自然と風景、スナップと鉄道模型・鉄道写真

自然と風景と鉄道を愛し撮影にでかけたときの写真の紹介と、時々スナップ撮影と鉄道模型の写真もあるブログです。

世界文化遺産・国宝「姫路城」の特別公開

2022年11月30日 11時21分40秒 | 城、城跡
 
世界文化遺産・国宝「姫路城」の特別公開



世界文化遺産で国宝天守の姫路城・特別公開があったので見学に出かけました。

姫路城は平成の修理前を含め、幾度か訪れていますが内部の非公開場所に入るのは初めてです。


今回の特別公開は「乾小天守」「イ、ロ、ハの渡櫓」「東小天守」の5箇所で、いずれも国宝です。

白鷺城と呼ばれる所以である真白な漆喰壁の改修完成後はひときは白さが引き立ちます。






西の丸から眺める大天守、小天守は緑の木々の中で存在感を示しています。



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小天守群と小天守から眺める大天守は迫力があります。




イ、ロ、ハの渡櫓と百閒廊下を歩きました。

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黒田官兵衛普請による石垣です。2段の珍しい石垣です。



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JR姫路駅にある展望テラスからは天守を正面に眺めることが出来ます。テラスからの朝と夜の光景です。





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丹波の黒井城址(保月城址)と興禅寺

2022年07月06日 10時14分32秒 | 城、城跡
 
丹波の黒井城址(保月城址)と興禅寺



黒井城は兵庫県丹波市にある国指定の史跡で、別名を保月城ともいわれます。

戦国時代には明智光秀の猛攻を何度も退けた堅城ですが、建物の遺構はありません。

城跡のある猪口山全体が城郭の雰囲気を持っています。

麓には春日局生誕の地とされ、戦国時代の居館の様子を残す興禅寺があります。






城跡に建つ石碑は黒井城址ではなく保月城址です。



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山頂までは登り口から徒歩40分ほどです。熊が出るとのことで熊よけの鈴をつけて歩きました。



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建物の遺構はありませんが、建物のあったとされる場所には跡地を示す看板があります。


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黒井城址と興禅寺への最寄り駅はJR福知山線黒井駅です。運行本数も多くない駅は山の駅です。




水をたたえた七間濠・高石垣と白い練塀で囲まれた興禅寺。春日局生誕の地とされています。



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徳川御三家の一つ、紀州徳川家の和歌山城

2022年05月08日 22時19分18秒 | 城、城跡
 
徳川御三家の一つ、紀州藩紀州徳川家の和歌山城



和歌山城は和歌山市の中心、虎臥山の頂きに築かれた平山城で、水戸・尾張と並んで徳川御三家

の一つ、紀州徳川家の居城でした。


白亜三層の天守閣は、幾多の火災や太平洋戦争時代に和歌山大空襲により焼失し、戦後の昭和33

年(1958)に再建されたものです。


天守閣に登ると和歌山市街地が見渡せ、紀の川がゆったりと流れる光景が望めます。





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天守から眺める展望は素晴らしいのですが、天守に登ることの出来る時間は、夏休み期間を除いて、
午後5時半までなので、夕焼けの光景を望むことが出来ないのが残念です。









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広大な平山城、愛媛県松山市の松山城

2022年05月01日 11時13分04秒 | 城、城跡
 
松山藩15万石の巨城「松山城」と桜




松山城は伊予国松山藩がおかれた、愛媛県松山市にあった広大な敷地の平山城です。

麓から眺めると城山の頂上に建つ天守閣、西南麓の二の丸、三の丸や石垣が広がっています。


最初に建てられた時には五重天守であったが、のちに現在のような三重天守になっが理由は

分からないとされてます。


城山の公園は桜の名所とされて、訪れた時には満開の桜が散り始める桜吹雪でした。








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南国土佐の名城 高知城

2022年04月09日 22時01分58秒 | 城、城跡
 
山内一豊築城による土佐、高知の名城「高知城」





高知城は江戸時代初期、関ヶ原の戦の功績により遠州掛川より入国した山内一豊が

慶長6年(1601年)から築城をはじめたが難工事のため、完成したのは二代藩主忠義が

治めた慶長16年のことでした。その後、幾多の変遷を経て明治維新による廃城令や

戦火を免れ天守等の15棟が現存します。


日の出前に城跡が整備された高知公園に入りました。


一豊が前任の掛川城を模したと伝わる3層6階の天守横には月が残っていました。









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高知公園の天守横から日の出を眺めました。



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日が昇るにつれ石垣等に光が差し始めます。




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