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アイリス あいりす 

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東京にはすでに地下原発がある<2284>

2015-08-11 23:51:46 | 宇宙

新日本の黒い霧より転載しましたhttp://blog.goo.ne.jp/adoi/e/aafa8a33c7f4c36e0ecfbfdfbe77c6d8

 

認めたくない、首都東京の憂うべき現状(6)

2014-12-18 19:11:27 | 日記
(2014-12-18 08:30に若干の文の訂正、追記があります)

前回の記事に続いて東京地下原発について「詳細情報その2」を発信します。

「東京の地下に原発がある」と言われれば、誰しもが驚く感覚はよく分かります。私もその一人でしたから。しかし、これ以外の裏国家プロジェクトで密かに行われている数々の地下開発の実体を知った今では、東京地下原発などというのはその中のほんの一握りの事象でしかありません。

このブログのメインテーマとしている123便事件の絡みでも、御巣鷹の尾根の西隣、長野県南相木村の東部に聳える茶屋ノ平の下に広大な地下要塞が建設され、現在はほぼ放棄されている状態であることも確認ができています。123便が撃墜され、多くの外国軍機が御巣鷹山付近に集結したのは、実はこの地下要塞の存在が大きく絡んでいたからなのです。



図1:南相木村と茶屋ノ平、123便はこの東側の上野村の山中に墜落した


本ブログの性質上、本来なら茶屋ノ平の地下要塞について最初に取り上げるべきなのかもしれませんが、それでも東京地下原発をここで持ち出したのは、その存在が原発周辺の地域住民、また東京に通勤する関東一円の一般労働者に対して極めて有害であると思われたからです。以前の記事でもお知らせしたとおり、この東京地下原発は稼動を始めてまもない2000年頃、深刻な放射能漏れ事故を起こし、多くの関係者がその処理と隠蔽に係わったからです。

地下の原発なら安全だと主張する方もおられるようです。確かに爆発事故などが起きた場合に一気に大気中に拡散することは防げるかもしれませんが、せいぜい避難の為の時間稼ぎ程度でしょう。放射性の汚染物質が大量に環境中に出ることには全く変わりがありません。汚染物質は地下水脈に流れ込み、やがて海洋を激しく汚染することでしょう。たとえ事故が発生しなくても通常運転時には、汚染排気と汚染冷却水の放出を通常の原発と同様に行わなければなりません。それらはいったいどこに向かって放出されるのでしょうか?

一つだけ明確な答があります。東京地下原発の通常排気は、東京の地下鉄線構内を経由して行われているということです(ただし、排気の一部か全部かは不明、当然それなりのフィルタリング処理も行われているでしょうが)。


■放射能防御プロジェクトの地図を検証する

今から3年前、2011年の福島第一原発の爆発事故による放射能汚染を危惧し、市民活動による放射能防御プロジェクトが立ち上がり、首都圏の土壌調査を行ったのは記憶に新しいかと思います。その調査データのマップ化されものがありましたのでそれを下記に掲載します。


図2:首都圏土壌調査結果をマップ化したもの
   出典:心の自由さんのブログ
      http://blog.goo.ne.jp/rainbowgarnet1/e/e475650f99b0ec537ed0b91a2822a546
  
 汚染度合いを表す赤丸印の定義については出典元を確認していただきたいのですが、大きく赤色が濃い丸印は汚染が強いことを表しています。図2では、特に濃いエリアを黄色と緑の枠線で囲っています。

この地図の一般的な解釈は、福一から南下してきた放射能ブルームが茨城県から東京・埼玉・千葉に向かって流れてきて関東を汚染した。その特に濃厚なものが千葉県の柏・松戸、東京東部に流れ込んだというものです。

福一が爆発した後に、放射能ブルームが関東を襲ったのは否定のしようのない事実です。何を隠そう私もそのブルームの下に居ましたから。汚れた黄色交じりの灰色の雲と生暖かい風は今でも忘れることができません。その意味では私もかなりひどく初期被曝をした部類だと言えます。この翌日に私がフィリピンへの被曝回避行動をとったのにはそのような経緯もあります。

さて、それはさておき、この解釈だけでは説明できない事実もあります。汚染度の高いブルームが北東から南西方向に向けて流れ込んだのはよいとして、そのエリアを表す地図上の黄色い枠線が、どうして東京23区で終わっているのでしょうか?放射能が東京の高層ビルに当たって、都下にほとんど落下したとでも言うのでしょうか(*1)?

*1 都下に落下:東京南西地区のデータ数が不十分という指摘もあると思います。しかし、図中に引いた東西に伸びる緑の中汚染枠も都心部で途切れていることに不自然さがあります。この土壌調査は、測定数の点から統計学的に有意であると断定できない部分もありますが、それでもおおよその傾向を示していることも確かです。そもそも、放射能汚染という非常事態に学術的正当性を議論する余裕、また意味があるのかとすら思います。蛇足とはなりますが、市民レベルでここまで調べてくださった方々に頭が下がります。


■関東強度汚染地帯は東京大学の核・素粒子研究エリア

タイトルの意味を説明するまえに図3を見ていただきたいと思います。


図3:東京大学研究施設

図上に記したの1~4までの施設はそれぞれ次のようになります。
 1.言わずと知れた東大本郷キャンパス:理学、工学、その他
 2.東大柏キャンパス:宇宙線物理研究所
 3.東大つくば分室:物性研究所(粒子加速器)
 4.東大東海キャンパス:原子力工学

たまたまなのか?、強汚染放射能ブルームはこれら東大関連研究施設のあるエリアを通過しているようなのです。注目すべきは研究内容であり、2~4まではどれも揃いも揃って核・素粒子科学関連の研究施設なのです。さて、それでは1にはどんな施設があるのでしょうか?。賢明な読者様ならもうお気付きででしょう。そう

東京地下原発は東京大学の研究施設として、

 東京都文京区本郷5丁目近辺の地下に設置されています。

また前回の記事で証言者となった地下鉄工夫が担当していたのは、
 
 東京メトロ地下鉄南北線

です。同地下鉄線構内と原発を格納している巨大な地下空間とが気道で繋がっていることは、鉄道敷設工事の過程でこの証言者が目撃しています。



図4:南北線が開設当初から全駅密閉型ホームである理由がこれでおわかりでしょう
   「2009年現在東京地下鉄では唯一の天井までほぼ完全にホームを被う半密閉式」
   (Wikipedia)


■高田純説が意味するもの

物理学者の高田純氏が「福一の事故は全くたいしたことはない!」との説を唱え、ネット世界で激しくバッシングされたのもまた記憶に新しいのではないでしょうか。



図5:高田純氏


たまたま、高田氏の講演を聴く機会があり、上記発言の理由を詳細に聞きましたが、氏が現場の福一に向かい、実測したデータを基に語っているという点では否定すべき要素は見当たりませんでした。データは捏造だと言ってしまえばそれまでですが、氏の態度は自身の測定データに強い信頼感があり、とても大勢に向かって嘘を言ってるようには見えません。氏と同じく物理学を志した者として、データの捏造は最も恥ずべきことであり、データが捏造ならとてもこんなに自信に満ちた発言はできないだろうという感想を抱きました。

だからと言って、福一以後に私が実測し、経験した放射能の恐ろしさもまた事実です。高田氏と私の間のギャップを埋めるのが、低線量被曝が人体に与える影響についての生理学的な解釈の違い、そして「放射性ゴミの大量環境投下」説です。仮にも原子力発電所の建屋が吹き飛んだのですから、それなりの放射性物質が環境中に拡散したのは間違いないでしょう。メルトダウンもあったはずです。私が目撃した放射能ブルームもまさにそれであったと思います。しかし、それでも高田氏が語るようにチェルノブイリ程ではなかったとしたら・・・・この汚染のひどさはいったいなんだったのだろうかと疑問が残ります。

私が推測するのは、もしも原子力発電所が爆発事故(陰謀説もありますが本件では省略)を起こしたなら、一般市民レベルで土壌汚染が問題視されるのは明らか。民間レベルで精密な放射線測定が行われれば、これまで裏国家プロジェクトで垂れ流していた放射能汚染の実態が明らかになり、プロジェクトの存在自体が表に出る。それを防ぐために

 1) 突然事故レベルを引き上げ、チェルノ並みと喧伝する
 2) 放射性ゴミを撒き散らす(→汚染瓦礫焼却も含む)

などの、明らかに不自然かつ不合理な行動に、当時の政権は動いたのではないでしょうか?何せ、日本の裏国家プロジェクトではウラン濃縮から核兵器製造まで核に関することは何でも地下でやってますから。地下だとはいっても、各施設の地上部では概ね自然環境の10倍程度の放射線値が測定されます。

高田説の真偽はともかく、図2、図3を見て推論されるのは、

 関東地方に放射能が降った。東大研究施設のある地域は以前からの汚染が積算された

ということではないでしょうか。

ちなみに、東京地下原発と東大柏キャンパスの間は巨大な地下トンネルで繋がっています。これが更につくば市、東海村に向かっているかどうかはまだ確認が取れていませんが、きっとあると予想されます。また、このトンネルの通過点である東京東葛地域、千葉県柏市の汚染が特にひどくホットスポットと呼ばれていることに深く関連していると推察されます。関東圏に敷設された大規模地下トンネル網については別の機会に取り上げたいと思います。


■その他の傍証

記事がだいぶ長くなったので今回はこれを最後に切り上げたいと思います。

かつて、本ブログでお馴染みの国際軍事評論家のB氏に東京地下原発の存在について尋ねたところ、次のような返答を頂きました。

「はい、ありますよ。放射能漏れ事故を起こしたことも知ってます。日月土さんもご存知のU先生はその事故処理を担当し、それが原因で癌になったと言ってましたよ。」

考える時間など一切ない即答でした。個人的な人間関係にはことさら触れたくありませんが、事が重大なだけに、東京大学のU先生についても語らなければならないかもしれません。次回は東京地下原発で起きた放射能漏れ事故の影響についてです。


 * * *



 東京の地下に原発があると言えば、まっさきに受けるのが「そんなものを作ったら、必ず目撃者がいるはずだ。隠し通せるはずがない」という反論です。

 これに関してはいい加減、気がついて欲しいのですが、私に情報を提供した地下鉄工夫さん自身が既に目撃者です。私がこのようにブログの記事に取り上げなければ、誰も相手にしないし、頭がおかしいと思われるだけの話です。どんな真実がそこにあっても、あなたに届かなければ、それはあなたにとって存在しないだけの事なのです。また、真実は自ら求めなければけしてやって来てはくれません。
 
~~~~~~~~~~~~~
 
◆ なぜ、東京直下型地震が起こされるのか、なぜだか、誰がそのような策略をもっているかのように、胸騒ぎがしましたので、調べてみました。
 
すでに、東京には地下原発がありました。議員がこの地下原発について会議を開いているのですから、すでにあってもおかしくないです。しかし、東大の地下ですか。想像できませんでしたね。東大の教授が、放射能汚染水は飲んでも平気だと、のたまわっていましたしね。飲んで応援なら、福島の汚染水は国会へ配達してみなさんが飲んでくれたら、いいのです。
日本は秘密に満ちています。東大って、秘密が多そうですね。
富士山が大噴火を起こすと言われたのも、同じように仕掛けられていたと思います。それが、できなくなったので、御嶽山になったのではないでしょうか?
しかも政府は準備していたかのように、自衛隊を送り込んでいましたね。
 
ツイッターでみましたが、ある女性が体の大きな白人4人が前日思いのほか大きな荷物をしょって御嶽山に上っているのを見ていました。そして彼らは噴火口へ降りて行ったと言うのです。大きな荷物は、なんだったのか、御嶽山に通常登るのには、不釣り合いな荷物の多さと、4人もそろい揃っての大荷物ですから、記憶に残っていると書いていました。
 
 
 



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原発再稼働し、太陽光拒否する悪電力会社たち <2283>

2015-08-11 22:33:40 | 社会問題 日々雑感

twitterより転載しました。

 

 

日本の太陽光発電、2020年までに原発66基分 太陽光は、すでに原発40基分が稼働している それを必死になって妨害し、原発再稼働のため太陽光買取を拒否してるのが九電はじめ電力各社

 

原発安全対策、3兆円規模へ=再稼働へ巨額投資―電力11社 3兆円あったら、22世紀までのエネルギーが石油や太陽光だけで十分すぎるくらい確保できるだろう 何のために糞の役にも立たない無駄金を原発対策に注ぎ込むのか?


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せき込んだらすぐに出来る手当 <2282>

2015-08-11 22:23:57 | 健康管理

せき込むなんて、夏にあるわけないって、思っていたら、どういうわけか、夕方から、せき込みました。

夜寝る時にベッドに横になって、ちょっと咽喉が痛むか自問しましたが、痛みはまったくないですし、咽喉も腫れているようではありませんでした。しかし、物は試しと、いつもの私ですから、冷蔵庫から、小さな保冷剤(ケーキについてくるような)を取り出して、ハンカチを撒き、咽喉のところに動かないように、くくって寝ました。

そうしたら、寝ている間にも咳はでませんでしたし、起きてからも咳がまったく出ませんでした。

早めの処置をして、正解でした。

小さな保冷剤は、お助けグッズです。お試しください。

 


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裏天皇の組織?薩摩ワンワールド <2281>

2015-08-11 21:39:19 | 社会問題 日々雑感

 http://www.kishu-bunka.org/kingendai.htmlより転載しました。

◆ この記事を転載したところ、何度やっても、フォントサイズが、1にしかできません。

何度やりなおしてもです。字が小さすぎますが、これは、私がやっているのではありません、あしからず。

ここに書かれていませんが、新たにわかったことは、堀川辰五郎という人物の血をひくのが、中丸薫氏だということです。ですから宮内庁は認めていない。というのは、当たっていると思うのです。ややこしいですね。こちらが本流だとしても、私はどっちも、どっちだとおもいますけどね。これで、中丸薫の位置づけがわかりましたし。彼女とつながっているベンフルフォードの位置もわかりました。しかしここにはありませんが、調べてみると、堀川辰五郎氏はハーフだということで、多分にロス茶の血を引くのではないかとも、噂があります。

また、孝明天皇には子供がなく、睦ヒト皇太子は親戚の子で養子だということですから、直径と言えるかどうかは、何ともはや。

~~~~~~~~~~~~~~ 

序 本会の日本近現代史研究について
 本会が日本近現代史の研究を始めた契機は、紀州徳川家に伝来した中国古陶磁を引き継いだことにある。その日本伝来にまつわる事情を追求した処、終に到達したのが奉天特務機関長貴志彌次郎少将と陸軍特務吉薗周蔵であった。
孝明天皇側近の公卿正三位堤哲長は維新政府の参与に挙げられた直後に庶子林次郎を残して急逝する。林次郎の長男吉薗周蔵は、大正元年(1912)に林次郎の従兄の陸軍大臣上原勇作中将(のち元帥参謀総長)から「草」(私設特務)となることを依頼され、その密命の下に数多くの国事に携わり、自分の活動とその時の心境を忠実に記録した膨大な『吉薗周蔵手記』を残した。
本会のHPに彩りを添える『奉天古陶磁圖經』もその一つである。平成8年(1996)、本会は縁あって『吉薗周蔵手記・本紀』『同・別紙記載』とともに『奉天古陶磁圖經』を入手し、以来その解読に勤しんできたが、その過程で上原勇作の真相を知るに至った。
上原勇作は島津藩の下士階層が幕末に結成した一種の秘密結社「薩摩ワンワールド」に属しており、しかも三代目の総長であった。英国を本部とする世界海洋勢力の薩摩支部というべきその結社は、淵源が薩英戦争にあり、英国艦隊に惨敗して世界の大勢を知った薩摩藩士らが、国家社会の保存のために、敢えてワンワールド(ヴェネツィア・コスモポリタン)傘下の海洋勢力(在英ワンワールド)に加入して、その薩摩支部(薩摩ワンワールド)を結成したのである。


その初代総長に就いたのは、西郷・大久保と並び薩摩三傑と称せられた吉井友実(宮内次官伯爵)であった。明治維新の中心人物で一人生き残った吉井は、維新後は世を謀り、新政府の参議・卿・大臣に就くのを故意に避け、宮内省に潜んで、大輔・次官として明治天皇を直近で輔翼すると同時に、薩摩ワンワールド総長の職務を貫いたのであった。
二代総長を継いだ高島鞆之助(陸軍中将子爵)は、陸軍薩摩派の中心人物として陸軍大臣に就き、日清戦争の戦備を整えながら、開戦が近づくと長州派に実権を委ねて予備役に入り、日清戦が終わるや直ちに現役に復帰して台湾副総督に就き土匪平定を果した。さらに、拓殖務大臣として台湾統治策の根本を定めながら、その実施を児玉源太郎(陸軍大将伯爵)と後藤新平(伯爵)に嘱して功績を悉く譲り、自らは戦勝を含めて一切の進級・昇爵の恩賞に与らなかった。日露戦に際しても全く同じで、陸相として戦備を進めながら開戦前に予備役に編入、枢密顧問官として戦中を過ごし、戦後は参謀総長と朝鮮総督、果てはジーメンス事件後の首相などの最高職に擬せられながら、故意に栄職を避けたと観られるのは、国家指導の立場よりも、薩摩ワンワールド総長としての職責を重んじたからと推察される。


明治初年、吉井友実から宮内省へ招かれて侍従番長に挙げられた高島鞆之助は、夙に眼を付けていた上原勇作を従弟の野津道貫(元帥侯爵)に預け、フランス語を習わせた後、工兵学を学ばせるために仏陸軍に派遣したが、その真の目的は在仏ワンワールドに正式加入することであった。現地女性ジルベール・ポンピドーとの間に一女を成した上原は、帰国して「日本工兵の父」となる。
日露戦で岳父野津道貫の参謀長を務めた上原は、陸軍改革を叫ぶ青年将校に推挙されて大正元年に陸軍大臣に就く。これを機に、高島から薩摩ワンワールド総長を譲られた上原は、従来の軍務一本から脱却するために、私設国事掛が必要となり、吉薗周蔵を迎えたのである。
「薩摩ワンワールド」のその後の経過、及びワンワールド勢力の淵源と現勢などについては、本会の落合莞爾が『ニューリーダー』『月刊日本』に永年に亘り連載してきたが、こぼれ話も数多くあり、このHPにより追々説明していきたいと思う。
さて、上原勇作の行蔵から「薩摩ワンワールド」の存在を推定した本会は、高島鞆之助の軌跡を辿って行くうちに、彼らが一介の黒田浪人杉山茂丸によって政治的に誘導されていた事実を発見し、その背景を探ることにより、杉山が在英ワンワールドの密命伝達使であると同時に、謎の貴公子堀川辰吉郎に仕えていたことを確認した。


そこで堀川辰吉郎を探究したところ、浮上したのが驚愕の史実であった。
明治13年に堀川御所で生まれた堀川辰吉郎は孝明天皇の直孫で、皇太子睦仁親王の実子であること。孝明天皇が明治維新を早めるために自ら崩御を偽装され、睦仁親王と倶に「堀川御所」に隠れて秘かに京都皇室を建て、やがて辰吉郎の生誕に至ることを、示唆されたのである。
要するに、明治天皇として国民に仰がれ、維新日本を世界の強国に導いた希代の英主は睦仁親王其の人ではなく、之に代わった人物、乃ち巷説に囁かれていた大室寅之祐であった。そのような大事が、なぜ人民に隠して実行されたのか。今なぜ、それを公開せんとするのか。答えはこのHPにある。

平成23(2011)年9月5日改訂


写真は シャンティフーラの時事ブログより拝借しました。

名称未設定


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田布施システムの人々 <2280>

2015-08-11 20:54:26 | 社会問題 日々雑感

https://medium.com/@_KnZ/cache-・-d8d26c0cdb65 より転載しました。

 

明治維新と称する 無法不法きわまる暴力と陰謀による権力の強奪・略取

やがて 狡猾かつ巧妙きわまる 国家的謀略「田布施」は暴かれるだろう その日 150年に渉る 巨大詐欺構造 が暴かれる 。

宮内庁とNHK が「田布施にはじまる国家略取」システムを認めたら 間違いなく それは 敗戦の日を超える 本当の意味での「日本のいちばん長い日」になるだろう 。

まだまだ田布施システムに関する情報は 粗削りで 誤解や歪曲 不備不正確で ザラザラしているが ひとつの仮説として 歴史を検証する試薬として用いた場合は この国の 歪曲にみちた不明朗な近現代史の 暗黒部分や謎のおおくが 氷解しはじめるように思える。

安倍晋三 麻生太郎を巨大氷山の見える部分とする 田布施系闇黒集団

彼らの暴走を止めるには 薩摩 長州 土佐 肥前の支配構造を暴き 自民党 財閥の広告塔・司令塔/電通 日本共産党を含む 三位一体システムを直視する必要がある。

野坂参三 宮本顕治 志賀義雄 市川正一 戦前と戦後を代表する大物共産党政治家の多くが長州出身なのは 偶然か 自民党政権のあいまを縫うように「リベラル風」を売りにした「革新」政権が 必ず九州と山口あたりから出る。

細川護煕 村山富市 鳩山由紀夫 菅直人 (鳩山家は 鳩山 薫の父 寺田栄も 石橋正次郎も 福岡) そして なぜかその泡沫リベラルのあとは 決まってそれ以前の自民党時代より悪くなり 右傾化し 財閥と既得権益集団優先政策になって 軍国主義全体主義への逆コースをたどる その狡猾なギアシフトの結果が 現在の 安部麻生による「極右売国植民地好戦内閣」だ。これも偶然でしょうか / 嘲笑。

巨大組織 電通も 1901年の光永星郎/熊本 による創業から 上田碩三/熊本 吉田秀雄/福岡 成田豊/忠清南道 など 洗脳プロパガンダ機関 電通を発展させた主要な経営者のほとんどが九州あるいは朝鮮半島に生を受けている。

ああ 日本土民は単純で統治しやすかっただろうなぁ。

田布施システムを援助 育成したのは 幕末から明治初期の英国と米国だったとの仮説も可能だ。

その地下に潜った不可視のパイプがあればこそ 無条件降伏による敗戦が 吉田茂 鳩山一郎 岸信介 佐藤栄作 細川護煕 村山富市 小泉純一郎 安倍晋三 麻生太郎 鳩山由紀夫 菅直人 等 ルーツを九州四国および山口にもつ薩長土肥系政治家たちによる権力の寡占状態・跋扈蹂躙するところとなった (吉田茂の実父は土佐藩の竹内綱 茂は妾腹で養子に出され 吉田姓となる。

鳩山一郎夫人 薫に関しては既述だが 一郎が占領下の1952年3月フリーメイソンになったことは興味ぶかい 第一次鳩山内閣が成立したのは1954年12月 公職追放から一転しての総理大臣就任に ロッジは関係ないのか。

吉田茂は「隠れ信徒」として死後受洗して東京カテドラル聖マリア大聖堂でキリスト教による葬儀 その事実を一般国民の目から隠蔽し 宗教性を糊塗する意味もあって 後日 無意味な「国葬」が行われた 吉田茂夫人。熱心な基督教徒 雪子以来 和子の嫁いだ麻生家もクリスチャン化 麻生太郎もキリスト教徒であり 麻生和子の娘・太郎の妹 寛仁親王妃信子も独身のとき当然受洗したと考えられる。

昭和天皇裕仁の「キリスト教への高い関心」とともに 皇室の宗教的な融通無碍ぶりは注目に値する。

さすがに上記の一覧からは省いたが橋本龍太郎にしても祖母は熊本藩士の娘である。

洒脱な随筆をものした敗戦後の侍従長 入江相政は堂上華族の家柄であるとともに 夫人は岩崎弥太郎の孫であり、いわば三菱財閥から皇居への出向と見ることも可能だ。

後述する 延安で野坂参三と対日共同戦線として「濃厚な接触」をもったアメリカ戦時情報局OSSとは WWⅡ後の1947年 中央情報局CIAに改組された 諜報と謀略を受け持つ巨大な組織であることは 戦後の日本共産党が持つ本当のミッションを考えるうえでも留意する必要がある )

私見では無条件降伏後 日本支配層の戦犯的人物がアメリカ/GHQに媚びて生き延びる方策は三つあった。

ひとつは岸信介のように CIA エージェントとなる。ふたつめは フリーメイソンに加盟する。もっとも緩いのが キリスト教信者としてマッカーサー/欧米思想に敵意なきこと 恭順の意を示す (CIAの岸信介から 新憲法下で初の首相となったクリスチャン片山哲まで)

要するに敗戦が逆に 薩摩長州と三菱の復活拡大 戦前以上の権力の掌握につながった。

さらに『延安リポート/アメリカ戦時情報局の対日軍事工作』によれば 一九四四年の延安で 日本敗戦後も 天皇制を維持することを決定したのは 米国戦時情報局と中国共産党 そして日本を代表して日本共産党の岡野進こと野坂参三 。この三者だった。

これまでの 単純な歴史観からみれば なんだか 不思議すぎませんか。

たとえ今は荒唐無稽であっても「田布施システム」仮説を 研究しよう …。

松本清張も丸山真男も埴谷雄高も竹内好も中野重治 きだみのるも三島由紀夫も 見抜けなかった。

知識人も大衆も 右も左も みーんな みんな 騙された。

(名称は別にして「田布施」的なシンジケートの存在を知っていた知識人も一部には いたように思える。具体的な根拠はないが。

たとえば木戸孝允との縁戚関係と米国留学以後の生き方から都留重人 頭山満/玄洋社に近い 父 杉山茂丸を介して夢野久作などは 気づいていた可能性がある、、

鶴見俊輔も政治的な家系と早熟な聡明さから ある種「ト説」として認識しているように思える。

頭山満/福岡 杉山茂丸/福岡 徳富蘇峯/熊本などは「田布施」を脅迫のタネにしていたのではないか。

蘇峯は戦中1943年に受けた文化勲章を1937年の第一回の受勲ではなかったことを根に持ち、勲章を飼い犬の首輪に付けるなどと『終戦後日記』で罵っていることからもうかがえるように 彼の基本理念は田布施グループと似た「天皇(制度)の国家的有効活用」にすぎなかった )

真っ赤な嘘の闇黒システム NHKと宮内庁が 田布施システムに言及する日。

そんな日が訪れ 日本が本当に再出発できることを 念願祈祷している。

FUCK !!! 薩長&三菱

死の大本営 靖国戦争神社は いまも新たな戦死者を待っている

資料 ※ 『戊辰戦争から靖国を考える』奈倉哲三 ※『奇兵隊 山県狂介 長州藩と招魂場の歴史

覚醒せよ 一億のグーミン

自らの無知を 泣け 笑え 怒れ

150年騙され続けた愚民たち

ほんたうのことをさがして 無知の涙を 流せ

~~~~~~~~~~~~~~

◆ このように、あらゆる方向からみることが出来る、田布施システムの怪です。どこからでも、情報はでてくるので、多くの人が関心を寄せている事がわかると思います。

本日も夕刻のテレビで、天皇よいしょ番組が流されましたよ。

アベぞーりの方向転換は、中曽根に始まって国策の転換のように見せているだけだと私には思われます。いつものやり方でしょう。過去の昭和天皇達のやり口を調べていくと、同じようなことがあるのです。

政治家も財閥もすべて、田布施システムです。ですから北朝鮮をみれば、拉致被害者がキムジョンウンを囲っているのも、同じことだと思いますよ。

キムジョンウンは今何を考えているのか?ロシアに接近しているので、私はそれが答えのように思います。今後アベぞーりと自民党の思惑の拉致被害者の横田めぐみさんの娘を日本に呼ぶ話が、うまくいくかどうかは、私は成功しないとみています。

アベぞーりが退任となっても、支配者の万世一大は続きます。ですから政治家はすべて支配されているので、国民の思うところの政府は、このままでは、今後も出来ないと思っています。

 

 

 


 

 

 


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昭和天皇の政治関与とその証拠 <2279>

2015-08-11 13:20:58 | 天皇まんざーい

http://japanese.hix05.com/History/postwar/post106.anpo.html

日本語と日本文化より転載しました。



豊下楢彦「安保条約の成立」~吉田外交と天皇外交


現行の日米安保条約は、まがりなりにも平等な二国間の対等な軍事同盟という体裁をとっている。これが締結されたのは1960年のことだが、それは1952年に締結されていた日米安保条約(旧安保条約)を改定する形で行われたものだ。改定の際の名目は、それまで片務的だった条約の精神を、双務的なものに改めようというものだった。旧安保条約は、誰が条文を読んでも、平等な二国間の関係とはとてもいえないほど、不平等であり、日本の側から見れば屈辱的な内容のものだったわけである。では何故日本側は、そんな屈辱的な条約を結ぶに至ったのか。その謎について、国際政治学者の豊下楢彦氏が綿密な考察を加えている。(豊下楢彦「安保条約の成立」~吉田外交と天皇外交、岩波新書)

まず、旧条約のどんなところに問題があるのか。前文と本文5条からなるこの条約が定めていることを簡単に整理していうと、①日本は講和条約成立後も引き続きアメリカ軍隊の日本駐留を希望する、②アメリカは日本の申し出を受諾し、日本国内に米軍基地を存続させる、③日本が外部から攻撃を受けた時(外国勢力にそそのかされた国内の勢力が内乱を起こした場合を含む)には、アメリカはこの軍隊を使用することができる。しかし、そのことはアメリカが日本防衛について責任を有することを意味しない、というものである。ありていにいえば、アメリカは日本国内に自由に基地を配備できる権利を取得する一方、日本の防衛には責任を負わないという内容だ。なんのことはない、日米安全保障条約といっていながら、その実、日本側からする、ただの基地提供条約に過ぎないわけである。

何故こんな内容の条約を、日本は結んでしまったのか。氏は、条約の交渉にあたった吉田茂首相の動きを負いながら、その謎に迫ろうとする。

まず、吉田や外務省の幹部たちが、講和後の日本の安全保障について、そもそもどのように考えていたか。氏は、当時条約局長として安保条約を巡る対米交渉の一線に立っていた条約局長西村熊雄の次のような言葉を、この本の冒頭で紹介している。

「日本の用意した条約案は、日本の平和と安全を守ることはとりもなおさず太平洋地域およびアメリカの平和と安全を守ることであるから、日本が武力攻撃を受けた場合にはアメリカは日本を防衛し日本はこれに可能な協力をする、すなわち、両国は集団自衛の関係に立つことを規定し、両国がこのような関係にあるから日本は合衆国軍隊の日本に駐留することに同意するという趣旨を根幹とするものであった。あくまで国連憲章の枠内での結びつきを考えたものである」

ここで述べられているのは、①日米安保を二国間だけの関係にとどめるのではなく、国連との関係において位置付けること、②アメリカが日本を防衛するのはアメリカの平和と安全を守ることにつながるのであるから、両国は集団的自衛の関係にたつこと、③したがって、アメリカからの軍隊駐留の申し出に対して日本は同意し、かつ可能な限りの協力をすること、などであった。

吉田らがこうした立場をとっていたことの背景には、当時の国際情勢についての冷めた見方があったと氏は言う。冷戦が現実化し、また朝鮮戦争が勃発したことによって、アメリカにとって日本がもつ戦略上の位置づけはこのうえなく高まった。日本は反共の防波堤としての役割に加え、最前線の基地としての役割も期待されるようになった。こうした事情を吉田らは冷静に分析したうえで、アメリカへの基地提供を、なるべく有利な条件ですすめることができるはずだと考えたわけである。実際、アメリカの交渉担当者たるダレスも、当初は、日本がそう簡単には基地提供には応じないだろうと考えていたのである。

ところが、当のダレスさえも驚いたように、吉田はアメリカに対する交渉カードを一切切ろうとせず、当初から、日本への軍隊の駐留を、日本側から要請するような態度をとった。その結果、日本は交渉において主導権を発揮することなく、アメリカの言い分を一方的に飲まされることになった。その挙句に、安保条約の内容は、上述したような一方的なものになってしまったというのである。

しかし何故吉田はこんな不可解な行動をとったのか。氏はそこに、昭和天皇の影をみるのである。

氏は、あくまでも仮説だと断ったうえで、安保条約をめぐる日米交渉の過程に昭和天皇が深くかかわり、吉田ら政府担当者らの意向を超越したところで影響力を発揮したというのである。その結果、日米安保条約は上述したようなものになってしまった。それは、日本にとっては一方的に不利なものともいえるが、昭和天皇にとっては必ずしもそうではなかった。日本に引き続きアメリカ軍を駐留させることは、すくなくとも天皇制を維持するという目的にはかなっている、そう天皇は判断したのだろうというのである。

昭和天皇がそう考えたことの背景には、当時の国際情勢への懸念がある。昭和天皇は国際的な共産主義運動に脅威を感じており、とりわけソ連を畏れていた。というのも、ソ連はいまだに天皇の政治責任を云々し、裁判にかけるべきだと主張していたからである。そのソ連がもし朝鮮戦争に勝ったら、日本の天皇制は重大な危機を迎えるに違いない。そのことを深刻に憂慮した天皇は、何が何でもアメリカに勝たせた上で、日本を引き続き共産主義勢力の侵略から守るためには、アメリカの力に全面的にすがる以外にない。ところが吉田らは、そのアメリカと対等に交渉しようとし、時にはダレスを怒らせてもいる。そんな吉田にもっぱら交渉を任せておくわけにはいかない。天皇はこう考えて直接身を乗り出した。氏はそう推測するのである。

昭和天皇がとったこうした行為は極めて政治的なものである。それが象徴天皇制をうたった新憲法の精神と相容れないことは明らかである。場合によっては、自らの立脚基盤を危うくしかねない行動を敢えてとったところに、この時点での昭和天皇のあせりのようなものを感じとることができるかもしれない。

ところで、日米安保については、アメリカ側から日本の「安保ただ乗り論」というものが繰り返し持ち上がってきた経緯がある。これにはそれなりの背景がある。

日米安保交渉にあたってダレスがもっとも強調したことは日本の再軍備だった。日本が再軍備して戦いの意思と能力を示してこそ、アメリカは初めて集団自衛のためのパートナーと見做すことができる。日本にとって再軍備は、アメリカとの軍事同盟を結ぶための最低の条件である。その条件を満たさない限りは、日本は集団的な自衛にとって何の貢献もできないのであり、したがってそんな日本を守る義務はアメリカにはない。ダレスはこう強調したうえで、自分では義務を果たさず、アメリカの保護を期待するのは「安保ただ乗り」だといって、日本を責めたのである。



http://japanese.hix05.com/History/postwar/post107.tennou.html

昭和天皇の政治感覚


豊下楢彦氏は、安保条約の成立に昭和天皇が強い役割を果たしたことを強調しているが、昭和天皇はそれ以外の面でも、政治的にみて非常にきわどい言動をされていたと批判している。きわどいというのは、天皇はアジア・太平洋戦争の最高責任者として言動を慎まなければならない立場にあり、しかも新憲法によって象徴とされて後は、一切の政治的立場から中立であることを求められていたにかかわらず、極めて政治的な言動をやめなかったからだ、というのである。

その最たるものが、安保条約締結への介入であったことはいうまでもない。氏はあくまでも仮説だとしながら、昭和天皇が吉田首相の交渉姿勢に強い不満を感じ、自ら交渉のプロセスに介入することで、いわば二重外交のような状況を現出させたと指摘している。それのみならず、吉田を直接叱責することで、事実上アメリカによる単独占領の継続を認めるという、日本にとって屈辱的ともいえる政策を強要したとも言っている。つまり、昭和天皇は憲法によって政治的行動を禁じられているにもかかわらず、高度に政治的な、しかも国の将来を左右するような、ある意味できわめて危ない行動をとった、と氏は批判するわけなのである。

昭和天皇の政治的な言動はさまざまな場面で検証できる、と氏は言う。その一例として氏が注目するのはマッカーサーとの会見での発言だ。天皇は1945年9月27日に初めてマッカーサーを訪問して以来、計11回の会見を行っている。その全貌は明らかになっていないが、一部分については、歴史家の児島襄氏が記録の閲覧を許されるなどして、おぼろげながら明らかにされている。そこから浮かび上がってきた天皇の言葉を分析することによって、当時昭和天皇がどのように考えていたか、その一端を明らかにしようというのだ。

まず、1946年10月16日に行われた第三回目の会見。その席上天皇はつぎのようなことを言った。「日本人の教養いまだ低く、且宗教心の足らない現在、米国に行われる"ストライキ"を見て、それを行えば民主国家になれるかと思う者もすくなからず」

昭和天皇のこの発言は、この年の5月に起こった「食料メーデー」や頻発する労働争議を念頭においてのものだった、と氏は言っている。天皇は、日本人の知能程度は小児並みというマッカーサーの言葉を受けて「日本人の教養いまだ低く」といい、そんな連中の起こすストライキなどの行為を厳しく取り締まってほしいと述べているというのである。

ついで、1947年5月6日に行われた第4回目会見での発言。「日本の安全保障を図るためには、アングロサクソンの代表者である米国が其のイニシアチブを執ることを要するのでありまして、此の為元帥の御支援を期待しております」

ここには、憲法9条にも国連にもおよそ期待せず、アメリカの武力によって日本の天皇制を守ってほしいとする昭和天皇の本音が露骨に現れていると氏は言う。「この第4回会見のわずか1年9か月前まではアジア・太平洋諸国を危険にさらしていた国家の象徴が、その償いも何ら果していない段階で、しかも戦争放棄の第9条がなぜ求められるようになったのかという歴史的経緯もほとんど認識されていないように、ただひたすら、みずからの国が危険にさらされることのみを考えるという発想には、驚かされるばかりである。ましてや、以上の議論は、天皇が象徴として政治的行為を禁じられた新憲法の施行から三日目に交されていたのである」

天皇はまた、公職追放の緩和についても強く主張した。「(追放の緩和によって)多くの有能で先見の明と立派な志を持った人々が、国民全般の利益のために自由に働くことができるようになるであろう。現在は沈黙しているが、もし公に意見表明がなされるならば、大衆の心に極めて深い影響を及ぼすであろう多くの人々がいる。仮にこれらの人々が、彼らの考え方を公に表明できる立場にいたならば、基地問題をめぐる最近のあやまった論争も、日本の側からの自発的なオファによってさけることができたであろう」

これは1950年の天皇のダレス宛の文書メッセージである。ここで「最近のあやまった論争」というのは、「わたしは軍事基地は貸したくないと考えております」といった吉田の議会発言などをさしているものと氏は推測している。天皇は、アメリカとバーター取引を行おうとする吉田の姿勢に強い不満を感じ、アメリカによる日本の保護を得るためには、日本の側から積極的に基地のオファをするくらいでないといけないと考えていたので、このような発言が出て来たと言うのである。実際この発言を踏まえ、天皇の側近たちを介在させた影の交渉ルートが出来上がり、吉田による公式なルートと天皇による非公式なルートとが併存する二重外交の構図が出現した。これが一国の政治にとって非常に由々しい事態であることはいうまでもない。

次に、昭和天皇はみずからの戦争責任をどう考えていたか。これについては、全く角度の異なった二つの見方が流通することとなった。ひとつは、昭和天皇は戦争責任について深く自覚し、自分一人が批判の矢面に立つとする姿勢だったとするものである。これには、1964年に出版された「マッカーサー回想録」が大いに影響した。この回想録の中でマッカーサーは、第一回目の会見の際に昭和天皇が次のように述べたと書いたのである。「私は、国民が戦争遂行にあたって政治・軍事両側面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の採決にゆだねるためおたずねした」

これがもとになって、昭和天皇はご自身の戦争責任を深く自覚していたのであり、退位を含めて具体的な行動で示す用意もあったという見方が成立した一方、昭和天皇をそのまま皇位にとどめたのは、マッカーサー側の意図によるものだったとの見方も流通した。

これに対しては違う見方もある。会見で通訳をつとめた外務省の奥村勝蔵の手記には、「この戦争については、自分としては極力これを避けたい考えでありましたが、戦争となるの結果を見ましたことは、自分のもっとも遺憾とするところであります」とあり、それを児島襄氏が71年11月の文芸春秋史上に発表し、遺憾の意の表明はあるが、全責任発言はみられないとコメントして、大きな議論を呼んだところだ。

その後、「昭和天皇独白録」が出版されたりして、この辺の事実関係は大分明らかになった。この戦争は時の勢いがさせたもので、自分が進んでしたものではない、自分はむしろ消極的な考えであったが、その考えを押し通せばクーデターが起こって廃位されていただろうと、責任を回避するような態度に終始した、というのが大方の理解になっているといってよい。

しかし、戦後も時間が進み、日本の政治が安定してくるにつれ、昭和天皇の発言は慎重になり、ついには政治的な発言を一切しなくなったことは、大方の国民の記憶に残っているところだ。戦後の一定時期まで、昭和天皇がきわめて政治的な姿勢を示し続けたのは、自らの地位と皇室の存続について、重大な関心を持たざるをえなかったことの反映だったのかもしれない。


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あべぞーり お詫びと侵略を総理談話に盛り込む意向 <2277>

2015-08-11 11:56:07 | 社会問題 日々雑感

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150810/k10010184361000.html より転載しました。

戦後70年談話 原案にお詫びなど明記

安倍総理大臣が戦後70年にあたって今月14日に発表する総理大臣談話の原案に、いわゆる「村山談話」でキーワードに位置づけられている、「お詫び」や「侵略」など、すべての文言が明記されていることが明らかになりました。政権幹部からは評価する意見が出ていて、安倍総理大臣は閣議決定に向けて最終的な文言調整を進めることにしています。
安倍総理大臣は戦後70年にあたって今月14日、総理大臣談話を閣議決定しみずから発表することにしていて、先の大戦での日本の対応に「痛切な反省」の意を示し不戦の誓いを表明するとともに、歴代内閣の基本的立場を引き継ぐ方針を明記する意向です。これを前に、安倍総理大臣は先週から、自民党の谷垣幹事長や公明党の山口代表らに対し、談話を閣議決定する意向を伝えるとともに、原案を示して考え方を説明し理解を求めています。
こうしたなか、関係者によりますと談話の原案では過去の歴史や歴代政権の取り組みに触れるくだりなどで、平成7年のいわゆる「村山談話」や平成17年の「小泉談話」で、いわゆるキーワードに位置づけられている、「痛切な反省」、「植民地支配」に加え、「お詫び」と「侵略」という、すべての文言が明記されていることが明らかになりました。
安倍総理大臣は今回の総理大臣談話について、「今まで重ねてきた文言を使うかどうかではなく、安倍政権としてどう考えているのかという観点から談話を出したい」と述べ、ひとつひとつの文言を使うことにはこだわらない考えを示していました。安倍総理大臣が、原案で村山談話でのキーワードをすべて盛り込んだ背景には、ひとつひとつの文言を使ったかどうかという議論を避け、みずからの真意を正確に伝えたいという考えがあるものとみられます。
談話の原案を読んだ政権幹部からは、「細部で注文をつける人はいるかもしれないが、全体として大多数の国民は共有できる内容になっているのではないか」などと評価する意見が出ていて、安倍総理大臣は閣議決定に向けて、最終的な文言調整を進めることにしています。
 
NHKスペシャル 
2015年8月11日(火)午後7時30分~8時43分総合
2015年8月13日(木)午後10時00分~10時49分総合
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
◆ ネット右翼はすでに、あきれ返っているでしょうね。これだけをたよりにアベ応援をしていた、方たちもいたでしょう。韓国をやっつけろ!言いなりになるな!ってね。
そういう考えが、そもそも、マインドコントロールだったのです。
 
歴史には真摯に向き合わなければならないです。それから、アメリカのしてきた事、韓国のしてきたことも、公にすることが世界に広まっていくからです。イスラエルも同じです。ウクライナも同じです。イギリスも同じです。
世界で不正義が、充満しているのですから、みんなやっているじゃないの。という言い訳はできないのです。
日本がしてきたことを、公にする日は、まだまだかかりそうです。
なぜか、中曽根の先の戦争についての言及があり、その後、長崎の記念式典でのアベぞーりの挨拶文が変わりましたね。そして今度は、お詫びと侵略をいれることになりました。
何かが回りだしたようにも、思えますが、まだ油断はできないです。
 
このまま、偽物政府が突き進んで、国民の目覚めがもっと増えて、万世一大への、目覚めが大きくなる前に、国民を鎮める必要があるからでしょう。
万世一大への目覚めは、雪崩のように起こっています。社会を見回してもそのようなことは、実感としてはないですが、これが週刊誌に載るような事態は、実はすれすれのところにあるのではないかと、思っています。
 
一度目覚めた人は、情報を知りたいと思うものです、そして今では、その情報は求めたらすぐに手に入る状態になっているのです。雪崩は始まっているのです。
あちこちのブログのコメントをみれば、半年前には書かれていなかった万世一大のひみつが、沢山の人が知っていることに、驚くでしょう。
市民運動などしなくても、秘密の暴露っていうものは、このように広まっていくのです。
かつて本しかなかった時代とは、雲泥の時間の短さです。
秘密を知った人は、そのことを秘密に出来ないものです。誰かに話たくなるのが、常です。
ですから、コメントに書くのです。あるいは、友人に「こんなこと知っている?」となるのです。
中曽根氏は言及するまで、身の安全を考えていたのかもしれないです。しかし年を取り、そのような考えも薄れてきたのかもしれないですね。
 
アベぞーりの顔は、打って変わりました。これから自分の意に染まないことを、談話と言う形で、披露するわけですから。
 
そういえば、アベぞーりが、ストレスから吐いたという話も漏れ伝わっていますね。ホテルのジムに行き体力つくりと言う話も、嘘で、実はホテルで医者の診断を受けていたのではないか、ということです。
 
談話をしてから、即辞めたいでしょうけど、戦争法案を決議する役目があるでしょうね。
国民はなんとしてでも、デモと拡散をし続けないと、今緩めたら大変なことになります。
 
8月30日 官邸前で、30万人を目指しているようです。
 
戦争法案絶対反対!!! 奴隷人類は解放へ!!!
 

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夏の着やすいワンピース<2276>

2015-08-11 09:58:25 | 社会問題 日々雑感

夏の着やすいワンピースは、Aラインのワンピースです。

家にいて涼しく、家事をするのに、動きやすいワンピースを

手作りしています。

ノースリーブで、前あきですが、裾は閉じています。

Aラインの型紙の書き方は、袖ぐりのしたから、裾にかけての線ですが、

胸幅を裾に移して、その幅に+10センチです。

このサイズが快適なサイズです、広すぎると邪魔になるからです。

Aラインですから被って着ることも、出来ますし、体型もすっきりと隠れます。

年を取ると、前あきの利便性が大変重要になりますね。笑。

生地は綿麻の混紡が一番です。

また、色は薄いと下着が、映ってしまうので、色は白っぽくないものがいいですよ。

今着ているのは、色を抑えたオレンジと白のチェックです。

Aラインは風を通してくれますし、体型もカバー出来ることから、

夏の家でのワンピースだけでなく、お出かけにもいいと思います。

半袖の上着か、シャツを羽織って、帽子を被って、出かけましょう。

イヤリングをつけたら、ほら素敵でしょ。

 

 


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今日10時に川内原発再稼働 <2275>

2015-08-11 09:57:07 | 社会問題 日々雑感

ヤフーニュースより転載しました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150811-00000010-asahi-soci

川内原発、原子炉起動へ 原発ゼロ、2年で幕

朝日新聞デジタル 8月11日(火)5時10分配信

九州電力の川内原発1号機(鹿児島県薩摩川内市、89万キロワット)が、11日に再稼働する。新規制基準下で初の再稼働で、約2年ぶりに「原発ゼロ」が終わる。安倍政権は再稼働に向けた環境づくりを進めてきたが、川内など個々の原発の再稼働判断については「責任は事業者」(菅義偉官房長官)として距離を置く姿勢をみせている。

【写真】九州電力川内原発1号機(鹿児島県薩摩川内市)の再稼働が翌日に迫った10日、同原発の正門前では、夜になっても警察官らによる厳重な警備が続いていた=金子淳撮影

 九電は11日午前10時半に原子炉を起動し、半日後の午後11時ごろ、核分裂反応が連続的に起こる「臨界」となる見通し。14日に発電と送電を始めて、9月上旬に営業運転に移る。

 東日本大震災で東京電力福島第一原発が事故を起こし、その後国内の全原発は停止。電力不足で関西電力大飯原発3、4号機(福井県)が12年7月に一時的に再稼働したが、13年9月に停止し、その後は「原発ゼロ」が続いた。

 福島第一原発事故を受けて、地震や津波の想定を厳しくした新規制基準ができ、川内原発は、新基準で初の再稼働となる。このため、九電は原子力規制委員会への対応に手間取るなどして手続きは遅れたが、審査を申請してから2年以上をへて再稼働する。

 九電は川内2号機も10月中旬の再稼働をめざしている。他の電力会社では、関電高浜原発3、4号機(福井県)と、四国電力伊方原発3号機(愛媛県)も新基準を満たすと認められ、再稼働への手続きが進む。ただ、高浜原発については、福井地裁が4月、再稼働を禁じる仮処分を出し、再稼働できるかは不透明だ。

 安倍晋三首相は10日の参院予算委員会で再稼働を進める責任を問われ、「安全神話に陥ることなく、事業者と規制当局が安全性を不断に追求していくことが大事だ」と電力会社や原子力規制委員会の責任を強調した。そのうえで「世界最高水準の新基準で認められた原発から再稼働していく」と述べた。

 今年7月に決めた2030年度の電源構成で、原発の割合を約2割とするなど、政権は再稼働の「地ならし」を着々と進めてきた。だが、再稼働への世論の反発は根強い。安全保障関連法案の審議などで支持率が低迷する政権にとって、再稼働問題で「国が前面に立つ」ことをかわしたいのが本音だ。菅長官も10日の記者会見で「稼働するかどうかは事業者の判断」などと繰り返した。

 一方、原発や福岡市の九電本店の周辺では、脱原発を訴える市民らが反対の声を上げた。(長崎潤一郎、星野典久)


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◆ 不具合でも起きて、稼働できなくなってほしいと、願っていましたが、とうとうその日が

来てしまいました。1号機につづいて、秋には2号機もということです。現在どこも電力不足など、なっていません。何のために再稼働するのか?核兵器を作るためでしょうか?

この再稼働の全責任は九州電力、偽物政府 鹿児島県知事、川内市市長にあります。

福島の次は、鹿児島です。


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