河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

ちょっといっぷく34――ミエナイチカラ

2022年08月31日 | よもやま話

幼いころ家が貧しかった。ろくに食べる物がなく、毎日腹をすかしていた。ひもじかった。
そんなある夜、夢を見た。
亡くなった祖父母が出てきて「ついておいで」と言う。言われるがままに後についていくと大きな料亭だった。
中に入ると、すでに亡くなっている叔父や叔母、親戚の人々が集まって賑やかに食事をしている。
祖父が「さあ、おまえも遠慮せんと、たんと食べ」。
祖母が「これおいしいで」と言いながら次々と料理を勧めてくれる。
空腹だったのでみんな食べた。久々の満腹感だった。


朝になり目が覚める。
「なんや、夢あったんか」
しかし、なぜか満腹感は残っていた。
それからは、食べるものがなくとも、ひもじいとは思わなくなったという。
友人の話である。


蓮(はす)と鶏(にわとり)
(『金子みすゞ童謡全集』より)

 泥のなかから 蓮が咲く。
 それをするのは 蓮じゃない。

 卵のなかから 鶏(とり)がでる。
 それをするのは 鶏じゃない。

 それに私は 気がついた。
 それも私の せいじゃない。

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ちょっといっぷく33――せやさかい

2022年08月30日 | よもやま話

とある駅のプラットホームで、けっこうかわいい女子高生が友達と話している。
 「うちかてな、そんな女やと思われたないやん。せやさかい、ぱしーっと別れたってん」


話している内容もさることながら、実にきれいな大阪弁だと感心した。
特に「せやさかい」が良い。
せや、思い出した」 
「せや」は〈そうだ・そう〉。
「雨降るさかい、傘持って行き」
「~さかい」は〈~だからと強く念を押す〉。


「せやから・そやから」は単なる〈だから〉で弱い。
彼氏ときっぱりと縁を切るには「せやさかい」でなければならない。
意外なところで純粋の大阪弁に出会って、コウノトリを発見した気分。
動物だけではなく、言葉にも絶滅危惧種がある。



※大阪市立図書館デジタルアーカイブより

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畑――みしる

2022年08月29日 | 菜園日誌

 「見知る」ではない。
 「キュウリをみしる」である。
 れっきとした正真正銘の関西弁である。
 辞書には〈みしる=むしる(毟る)がなまったもの。=引っ張ってちぎること〉とあった。
 関西圏の周りの三重県や香川県では〈みしる=むしる=魚の身をほぐすこと〉とある。


 
 

 違う!
 草はむしる。「草むしり」で正しい。しかし、
 野菜はみしる(収穫する)。それが正しい。
 「金銭をむしる」のように「むしる」には良くない意味がある。
 だから、野菜に関しては「みしる」でなければならない。
 ちなみに、焼き魚の身は「せせる」である。


 ひたすら草をむしり、野菜をみしった八月も、もうすぐ終わる。
 二上山に昇る朝日を見ながら思ったことである。

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畑――人人

2022年08月27日 | 菜園日誌

夜中に家に帰ると、外で誰やらかが呼ぶ声がかすかにする。
なにかあったのかと恐る恐る外に出たが誰もいない。
耳をすましてみるとかすかな声で「おーい、おーい」という声。
声はどうやら庭の方からしている。


行ってみると誰もいない。
しかし、確かに声はする。
鬼門にあたる所が草むらになっていて、声はそこからする。
しかし、人影はない。地面・・・土の中から「おーい、おーい」。
怖いもの見たさで10センチほど掘ってみると・・・。人・・・。
人の形をした人参だった。


中国の昔話である。
中国、韓国で作られる薬用人参の根は人形をしている。
『李時珍』には「人参其の根の人の形の如きは神の有るなり」とある。
そこから人参は万病に霊験あらたかなものとして栽培された。
『兼葭堂雑録』という本に、延享四年(1748)六月にシャム人(タイ人)が日本に持ってきた広東産の男女の人参の絵がある。


人の形に近い人参ほど高額で取り引きされたという。
江戸時代までの人参は「朝鮮人参(オタネニンジン)」であった。
今の短くて太く赤いニンジンが日本に来たのは明治になってから。


というわけで久々に畑を耕し、畝をたてた。
秋の畑のスタート。
まずは、ニンジン!

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ょっといっぷく32――大日本

2022年08月26日 | よもやま話

明治時代末頃の商品ラベル。


昔の大阪土産の定番の一つ「をぐら屋の昆布」。戎橋筋が本店なので、これはのれん分けされた店のもの。
当時の日本の国名は「大日本帝国」「大日本」「大日本国」が使われていた。1905年(明治38年)9月4日の日露戦争終結後から大日本国も列強国の仲間入りをし、イケイケの時代だった。

世界に負けてはいられなかった。どこの国にマッタケ売るねん!


日本一には違いない。岡山(吉備)でしか作ってないやろ!



世界一には違いない。日本以外でどこの国が作ってるねん!

※東京大学付属図書館アーカイブより(明治時代の博物学者である田中芳男(1838-1916)が収集・所蔵したもの)

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