空を仰ぐと、あちこちから刀を打つ(=鍛える)槌音が響いてくる気がする。初代長船光忠の槌音か……、素戔嗚尊の剣を打つ音であろうか……。満開の桜を見ることはできなかったが、はるか古に思いをはせる幸せに巡りあった。
 本殿にお詣りし、傍らにあったセルフのおみくじを引く。
 「このみくじにあう人は 枯れ木に見えても 春がきて 再び芽をだすように 目上の人の引き立てにより 幸せの芽がでる」、吉とでた。
  刀打つ音夢に聞く彼岸かな


※山陽新聞3/24朝刊の天気予報

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茶話133/老いの小文⑥

2024年03月27日 | よもやま話

※「老いの小文⑤」からの続きです。

 備前の旅三日目は朝から霧雨。傘もささずに野辺の道を通って川沿いの県道にでる。この地はどこの河畔にも桜の木を植えていて、一輪なりとも咲いていないかと探すが蕾は固く閉じたままだ。いたしかたなく旧友の家に戻ろうとして、村に入る道の傍らに背の高い石碑を見つける。「素戔嗚尊血洗之滝(すさのおうのみことちあらいのたき)」と標されている。ずいぶんと物騒な場所があるものだと、家に戻って旧友に尋ねると、素戔嗚尊が、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した剣に着いた血を洗って禊(みそぎ)をした滝が近くにあるのだと言う。
 「天の岩戸伝説の後、素戔嗚尊は高天原を去って根の国(島根)へ行き、そこで八岐大蛇を退治したのではないか。なぜ、備前までわざわざ血を洗いに来るのだ?」と問うと、「そこが備前の備前たるところやがな」と釈然としない答え。

 ならば、どうせ雨で畑仕事はできないから血洗いの滝へ行こうではないかと滝へと向かう。山の中のカーブだらけの県道を30分、右にそれて車一台通れる九折(つづらおり)の道を30分して、ようやく小さな駐車場に着く。そこから、雨でぬかるんだ細い山道を150mほど上ったところに血洗いの滝があった。高さ10mほどの滝で、身を浄めるにはちょうどよい滝つぼがある。近年流行りのパワースポットだそうだが、夏なら冷気で心地がよいだろうが、今の季節では寒い。どうしてもっと行きやすい所で血を洗ってくれなかったのかと、愚痴の一つも言いたくなる。
 ポケットに手を入れて山道を下りようとすると、ブルッと寒気がしてトイレへ行きたくなる。ちょうど立札があって「トイレ100m」とある。なんでもっと近くにトイレを造れなかったのかと、またしても愚痴が出そうになるが、神域ゆえにいたしかたない。バチが当たったのだと思い直して、都合300mの山道を下りる。「歳をとると下が近くなってあかんなあ」と友人に言うと、「ほんならええとこに連れてってやるわ」と言う。

 ええとこに向かう車の中で、素戔嗚尊は八岐大蛇を退治した剣(十拳剣=とつかのつるぎ)と、八岐大蛇の尻尾から出て来た剣(草薙剣=くさなぎのつるぎ)の二つを持っていたのだと気づいた。滝で洗った十拳剣は近くの石上 布留神社に奉納された後、奈良県天理市の石上神社に移される。草薙剣は天照大神に渡されて、後に三種の神器となったのだ。どうやら、備前国の素戔嗚伝説は剣=刀剣=鉄にまつわるものに違いない。だとすれば天下の名刀を生んだ備前長船に行かねば!
 「おい、長船へ行こう」と友人に言うと、「さあ着いたで!」と、友人の言う「ええとこ」にすでに到着していた。またしてもつま先上がりの道がある。「金勢大明神(こんせい)へ300m」という立札を見て、入口に備えてある竹の杖を頼りに上る。行き絶え絶えになりそうな所に、ちょうど鳥居があったのだが、写真を撮ろうかどうか? なんやねんここ?

 五十段ほどの石段を上ると、こじんまりとしたご本殿があり、ガラス戸を開けると、なんとも立派な賽銭箱がある。明治になって建てられた御神体が男根という何とも珍なる神社である。

 

 倉敷にも同様の神社があり、そこから勧進して建てられたというが、当のご本家は淫靡邪教として衰微してしまった。だが、分家のこの大明神は、山奥にある故か、おおらかな風土のお蔭か、雄々しくも生き残った。子授けや下の病にご利益があるという。賽銭箱の先っぽの穴をやさしく撫でて賽銭をあげ、ありがたく伏し拝む。気圧が変わったのか、すーっと心地よい風が吹き抜ける。
  春風一過男根一本

 山から下りる途中の大きなカーブを曲がると、にわかに景色が開けて雲海を見ることができた。ずいぶんと高い所に上ってきたものだと、雲上の神代から雲海の底にうごめいていた己を想像してしまう。
  雲海の底は浮世の我が宿り

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茶話132/老いの小文⑤

2024年03月26日 | よもやま話

※「老いの小文④」からの続きです。

 戦後すぐに建てられたかと思われる碍子(がいし=電気の絶縁線)むき出しの座敷に、厚手の布団を敷いてもらって備前国の旅寝の一夜目。ネコかイタチかの天井這いまわる音で一人寝の寂しさをまぎらわし、翌朝は各戸に引かれた防災無線のけたたましい音楽で嫌でも目を覚ます。
 パジャマのまま外に出ると春霞(かすみ)が立ち込めている。夕べの酒宴の残りのコロッケとコーヒーという妙な組み合わせの朝食をとりつつ、旧友が言うには、霞ではなく霧で、こんな日は天気が良いのだと言う。その言葉通り、霧が引き出すと陽も長閑に顔を出す。
 さて、今日こそは一宿一飯の恩義に報いる日と、ゴムの長靴ゴム手袋に身をかため、のこぎり鎌に草刈り鎌、備前小早川家の違い鎌、作州出身は宮本武蔵の二天一流の鎌使いで、ばったばったと草を抜く。

 緑満ちたる雑草の中に咲く何やらゆかし紫の花は、昔懐かしき菫(すみれ)。かつては田んぼの畔や庭の片隅など、どこにでも咲いていた馴染み深い花なのだが、花の形はおぼろげにしか覚えていない。大工さんが直線を引くときに使う墨壺(=すみいれ)の形に似ているところからスミレという名がついたのだという。花は生のまま食べられるし、乾燥させて煎じると頭痛やのどの痛み、視力改善に効果がある。
 春の野にすみれ摘みにと来(こ)しわれぞ 野をなつかしみ一夜寝にける /山部赤人(万葉集)
 春の野に寝そべって、長閑な陽を浴びて菫の香を嗅いでみたいものだと思う。華麗に咲く桜とは正反対の清楚で可憐な野の花だ。
  雑草と言う草はなし菫咲く

 旅に出たからといっても、老友二人だけなので豪華な食事など要らない。昨日、スーパーで買った100円うどんの昼食。そっけないので、畑で採ってきたノラボウ菜の葉っぱを手でちぎって山のように盛る。これが備前の甘口の濃い出汁によく合う。
  麺一本春菜の緑すする昼
 天気のよい日は今日しかなかろうと午後からも草抜き。折々通う春風が涼しいほどの暖かさ。薄墨色の山々から春告鳥(うぐいす)の声がする。鳶(とんび)が頭の上をかすめ、ひとはばたきもせず空に上がってピーヒョロヒョロと笛を吹く。この山里は鳶が多い。大阪ではあまり見なくなった菫の花や鳶の鳴き声に郷愁を感じる。
 ひと日を終えて旅寝の屋に帰ると、垣の薄紅色の木瓜(ボケ)の花が「ぼっけー、えらかったじゃろう」と迎えてくれた。
 山里はなにもかもやさし木瓜の花

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茶話131 / 老いの小文④

2024年03月25日 | よもやま話

 備前の国に旅するのは、去年の春を初めとして今春で四たびになる。昼前に旧友の愛車に便乗して大阪を出発する。時折り降る雨の中を神戸に入ると小雪にかわる寒さ。明石、姫路、相生を抜けると風景は一変し、山あいの平野を縫うようにして走り、山陽道の要所、播磨国と備前国を隔てる船坂峠にいたる。
 鎌倉幕府を倒さんとして隠岐に流罪される後醍醐天皇を奪回せんと、備前の児島高徳(たかのり)が一族郎党二百余騎をしたがえて天皇護送団を待ち伏せした地である。しかし、移動ルートを見誤り、天皇救出の義挙は失敗に終わる。
 春しぐれ義挙空拳をいかんせん

 その後、高徳は天皇一行を播磨・美作の国境の杉坂まで追うのだが、天皇一行は既に津山へ達しており、完全な作戦失敗となって軍勢は雲散霧消してしまう。しかし、高徳は天皇の奪還を諦めず、夜になって天皇の宿舎に侵入するが、厳重な警護の前に天皇の奪還を断念せざるを得なくなる。そのとき、宿舎にあった桜の木へ「天莫空勾践 時非無范蠡(天勾践を空しうすること莫れ、時に范蠡の無きにしも非ず)」と漢詩を彫る。……天は春秋時代の越王・勾践(こうせん)に対したように、決して帝をお見捨てにはなりません。范蠡(はんれい)のような忠臣が現れ、必ずや帝をお助けすることでしょう……という意味の漢詩を見た天皇は、我が身を思う臣下のいることを知り、おおいに勇気づけられた。
 昨春も同じような時期に備前の国に入ったのだが、桜の開花が早く、ほぼ散っていた。今春はと期待したのだが、ここ四、五日の寒さで、蕾は固く閉じたままである。
 雨空に余白を残す桜かな

 野を過ぎ山を越えて三時過ぎにようよう旧友が屋に到着する。近郊山河の地に開けた里の片隅に在って、懐かしい鳶(とんび)の笛を聴き、広く田野を見渡すことが出来る。しばしの休息をとった後、湯郷温泉の元湯である湯郷鷺温泉に向かう。
 その昔、円仁法師が、この地にて鷺が足の傷を癒やすのを見て発見したと言われる名湯である。ナトリウム、カルシウム塩化物泉でややぬめりけがあり優しく肌をつつんでくれる。檜の大浴場につかり、しばし草枕旅路の疲れを癒やすと、ようやくにして漂泊の思いが湧いてくる。日常を抜け出す旅は、移動している間は未知への好奇心で慌ただしいが、その中でゆったりとした時に、人生も未知のものへの漂泊であることを知る。
 早春の夕影淡し湯につかる

※芳年『月百姿 雨中月 児嶋高徳』 国立国会図書館デジタルコレクション 

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